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残欠  作者: ふゆしろ
5/10

空舟†エリッセ

すっと伸ばした背筋。無駄のない動作。切れ長の静穏な瞳。


「光の若者はこれで以上だ」


「…やけに少ないな」


手渡されたリストの数に目を細める。

我々と異なり光の世界はとても繁栄しており、人口も多かったと聞いていた。


「その時を知らずに迎えた者が多数だったとの報告がある」


「意図はあったのか?」


「…恐らく」


仕様のない奴らだ。

こちらのテクノロジーと合わせれば人口過多など問題にならないだろうに。


これからは我々の道理に従って貰うよう、話を着けねばなるまい。


会談の日取りを確認し、それまでにこちらでは暗黙の了解となっている事柄を書面に纏めるべく筆を持つ。


「エリッセ」


「なんだ」


「晩飯が先だ」


そう言ったきりじっと見下ろしてくるクレシェンテに溜め息を吐き、椅子から立ち上がった。

彼は言い出したら引く事をしない。仕方なく折れるのはいつも私の方だった。



†††



午前最後の授業は光の世界の経済システムについてだった。

だいぶ違うそのシステムに、世界を統合するためには厄介事が何と多いことかと唖然とした。


我々は所謂国の要人でありながら一学生でもある。気儘に生きている者の多い闇の世界では、国の要人は光の世界のようなステータスなど微塵も感じさせない。

元々、地位など頭にないのだ。私が引き受けたのだって、家系的に続いてきたからという成り行きによるものだ。


拒否も出来たのだが、生きる理由になればいいと思い引き受けた。


闇の世界で人口が少ないのは、生きる意志が希薄である性質が大きいのではないかと思っている。

生への執着を見出だす事は実に困難だ。生にしがみつく光の世界の者の感覚が理解出来ない。



†††



晴れ渡る青空。白い鳥が空を翔る。ゆっくりと流れる様々な形の雲。一時も同じ形はしていない。


「エリッセ」


促され、庭園を後にする。

もうじき昼休憩が終わってしまう。


「物流についての書類は仕上げてある。向こうになかったと思われるシステムは全て記した」


「…クレシェンテ、睡眠は」


「問題ない」


クレシェンテは優秀な付き人だが、優秀過ぎて困る。私の事を第一に考えて動く彼には、もう少し自身の事を考えたらどうかといつも思う。


「お前はそれでいいのか?」


「俺はやりたい事以外していないが?」


私を貫く蜂蜜色の瞳に迷いはなかった。


「…それなら、いいが…」


結局、上手い事も言えずに押し黙るしかない。



†††



自室で晩飯を採った後、束の間の休息にほっと息を吐く。

事変が起こってからというもの、てんやわんやで日々が過ぎていた。


「以前の手持ちぶさたな日々が懐かしい…」


あの頃は、さしたる問題も起こらない至極平穏な毎日だったため、今にして思えば随分、気儘な生活を送れていた。


「今の方がエリッセは生き生きしているぞ」


「日々に追われているだけだろう」


投げ槍に視線を遣ってみれば、珍しくも微笑を浮かべているクレシェンテと目があった。


「…何か嬉しい事でも?」


「感情を現すあなたを久し振りに見られた」


予想外な言葉に目を瞬く。


「私はいつだって感情を表現している」


「いや、エリッセは気を抜いたときしか表に現さない」


「そう、だったか…?」


「ああ」


知らなかった自身の一面を指摘されるのは複雑な気分だ。しかし相手は誰よりも傍にいるクレシェンテ。

きっと真実なのだろう。


何だかどっと疲れが湧き、ソファに沈み込んだ。


「今日は早めに休んだらどうだ」


「…お前がそうすると言うのなら」


私の言葉にしばし固まったクレシェンテは、小さく溜め息を吐いてから目許を緩めた。


「分かった、そうする」


「うん…」


気だるさの上に眠気までやって来てはもう駄目だった。


「おやすみ」


優しい声に促され、呆気なく意識は沈んでしまった。



†††



丘の上に一本だけで佇む大きな樹。そこに凭れるようにして座り込み、葉の合間から零れる美しい光を見ていた。


「エリッセってあなたか?」


突然話しかけて来たのは若葉色の髪の男の子。勝ち気な瞳が鮮やかな色合いをしている。


「そうだけど」


「オレの名はクレシェンテ。あなたに仕えることになった」


そう言って男の子はじろじろ見てきた。


「なにか?」


「…べつに」


