2.昼時ココロは曇りがち
「あのさ、そんなに俺の顔見てなんか楽しいのか?」
キーボードを叩く手を止めて弘樹は溜息をついた。
お昼前の1番忙しい時間帯のオフィスの一角。
横目で右隣をチラリと見るとニコニコと満面の笑みが視界に入った。
「ん? 楽しいに決まってんじゃん?」
「決まってんのか……」
弘樹はもう一度諦めたように溜息をつく。
すると、隣のデスクの香坂 圭介はニヤリと笑ってスッと弘樹の耳元に近寄ってきた。
「だって俺、弘樹のこと愛してるし」
「なっ! おいっ! お前は会社でなんつーこというんだっ!」
ばっと圭介の口を塞いで慌てて周りを見回す。
「誰もきいてねぇよ。ただでさえ今忙しいんだし」
「あのなぁ」
そう言う問題じゃねぇだろと言いかけたとき、「水沢、ちょっとこい」と係長に呼ばれて弘樹は渋々と席を立った。
「覚えてろよ」
去り際小声で呟いて圭介を軽く睨んでおいた。
「ひーろきっ! 一緒にメシ行こうぜ?」
「嫌だ。」
即答して弘樹は圭介の横をすりぬけた。
ビルを出て、まだ暑い残暑の中弘樹は近くのラーメン屋で冷やし中華でも食べようと歩いていた。
「なんでだよ? いいじゃん別に」
「嫌だっつってんだろ。鬱陶しいぞ圭介」
弘樹は心底嫌そうに顔を歪める。
「ひでーなぁ、ヒロちゃんはー」
「ヒロちゃん言うな。大体お前わざとらしいんだよ。どうせここまで来たら俺がどう言っても来るんだろーが」
「まぁね〜」
楽しそうに笑う圭介を横目に弘樹は憂鬱な気分のまま残暑のように鬱陶しい男に溜息をついた。
昼ぐらいゆっくりしたい。
「あのさ、お前なんでそんなに俺の事好きなわけ?」
「え?」
「いくら幼馴染だからって、そんなに好かれることした覚えねぇし、男だぞ俺は」
圭介とは小学校に入った6才のころから腐れ縁で、もう知り合って19年になる。
「ん~?」
圭介はいかにも女子うけしそうな甘いマスクを少し考えるように傾けた。
「好きだから?」
「はぁ? 答えになってねぇぞ」
「だって理由なんてねぇしなぁ」
さらりと言うと、圭介はにっと笑った。
「ま、弘樹が男に興味ないの知ってるし。無理やり襲ったりはしないよ」
「男に興味あったら襲うのか?お前は」
「さぁ?」
冗談なのか、本気なのか。
どっちにしろ怖いので弘樹はそれ以上つっこまないことにした。
弘樹が向かったのは行きつけのラーメン屋である〈龍心〉だった。
「お、相変わらず金魚の糞がくっついてるみたいだな、ヒロ坊」
暖簾を潜ると、見知った顔をカウンターの向こうに見つけた。
「あぁん!? 誰が金魚の糞だよ糞ジジイっ!」
弘樹の後ろであとから不機嫌そうに暖簾を潜った圭介がうってかわった荒っぽい口調で怒鳴るように言った。
昼時で多少混んでいる店内の客が数人分振り向くが、常連客ばかりなので皆またかと直ぐに視線をそらした。
「お? 今時の糞は喋るのか。便利な世の中になったもんだなぁ」
「んなわけあるかよ! 糞言うんじゃねぇ!」
「おい、昼時に糞糞って連呼すんじゃねぇよ。」
「お前が言ったんだろ!」
圭介と、この店の店長であり弘樹と圭介の高校からの馴染みである藤崎 孝一は顔を合わせて早々に弾丸のような罵り合いを始めた。
「孝一さん、冷やし中華2つ。圭介もそれでいいんだよな?」
「うえ? あ、あぁ。うん。」
「冷やし二つな。了解」
圭介が戸惑って頷くのを横目に何事もなかったように孝一は軽く言うとさっさと奥で作業に取り掛かり始めた。
「ちくしょうあのオヤジ覚えてろよ」
「相変わらずソリが合わないな。孝一さんとお前」
「あんなジジイとソリあったってヤダよ」
圭介がブツブツ文句を言うのを聞きながら弘樹はカウンターに着いた。
因みに圭介はジジイジジイと言うが孝一はまだ36で、見た目はさらにもう少し若い。
今は早したかヒゲのお陰で年相応に見えるが。
「なぁ弘樹。今からでも遅くねぇから向いのイタリアン行かね? 」
「ヤダ。俺今日、冷やし中華の気分。行きたいなら1人で行けば?」
「ひでーよ弘樹……」
「振られてやんの」
「うっせえぞ、ジジイ! 奥さんに逃げられたあんたに言われたかねぇ!」
うっせえのはお前もだ。
弘樹は呟いて溜息をついた。
圭介と一緒にここにくるといつもこうだ。
だから嫌なのに。
騒がしい昼食に、弘樹は早くも諦めのようなものを感じ始めた。