1.戸惑いと雨
「水沢……?」
その日は酷く雨が降っていた。
道路の水溜りの上を走って行く車の音がそこらかしこから聞こえる。
水沢 弘樹はコンビニの前の自動ドアの横で地面を見ながらタバコをふかしているとどこか聞き覚えのある声に呼ばれて顔をあげた。
「お前、水沢か?」
目の前にいつのまにか男が立っていた。
いかにも高そうなスーツに身を包んだ男は弘樹と身長は大差ないが、わりと整った顔立ちをしていた。
「……そうだけど。あんた誰」
知らない男の顔に弘樹が訝しげに言うと男は一瞬顔を硬直させた。
そして、その一瞬あとくくっと笑いをもらした。
「ハッ! 俺の事なんて覚えてなぇのかよお前」
「はぁ? だから誰なんだよお前」
弘樹が睨むと男は端正な男らしい顔から表情を消した。
「フーン……ホントに俺の事覚えてねぇんだ?」
男は自分の短いサラサラの髪が弘樹の顔にかかるほど顔を寄せる。
「な…! 何なんだよお前っ!」
弘樹は驚きと気味の悪さに男を突き飛ばした。
男はよろけながら数歩さがって、また笑いをもらしだす。
暫くすると笑の引っ込んだらしい男は別段興味もなさそうな表情で弘樹を見た。
「水沢、お前こんな所でなにしてんだよ?」
「……別に。あんたには関係ねぇたろ」
「ま、そりゃそうだな」
「ていうか、もうどっか行けよお前」
弘樹が睨むと、男は気にも止めない様子で笑う。
その様子に弘樹はもう一度、今度はさらにきつく男を睨んだ。
「わかったよ。んじゃぁな」
男はあっけからんと言うと、くるりと弘樹に背を向けた。
しかし、思いついたように持っていた鞄からタオルを取り出すとおもむろに弘樹に投げて横した。
「それ、やるよ」
「は?」
「お前ビショビショだろ」
弘樹が混乱していると男は今度こそ本当に弘樹に背を向けた。
「んじゃ、またな。水沢」
「は? またって……」
ヒラヒラと手を降る男を、弘樹は渡されたタオルを手に唖然と見送ったのだった。
「は…くしゅっ」
弘樹はずずっと鼻をすすって溜息をついた。
昨日雨にうたれていたせいでどうやら風邪をひいたらしい。
ボーっとする頭を押さえながら弘樹はリビングのソファにドカリと腰をおろして、テレビをつけた。
暫くして、弘樹がうとうとしかけていると廊下からリビングへ続くドアがガチャリと開いた。
「ただいまぁ。あ!ヒロまたそんな所で寝るなよ。風邪酷くなるぞ」
「うっせえぞ、歩。頭に響くだろ」
「だったらちゃんとベットで寝なよ」
何回も言わせないでよと歩むが不貞腐れたように言った。
歩は弘樹の母方の従兄弟で、同居人だ。
今は美容師をしていて今日は勤務先の美容室が休みのため会社を休んだ弘樹の面倒をみてくれているのだ。
歩は両手に持ったスーパーの袋をテーブルにどかりと置くと中身を冷蔵庫に移し始めた。
「歩ー、アイス買ってきたかー?」
「そう言うだろうと思って買ってきといたよ」
「さすが歩」
弘樹は重い体を叱咤して立ち上がらせると嬉々として台所へ向かった。
「お、これこれ」
ヒョイと歩の手から某アイスのバニラ味を取ると、弘樹はさっさっとソファーへ戻った。
「本当好きだね。それ」
「まぁな」
弘樹はカップの蓋を開けて木のスプーンでアイスをほじくると一口ほうばった。
「あ、そういえばヒロ昨日美嘉の所行ったでしょ」
「ん? あぁ」
スプーンを咥えたまま弘樹は気のない返事をした。
「俺、今日行って来たんだけど美嘉がゼリーありがとうって言っといてっていってた」
「ふーん」
やはり気のない返事で弘樹がつぶやく様に言うと背後でバタンと冷蔵庫の閉まる音がした。
「ヒロさぁ…なんで昨日あんなに濡れて帰ってきたの?」
「それは傘忘れたから……」
「傘なんてコンビニで買えば済むでしょ? 最初は小降りだったんだし。それに病院の売店にだって売ってるし」
「それは……」
弘樹が言葉に詰まると歩は一つ大きく溜息をついた。
そして、キッチンから出てくるとソファーに座る弘樹の前まで来て顔を覗き込んでくる。
「美嘉と、なんかあった?」
「……なんも」
顔をふいて弘樹はアイスの最後の一口を口に放り込むと早々に席を立った。
「俺、ちょっと寝てくる」
「ヒロ…」
背後で歩が呼び止めるように呟いたのが分かったが弘樹はそれを無視して廊下へと続く扉を開いて自室へと戻った。
朝起きるとまだ多少頭痛がしたが会社に行けないほどではなさそうだった。
弘樹はベットから抜け出すと自室のななめ向いにある洗面所へと向う。
ざっと顔を洗って歯を磨くと弘樹は軽くシャワーを浴びようと服を脱ぎだす。
そこで、ふとバスタオルやハンドタオルなどのタオルがおかれている棚に目が止まった。
(そう言えば……)
棚のに置かれたタオルの中に見慣れないタオルを見つけて弘樹はあの雨の中会った奇妙な男の事を思い出した。
「あいつ、何だったんだろ……」
『ほんとに俺の事覚えてねぇんだ?』
男の言葉を思い出し、考えてみるがまったく心当たりがない。
(まぁ、いいか。)
「ヒロ〜、朝ごはんパンかごはんどっちがいい?」
ひょこっと顔を覗かせた歩に弘樹は「ごはん」と簡潔にかえすとさっさっと風呂場へ入った。