破片†パシス
全てを無くしてしまったのに、俺はまだ生きていた。
なんで死ななかったんだろう。どうして生き残ってしまったんだろう。
考えても、答えなんてありはしない。
世界中から俺のようになった子がこの学園へ集められた。
そうは言っても、驚くほど数は少なかったのだけど。
俺たちが闇の世界と呼んでいた、表裏一体のもう片方の世界について知る必要があるとかで、俺たちはここにいる。
向こうの世界の人たちと一緒に生きていく事になったのだから当たり前か。
生きていく?
俺はまだ生きるのか。
そもそも、どうして死のうとしない?
独りで死ぬのは寂しいから。
独りで生きるのと同じくらい、それは寂しいと思う。
勝手に頭の中で繰り広げられる思考にうんざりする。
見上げれば雪のように降りしきる花弁。
俺はいつ散れるのだろう。
ふと、人の気配がした。
何もかも億劫で、視線だけを動かす。
目が合った、その人は。
ちりりと肌が焦げてしまいそうな視線を俺へ向けていた。
綺麗な翡翠色の瞳だ。
飢えた瞳だと思った。
この人なら。
この人なら、億劫な思考から俺を自由にしてくれるかもしれない。
「よろしく」
何もかも奪ってくれたらいいな、と、思ってしまった。
†††
セレンは闇の世界の住人だった。
あちらではこうなる事は事前に知られており、被害者は出なかったのだそう。
でも、闇の世界の住人だった人も、俺たちと同じくらい少ないと聞いていた。
「元々人口は少なかったからな」
俺たちのように、大半を喪ってしまったのとは全然訳が違うらしい。
「そちらも分かっていた事ではないのか?」
「…知らない。少なくとも、俺たちは知らされてなかった」
「これ程の変事を星詠みが事前に知れない訳がないだろう」
肩をすくませて呆れたように言ったセレン。
衝撃だった。
星詠みは権力者が抱えている。彼らについて知ってる事なんてあまりないのだ。
上は、分かっていたのに、俺たちには教えてくれなかったのだろうか。
このままではたくさん人が死ぬと知っていたのに…?
分からない。なんで教えてくれなかったのか。信じられない。
だって、喪ったものがあまりにも多過ぎる。
「人減らしのためか」
悪気なく聞いてくるセレンは意地が悪い。
「…しらない」
「随分身分に差があるんだな。お前の言う上の者たちは、動揺などしていなかったぞ」
やはり、知っていたからだと。
そんな事は知りたくなかった。
もう聞きたくなくて、膝に顔を埋める。
「人減らしが目的なら、死んで欲しい者たちに真実は告げないだろうな」
死んで欲しい、者、た、ち
俺たちは、上からそう思われていたのか。そんな存在だったのか。
自身を抱き締めるように小さくなる。膝を抱える腕が震えていた。
頭がショックで回らない。
嫌だ、何も考えたくない。
思考したくない。
「お前が生きていて良かった」
じわりと染み込んでくる言葉。
良かった?生きていて良かったのか、俺は。
違う、俺は、…俺は生きていたくなかったのに。
「お前に会えて良かった」
耳許で囁かれる、その言葉に。
胸が熱くなって、それがじわじわと込み上げて。
ああ俺は、やっぱり生きたかったのかと、生きていたかったのかと。…それから、存在を肯定されたかったんだと。
「パシス…」
セレンはいつも優しく残酷に、俺の知りたくなかった事を教えてくれる。
†††
手首に巻かれた包帯を擦る。
セレンにつけられた傷はこれで幾つ目だろう。
「パシス…」
痛々しい顔でこちらを見てくるセレン。
そんな顔はして欲しくない。俺はこうして死にそうになる度に、夢が叶いそうな、とてもうっとりする気持ちになるんだから。
「セレン、俺、嫌じゃないから」
「…痛いだろう」
「うん」
それがどうしたと言うのだろう。痛いのも苦しいのも、まだ生きてるんだから仕方ない。
