不壊†スタラ
澄んだ空気に鮮やかな緑、煌めく湖。美しい鳥の声や凛とした動物たち。昔から変わらない町並み。
俺の故郷は本当に素晴らしいところだ。
何年か前に広い世界を知りたくなって旅した事があったが、故郷ほど素晴らしい場所はないと思う。
小さな町には大きくなったら都会へ出たいと言う子も多く居た。俺も少し憧れのようなものを抱いていたのだが…。
実際行ってみると、都会というのは人があまりに多くて、人々はどこかよそよそしい。話すたび、お前と自分は他人なんだと突き付けられるようだった。
とにかく都会の人たちは個人主義で、他人に関わる事を好まないらしいのだ。
それを寂しいと感じる俺は、都会に向いてないんだろう。
村や町に出向いてどれだけほっとしたか。都会とは比べ物にならない距離の近さに、やはり人との関わりはこうでなくちゃと思った。
†††
近頃、空気がざわついている。
天気は変わりやすくなったし、動物も減ったように思う。
古くから住んでいる町の住民の間では、ある話題が持ち上がっていた。
"もうじき、今の世界が終わる"
人類が滅亡するとかこの星が破壊してしまうとか。そういう事ではなく、今の世の中が終わると言うのだ。
この星は光と闇と呼ばれる表裏一体の二つの世界のバランスで保たれている。それが一つの同じ世界になるらしい。
光や闇といった呼称は、各世界がそれぞれそこから始まったと信じていることに由来する。つまりこちらは光の中から世界が始まったと考えているのだ。
ここは光の世界だから闇の世界がどんな風なのかさっぱり分からないが、二つが一つになるとき、この世界は半分が無くなってしまう。
そしてここは、無くなると言われている区域に入っていた。
俺たちはその間近に、この町から存在し続ける場所へ移る事に決めていた。
俺はあまりに途方もない話だからそれが起こる確信は持てなかったけれど、皆でそうしようと話し合って決めたので従うつもりでいた。
†††
その人との出会いはほんの偶然だった。
大雨の中、立ち尽くしている姿があんまりにも孤独に見えて。
孤独である事さえ気付いていないオレガノのような赤紫の瞳まで雨雲に覆われてるかのように深くくぐもっていて。
長い檸檬色の髪を拭いもせず垂らして、肌色はいっそ蒼白かった。美しい顔立ちをしているのに勿体無い。
彼は少し吊り上がった目をしていたがキツい印象は受けなかった。瞳に宿る光があまりにも弱々しかったからかもしれない。
高そうな服を着ていて気品の窺える所作をしていたから、住む世界の違う人だと分かった。
その人…メタリティは、俺の中で確信の持てなかった町の言い伝えの後付けをしてくれたのだった。
真実と分かればこうしていられない。
次の日、メタリティを連れて出来るだけ多くの町にそれを伝えに行く事に決めた。
†††
「信じて貰えないもんだな」
「…だから言ったろう」
話の規模がデカ過ぎるからか、真面目に取り合ってくれる所は少なかった。
肩を落とす俺と違って、メタリティはオレガノ色の瞳を揺らす事もなく整然としている。
道すがら聞いたこの世界の仕組みの話を思い出した。
「メタリティみたいな人が上に沢山いたらいいのに」
「私…?」
「ああ。ちゃんと俺たちの事同じように考えてくれる人が沢山いたら、もっと多くの人を救えると思うんだ」
するとメタリティは視線を下げてしまう。
「…私は、貴様らの事など…」
「考えてるさ。"奴隷"も"家畜"も同じなんだろ?言葉は悪いけどな」
「平気で搾取する側だった私を貴様はどうも思わないのか」
吐き捨てるように言って睨み付けてきた。
「何とも。同じこの星に住む人間じゃないか。メタリティは考えすぎなんだ」
「見下していたんだぞ」
「今は違うんだろ?もういいじゃないか」
終わった事を引き摺っているらしいメタリティは時折こうして酷く感情的になる。
俺にはどうしてそんなに拘るのか分からなくて、いつも首を傾げてしまうのだ。
「メタリティは罵倒されたいのか?マゾなのか?」
「な、そんな訳ないだろう!」
「それならどうしてそんなに拘るんだ」
「それは…」
苦々しい顔をして俯いた彼は、とても苦しそうに自身の胸元へ手をやってシャツをぐしゃりと掴んだ。
「……悔いているのだ。貴様の言うように罵倒でもされた方が、気が楽になると思っていたのかもしれない。しかし貴様は…一度も私を非難しないな」
それを聞いて、やっと少しメタリティの気持ちが分かった気がした。
