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episode14:過去からの使者

 それは私たちが喫茶店での仕事に慣れ始め、今の生活になんの疑問も抱かなくなった三月。

 過去からの使者はやってきた。


 その日の午後。

 私は軽食を取りにやってきた数人のお客さんのために、ヨシキさんの監視の元、盗んだ技を駆使してフライパンを振っていた。

 アパートで練習したこともあって、一応及第点は貰えているらしい。練習すればなんでもできるようになるものだ。

 オムライスが上がり、ヨシキさんがホールの二人へと渡しに行く。

 私がパスタの茹で具合を見ながら具材を炒める準備をしていた時、ヨシキさんと入れ替わりでトウコさんがキッチンに入ってきた。

 仕事中にトウコさんがここに来るのは初めてだったので、私は作業の手を止めた。


「どうしました?」

「それが……」


 トウコさんが一枚の写真を持っていることに気付く。少しためらった様子でそれを私に見せた。


「この男を見ませんでしたか、というお客さんが……」


 そこには瓦礫の上に腰かけ、煙草をふかしている無精髭の男が写っていた。


「私……ですか」

「わかりません……でも、よく似ていると思います。入り口の近くにいるグレーのウィンドブレーカーのお客さんです」


 私は頷いて、キッチンを出た。丁度ヨシキさんが戻ってきたので、


「すいません、ナポリタンお願いします」


 と頼む。ヨシキさんは頷き、私の脇を通り過ぎた。

 ついに来た。確実に私の過去を知る何者かがやってきた。

 もう過去のことは思い出さなくても大丈夫なんだと思い始めていた矢先。正直言って完全に油断していた。

 私は額に脂汗をかくのを感じながら、入り口近くのテーブルに座っていた男の前まで来た。

 前まで来て、一体何と声をかければいいのか考えあぐねていると、男は私の顔を舐めるように見て言った。


「やっと見つけたぞ……!」


 男は勢い良く立ち上がり、私に掴みかかってきた。


「店の中で騒ぎを起こされるのは困るよお客さん」


 いつの間にか宮野さんが隣にいて、どこから持ち出してきたのか出刃包丁を私と男の間にかざした。これには男も私もひるむ。


「ま、待ってください宮野さん。……ちょっと、外出てきてもいいですか」


 宮野さんは真っ直ぐに私の目を見て、包丁を持つ手を引いた。


「ちゃんと話つけるんだよ」

「はい。……外で話しましょう」


 私は男に外に出るように促した。


    ・・


「がっ……!」


 浜辺まで来て、私は突然振り向いた男に殴り倒された。そしてそのままのしかかられる。


「なあどんな気分だ。戦地に仲間を置き去りにして平穏な生活を送る気分は」


 突然そんな言葉を吐かれて、私はどう答えたらいいのかわからなかった。

 押し黙っているとさらに拳が飛んでくる。災難なことに海辺には私とこの男しかおらず、誰かが助けてくれるような気配は無い。


「なんとか言えよ! 言い訳してみろ!」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 なんとか男の腕を掴むが、すでに顔が腫れて熱くなっているのを感じる。


「待ってください。説明させてください」

「……説明? なんだ説明って。真っ当な理由でもあるってのか」

「……記憶が、無いんです――ぐあっ」


 男の全力の頭突きを受けて、私は脳が揺れるのを感じた。


「記憶がない? ふざけるな! そんな都合の良い言い訳があるか!」

「ほ、本当なんです。去年の十二月にここで目が覚めてから、何も思い出せないんです。あなたが誰なのかもわかりませんし、自分の名前だってわからないんですよ……」


 私はぐったりしながらも、なんとか口だけは動かした。


「……嘘だろ? あのあと何人死んだと思ってるんだよ……俺だって危うく……」


 男は私にのしかかったまま、茫然とした様子でぼそぼそと呟いた。


「すいません、本当にわからないんです……」

「……なんで、お前だけ……。なんでお前だけが、楽になってんだよ……。だったら俺の記憶も消してくれよ……ちくしょう……」


 男は砂浜に倒れ込み、手で顔を覆って啜り泣き始めた。私はもう顔の痛みで起き上がる気力も無く、次第に意識は遠のいていった。


    ・・


「う……」

「あ、良かった……!」


 目を開こうとして、顔が腫れているせいか上手くそれができないことに気付いた。

 顔だけではなく、いたるところが痛む。浜辺であの男とやりあった時に打ったのかもしれない。


「あの人は……?」

「わかりません。私たちがキョウイチさんを見つけた時には、もういなくなってました。それより大丈夫ですか? 気分が悪かったりしませんか?」


 訊きながら、トウコさんは私の顔を絞ったタオルで拭いてくれる。冷たくて気持ち良い。


「ありがとうございます。大丈夫です」

「救急車を呼ぼうか迷ったんですけど、ヨシキさんがここまで運んでくれて……」

「ヨシキさんが……?」


 ようやくぼんやりと視界が回復してきて、ここがアパートのベッドの上であることに気付いた。


「お店のことは心配しなくていいから、怪我が回復するまで休んでねって、宮野さんが」

「ありがたい……」


 トウコさんはタオルを絞って、また私の顔に当てる。きっと相当酷い見た目になっているだろう。若干気恥ずかしかった。


「……過去のこと、何かわかりましたか」


 少しの沈黙の後、トウコさんが訊いてきた。


「……なんとなくは。でも、これ以上知るのは……怖いです……」


 壁に貼ってあった新聞記事。古いカメラ。そしてあの男の話。

 私が一体どんな人物で、何をしてしまったのか。大体の見当はつく。色々なところが痛んで、涙が目尻から落ちた。

 トウコさんはタオルでそれを拭ってくれる。


「……キョウイチさん、もう逃げるのは止めましょう」

「え……」

「私たちがこれから幸せに生きていくためには、やっぱりはっきりさせないといけないことがあると思います」

「でも……私は最低の人間かもしれない……」

「大丈夫です。キョウイチさんがどんなに最低の人間であっても、私があなたを受け入れます」

「……」


 トウコさんの力強い言葉に、私はまた涙が溢れてきてしまう。情けない。その度にトウコさんは丁寧に顔を拭いてくれた。


「……私がもし最低の人間だったとしても、受け入れてくれますか?」

「……もちろん」


 仮にトウコさんが最低の人間であったとしても、今はこんなに魅力的なんだ。受け入れられないわけがない。


「それなら、私たちは大丈夫です。ちゃんと過去を清算して、ちゃんと幸せになりましょう」


 私は声が震えそうで、頷くことしかできなかった。


「今はまだ休んでください。元気になって、それから今後のことについて色々考えましょう」

「はい……」


 滲む視界の隅で、トウコさんが微笑んだ。


「……おやすみなさい」

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