残照
『環』の番外編です。
残照
一、
イェリズさまの話をお聞きになられたいと。
まあ、それは、それは……一の巫女さまが私のような者をお召しになられるとは思いもいたしませんでした。確かに、あの方と付き合いらしい付き合いをしていたのは私だけでございましょう。とはいえ、それは私が下医者であったからで、親しかったかと言われると、それは何とも。
前王アイディンさまのご即位の後、セダさま、あなたさまはお部屋に籠もられて、近年は儀式なども神官たちのみで執り行うことになっておりましたから、いかがなされているものかと僭越ながら案じておりました。こうやってお目にかかれて、ようございました。いえいえ、私のようなものにも思うことはいろいろございますよ。
長い時が流れたものです。あなたさまの双子の妹君、先々代のオズギュル王の妃でいらっしゃったサネムさまは、もう亡くなられて10年にもなりますでしょうか。兄上であるアイディン王も御子に位を譲られました。何もかも昔のことでございますな。
イェリズさまのことでございますか。まだお許しにはなられませんか。いえいえ、苦しい思いをされているのは、セダさまの方でございましょう。イェリズさまは何もご存知ではないし、それに今は天に召されて、もはや何もおつらいことなどおありにはならないはずでございます。それでも、あの方のお話をお聞かせした方がよろしいでしょうか。
そうですね、あの方は人を恨むことのない方でした。人間ができているというのではないでしょう。他人が眼中になかったのかもしれません。それがあの方の処世でもございました。
あのお方は……本当に、依怙地で可愛げのない、人の同情や共感を全く拒んでいるかのようなお人で、それはお生まれの不幸のせいでもありましょうが、もう少し何とか、人様から可愛がられるような術を身につけたらよいのではないかと、傍目からいつもそう思っておりました。木で鼻をくくったような、とでも申しましょうか。されど、もともとお立場がお悪い方でありましたから、誰ぞに愛嬌良くするということは我が身を貶めること、人におもねることと思っていらっしゃったのかもしれません。気位の高さがご自身を不自由にさせていらっしゃるようにも見えました。そんな方でございましたよ。
イェリズさまと最後にお話をしたときのことは、今もよく覚えております。
あれは夕刻、いやまだ早い……少し日が傾き始めたころ。私の診察用の部屋にふらりとやってこられました。粗い麻の衣を身に付け、その上に頭から背まで布で覆っておられましたが、顔はあらわで、紅をさし、珍しく玉石の額飾りもつけておられました。儀式のとき以外はあまり身を飾ることをなさらない方なので、その変わりぶりに私は一瞬ぎょっといたしました。
「これは、これは。どうされましたか」
声をかけると、無理に作ったようなぎこちない笑みを浮かべて会釈をし、
「お願いがあります」
と言われます。
その笑顔を見て私はほっといたしました。なぜならば、前夜にイェリズさまは神婚の儀を受けているはずで……神官さま方には、私から意見を申し上げさせていただきましたが、ご配慮いただけたのだろうと察することができたからです。
セダさまはご存知でいらっしゃいますでしょう。神殿の巫女が、巫女の任を解かれることなく他国に赴く際には、その純潔を異教の民に奪われる前に神婚式が執り行われます。神前で神の代行者である神官さま方と交わり、その後で女陰を縫い合わせてしまう。それが掟なのです。私は医者……それも卑しい下医者でございますから、事前に縫合の命をいただいたのですが、お断りさせていただきました。そのついでに、イェリズさまにはその必要がないことを申し上げさせていただいたのです。
神官さま方は何もご存知ではなかったのですね。あなたさまとサネム妃、お二人でお決めになられたことなのですね。大変驚いておられましたよ。それでも式は形だけでも行わねばならないと言われましたが、私は当日、手術や薬の準備を命じられることはありませんでした。きっと、イェリズさまの身体を傷つけるようなことは儀式で行わなかったのだろうと思いましたが、それでも、もしかしたら……と案じておりました。お顔を拝見して、この方はまだ未通女のままなのだと……ほっといたしました。このようなことは、神殿に仕えるものが申し上げてはいけないのでしょうけれども。
「お薬は用意出来ておりますよ」