「つまり謝りたいってこと?」
びくりと肩を震わせたメタリティは眉根を寄せて黙りこむ。
「俺は何とも思ってないけど、メタリティがそれで楽になるなら勝手にすればいい。言っとくけど、メタリティを許してないのはメタリティ自身だからな」
メタリティは口を微かに開いては閉じ、唇を噛み締め、俯いて、やっと小さく声を出した。
「…貴様は時にやけに鋭くなる。それに厳しい」
「そうかな…?」
「私は謝罪して、楽になっても良いのだろうか…」
「誰の許可も要らないさ。過去はもう存在しないんだから。でも、そうだな…一緒にいる俺としては、楽しくいきたいな」
顔を上げたメタリティはどこか諦めたような、肩の力が抜けたような顔をしていた。
しかし目が合うと、ふっと息を吐いて可笑しそうに笑いだしてしまう。
急な変化に着いていけずきょとんとしてしまった俺を見て更に笑いを深めたときには、流石に少し眉を寄せてしまった。
「、すまん、貴様といると妙に気が楽になる。思えば長らく"楽しむ"事を忘れていたようだ」
そうして今度はふわりと微笑む。
オレガノ色の瞳が美しく煌めいて、思わず見とれてしまった。
「すまなかった」
ごく自然に紡がれた言葉に目を瞬く。
「私は矜持が高いと自分で思っていたのだが…謝罪というのはそんなに悪いものではないようだ」
晴々しくそんな事を言った彼は見違えるほど輝いて見える。
思い出した。
「…オレガノって、輝きって花言葉あったな」
今のメタリティにピッタリだ。
すると今度目を瞬いたのはメタリティの方だった。
「突然何を言い出すのだ」
「いや、メタリティの瞳はオレガノの色だと思っていたから」
目を丸くした彼は次にはそっぽを向いてしまった。
「すまない、いきなり」
「謝る事ではない」
そのとき、そっぽを向いたままの彼の耳が赤くなっているのを見てしまった。
思わず口角が上がる。しかし彼はプライドが高いので黙っておく事にする。
「まだ日にちはあるから、諦めないで伝えていこう」
「…そうだな」
一人でも多くの命を二人で救えたらいいと願って。
†††
それからの日々は大変だった。
メタリティの予想した通り命を狙われ、何とかそれを掻い潜りながらも起こり来る事態を伝えて回った。
けれど俺たちもこの世界に残りたいと考えていたため、あまり多くは回れなかった。
しかし、やらないより断然マシだったと思う。他の町に伝えてくれる人も確かにいたし、何よりメタリティがとても生き生きとしていた。
自分を責める気持ちがだいぶ減ったらしい彼は本当に美しい。
「おつかれ。…何かあったのか?」
「…闇側の出席者の命を狙った者がいたのだ」
「まだ受け入れられないのか」
「金と地位ほど価値あるものはないと思って生きてきた奴らだからな」
メタリティは光の世界で上層部に所属していたため、こうして新たな世界になってからも世界のためにその役目に就いている。彼にその気はなかったらしいのだが、人員が足りなくて声が掛かったのだ。
どうしてか知らないが、新たな世界になったら件の異星人は居なくなっていたらしい。
それでも彼らを神と崇めていたらしい人たちは変わらず在り続けようと必死なのだった。
「闇側は俺たちの止めていた進化をちゃんとしてて、進んだシステムとかあるんだろ?メタリティの話聞いてると、そっちに合わせた方がずっといい世の中になる気がするのにな」
「ああ。…少数ではあるが私たちのように考える者が出てきている。こちらもその方向へ傾くのは遠くないだろう」
メタリティは穏やかにそう言った。
彼の役目に対する姿勢は真摯で、より良い世界となる事を確信しているかのように揺るぎない。
とても頼もしく、美しい。
斯く言う俺もそうなる確信があった。
なぜなら世界が一つとなってから空気は以前より澄み渡り、どことなく見える景色が鮮やかになったからだ。
より精妙になったと言うかクリアになったと言うか。とにかくその澄んだ空気感が、今までの光の世界のような在り方を受け付けない気がした。
「楽しみだな」
これから先、一体どんな世界になるだろう?
「ああ」
メタリティはオレガノ色の澄んだ瞳を緩める。
じわりと暖かくなる心。
ああ、そうか。
多分、世界はそこへ向かっているんだ。
世界中に野花が咲き誇るような、そんな美しい所に。
穏やかな安らぎに満ち溢れ、誰もが優しく微笑むことの出来る、そんな素晴らしい世界に。
そう、ここはきっと、地上の楽園。