不機嫌そうな声に首を傾げて視線を落とす。ふと視界に入った白い蝶が黄色い花と戯れる様子をぼんやり眺めていた。


その時から、クレシェンテは私の傍にいるようになったのだ。



「おい」


「…なに」


気の強そうな言い方が鬱陶しかった。クレシェンテの視線はいつも強くて、そちらを向く気にもなれない。


「オレの全部、あなたのものってことだからな」


「…そんなこと言われても」


どうしろと言うのか。

するとクレシェンテは焦れたように肩を掴んでくる。


「あなたはもう、あなただけじゃない」


なんでクレシェンテが必死な顔をしているのか、そのときは全く分からなかった。


「なぜ、そんなことを言う?」


「…そんな顔してるから」


自分じゃ分からない。

首を傾げて見せると、クレシェンテの表情がくしゃりと歪んだ。


「もっと受け入れろよッ、ここにいることも、オレのことも」


「ちゃんと受け入れている」


「受け入れてない!…そんなに生きたくないのか?」


息が詰まった。


今、何て?頭が理解する事を拒む。


「あなたは全然、笑わない。怒らない。自分のことも全部、他人事みたいだ。あなたはここにこうして生きてるのに、そんな風に感じられない」


全てがさらさらと流れていく画像のようだった現実が、今、強烈に存在を主張している。


「怖いんだ…消えてしまいそうで」


背伸びをして抱き締めてきた身体に強く包まれた。震えている腕や暖かな体温。しゃくりあげるのに合わせて僅かに上下する。


ああ、生きている。


「ここにいるのに…」


噛み締めるように溢された言葉。


そうだ、ここにいるんだ。現実を観ている者は自分なのだから。


「…僕はちゃんとここにいるよ」


そっと背に腕を回してみる。初めてクレシェンテという存在をきちんと認識したような気になった。


「クレシェンテもここにいる」


途端に苦しい程に強まった腕の束縛に背中を擦って応えてやる。


「覚えてて、ずっと、忘れないで」


「うん」



†††



朝、ソファに腰掛けぼんやり書面を眺めていた。


懐かしい夢を見た気がする…。


夢はいつも目覚めると忘れてしまう。


「エリッセ」


「ああ」


準備を整えたクレシェンテに呼ばれて顔を上げる。目があったとき、夢の残り香を嗅いだ気がした。

思えばこの蜂蜜色の瞳は随分穏やかになったものだ。


「どうかしたか?」


ずっと見詰めていた事にようやく気付き、首を振る。


「夢にお前が出てきたような気がしてな」


「…俺もあなたの夢を見た」


断定出来るという事は、クレシェンテは夢を覚えていられる性質なのかもしれない。


不意にこちらへやって来たクレシェンテ。ソファに腰掛けたままの私に合わせたのか、絨毯に片方の膝をついて見上げてきた。まるでお伽噺の騎士のようだ。


「出会った頃に俺が言った言葉を覚えているか?」


出会って何年経つ事か。遥か彼方の記憶を引っ張り出そうと頭の中をひっくり返してみる。

静かに見詰めてくる真摯な瞳の手前、忘れたという答えは出してはならないと思い、久し振りに脳みそをフル回転させた。


“、忘れないで"


微かに遠い過去から響いてきた声。これは確か…―――。


ぼやっとちらついた映像は夢の残像か過去の幻影か。


「私はここにいる」


「…俺も、ここに」


どうやら正解を答えられたらしい。クレシェンテの表情が和らぐ。


「これも覚えているか?俺はあなたのものだ」


「…それはあの時の私のためにくれた言葉ではなかったのか?」


「俺は一度もあなたに嘘をついた事はない」


つまり、その言葉は今も有効であると。


「クレシェンテ、」


「俺の命はあなたのものだ」


重いと思う。

揺らがぬ静穏な瞳は全てを捧げていると暗に伝えてくる。


「…なぜ私を選んだのだろうね」


どうして選りに選って。もっときちんと受け止めて、大切に想ってくれる相手は幾らでも居そうなものだ。


「あなたがあなただったから、としか」


答えになっていないような返事。


「兎に角、エリッセはそれを覚えていてくれればいい」


「…そうか」


釈然としないが仕方がない。ちょうど良い位置にあった頭を撫で、立ち上がる。


「あまり悠長にしていると遅れてしまう」


前を向いて歩き出せば後ろに続く足音。


その存在を意識するとき、私は私という存在を意識する。

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