私はイェリズさまに問いかけたものの、来訪の理由は見当がついていました。薬でございます。私はイェリズさまが幼いときよりずっと薬を処方しておりました。異国へ旅立たれる前に当面の分を御持たせせねばと私も心配りしていたのです。
イェリズさまはお薬なしではいられない体でございました。月の障りの度に脂汗を流して苦しまれ、その痛みを和らげるために私は大麻の煙を薬として吸引させていたのです。夢現の様になられるので、私も処方する量に気をつけておりました。
「旅の途中、人前では煙は吸いにくいでしょう。下働きの女に頼んで、粉と牛の脂で練って、菓子のように焼いてもらいました。硬うございますし、食べておいしいものではございませんが……」
小さな壷から硬貨のような塊を取り出し、木の皮を編んで作った筆入れほどの箱にきっちりと詰めこむと、菓子を知らぬ貧しい子どものように、物珍しげにイェリズさまは見ておられました。
「菓子にしても効くものなのですか」
「それはご心配なく。大丈夫でございますよ。煙草の方が手間はかからないので、今まで試しませんでしたが……むしろ菓子の方が良いことも多いのです」
「そうですか」
イェリズさまは一瞬何か言いたげな、ちょっと甘えた表情をお見せになられました。
不思議なものです。私はイェリズさまを幼いころより見ておりましたが、そんな隙のある顔は見たことはありませんでしたよ。異国の美しい若者と時をともにしたからなのかと、微笑ましい気持ちにもなりました。
お聞き及びでございましょう。あの頃、神殿では華国の負傷兵を一人お預かりしており、その祈祷をイェリズさまがお勤めになられたのですが、心無いものが二人は恋仲だと噂したのです。折悪しく宝物の盗難があったこともあり、イェリズさまにはあらぬ疑いがかけられました。神官さまたちはイェリズさまをその兵と一室に閉じ込めてしまわれたのです。
いえいえ、イェリズさまが神に背いてあの若者と神殿の中で……などということはありますまい。イェリズさまのお体では、とても、とても。それはセダさまやサネムさまがお望みになられたとおりの結果でございましょう。
それでも、年頃の娘が美しい青年と一部屋で何日も過ごせば、心が動かぬこともないでしょう。それは、それは、神のように美しい若者だったのですから。火群という名のその若い兵は、どこかイェリズさまと似た雰囲気のある……私などから見れば、似合いのお二人でございました。私にはイェリズさまの物腰が、年頃の娘らしく、少し柔らかくなったように思えたのです。
「ケマルさま、昨夜、私は神婚の儀を授かりました」
「……ほぉ、それは、それは。お体はお辛くございませんか」
「神官さまたちが交互に杖で私を撫でました。三世王のときの神婚の儀の記録を読んでいたので、それなりの覚悟をしていたのですが、拍子抜けするほど簡単で」
「長旅を控えた方が直前に正式な神婚の儀式をお受けになられるのは、お体の負担が大きすぎると神官さま方もお考えになられたのでしょう」
ふと思ったのです。イェリズさまは薬を取りにこられたのではなく、私に何か言いたいことがあってきたのではないかと。神婚のことだけではなく、自分の話を私にしたいのではないかと。
いえ、イェリズさまというのは、そういうことをなさらない方でしたから。しかし、生まれ育ったところを離れるにあたって、誰かに自分のことを知っていてもらいたい、覚えていてもらいたいとそういう気持ちになられるというのも無理からぬことです。私は椅子を勧めて、お茶を入れました。バラの香りの茶。なぜあんな気の利いたものが私の手元にあったのか思い出せませんが、湯を注いだだけでまるで香を焚いたようになります。
小さな卓を挟んで向かい合って座りました。イェリズ様は香りを楽しむように碗を顔に近づけましたが、口はつけずにそのまま卓の上に置き、懐から一冊の本を取り出されました。
「覚えていますか」
「『オズギュル王年代記』でございますね」
イェリズさまは本をよく読まれる方でした。神殿の書庫でお姿をよく見かけましたよ。好んで読まれるのは物語や詩の類ではなく、医学・薬学や異国の地誌、気象・天文学、兵学……学者にでもなろうかというほどでございました。書庫の本は読みつくしておられたのではないでしょうか。しかし、イェリズさまには読むことが許されていない本が何冊かありました。母上であるデニズさまのことが記されているものです。
