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第10話:魔法を持たない騎士——信頼の亀裂と迫る土龍

工房の扉が閉まった。


石畳に出て、二歩歩いたところでカレインが立ち止まった。


振り返る。いつもの警護の動きとは逆だった。意図して、秀継の方へ向き直る動作だった。


「あれは、魔法ですか」


声は平坦だった。感情を削ぎ落とした声色。しかしその均一さがかえって不自然だった。感情の波を必死に押し殺している音だった。


秀継はカレインを見た。鋼色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いている。問い詰めているのではない。確かめている。この男が何者なのかを、ここ数日で築いた前提を一度全部壊してから、もう一度最初から組み立て直そうとしている目だった。


「私にはわかりません」


秀継は答えた。


「こうすれば出来ると、なぜかわかった。それだけです」


「……そう。魔法を使える人は皆そう言う」


カレインの声が、わずかに震えた。


「私は、魔法が使えません」


「知っています。この国は魔法が使えない人たちの国ですから、あなたも―――」


「では何故!」


秀継の言葉を、カレインが遮った。唇を噛み、視線を逸らす。


胸の奥で、別の感情が暴れていた。


裏切られた。


この男は「持たざる者」だと思っていた。私と同じ側にいる人間。だからこそ、同じ場所に立って戦える人間だと信じ、信頼が生まれ始めていた。


違った。


貴方は最初から、向こう側にいたのか。


魔法。選ばれた者だけが持ち、持たざる者を支配する力。どれだけ剣を振り、どれだけ血を吐くような訓練をしても、カレインには決して手に入らなかったもの。それが今、目の前で、この男の手から溢れていた。


「私は間違っていました」


カレインは言った。


「貴方は『持たざる者』だと思っていた。だから、信じた。同じ場所に立って、同じ景色を見て戦える人間だと」


秀継は何も言わなかった。


「でも違った。貴方は最初から、向こう側にいた」


「私はまだ、自分が何者なのかを理解していません」


秀継が静かに言った。


「ですから——私のことを、今すぐ決めつけないでいただけると助かります。私もあなたを、理解するには時間が足りない」


カレインが、わずかに目を瞬いた。


「……少し、時間をください。私の中で、整理をつけるための」


「分かりました」


秀継は答えた。言い訳も、宥める言葉もなかった。かえってそれが、カレインには楽だった。


カレインが前を向いた。沈黙のまま、城の方へ歩き始めた。足音だけが石畳に響く。規則正しく、しかし硬い音だった。


* * *


帰り道の途中、若い兵士が駆け寄ってきた。まだ甲冑が体に馴染みきっていない、ぎこちない動きだった。


「団長。東南側外壁の件、ご報告がございます。三区画で石の剥落が確認されました。今日中にご確認いただけますでしょうか」


東南側。難民区域の外側に位置する外壁だ。


カレインは秀継を見なかった。視線は兵士に向けたまま、一瞬だけ喉元が動いた。


「行きましょう」


秀継が先に言った。


「……案内しろ、レン」


カレインが答えた。


「はっ」


* * *


三人で城門から外に出て、外壁沿いを歩いた。


先頭にレン、その後ろを秀継、カレインが最後尾につく。警護の位置だった。しかし、いつもよりわずかに距離が空いている。


外壁は古かった。近くで見ると、積み上げられた石の継ぎ目に苔が生えていた。補修の跡が何層にも重なっている。古い修繕の上に新しい修繕を重ねた、四百年分の積み重ねだ。石の色が層ごとに違う。時代ごとに、違う人間が違う判断で積み上げてきた証拠だった。


石畳が途切れ、砂利道になる。難民区との境界線に近い。壁の内側と外側で、景色の質が変わる場所だ。内側には石造りの建物が並び、外側には粗末な屋根が続く。煮炊きの煙が、壁を越えてこちら側まで流れてきた。子どもの声が、どこかから聞こえた。壁の向こうだった。


