第12話:魔法を使えないのは誰のせい——騎士団長との会食
城に戻るまでの道を、三人は黙って歩いた。
レンは時おりカレインの横顔を窺っては、言葉を飲み込んでいた。カレインは折れた柄をまだ手の中に持っていた。捨てる素振りも、鞘に収める素振りも、なかった。
秀継は、最後尾を歩いていた。
——あの刹那の一歩が、頭から離れない。
剣術ではない。どれほど技を極めようと、人間の脚が踏み出せる距離には限界がある。ましてや、視界に映らない程の速度で移動する事は、いかに剣を極めようと不可能だ。カレインは明らかにその限界を、無音で超えた。剣術で成せる技ではない。では何だったのか。
刀身が輝いていた。
カレインが土龍の突進を受ける瞬間、僅かだが秀継にもその様子は確認できていた。
秀継が作った、あの剣が。
ガラムの工房で、気づいたら手の中にあった。何をしたのか、今でも正確には分からない。ガラムの動作を見つめ、分析し、今後どのように使えるかを考えていた。ただそれだけのつもりが、気がつくと一本の剣が、そこに現れた。
再現性があるのかも分からない。なぜできたのかも、まだ言語化できていない。
分かっているのは、カレインが人外の飛躍を成した事。
そして折れる直前の一瞬、刀身が青白く光ったこと。
——先ほど起きた奇跡を、魔法と呼ぶとしたら。
秀継の中に、一つの仮説が生まれていた。
あれが魔法と呼べるものであるなら。道具を媒介にして、術者の理解を出力できるとしたら。魔法式も、魔力量も、生まれた時から持っている才能も——関係なくなる。
誰でも、魔法を使えるようになる。
その言葉が、秀継の頭の中で静かに着地していた。
四万人。この国に生きる、魔法を持たない人間たち。生まれた瞬間から社会の底に置かれると決まっている者たちが、自分の理解と意志で魔法を扱える世界。
まだ仮説だ。検証も、再現実験も、何もしていない。それを知っている。
秀継は歩きながら帳面を出した。短く書き記す。「——要検証。能力の発現条件。再現性の確認」
書き終えて、帳面を閉じた。
評議会が残っている。予算の承認が取れていない。
順序を間違えるな。今考えるべき事は、目の前の課題、避難民の労働力化だ。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
秀継の長年の経営人生の中で得た教訓の一つだった。
城の門が、近づいていた。
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城に入ってから、カレインとレンは騎士団の報告手続きのために別れた。
秀継は一人、執務室へ戻った。
書類を二件片付け、太陽が沈んだ頃、扉が鳴った。カレインだった。
「報告が終わりました」
それだけ言った。報告内容を述べるでも、今後の対策を提案するでもなく、ただ「終わった」とだけ告げて、次の言葉を待っている。
「そうですか。エキは何と?」
「早急に対応策を検討すべきだと。明日の評議会でも議題として取り上げる、との事です」
「わかりました。明日、私も出席予定ですので、そこでまた議論をしましょう」
秀継は書類から目を上げた。
「……夕食は取りましたか?」
「報告が長引いたので、まだ取ってはおりませんが」
「では、一緒に取りましょう」
カレインは、一瞬だけ固まった。拒否する理由を探しているような間だった。だが、言葉は出てこなかった。
「……はい」
それだけ答えた。
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給仕に頼んで、騎士団長執務室に隣接した小部屋に料理を運んでもらった。食堂では部下の目がある、とカレインが言った。秀継は異論を唱えなかった。
テーブルは小さかった。向かい合えば、距離が近くなる。
給仕が料理を並べ、部屋を出た。
二人になった。
カレインは、テーブルの端に折れた柄を置いていた。食事の邪魔にならない位置に、しかし視界から外れない場所に。
食事は進まなかった。
カレインが、スープを一口飲んで、匙を止める。また一口飲んで、また止める。
秀継はそれを見ていない、という体で、パンをちぎっていた。
「……先ほどは、失礼しました」
カレインが、言った。
声は平静を保っていた。だが、整えすぎた平静というものは、かえって歪みを目立たせる。
視線を落とし、チラチラと秀継を見るが、目を合わせられないようだった。鋼色の瞳が、宙を行ったり来たりする。
「今日の工房前での件です。陛下に対して、大変失礼な態度をとってしまいました。騎士として、あってはならない振る舞いでした」
「失礼な態度など、された覚えはありません」
「そんなことはありません。私ごときが王に意見を述べるなど、あってはならないことです」
「本当にそう思っているなら、それは改めてください。正直な発言が出なければ、判断に支障が出ます。何も問題ありませんでした。これからもそうしてください」
カレインは、わずかに口元を動かした。何を言おうとしたのか、言葉は出てこなかった。
グラスに入った葡萄酒を一口含み、小さくふうっと吐息を漏らしてから、話し出す。
「……私は、魔法が使えない自分に苛立っていました。今日の件でも、その苛立ちを陛下へぶつけてしまった」
少し間があった。
「私の小ささに、正直、自分を軽蔑しています」
秀継は、パンを置いた。
「一つ確認させてください」
「はい」
「あなたが魔法を使えないのは、あなたのせいですか」
カレインは、即答しなかった。
「……私のせいです」
「根拠は」
「魔法が使えないまま生まれてしまった事は、罪です。この世界では、そう決まっています」
「それはこの世界の評価基準です。あなたの答えではない」
カレインは、黙った。
「もう一度聞きます。あなたが魔法を使えないのは、あなたのせいですか」