オズギュル王の同母妹であり、王の即位とともに神殿に入られて一の巫女になられたデニズさまは、神殿でイェリズさまを身ごもられました。下医者の私が神殿勤めをすることになったのも、オズギュル王に人知れず堕胎を行うように命じられたからで……それは、もちろんもうご存知でいらっしゃいますね。王は秘密裏に胎児を処理して、デニズさまをお守りになるおつもりだったのですが、デニズさまはそれを拒み、自ら懐妊を曝露して罪人になられました。
その後に一の巫女になられたのが、当時二の巫女でいらっしゃったあなたさま。王に一番近い巫女が一の巫女として王を助けるのが決まりですから、王とはいとこ同士で、双子の妹君が王妃というあなたさまが次の一の巫女になられるのは必然でございました。……当時のことは、私のような下賎の者がお話しすることではございませんな。
とにもかくにも、イェリズさまは母上であるデニズさまのことが記されている書を読むことを禁じられておりました。ですから当然、『オズギュル王年代記』は読んではいけなかったのです。あの本にはデニズさまの記述があるだけではなく、何枚かの肖像画もありました。
私はそれがどうも気の毒で……お分かりいただけますでしょう、私はイェリズさまには負い目がございます。神官さまにお願いして、デニズさまの記述を塗りつぶした『オズギュル王年代記』の書写本を作る許可をいただきました。そして、わざわざ私の診療室のイェリズさまの目に留まる場所に置いておいたのです。イェリズさまが私の薬に頼るようになられて一年ほどたったころのことでした。本は自然に消えていましたよ。
「随分長い間、勝手に拝借しておりました。……言い訳ですね。盗んだのです」
「お貸ししたのですよ。薬が効いていて、覚えていないだけでございましょう。もしよければ、持っていていただけませんか」
机の上に出された本は、私が安い材料しか準備できなかったために、実際経過した年月よりも古びて見えました。
「……ありがとう。でも、もう私には必要ないのです。ありがとう」
そう言うと、イェリズさまは席を立ち、部屋を出て行かれました。何かお話をされたかったのではないかと思ったのですが……まあ、結局、イェリズさまは、ご自分の話を誰かにするという習慣がなかったのでございましょう。
それが最後でございます。特にお聞かせするような特別のこともありません。それでもお話した方がよろしかったのでしょうか。
二、
ケマル、そなたはいつも穏やかな口ぶりだけれども、何か私に物を言いたいのであろう。私が苦しんでいると……自業自得だとでも?
私は病を得、間もなくこの世を去ることになるだろう。それでも、デニズよりも、オズギュル王よりも、イェリズよりも、長く生きた。サネムはオズギュル王の後を追うように死んだが、私はイェリズが死ぬまで生きてやった。
苦しんでなどいない。私は勝ったのだ。
あのふしだらな女の娘を王族として扱うなど言語道断。されど、オズギュル王はイェリズを自分の養女として神殿で育てると決められた。未通女であらねばならない巫女が生んだ父無し子を、姪とはいえ王族として認め、よりによって巫女にするとは。母と娘と、神殿に二人も汚らわしい巫女を奉じたから、オズギュル王は神罰を得たのだよ。
オズギュルさまは、若くして武功を立てた才ある方で、父王の信任も厚く、臣の期待も大きかった。皆を魅了する方であったから、多少のことは大目に見られていたが、少々破天荒なところもあられた。しかし、神を軽んじてよいわけではない。わが妹サネム以下、妃を多く蓄えながら、跡継ぎの男子に恵まれることなく、三十前に亡くなられた。それも、酒におぼれ正気を失って、この神殿に幽閉された上での惨めな衰弱死であった。
そうとも、惨めな死であった。言い過ぎと申すか?あれは惨めな死以外の何物でもない。何もかもあの女が悪い。デニズ、あれが全ての災いの元なのだ。
私は七つで神殿に入った。前の年に流行り病が流行ってね。私と妹は双子でいつも一緒に遊んでいたのに、私一人が病にかかり、命は助かったものの、ひどい痘痕になってしまった。もともとオズギュルさまの許嫁はこの私だったのだよ。私が妃になるはずだった。しかし、あまりに醜い姿になったために、妹サネムに替えられ、私は神に嫁ぐことになった。