「こちらです」


レンが壁の一点を示した。継ぎ目の石が欠けていた。苔が深く食い込み、内部に水が入った跡が黒ずんでいる。


秀継は近づいて触れた。表面が崩れかけていた。押すと、砂が落ちた。


「三区画とも同じ状態です」


レンが報告した。


「全て見ます」


秀継が答えた。


順に回った。一区画目、二区画目。どれも似た状態だった。秀継は立ち止まるたびに帳面を開き、記録した。補修に必要な石材の量、工期の見込み、優先順位。数字を積み上げる作業だった。


カレインは後ろを歩いていた。


秀継が立ち止まるたびに、自然な間合いで止まる。秀継が歩き始めると、また歩く。警護として完璧な動作だった。しかしそれだけだった。道中、一言も発しなかった。


腰には、秀継が生み出した剣が下がっている。


重心のバランスは悪くなかった。それがかえって、今のカレインには重く圧し掛かっていた。魔法で作られた剣が、手に馴染んでいる。その事実が、感情の傷口をじりじりと押し広げていた。


レンが時折、後ろを振り返った。団長とこの見知らぬ男の間に何かあると、気づいているのだろう。しかし何も聞かなかった。賢い兵士だった。


三区画目を確認し終え、西側の角を曲がった。


草地が広がっていた。城壁の外周に沿って、人の来ない区域だ。壁の石の色がまた変わっている。南側よりさらに古い、手の入っていない一帯だった。風が草を揺らした。音がなかった。難民区の生活音も、ここまでは届かない。


「この先は補修記録がありません」


レンが言った。


「人が来ないので、見落とされていたかもしれません」


「確認します」


秀継が答えた。


草を踏んで進んだ。三人の足音だけが聞こえた。


五十歩ほど進んだところで、レンが速度を落とした。


草地の端。土が盛り上がっていた。


丘のように見えた。しかし動いていた。ゆっくりと、確実に、こちらへ向かっていた。


「止まってください」


カレインの声が変わった。低く、張り詰めた声だった。それまでの硬い沈黙とは、種類の違う緊張だった。


「―――――土龍です」


一瞬、言葉が途切れた。


「こんな町の近くに——なぜ——」


城壁から凡そ100メートル。


人里が目の前にいるそこは、土龍が出る場所ではない。出ていいはずがない場所だった。騎士として何年もこの城下を守ってきた。そのカレインが、見たことのない状況だった。


レンが半歩、後退した。顔から血の気が引いていた。


秀継は取り乱さなかった。 危険な生き物が、出てはいけない場所に出た。それだけを把握した。 この世界の前提知識はない秀継にも、それが異常事態であることは理解できた。


土が割れた。 地鳴りのような音とともに、大地そのものが息を吐くように盛り上がる。


それは「何かが地中から這い出てくる」という生易しい現象ではなかった。 むしろ、地面という概念が意思を持ち、そこから不要な部分を削ぎ落とした結果、残った「核」が姿を現したのだと直感させる異質さがあった。


まず現れたのは頭部だった。


灰色の鱗に覆われている。しかしそれは生き物の皮膚というより、何百年も風雨に晒された岩盤に近い質感だった。ひび割れた石と、かすかに湿ったぬめりの境界線。乾いた鉱物と生々しい肉が、理不尽に同居している表皮だった。


目があった。 楕円形の黒い穴。瞳孔の有無すら判別できない暗さ。 あの暗さは光を反射していなかった。外界を「見る」ためではなく、前にあるものを「押し潰す」ためだけに存在する視線だった。


口が割れた。 歪んだ岩盤に無理やり切れ目を入れたような裂け方で、そこから鈍く光る歯列が覗いている。一本一本が石柱のようで、鋭さよりも「質量」が目についた。噛み砕くのではなく、ただ押し潰すことに特化した構造だった。


体が続く。 土をまき散らしながらせり上がるその巨体は、体長十メートルを超えていた。 数字として理解する前に、「人間の世界のスケールではない」と本能が告げた。明らかに人の力では御しえない異形の存在だった。


それは生物というより、動く災害だった。


土龍が、ゆっくりとこちらを向いた。 巨大な頭部が軋むような音を立てて回転する。視線が三人の人間を捉えた瞬間、草地の空気が一段階重くなった。


秀継の背筋を、冷たいものが撫でた。 恐怖ではない。生存本能が告げる警鐘だった。 ここにいてはいけない。人間という種が、対峙してはいけない存在がそこにあった。

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