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残欠  作者: ふゆしろ
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欠落†セレン

表裏一体の二つの世界が一つに。大変事後の新たな世界。生き残った人々のお話。二話一対。

はらはらと小さな花弁の舞う小路。春告げ鳥の声が何処からともなく聞こえる。

一年の始まりを告げる残酷な音色だ。


一陣の強い風。


視界を長い横髪に覆われ、鬱陶しい気分で耳へかける。

眉をしかめて狂ったかのように舞い散る花弁の根元を睨み付けた。


すると、木々の向こうに人影がある。

いつもなら別段気にも留めない事だ。しかし、どうしてかその時は足が動いた。


近付くにつれ、その人の輪郭がはっきりする。

平均並みの身長、真新しい制服、燃えるような赤い髪。彼は散り行く花弁をぼんやり眺めていた。


ふいにその瞳だけがゆるりと動き、視線が絡む。


底の見えない空虚な瑠璃色。

切なさと諦めの滲む表情。


ぞわりと後れ毛の逆立つ感覚がした。

欲しい。あれが欲しい。あの存在が欲しい。

あれを手に入れたら胸の渇きは治まるだろうか。


「新入生か?もうすぐ式が始まる。おいで」


差し出した手をそろりと握った彼を引っ張るようにして歩き出す。


「俺はセレン。お前は?」


俺を映す瞳をゆっくり瞬いて、彼は微かに震える唇を開く。


「パシス」


涼やかな声だった。


「よろしく、パシス」


うっそりと微笑んで見せると、微かに俺の手を握るパシスの手に力が入る。


「…よろしく」


そのとき空虚な瞳にひっそり灯った仄暗い光を、俺は見てしまった。



†††



パシスは、全て無くしたと言った。

俗にいう光の世界と闇の世界が同じ世界になったとき、彼の住んでいた場所は全て消えてしまったのだと言う。


「人も?」


「…うん。家族も友達もみんな」


たまたま都市へ遣いに出ていて無事だったらしいパシス。


「俺は…俺も、一緒に…」


「一緒に?」


先を促せば歪む表情。

次いで立てた膝に顔を埋めてしまう。


そんな彼に微笑んで、赤い髪から覗く形の良い耳にゆっくりと注ぎ込む。思考を侵食するように。…いつものように。


「俺は、お前に会えて良かった」


窺うように上げられた顔。その虚ろな瞳を覗き込むようにして更に続ける。


「お前の全部、俺にくれないか」


瑠璃色を揺らしたパシスは、その色をいっそう深めて口を開く。


「全部?」


「ああ」


「思考も?」


「ああ」


「命も?」


「ああ」


「俺をセレンのものにしてくれるのか?」


「ああ。俺の一部になってくれ」


そこまで一気に聞いてから、彼は初めて花が綻ぶような笑みを見せてくれた。



†††



はたと我に返って手を離す。


途端に聞こえる必死に呼吸する音。

白い首筋には禍々しくも赤い指の痕。

瑠璃色の瞳からほろほろ透明な雫が落ちている。


彼は、苦しそうに息をする彼は、その顔に恍惚を浮かべていた。



呆然とその様を見詰める。



しかし俺を見返した途端、それは心配そうな表情に変わった。


「セ、レン。苦、し、そう」


苦しいのは自分だろうに、パシスはそう言って俺の頬に震える指を滑らせた。


「…パシス…」


なに?と見詰めてくる彼の首筋にそっと指を這わせれば、ひくりと小さく喉が引きつった。

けれど、パシスの俺を見る目には怯えも恐怖も無い。


「…怖くないのか?」


俺は今、お前を殺そうとしたのに。


「怖くなんかない」


こんなに穏やかな瑠璃色は初めて見た。


「セレン、すきだ」


そう言って嬉しそうに腕を伸ばしてきたパシスを抱き締める。


侵食されたのは俺だった?


足りない。足りないのだ。

隣に居るだけでは。触れ合うだけでは。

どうしても身体が邪魔をして、あと一歩という所で欲しいものに手が届かない。


歪む表情や声にならない声、軋む骨の感覚を思い出し、脳髄がじんと痺れる。


ああ、このままでは。

いつか本当に、お前の命を奪ってしまいそうだ。


失いたくない。喪いたくないのに…。



思わず目蓋を手のひらで覆った。



†††



薄い腹に巻かれた包帯の上からその患部に触れる。

これは、俺が付けた傷。


「セレン…」


俺を見上げる瑠璃色には、生き生きとした光が宿っている。

パシスは傷口に触れられるたび、愉悦を滲ませて口許にうっすら弧を描いて見せた。


彼は、出逢った頃よりずっと生き生きしている。

瑠璃色は格段に明るくなり、笑みもよく見せてくれる。


それはとても喜ばしい筈なのに。


何故、渇きは治まらない。



「、ぅッ」


小さな声に、見れば包帯が赤く滲んでいた。


「な、ぁ、セレ、もっと」


心配そうに俺を見上げるパシスは、好きにしていいのだと伝えるように、俺の手に幾分小さな手を重ねて来た。


「…殺す気はない」


ない、筈だ。


心なし残念そうな顔をしたパシスに苦笑する。


「お前は俺に殺されたいのか?」


「セレンが、望むなら」


そう言いながら俺の手を心臓の上に置いた彼は、少し照れたような顔をしてから、はにかむように笑った。


とくり、とくりと伝わる鼓動。


この手でその源を抉り獲ったら、俺は満たされるのだろうか。



†††



弛緩した身体を無防備に横たえたままのパシスの髪を撫でる。

最後に際限無く呼吸を奪うように口付けをしてしまった。


彼は毎日のように言うのだ。


「溶けて一つになれたらいいのに」


睦言ではない。命を奪ってくれればいいのにと、その目が俺に訴える。

日に日に生き生きとするパシスに対して、日に日に死んだような目をする俺に、彼は今か今かと時を待っているようだった。


戦慄する。


「俺はお前を失いたくないんだ」


「無くならないよ。セレンの一部になるんだ」


いつの間にか起きていたらしいパシスが、暗闇の中、瑠璃色の瞳を向けてくる。


「死んだらもう触れないし、話せない」


「死んだら身体が無くなって、やっと俺は俺でなくても良くなる。セレンの一部になれる」


パシスは俺に抱きつき、目を閉じた。


「セレンも本当は俺を殺したいんだ。…全部、欲しいんだろ?」


甘い声で囁かれた言葉は毒のようだ。じわじわ溶けて血の管を巡り、全身を侵す。


「パシス…」


白磁のように滑らかな頬へ手を添える。

彼はその上から手を重ね、自身の細い首筋へと誘導した。


目蓋を上げたパシスは、耐えられないとばかりに眉尻を下げて俺を見詰めてくる。


「パシス、」


「すき、すきだセレン。俺の全部、貰ってくれよ」


赤い舌がそろりと俺の唇を這った。

甘い痺れに思考回路を奪われる。


ああ、俺は、恍惚とした瑠璃色が好きだ。

苦しみに歪んだ表情も好きだ。細くなる吐息も、宝石のような瞳から零れ落ちる雫も、震える色のない唇も、全部。


「パシス」


心配そうに見上げてくる顔も拗ねた顔も、花のような微笑みも、全部。


「パシス…!」


しなやかな赤い髪も、滑らかな肌も、涼やかな声も。

不器用なところも傷付きやすいところも、優しいところも、俺だけを考えてるところも、全部。全部。


「パシス…」






滲む世界の中で

腕の中のパシスが光の粒子となって消えたとき、


俺の世界は、完璧になった。





…もう、求めるものは何もない。

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