初めてオズギュルさまにお会いしたのは、妹の婚儀の席のこと。あの方は二十歳、私たちは十五だった。正直、あのような方を夫にできる妹が妬ましかった。サネムも一目でオズギュルさまに心奪われたようで……巫女の私がこのようなことを言うのはどうかと思うが、何とも魅力的な殿方であった。悔しくなかったわけではないけれども、己の醜い顔を思えば、自分もやがて一の巫女としてオズギュル王をお助けするのだと納得するしかなかった。
それでも嫁いだ妹からは幸せそうな文が届くと、私は正直、複雑な気持ちだった。でも、私だって妹は可愛い。サネムが幸せならそれでいい。しかし、だんだん妹の手紙には不安や寂しさが綴られるようになっていった。オズギュルさまの第一妃はサネムだが、他にも多くの妃がいる。有力な家からそれぞれ娘が嫁いでいるからしかたのないことなのだ。心をこめてお世話をすれば、きっとお心がそなた一人に向くことであろう。私はそう返事を認めた。
しかし、サネムが気に病んでいたのは、他の妃のことではなく、オズギュルさまの同母妹であるデニズのこと。兄妹仲が良すぎることを気にしても仕方あるまい、妹君をそれだけ大切に扱うのは情が深い証拠と私は最初取り合わなかった。
オズギュルさまが二十六で王位に就かれると、それに合わせて妹は王妃となり、私も王の一の巫女となる……はずだった。私は王に相応しい巫女であるために、日々精進に努めた。デニズが神殿に入り、一の巫女になるのだと知ったときの驚きと落胆は今も忘れられない。
あの女は……神に仕えるような女ではない。派手な顔立ち、装束の上からも分かるほどの豊満な胸と細い腰。あれは男をたぶらかす商売女にうってつけの下品な外見だ。しおらしく振舞ってみせても、そのみだらな本質は外見に表れている。そんな汚らわしい女が、長年神殿で修行をしてきた私を差し置いて一の巫女になるとは。怒りに打ち震えた。
オズギュル王はデニズを一の巫女にすえると、神殿内に王の間を整えて、そこに滞在することが多くなった。王宮よりも神殿で過ごされるようになり、デニズが王の身の回りを妃のように取り仕切っているような有様だった。
私やサネムは、王とデニズにないがしろにされたのだ。こんなことが許されるはずはない。いつか神が御意思を示されるだろう。見逃されるはずはない。そう思っていた。
そうしたら案の定、あの女はあろうことか神殿内で父親の知れぬ子を孕んだ。その上、ずうずうしくも神の子だと妄言を吐いて堕胎を拒み、出産した。
同じ王家の血を引く女とは思えぬ。恥を知れ、恥を。
急遽、一の巫女に任じられた私は、王にデニズを厳罰に処すよう強く申し出た。しかし、王はデニズを牢に入れただけで、子堕しのために雇ったおまえに産後の世話をさせる有様。
若くして武勇で名を遠くに知らしめ、父王の片腕としてその才を発揮し、即位の際には「獅子王」と称えられたオズギュルさま。しかし、たった一人の同母妹の不行状には全く優柔不断だった。神にその権力を授けられている王ならば、神を軽んじるものは断じて許すべきではない。だが、ずるずるとデニズに死ぬまで治療を施してやり、生まれてきた赤子は自分の養女にしてしまった。王もまた、デニズ同様に神を愚弄するような行為をとったのだ。
神罰はすぐに下る。
王は狂気にとりつかれた。ご自分を遊砂都の地主神の化身とのたまって、傍若無人なお振る舞い。酒色に溺れ、王宮に多くのいかがわしい女どもを囲い込み、有力者の娘である妃たちには殴る蹴るの暴力をふるう。第五妃を臣下の前で辱め、懐妊した第三妃を階段から蹴り落とす。この二人の妃が命を絶ったことで、家臣たちももう黙ってはいなかった。オズギュル王は神殿に押し込められ、わが兄アイディンが王の病が癒えるまでの摂政と定められたのだ。
何と嘆かわしいことであろう。
私もサネムも、兄が王位に就くよりも、オズギュル王が正気を取り戻すことを心から願った。
全ての元凶はあのデニズなのだ。あの女を厳罰に処せなかったが故に、王もまた神罰を蒙っている。神に生贄を捧げて許しを乞い、二度と巫女たちが同じ過ちを繰り返すことがないことを誓わねばならない。
私は一の巫女として決断した。そうだ、この王の危機にこそ、一の巫女として決断せねばならない。
デニズの生んだ娘を神に捧げよう。あの娘が母親と同じように悪魔の誘いに乗らぬよう巫女に相応しい体にするのだ。
私は決めた。そして、心神喪失の王の代わりに、王妃であるサネムの同意を得た。サネムは王妃として、王の養女であるイェリズの養母でもあったからだ。これで誰にも異論は挟めまい。
