第7話 走りだしたい夜もある
「可愛がっているうちに、暖かい家庭とやらができあがった。柄にもなくね。あのときが、私の人生のピークだったよ」
灰皿に押し付けられたタバコから、重く苦い煙が細く立ち昇る。
「その子は飢えと病で死んだ。王政、つまりトラヒムの犠牲になってね」
「そんな……」
「だから最初、あんたがここに転がり込んできた時……カッコウの雛かと思ったね。こき使って、野垂れ死にさせてやろうと考えたもんさ」
その時のコヴィ様の目を、私は今でも覚えている。永久凍土のように冷たく、一切の光を拒絶するような瞳だった。
「……でも、コヴィ様は私を見捨てなかったですよね」
「あんたが、馬鹿みたいに真面目だったからだよ」
「え?」
「見てないところでも、手を抜かなかった。普通のガキは隠れてサボるもんだ」
見てないところをどうやって監視していたのよ、とツッコミたかった。けど怖いので、やーめた。
「あと便利だったし」
「言い方……」
前世の知識と、王宮での教育。それがこの辺境の農家を、何度か飢饉や災害から救ったのよね。そのときから、コヴィ様も私を褒めてくれるようになった。
「それにあんたの持ってるその布切れ、昔っから子供の守り札として縫い込んでやる習わしがある。私も同じ物を娘に編んでやった」
視線を落とす。私の手元にある手拭いには、テレサ様の少し不格好な刺繍が縫い付けられていた。
「単なる家具としての娘じゃなかったわけだ……だが、よりにもよって奴の娘とはね」
窓の外を見ながら、両手を広げるコヴィ様。逃げちゃいけない、確かめなくてはならない。この人の本当の気持ちを。
「私のこと、どうしたい……ですか?」
石像のように考え込むコヴィ様。私は息を止め、冷や汗を流していた。その緊張を気にすることなく、彼女は突如ケタケタと笑い出した。
「あんた、あいつにちっとも似てないね。父親の名前間違えてんだろ?」
「はい!?」
いくら落ちぶれたとはいえ、バカにしすぎだろ。玄関に立て掛けた鍬で、この人の頭を本気で耕してやろうかと思った。
「気が済んだら風呂を沸かしな。私が今あんたにさせたいことなんて、それくらいだよ」
「……了解です」
まあいっか。私は何事もなかったように微笑み、かまどに向かう。すると、急に肩を掴まれる。
「逃げたいなら教えな、一緒に走ってやるよ。ちょうどこのワガママボディを持て余してたところだからね」
「やだ、惚れちゃう」
軽口で返したものの、胸の奥がギュッと締め付けられる。本当は思い切り甘えたい。でもこれ以上、家庭や王家の理不尽な泥沼に、この人を巻き込むわけにはいかない。




