完璧†ランテ
感情というものは煩く存在を主張する。
だから俺は人が好きじゃなかった。かく言う俺も残念ながら人なんだけど。
最初、そこに人が居ると思わなかった。
木漏れ日の下に座っていた少年は、俺に気付いて尚、寝る体勢を取る。
真新しい制服に白い髪。小綺麗な顔をして、警戒心が薄い。ついでに何に対しても関心が薄いようだ。
よく何事もなく生きてこれたなと思うくらいには、人間味の薄い奴だった。
†††
違和感は話しをするたび増した。
「お前はなんで無事だったんだ」
「村の近くの森で暴れてた魔獣倒してたから」
最初は雑音が少なくて、一緒にいて楽だなと思った。
でも少なすぎるのだ。
「帰ったら村が無くなってたって?」
「ううん、目の前で消えるの見たよ」
淡々と答えるこいつは、痩せ我慢でも何でもなくて、本当に何も思っていない。
「お前、見てたのか」
「駆けつけたけど、後一歩で間に合わなかった」
「一緒に消えたかったと思った?」
「どうでもいいよ、今さら」
どうだったとしても生きてるんだし、と事もなげに言う。
それでもうその事は放り投げて、風が気持ちいいとか思ってるのだ。
呆れを通り越して感心してしまう。
「清々しい奴」
不思議そうな表情でこちらを向いたパズー。その青碧の瞳は、玻璃のように清らかに澄んでいた。
それが、どんな宝石より綺麗だと、思ってしまった。
†††
不自然な程透き通ったその瞳。
命の生まれた海の色。
でもその色は原始の姿のように何も、何も生きた感情が含まれていない。
綺麗過ぎるその青は、生き物を生かす事など出来ないだろう。…いや、鏡のように己の姿を映すから、本当の自分に気がついて、在るべき場所へと還ってしまうのかもしれない。
死にたくなるほど無垢な青碧。そんな奴の目が好きだった。
人の本来の美しさを体現しているみたいで。
あの目を見ていたくて、パズーを探すようになった。
あいつは思考回路が単純明快なので、慣れれば見つけるのは容易い。
天気の良い日は裏庭か丘の上。曇りの日は東屋が多い。雨が降ったら空き教室で。
しかしその日は雨だったのに、ふと窓から外を見れば裏庭でボケッとしている奴がいた。
俺は雨に打たれる趣味はないので、傘をさして裏庭へ向かう。
「何してんだ」
濡れた葉を見詰めていた青碧が俺を捉える。
「雨に当たる葉が綺麗だったから、俺も当たりたくなった」
もう何も言うまい。
白い髪がしんなり垂れているパズーは、いつもより幼く見える。
ぱっちりした目や柔らかい形の輪郭、小さめな口と可愛らしい容姿をしているのに、妙に澄んだ静かな瞳のお陰か、抱く印象は綺麗で近寄りがたいというものだった。
「っくしゅん」
その音に我に返る。
「おら、部屋行くぞ」
「もう少し」
「俺の方な。シャワー浴びろ」
「まだ、」
抵抗されても気にせず腕を引いて連れていく。
そうすれば、こいつはすぐにさっきまでの事なんて、どうでもよくなるのだ。
「そのまま泊まってけよ」
「服洗いたい」
「洗ってやる。んで、俺の貸してやる」
「ランテのじゃデカイよ」
早くも割り切った様子にうっすら口許が上がる。
「お前チビだもんな」
「ランテがデカイんだ」
風呂上がり、俺の服を着せたパズーは思った以上に衝撃的で、理性と欲望の葛藤に悶々とするハメになってしまった。
†††
今思えば、あの目に捉えられたときから、俺はあいつに捕らわれていたのかもしれない。
「お前、変わんないな」
隣で健やかな寝息を立てているパズー。
衝動で唇を奪ってしまってから、こいつの態度が変わらないのを良い事に、スキンシップもそれ以上も気の向くままにやってきた。
それなのに…。
「まだ俺の事、どうも思わねぇのかよ」
好意も嫌悪も感じない。
無防備なところも相変わらずだ。
その綺麗な瞳を見ているだけで良いと思っていた。
けれど、いつしかその瞳に俺を映して欲しいと思うようになっていた。
段々こいつの事が分かってきて、今ではどうしてあんなに綺麗な瞳をしているのかも知っている。
俺に想いを抱いて欲しい。
あの澄んだ清らかな瞳のままでいて欲しい。
相反する想い。
両方叶えるにはどうしたらいいだろう。
どっちかなんて選択肢は、生憎持ち合わせていない。
†††
響き渡る硬質な音色。
