episode13:秘めた思い
「ただいまー……」
「ただいまー」
中には誰もいないのに、なんとなくトウコさんも私もただいまを言って帰宅した。
私はお土産の食材が入った袋をそのまま冷蔵庫に突っ込み、とりあえずソファに腰を落ち着けて一息ついた。
トウコさんはコートを脱ぎ捨ててベッドに身を投げた。初日から私たちはもうへとへとだった。
なんと言っても、勤務時間が長かったのが体に来る。
普通の喫茶店と違って結構夜遅くまで店が開いているので、片付けを終えて帰ってきたのは結局午後十一時を回った頃だった。
朝六時に出勤だったから、ちょこちょこ休憩を貰っていたとは言え、かれこれ十七時間。
これをほぼ毎日二人だけでこなしていたとはにわかには信じられないが、やはりコツとしては適当にやることが大事らしい。
時給制だから働きたい時に来ればいいよ、とは言ってもらったけど、今はできる限り働かなければ。
と思いながらも、明日が定休日であることに心から感謝せざるを得ない。
「トウコさん、先にシャワーどうぞ」
返事がない。体を捻ってベッドの方を見ると、トウコさんはベッドにダイブした体勢のまま寝てしまったようだった。なんて寝付きの良さだ。
しかしかく言う私も、トウコさんに毛布をかけ、シャワーを浴びてソファーで横になったら、一瞬にして眠りについてしまうのだった。
疲れは最高の睡眠導入剤である。
・・
翌日。
たっぷりと睡眠を取った私たちは、朝からパスタを茹で、醤油とマヨネーズで和えて朝食とした。一刻も早く食生活を改善せねば。
「今日休みですけど、どうします?」
「うーん……。すいません、今残金ってどれくらいでしたっけ」
「なんだかんだ色々使ってしまいましたから、五、六千円ってところですかね……」
「……実はその、服が欲しくて」
「あー、そうですよね。下着はコンビニで買えましたけど、トウコさんが外に着ていける服って今のそれだけですもんね……」
私は部屋にあった服のサイズが合っていたから良かったものの、トウコさんは三日間スウェットと今の服のローテーションだ。
冬場とは言え、さすがに同じ服を三日着ているのは気持ち悪いだろう。
「わかりました。確か商店街の脇道に古着屋さんがあったと思うので、そこに行ってみましょう」
・・
「うわあ……」
トウコさんはガラス窓の中に陳列された展示用の服を見て感嘆の声を上げる。
そこはとても雰囲気の良い古着屋さんだった。最初の日に私が警察から逃げていた時、脇道に入った際に見かけたのを覚えていた。
中に入ってみると店内もお洒落な内装で、古着屋と言うよりはブティックに近い気がした。しかし吊られている服はどれも四桁に届かないものばかりで、私は少し安心した。
「あら、いらっしゃいませ」
私たちに気付いて、奥から店主らしきご婦人が出てきた。
「すいません、ちょっと見せてください」
「はいはい、ご自由にどうぞ。試着したかったらおっしゃってくださいね」
ご婦人はそう言って、レジの横の椅子に腰かける。
トウコさんは服選びにすっかり夢中だ。
「随分お安いんですね」
「そうでしょう? というのも、最近お店の高い服は滅多に売れなくなってしまったの」
「そうなんですか……大変ですね」
「それがそうでもないんですよ。今は息子がインターネットで販売をしてくれていて、主な売り上げはそっちなの。このお店は私が道楽でやっているようなものなのよ」
「外から見ても、とても素敵なお店だと思いました」
「あら、ありがとう」
ご婦人は嬉しそうに微笑んだ。一度通り過ぎただけなのにはっきり覚えていられたのは、事実素敵だったからに他ならない。
「あの子は恋人なのかしら?」
「い、いや。そういうわけではないんですが……」
確かにトウコさんはとても魅力的な人だけど、恋とは何か違う気がする。
「……あの子、きっと凄く烈しい思いを胸に秘めているわ」
「烈しい思い?」
「私ね、仕事柄沢山の女の子を見てきたから、女の子のことはよくわかるの。あの子はもしかしたら、いつか自分の強い思いに苦しめられる時が来るかもしれない。……あなたがあの子とどういう関係なのかはわからないけれど、もしそういうことがあったら、傍にいてあげてね」
「……はい」
トウコさんはしばらく服を吟味してから、最終的にブラウス二枚とスカートを選んで持ってきた。
「全部で二千円くらいですけど、大丈夫でしょうか……。ちょっと買い過ぎですかね」
「いやいや、私だけ服に不自由しないのは悪い気がしていたので」
「すいません……。じゃあ、これをください」
「はいはい。試着はしなくて大丈夫?」
「あ……良かったらここで着ていってもいいですか?」
「大丈夫よ。こっちへいらっしゃい」
トウコさんはご婦人に案内され、奥の試着室へ入っていった。
・・
「はー、これでやっと洗濯ができます……」
「気を使えなくてすいませんでした……何か思うことがあったらもっと遠慮無く言ってくださいね」
「大丈夫ですよ。貧乏生活もある程度なら楽しいものです」
アパートへと続く坂道。トウコさんは長いスカートを揺らして歩きながら、たくましく笑った。