第一話 赤信号、酔って渡れば怖くない。死ぬけど
「ごめん、別れてくれ」
「私の記憶が確かなら、婚約していたはずじゃ?」
「ごめん」
ある日の夕暮れ、駅前の喧騒から少し離れた喫茶店。私は佐藤、真面目にコツコツ働き、大手に入った。目の前に座る男は、高学歴・高身長・高収入。だが、常に私を元カノや母親と比べ、粗探しをしてくる純正のモラハラ男。
「……理由は?」
「君には向上心がない。それに比べて、彼女は輝いているんだ。スター女優を目指している」
人伝に聞いたが、新しい彼女はグラビアモデルらしい。輝いて見えるのは、肌の露出面積が多いからじゃないの。
「はあ」
怒りよりも先にため息が出た。 気が弱く、鈍感。損ばかりしてきた人生だった。高校生の時には両親が離婚。それからはずっと先輩、上司の機嫌を取り、クズ彼氏の自尊心を満たしてきた。
ーーもういいや、全部面倒くさい。
一週間後、周囲の客をドン引きされるくらい酒をあおった。で、フラフラと店を出て、気づけば迫り来るトラックのヘッドライト。さよならザ・ワールド、ログアウトのお時間。
「お目覚めですか、王妃様」
のはずだったのに。目を開けると、そこは天国でも地獄でもない。煌びやかなキャノピー付きのベッドの上と、顔を覗き込むメイドたち。そして鏡に映ったのは、豪奢な金髪美女に抱かれた赤ん坊。なるほど、理解した。異世界転生だ。
「私は気高き帝王、トラヒム陛下の妃よ! ひれ伏しなさい!」
新しい母、テレサ様は清々しいほどの悪女だ。この国では、彼女の言葉が法律であり、彼女の機嫌が善悪。民は搾取され、王宮だけが肥え太る。辞書で悪徳貴族と引けば、母の名前が出てきてもおかしくはない。
「おはよう、私のアイサ。今日も可愛いわね」
転生先での私の名前は、アイサ・タナースーズ。お母様譲りのブロンドヘア。中の上くらいの顔立ち。
「いいことアイサ。彼らはね、働くのが好きなのよ」
テレサ様は私を膝に乗せ、王宮のバルコニーからアリのように働く民を見下ろし笑う。使用人たちは私のことも悪徳令嬢と陰で呼んだ。
ーー知らないわよ、そんなの。今度は私が幸せになる番だ。前の人生で散々気を遣ったんだから、今度は好き勝手させてもらう。
「お、おはようございます。アイサ様」
「はい、おはよう」
ある日、廊下ですれ違ったメイドは、ズタボロの服を着ていた。靴なんか、明らかに中敷が切れてる。よくそれで歩けるわね、感心。と心の中で呟きながら、通り過ぎようとした時だった。
「……!」
背後から強烈な視線を感じた。振り向くと、見たこともないような濁った瞳が私を映していた。
――労働基準関係法令違反の疑いにより、関係事業者が逮捕されました。
ふと、前世のニュースキャスターの声が脳内をよぎり、胸がチクリと痛んだ。だから決めたの。
ーーいつか私が権力を握ったら、ホワイトな国にしてあげよう。それまでは、大人しく猫を被っていよう。
「結局、そのいつかは来なかったんだけどね」
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