一度聞かせたチェンバロがお気に召したらしく、パズーはたまに音楽室に来るようになった。
こいつは猫のように気ままに生活しているが、何かを求めたりはしない。その上、何をされても結局受け入れてしまう。
それが危うくて魅力的で、焦燥を掻き立てた。
ここでこうして演奏しているのだって、あの瞳に見詰められ、ねだられた気になった俺が勝手にしているだけなのだ。
あいつは別に、聞けたらラッキー位にしか思ってない。
最後の余韻が消えてしまうと、ふっさりとした睫毛の下から青碧が覗いた。
「今日は起きてたな」
髪を撫でれば猫のように細まる瞳。
「眠くなかったから」
「そうか」
そのまま手を下ろし、形の良い耳に触れる。ヒクリと肩をすくませたのを見て、気分が良くなった。
こいつが俺の事を少しでも多く考えるように、前にも増して何処かしらに触れるようにしている。
何処にも行ってしまわないように。その時があったら俺も連れて行きたいと思われるように。
そんな願いを込めて。
「擽ったい」
「それだけ?」
耳が弱いのを承知の上で囁いて、舌を這わせる。
「ランテ、」
「なぁ、もし他の奴にこんな事されても、お前は変わんねぇの」
近距離で見詰めた青碧はやはり澄んでいて、とても綺麗だ。
「されてみないと分かんないよ」
パズーはとてもこいつらしい事を言って、ただ俺を眺めていた。
†††
気付いたんだ。
頭を撫でると細まる瞳。じっと俺を見詰める瞳。
なあ、その瞳に俺が映る事を、お前はとっくに享受している。
俺がお前の世界に居る事を、お前はとっくに受け入れている。
俺が話し掛けるより先にお前は俺を捉えるじゃないか。
俺が触れるより前に、お前は俺を見上げるじゃないか。
もう俺がお前の世界の一部になっている事、どうしたらお前は気付くのだろう。
†††
とうとう望む両方を同時に叶える方法を思いついた俺は、あいつが見て見ぬふりをしていた事を全てさらけ出させる事にした。
全部受け止めた上で、俺を認識して欲しかった。俺を求めて欲しかった。
呆気なく崩れたパズーは様々な表情を見せた。
恐怖、不安、悼み、悲しみ…。
どれもが初めて見るものだった。
最後は俺の企みに気付かれてしまったが、結果は望み通りになったので良しとする。
「起きろよ、今日は街に行くっつったろ」
布団の中で丸まってぐずつくパズーを引っ張り出して洗面所へ向かう。
「…もっと寝たかった」
「明日、一日ベッドに居させてやるよ」
その言葉の意味を正確に捉えた奴にジトリと睨まれた。
「服着替えて来い」
テーブルに並んだ朝飯と湯の沸く音に目を輝かせて、パズーは急いで寝室へ消えた。
戻ってきた時には準備満単で、うきうきと俺が座るのを待つ。
ティーを淹れ終えれば、いただきますと朝食の開始を宣言した。
こいつは俺の淹れるティーがいたく気に入っているらしい。
「美味いか?」
「おうっ」
ふんわりと微笑んだパズー。
玻璃のような瞳の美しさはそのままに感情を見せるようになったこいつは、いつかの言葉を借りるなら、自然の化身のようだった。
髪は大地を抱く天空の白色で、瞳は父なる海の青碧をしていて。命そのものを現したような澄み渡るそこには、様々な感情が浮かんでは消える。
パズーの瞳は、どんな感情も蟠る事なく消えて静けさを失わない。
「お前は綺麗だな」
俺の言葉に手を止めたパズーは、その瞳に俺を映して答える。
「ランテも綺麗だよ」
俺が綺麗ならランテも綺麗な筈だろ?と、迷いなく言ったこいつに、無性に泣きたくなった。
街に向かって手を繋いで歩く。
「俺、夜が好きなんだ。揺りかごの中に居るみたいに安心する」
そう言って笑い掛けてきたパズーに、どうしようもなく愛しさが溢れて仕方なかった。
思わず抱き締めれば、背中に回される腕。
「ランテも好きだ」
心が読める俺に、心と寸分違わない言葉をわざわざ口にしてくれる。
「俺も好き」
「知ってる」
情を感じる事を自分に許して尚の事美しくなったパズー。
「お前に会えて良かったよ」
「俺も」
太陽みたいな笑顔につられて微笑む。
“ランテの微笑って、優しい月みたいだ"
そんな声が聞こえて破顔してしまった。
「いつまでも俺を照らしてくれな」
一瞬キョトリとしてから頷いたパズーの頭を撫で、また歩き出す。
手に入れた小さな宝物は、いつの間にか俺を照らす光になっていた。