第5話:「王を知らずに協力する」——有能な女騎士団長との出会い
扉が開いたのは、その直後だった。
入ってきたのは、小柄な女性。
秀継の視線が、一瞬だけ止まった。
美しかった。均整のとれた造作に、一分の乱れもない。金色の短い髪が首の後ろで切り揃えられている。鋼の色をした目が、まず部屋の空気を読み、次に壁に張られた地図を見た。感情より先に情報を取る目だ。
若い。決して体格は良くない。むしろ華奢だ。
しかし隙がない。
「遅れました。訓練が延びまして」
短く頭を下げる。それだけで部屋の空気が微かに動いた。澱んでいた空気に、風穴が開いたような感覚があった。
「カレイン・ライズ騎士団長です」とエキが短く、秀継に添えた。
カレインは壁上の地図に視線を落とした。
秀継が広げた大きな1枚の地図、人口統計の資料、修正案のメモ。そして、議会内の重く粘りつくような雰囲気。
彼女の目が動いた。
高速だった。文字を読んでいるのではない。情報を画像として脳に焼き付けている視線だ。
難民居住区の位置、人口推移のグラフ、職業分布の推定値。視線が地図の上を三往復した。
時間にして、十秒。
「発言してよろしいですか」
顔を上げた時には、もう全体を把握していた。
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「騎士団は慢性的な人手不足にあります」
声に感情はない。現状の説明だ。しかしその声には、評議員たちの言葉にはない重さがあった。現場で血を流し、泥にまみれた者だけが持つ、事実の重さだ。
「難民居住区に使える人間が眠っているなら、是非欲しい。率直にそう思います」
秀継は帳面を開いた。
まともな応答だ。この部屋に入ってから初めて、本来あるべき仕事の形がここにあった。
「全員が使えるとは限らない。適性のない者を無理に当てても、双方が損をします」
反論ではなく確認を、秀継は間髪入れずに差し込む。
カレインはすぐに頷いた。
「もちろんです。適性のある人物だけで十分です。ここで言う職業台帳が整備されれば、就業技能や練度が把握できる。我々の仕事は、騎士団としての自警自衛だけではありません。城壁修理や武具のメンテナンスなど、職人種の仕事も山積みなのです」
「なるほど。職業台帳と人材の共有は可能です」
「助かります」
短い。
しかし、噛み合っていた。
目的が共有され、手段が議論され、結論が出る。
田中電機の現場で、優秀な工場長と話していたときと同じ感覚だ。
秀継は修正を書き込み、顔を上げた。
「修正案をまとめました。職業台帳の整備、国の公共事業との斡旋機構の設置、騎士団との台帳共有の三本立てです。需要があり、供給できる人材がいる。問題は、この中間を行き来させる情報伝達の仕組みです」
部屋は、しんと静まり返った。
白髪の評議員が、先ほどと同じ穏やかな声で言った。
「現場の観点も加わり、大変参考になりました。ただ総合的に判断するため、次の会合にて改めて検討の機会を——」
秀継は帳面を閉じた。
それ以上は言わなかった。
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廊下に出たのは、ほぼ同じ時だった。
カレイン、と紹介された女性騎士が先に歩いていた。規則正しい足音が石廊下に響く。秀継が扉を閉める音を聞いて、少し歩調を緩めた。
ちらりと振り返り、「お疲れ様でした」そう言ってまた前を向いた。
声の調子が、会議室の中とは違う。少しだけ柔らかい。気遣いの色があった。
「評議会は、常にあのような形で動いています。外側からの提案が通ったことは、私が知る限り、ほとんどありません」
「なるほど。議題は議会の中からしか生まれないと」
普段の習慣、通例。
いつも自分たちがやっている仕事を、上から押さえつけられる形になってしまった。
予想だにしない変化が目の前に出され、思考が止まった。
それが、秀継が持った会議の感想だった。
「あなたは城下の方ですよね」
カレインが少し振り返り、すぐに正面を向き直す。
「エキ様が参考人としてお呼びになったのかと思いますが——ああいう場は、慣れていらっしゃらないでしょう」
そうか、と秀継は思った。
この女性は、秀継を街の住人だと思っている。評議会に意見を求められた、ただの参考人だと。だから今、気を遣っている。権力者たちに囲まれて、正論を言って潰された一般人に対する、優しさだ。
「解決策だけの問題であれば簡単なのですが。そうはいかないようですね」
カレインが小さく頷いた。
「……その通りです。申し訳ありませんでした。せっかく良い提案をお持ちいただいたのに」
慰めようとしている。この国の硬直した政治に巻き込んでしまった、街の善良な人間を。
秀継は帳面を開いた。
「今日はあくまでも一回目の会議です。もうひと踏ん張り、この提案を進めませんか」
自分でも、少し意外な言葉だった。
いつもなら「自分でやる方が早い」と判断する場面だ。
しかし、この女性となら——
そう思っている自分がいた。
カレインは少し間を置いた。
「……次の会合に向けて、根回しができる評議員が何人かいます。私の方から当たってみます」
「それは助かります」
「いえ、こちらこそ。あなたの提案は、通すべきものです。非常に鋭く、私も驚きました」
歩きながらの話だった。二人の歩調が、自然に合っていた。
カレインは時折、秀継の横顔を見ていた。この人物が本当に、最後まで諦めずに戦うつもりがあるのかどうか。口だけの理想論者ではないかどうか。確認する視線。
廊下の角の手前で、カレインが立ち止まった。
「……一つ確認させてください」
立ち止まり、鋼の色の目が、正面から秀継を見た。
「貴方は何者ですか」
警戒と疑いの視線だった。
少し間を置いた。それから、静かに続けた。
「街を歩いても、今日のような提案ができる人物はそういません。一般人だとは思えない」
秀継は少し間を置いた。
「……王です」
「え」
カレインの顔が、初めて崩れた。
わずかに目が開く。口が半開きになる。
「騎士団長」
エキが後ろから追いついてきた。
「ご紹介が遅れました。この方が先日即位なされました……」
「三日前に王に就任しました。田中秀継です」
視線がエキに向いた。
エキは無表情のまま、小さく頷いた。
「……本当に」
沈黙。
長い沈黙だった。
カレインは一度、目を伏せた。それから深く息を吸った。顔を上げた時には、もう元の顔に戻っていた。しかし耳の先だけが、少しだけ赤い。
「……失礼しました。以後、心得ます」
声に動揺はなかった。しかし首筋に、わずかな硬さがあった。
今度こそ振り返らずに歩き出した。その背中が、廊下の角を曲がるまで、どこか不自然なほど真っ直ぐだった。
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秀継は帳面を開いた。
〈カレイン・ライズ:現場把握の精度・高。政治的有用性・高。情報処理速度・極めて高〉
少し考えて、下に一行書き足した。
〈王を知らずに協力を承諾した〉
その一行を見つめた。
王だから協力したのではない。
この提案が必要だと判断したから、協力したのだ。
肩書きではなく、仕事の中身を見て是々非々で動いた人間が、この国にもいた。
秀継は帳面を閉じた。
「次の評議会まで時間がない」
声に出たのは、ただの確認だった。
正論だけでは足りない。
数字だけでも足りない。
変化を嫌うこの場所では、生前のやり方は通用しない。
秀継が得た最初の武器は、今、廊下の角を曲がって消えた女騎士だった。
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