沈黙が続いた。
テーブルの上の折れた柄を、カレインはただ見ていた。
答えは、出てこなかった。
「私の考えを話します」
秀継が、続けた。
「それはあなたのせいではない。あなたは与えられた処遇を受け入れ、今日まで剣を振り続けた。その痕跡を、私は今日確認しました。今日起きたことは、私にもまだ分からない。だが、あなたの剣術がなければ、土龍の討伐は成し得なかった」
カレインは、秀継を見た。
「それは……」
鋼色の瞳が潤んだ。
秀継には見えないが、その瞳の奥には長い年月が刻まれていた。手のひらから血が出ても、剣を振ることをやめなかった日々。「使えない人間」と言われ続けた。魔法の価値は、騎士の価値と等しくない。それを証明する。そう決めて、今日まで歩みを止めなかった。幾度もあった。この努力が価値に変わる日が来るのかと。剣を振り、本を読み、泥道を駆け、そしてまた剣を振る。
苦しくはなかった。否——、一つだけ苦しいことがあったとするならば、それは報われる日が来ないのではないか、という不安だけだ。
そんな、ずっと表面に薄く纏わりついていたような不安が、洗い流されたような瞬間だった。
「私は私で、あなたはあなただ。過去の自分より優れた今であるなら、それは評価されるべきことです」
声は平坦だった。感情を乗せるでも、励ますでもなく、ただ事実として置いた言葉。
だから、届いた。
カレインは何も言わなかった。反論を探しているように見えた。だが、言葉は出てこなかった。
そして、秀継も口をつぐみ、またパンを小さくちぎって一口かじる。
しばらく沈黙が流れた。響くのは、食器のカチカチとした音だけ。
カレインはスープに移る自分の顔を眺めている。
やがて何かを決心したかのように、秀継の方に顔を向けた。
「陛下」
「はい」
「……なぜ、私を夕食へ誘ってくださったのですか」
憑き物が落ちたような、澄んだ声だった。
「腹が減っていたからです」
「それだけですか」
「それだけです」
カレインは、秀継の顔を見た。感情の波を探るような目だった。だが、秀継の顔には何もなかった。本当にそれだけだという顔だった。
「……陛下は、ずるいお方ですね」
カレインは、前を向いてパンを手に取った。
耳の先が、かすかに赤くなっていた。
秀継はカレインの意図する意味が分からず、視線をまたパンに戻す。
しばらく、食器の音だけが続いた。
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食後、茶が出てから、しばらく二人は黙っていた。
沈黙を破ったのは、カレインだった。
「……今日起きたことの検証は、追って行いましょう」
カレインが、カップを置いた。声が、少し変わっていた。いつもの凛とした、騎士団長の顔に戻っていた。
「城内に一人、魔法を研究している者がいます。魔法は使えませんが、理解という点では、その辺の魔法使いよりも飛び抜けていると聞いています。その者に当たれば、今日の件も整理がつくかもしれません」
「名前は」
「ハル・アリエンヌといいます。少々変わり者ですが」
秀継は、帳面に短く書き記した。
「それより」
カレインが続けた。
「明日の評議会です。切り替えましょう」
秀継は帳面から目を上げた。
「賛成です。現状の見立てを聞かせてください」
「賛成の意向を確認できているのは、六名です。過半数には、あと一票必要になります」
「例の、部下を失ったラドウィグはどのような状況でしたか」
カレインの表情が、わずかに引き締まった。
「まだ確かな情報は取れていません。面会も避けられている状態で、明日どう出るか……。
一つだけ分かっているのは、本日エキ様とお会いになったようだということです。話の内容までは掴めていませんが」
「……そうですか」
カレインは、秀継の顔を見た。
何かを言いかけて、止めた。それ以上を聞いても答えは出てこないと、察したのかもしれなかった。
「……他にも懸念点があります」
カレインが、わずかに声のトーンを落とした。
「難民区域への物資支給について、気になる報告が上がっています」
「物資支給とは。そのような支援があるなど確認できなかったが」
「城から難民区域へ、食料や医薬品が定期的に届けられています。正式な予算項目ではなく、城下整備費や衛生管理費といった名目で処理されているため、陛下の目には触れていなかったかもしれません」
秀継は、帳面を開いた。確認する。該当する項目が、確かに存在しなかった。
「続けてください」
「現場の騎士が巡回中に、独自につけていた検品記録を見つけました。届いた物資の数を、毎回メモしていたものです。それと城の支出記録を照らし合わせたところ――二割から三割、数字が合わない」
「城側の記録では、支給されている」
「はい。ただ現場には届いていない。経路の途中に、評議員の関係する業者が入っています」
秀継は、しばらく帳面を見ていた。
「その検品記録、原本を保管してください」
「すでに預かっています」
「証拠が揃うまで、動かない。引き続き調べてください」
「はい」
一つひとつ、淡々と並べていく。秀継は聞きながら、必要なものだけ書き記した。
作戦会議と呼ぶには静かすぎる夜だった。だが、テーブルを挟んで向かい合う二人の間には、今夜初めて、同じ方向を向いている感覚があった。
やがてカレインが帳面を閉じた。
「以上です」
「分かりました。明日、お願いします」
カレインが立ち上がった。扉の方へ歩き始める。
その背中が、扉の手前で、わずかに止まった。
カレインは、振り返った。
一秒だけ。秀継の方を見て、すぐに前を向いて、扉を開けた。
廊下に消えた背中を、秀継は見ていなかった。
茶を飲み終えて、帳面を開く。
「――評議会。残り一日。承認必達」
書き終えて、帳面を閉じた。
窓の外に、夜が来ていた。
明日、この国が動く。