大昔、反逆者の娘を神に捧げるときに施したという術をイェリズに行うのだ。ちょうど良い具合に、王の雇い入れた下医者が神殿にいるではないか。そうであろう、ケマル。おまえが腹の子ごとデニズを始末していたら、王が神の怒りを蒙ることはなかったのだ。おまえには自分の失態をその手で挽回してもらわねばならぬ。
私は、一の巫女として正しい判断を下した。それは今も後悔しておらぬ。苦しんではおらぬし、自業自得と言われる筋合いもない。
私はイェリズという悪魔の娘が災いを起こすことがないように、ずっと神に祈り続けて生きてきた。そして、ついにあれが死に、私は一の巫女としての務めを終えることができる。私は勝ったのだ。
三、
お勝ちになられたと思われるなら、それは結構なことでございます。されど、何にお勝ちになられたのか、私には分かりかねます。
私は下医者でございます。
遠い先祖が遊砂王に服従して以来、わが一族は賤業に携わってまいりました。堕胎と嬰児殺し、去勢、罪人の処刑、死病の看取り……普通の医者が忌み嫌うことのみが下医者の役目。私の仕事でした。
セダさまがおっしゃるように、私がデニズさま母娘を手にかけていたなら、王は罪を蒙ることがなかった……のか、それは、私には分かりません。
分かりませんが、結局、私はデニズさまの堕胎のために神殿に召され、何故か、デニズさま、イェリズさまのお世話をすることに相成りました。王はちゃんとした医者にデニズさまを見せたかったのでございましょうが、世を憚って私に任せるしかなかったのです。おかげさまで、私一代に限り、神官の末につながる身分をいただき、神殿の医者として生きてこられました。ですから、イェリズさまのお体に刃物を入れるように命じられたときも、そうするしかないのだと諦めもつきましたよ。
まだ二つにもならぬイェリズさまの性器を切り取り、膣を縫い合わせる……まだ小さいお体でございましたから、切った部分はほんのわずかでしたが、体が動かぬように若い子守娘に押さえつけさせて、泣き叫ぶ声に耳をふさぐこともできず……酷いことでございました。
術後、熱を出して、声を上げずに泣き続けるイェリズさまをしばらく看病いたしました。何せ、ずっとお世話をしていた唯一の子守娘は、突然泣き出したり、わめきだしたりと情緒不安定で、全くあてにできる状態ではなかったのです。あの子守娘はデニズさまに使えていた下女の一人でしたが、あの後、少々おかしくなりまして、イェリズさまは神の子だと口走るようになり、やがて暇を出されました。あまりにも酷いことでございましたからね、無理もないことでございます。ですから、イェリズさまのお世話は私がするしかなかったのです。灰で止血し、傷が開かぬように足を揃えて布でぐるぐると巻き、お小水を恐がるので時間を決めて便器に座らせるようにしました。しばらくは付きっ切りでございましたね。
セダさまやサネム妃は王のためになさったことでございましょう。されど、王は回復なさらず、神殿で浴びるように酒を飲み、吐血されるようになりました。身の回りの世話をしようとするものには容赦なく暴力をふるわれるので、屈強な男たちもお側仕えをすることを嫌がりました。医者も寄せ付けず……ということで、駄目元で私がご機嫌伺いをするように命じられました。
オズギュル王は私には何故か乱暴なことはなさいませんでした。お諌めしても不摂生はやめてくださいませんでしたし、薬も口にしてくださいませんでしたが、私が王の部屋で掃除をしていても、身の回りの品をお届けしても、暴力をふるうようなことはなかったのです。イェリズさまの看病がひと段落したころでしたが、今度は王のお世話が私の仕事になりました。
「私は、遊砂都の地主神の化身なのだよ」
王は機嫌が良いときは、そうお話を始められるのです。
「地下を這うときは大きな蛇になり、地上を走るときは白い獅子になるのだ」
王は身を変えて、遠くまで旅をするのだそうです。
「月の明るく輝く砂丘に私のような白い獅子が蹲っていた。それは遠い昔に会った友のようだった。何をしているのかと尋ねると、それが分からなくなったのだと言う。何をしにきたのだと問われたが、私も分からない」
「なぞなぞのようでございますな」
「間もなく答えは出る」
「そうなのですか」
「デニズの歌声が聞こえる。古い子守唄だ」