俺の答えに眉を寄せたセレンに微笑む。
「大丈夫」
俺はセレンのものなんだから、俺の事なんて考えずに好きにしていいのに。
俺を俺から奪ってくれたセレンのお陰で、俺はとても幸せだったのだ。
だって、もう俺の事を考えなくていい。それが分かった瞬間、どれだけ嬉しかった事か。
それだけでなく、セレンは思考する余裕すら奪ってくれるのだ。
命を捧げる充足と命を奪う充足はどちらが強いのだろう。一つになる意味でどちらも同じに思えるけれど。
多分、好き好きなんだろうな。
俺の好みは俄然、前者だ。
†††
日に日に翡翠を曇らせるセレン。
「パシス…」
性急な口付け。
貪り尽くすかのように激しいそれに、呼吸が上手く出来ない。
このまま死ねたら、最高な気分…
そう思っている内に唇が離れ、きつく抱き締められた。
「パシス」
足りない。足りない。
そう聞こえてくるようだった。
「セレン、」
俺はセレンのなんだから好きにしていいんだと言ったら、長い指が首に絡みついてきた。
セレンは首を絞めるのが好きだと思う。
「っ、ぅ゛」
朦朧とする意識の中、鈍く輝く翡翠を見詰める。
その色は深い深い森のように鬱蒼としていて、呑まれたらもう出てこれない。
「ぁ゛、ッ、、」
俺は、その色に捕らえられた。
捕らわれるだけじゃ嫌だ。
早く、早くあの中にいけたらいい。
あの色を構成する一部に…―――
†††
セレンは何度も俺を殺そうとしては寸でで助ける。
あと少し長く気道を塞がれたら。
あと少し強く首を絞められたら。
あと少し深く腹を抉られたら。
あと少し的確に急所を刺されたら。
あと少し止血が遅かったら。
彼の中では何か葛藤があるらしく、"あと少し"が叶わない。
「セレン、どうしていつも助けるんだ?」
最後には必ず俺を生かすセレン。
俺に鬱蒼とした翡翠を向け、彼は仄かに微笑む。
「殺めたくないからだ」
それは半分本当で、半分嘘だった。
「俺は構わないのに」
「…俺が厭なんだ」
そう言いながら深い刺し傷を指でなぞられる。
その顔がどんなに物欲しそうか、彼は知らないんだろう。
「お前に死なれたくない…」
言い聞かせるような呟きも、その瞳に宿る鈍い煌めきを消せはしなかった。
徐々に傷口を抉るように指に圧力をかけてくる。
そんな行動にもセレンは気付いていない。
必死で漏れそうになる嗚咽を殺し、湿った赤い包帯を見詰める翡翠を眺める。
内臓を喰われそうだ。
そう感じるくらい、その目は獰猛で、綺麗だった。
すきだな…
いつまでも見ていたいのに、いつも思い半ばで意識が途切れてしまうのだ。
もう少し、打たれ強くなりたい…
†††
ぼんやりする頭で目が覚めた。
暗い部屋の中、辛うじて背中を丸めたセレンの影が分かる。
苦悶するような呟きに、俺ははっきりと意思を告げた。
意味のない葛藤なんて止めて、欲望に正直になって欲しかった。
早く、全てを奪い去って欲しかった。
この身体がある限り、俺という枠はなくならない。
セレンのものになっても、セレンだけを考えても、一つじゃないんだと思い知らされる。
そこには必ず"俺"がいた。
それじゃあダメだ。
それがある限り、完全にセレンのものになれない。俺から解放されない。
闇に呑まれた翡翠を見詰めて懇願するように言う。
焦がれているのはセレンだけじゃないんだよ。俺も、早く一つになりたいと思ってるんだ。
「すき、すきだ、セレン。俺の全部、貰ってくれよ」
首筋に添えられた指に加わる圧力。
「パシス」
熱い吐息を吐き出すように溢される音。
「パシス…」
セレンは熱に浮かされたように繰り返す。
その目が俺を捉えている。
深い深い森の奥。
セレン…
ぼやける視界。
霞む意識。
ようやく
俺 は
セレ ン の