Interval -残影-
邦の民が密かに語り継ぐことがある。
盛大に執り行われた法会での豪勢な剣舞の競演。その中で、一際美々しかった月の舞。月将軍の御子の煌めく姿。
反華を強硬に主張していた嘉袁将軍が処刑された後、月将軍家は実質取り潰しとなった。王家の血を引く嫡男火群は十三歳という年齢も考慮されて処刑は免れたが、近衛府の所管とされ、厳重な監視下に置かれた。さらには王族である母親をわざわざ商人身分の男に再嫁させるなど、貴種としての値を損ねることが試みられた。
しかし、それらの仕打ちは、全く本人と関係なく、「悲劇の御子」火群の人気を高めたのだった。
三十年に一度の大法会の年。王家所縁の寺の境内は、法会の参加者や見物客であふれかえっていた。
奉納の剣舞は、本来神の前で、月将軍以下、邦を代表する武人が、国への忠誠を示して演じるもの。有力武人たちが王に従い奉仕している様を可視化する催しである。火・水・木・金・土・月・日の七つの星の名を与えられた武人の舞、即ち、七曜舞からなる。最後の日の武人は王その人であるため、欠番となるのが常であった。舞は夫々の将軍家に一子相伝で伝えられるものであり、舞を継承することは家督の継承に等しい。
この大舞台では、どの将軍家も威信をかけて、舞手を美々しく飾り立てる。錦繍の装束も金銀・玉石の飾りも、白々しいほどに豪華で、肝心の舞に目がいかないほどだ。賑々しく声聞が唱えられ、合間に銅鑼が響く。武骨な将軍たちも、この時ばかりは、皆、粉を叩き、口元目元には紅をさし、神話の中の英雄になりきるが如きである。
彼方此方で高価な香が焚かれ、酒が振舞われる。夢か現か。異界に紛れ込んだような心持になる。これほどの娯楽はそうあるものではない。参集した人々は熱狂し、うねるような歓声が空に昇る。
土の演技が終わると、鳴り物が止み、急に静かになる。いよいよ次は最大の見せ場、月の舞。日の最も側近くを守護する月は、七曜将軍の筆頭。月の将軍亡き後、その舞を舞う資格があるのはその正嫡の御子のみ。御子は姿を現すのか。それは如何様か。
しかし、観客の前に現れたのは質素な白装束の人物。浄衣に飾り帯一つ、手にした刀の拵えも貧相なもの。頭を低くしたまま舞台の中央まで静かに歩くと、正面を向いて顔を上げ、背筋を伸ばす。その顔には、愚王の面をつけている。滑稽な道化役の醜い面。
これは亡き月将軍を愚弄するための仕掛けか。人々は凍りつく。
舞手は静かに面を外し、態々、三方に顔を向ける。それは紛れもなく、月の御子火群であった。
玲瓏たる顔には化粧の跡もない。無駄を削ぎ落としたかのような輪郭の美しさは、研ぎ澄まされた刃の如し。薄い灰褐色の瞳が、その内をのぞこうとするのを拒むかのように光を放つ。鼻梁は高貴さを声高に主張する一方で、小鼻から口元は慎み深く典雅である。
十分その端正な美貌を見せつけ、それから再び面を着ける。着けても、誰ももはや醜い面など気にならない。観客は息を呑み、水を打ったように静まった。
鼓で拍子がとられると、固まった空気を切り裂くように舞が始まる。それは、今までの奉納舞とは全く違っていた。簡素な装束を纏った御子の舞は、緩急自在、激しく力強い。幅広の太刀は、振り下ろされ、薙ぎ払われる度に、目に見えぬ禍々しいものを打ち破るかのような響きを放つ。全身、その末端にまで、張りつめた神経。その鋭敏な感覚が波のように伝わると、畏怖の念が体内に湧きあがってくる。一瞬たりとも目を逸らすことなど許されない。神をも断ち切る気迫と、地上を照らす光。まさに、月の舞だった。
動作が終わり、最後の拍子が響いて一呼吸おいた後でも、誰も声を発さない。完全な静寂を支配したまま、月の御子は静かに姿勢を正し、再び面を外して三方に顔を見せる。
驕ることなく、誇ることなく。ましてや屈することなく、媚びることなく。冷徹な瞳を真っ直ぐ
虚空に向ける。未だ、この若者は守るべき何かを信じていたのかもしれない。
一礼し、また面をつけ、堂々と舞台を降りていく。完全にその姿が見えなくなると、観衆が呼吸を思い出したように声を上げ始める。
あれぞ、月将軍の御子。神が舞い降りたかのようなお姿。醜い面を着けさせられ、貶められたとて、あの天賦の気品が消せるはずもない。
あのお方はやはり特別なのだよと、人々の興奮冷めやらぬ間に、欠番となるのが常のはずの次の出し物が、何故か始まる。王が演じるための日の舞。王への敬意を払って誰も舞わぬはずの舞。舞っているのは、よりによって華国人の若者だ。厚く化粧をしていても、それが華国人司令官の息ホン・ロンであることは観客の皆が気づいた。
見てごらんよ、あの黄ばんだ肌を。化粧をしても覆い隠せない。華人と邦人じゃ、肌の色も目の色も全く違うもの。豪華な装束も、なんと不似合いなことだろう。ホン・ロンさまも華人とすれば見栄えの良いお方と思っていたけれど、やはり火群さまとでは雲泥の差があることだよ。
傲慢に王役を演じる華国の若者は、邦の舞の作法で最も嫌われる七つの所作、則、七忌のうちの三つを観客の面前で犯す。その無様な態を人々は嘲った。しかし、むしろ申し訳程度の短い舞の間に、なぜこの若者が三つも犯せたのかを考えるべきだったのかもしれない。
しかし、誰もそれを気に止めることはなかった。ただ一匹の白い蝶だけが訝しげに首を傾げる。
人々の記憶に残ったのは、邦の高貴な血を引く美しい御子のこの世のものとは思えない舞姿だけであった。強大な華国に呑みこまれていく祖国を救うのは、このお方しかおられまい。あの太刀で切り拓けぬものなどあろうか。
御子が世を捨て消息を 断っても、国を棄てたとは誰も考えなかった。あの美しい御子は国のために再び戻ってくる。いつか必ず。
国を棄てた火群が邦に帰ることはなかった。美化された月の御子の記憶だけが人々の中で伝説になった。