古めかしい装束を身につけて化粧をし、芝居のような仰々しい動作をされることもよくありましたね。地主神になりきっておられたのでしょう。
「イェリズが獅子の子を撫でている」
王のお心はもう遠くに旅立ってしまっていたのでしょう。何度か同じ話を聞かされましたが、私には何がなんだか分かりませんでした。
王が亡くなられたのは、それから間もなくのこと。朝一番でお部屋にうかがうと、古めかしい装束で正装し、やつれた顔に厚く白粉を塗りたくり、寝台の上に横たわったまま、こときれておられました。厚化粧のせいか、かえって五十にも六十にも見えましたよ。
惨めな死。そうかもしれません。そうでないのかもしれません。私にはよく分かりません。
オズギュル王が亡くなられて、アイディン王が即位されると、セダさまは引き続き一の巫女でいらっしゃいましたが、人前に出られることなく、お部屋にこもりきりになられましたね。兄上が王になられたのに、なぜ一の巫女として王の補佐をされなかったのですか。
私は神殿で働くことを許されていましたが、イェリズさまとはあまりご一緒する機会もありませんでした。イェリズさまと再び関わるようになるのは、あの方が初潮を迎えた頃のことでございます。辛抱強い方なのですが、ひどい頭痛と腰痛、腹痛に耐え切れずに私の診察室に来られたのです。
切ったところが癒着しているのではないかと思いました。経血は体外に出ているようですが、体内にも多くとどまっているのではないか。早く切開して、経血が普通に体外に出せるようになれば、痛みから解放されるだろう。長年放置すれば、やがて子どもを生むこともできない体になる。問診をしてそう思いました。
しかし、私はあの方にそれを申し上げることはできませんでした。あの方は施術を記憶していないようでした。女人は体の構造上、自分の陰部を目にすることはありませんし、人と比べる機会もなかったでしょう。恐らくは自分の体が傷つけられていることを知らず、この私がそんな体にしたのだとは思いもせずにいらっしゃったのです。
とりあえず内診させて欲しいと申しましたが、イェリズさまは拒絶なさいました。相手が医者であろうと、親と夫以外には見せないとおっしゃられて。私は年々悪化していくイェリズさまの症状を見ながら、痛みを抑えるための麻薬を処方するしかできなかったのです。
セダさま、イェリズさまはあなたがお望みのとおりのお体にお育ちになられたのですよ。女王蜂のようなデニズさまとは全く似ていらっしゃらない。美しい若者と一部屋で過ごしても間違いを起こすこともない。ご存知でいらっしゃいましたか。あなたさまの望みどおりでございました。
「私が、父と母を殺したのですか」
本当は、それがイェリズさまから聞いた最後の言葉。セダさまに申し上げるべきことかどうか、迷いましたが、それがイェリズさまでございます。
私は返事ができませんでしたが、あの方はまるで私をいたわるような目で見て頭を下げ、そのまま部屋を出て行かれました。
あの方には、他人などどうでもよかった。ご自分が罰せられるべき罪人なのかどうか、犯した覚えのない罪を償わねばならないものなのか、それだけが関心事でございました。
あなたさまとサネムさま、そしてこの私が、もう随分昔に神に生贄に捧げたお方でございます。あなたさまは一の巫女として、サネムさまは王妃として、私は下医者として、役目を果たしました。そして、イェリズさまは御神宝に侍す巫女としての役目を全うされました。
イェリズさまはもうおつらい事などおありにならないでしょう。あの方には、人生の終わりによい巡り会わせがございました。神のように美しい異国の若者でございます。よい夢を見られたのではないでしょうか。あの方の短い生涯の半分は夢。夢と現を彷徨いながら、最後は夢の中へ帰っていかれたことでしょう。
なぜ、今更イェリズさまのことをお聞きになりたいのですか。苦しい思いをされているのはあなたさまの方でございましょう。
デニズさまは本当に美しい方でした。どのような頑なな心を持つ男の心も溶かしたことでしょう。持って生まれたあの方の女人としての資質でございます。神は決して人を等しくお作りにはならなかった。
もう許してさしあげなさいませ。長いときが流れました。あなたさまも私も、もうさほど長くは生きられませぬ。もうこれ以上、お苦しみになられるのはおやめなさいませ。
間もなく答えが出る……オズギュルさまのお気持ちが、今なら分かるような気がするのです。




