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浦島次郎、釣りに行く

 私は48歳の中間管理職のサラリーマン、浦島次郎。郊外に35年ローンでマイホームを購入し、妻と高校二年生になる娘がいる。日々通勤電車に揺られ、部下にも上司にも気を遣いながら、家では最近全く口をきいてくれなくなった娘と、いつも不機嫌な妻に気を遣う日々を送っている。


 通勤電車では向こうからぶつかってきた若者が私を睨む。私は悪くないと思いながら、トラブル回避のために軽く頭を下げる。ここで感情のあまり暴力でもふるってしまえば、35年ローンと家庭と仕事は崩壊だ。自分が我慢すれば済む話だ。


 私の職場は若い女性が多い。女性の部下には特に気を遣う。セクハラ、パワハラ、マタハラなどなど、いろいろなハラスメント防止研修を受けさせられる。私が若いころは散々上司からパワハラを受けたのに、今ではちょっとした言動でもパワハラ、セクハラにならないかと気を遣ってしまう。職場の飲み会も気を遣い過ぎて全く楽しくない。


 そんな私の唯一のストレス発散は釣りだ。予定の空いた週末は、いつも千葉県南房総の砂浜に釣りに出かける。大海原を見ながら釣りをするのは、たとえ魚が釣れなくても気持ち良い。海の大きさに比べたら私の悩みなどちっぽけなものだ。


 この日曜日も、私は一人釣竿を持ち、南房総の砂浜に出かけた。すると一匹の頬に傷のあるカメが子供達をいじめていた。


「おら、ジャンプしてみろ。なんだよ小銭持ってるじゃねえか。出せよ! ハッ、150円ぽっちか」


 そのカメは子供達からカツアゲをしていた。しゃべるカメに驚きはしたが、これは止めた方がいいだろう。


「これこれ、カメさん、子供達をいじめてはいけないよ。……あっ」


 よく見るとその子供達は、いつぞや私の車のボンネットにいたずらして、大量の犬の糞を撒き散らかしたガキどもだった。


「何でもないです」


 私はそう言うと、見て見ないふりをした。子供達は「おとなのくせに、何で助けないんだよ~! うんこぐるま~!」と言って逃げて行った。


「見逃してくれて助かったぜ。こんなの乙姫様に見つかったらべっ甲にされちゃうよ。兄さん、お礼に竜宮城に連れて行ってやるよ。いくら持ってる?」


 私は自分の財布を覗いてみると、一万三千円入っていた。


「しょぼい兄さんだな。まあいい、今回は礼も兼ねて一万円ぽっきりで連れて行ってやる。さあ、背中に乗りな」


 カメは私から一万円を受け取ると、さあ乗れと言わんばかりに前ヒレを動かした。大人の男が乗るにはやや小さい感じもしたが、お金も払ってしまったし、乗ってみるしかないようだ。


「俺はカメ吉、よろしくな。じゃあ行くぞ」


 そう言ってカメ吉は器用に波を利用して、砂浜から海に泳ぎだした。どうなることかと思ったが、不思議と海の中に入っても服は濡れないし、息も苦しくない。


 陽の光もほとんど届かなくなるまで潜った頃、海の底に白く輝く巨大な泡のようなものが見えてきた。泡の中には大きな色とりどりの建物が並んでいる。


「あれが竜宮城だよ。兄ちゃん」


 カメ吉は泡の中に突っ込むと、『お客様送迎場』と書かれた建物に入って私を降ろしてくれた。そこにはたくさんのカメがお客を乗せたり降ろしたりしていた。


「じゃあ行こうぜ兄ちゃん。とっておきの店に連れて行ってやる」


 そう言うとカメ吉は、私を『蛸壺屋』と書かれた看板のかかった、大きな和風の建物に連れて行ってくれた。カメ吉がお店の男性と話している。


「たのむよ、恩人なんだ。庶民コースのその下でいいからさ」


「しょうがねえなあ。カメ吉さんが言うから特別だよ」


 和服を着たお店の男性に連れられて、小さな部屋に案内された。普段は女中か何かの休憩室にでも使われているのだろうか、置かれている物が布で隠されていた。するとしばらくして、木綿の粗末な着物を着た、十五才前後の美少女が瓶とコップを載せたお盆を持って入ってきた。


「失礼します。サチと申します。おビールをお持ちしました」


「あ、ありがとう。サチさん、いい名前だね」


「ありがとうございます。せめて名前だけは幸せになるようにって、おっかさんが付けてくれたのです」


 そう言ってサチはビールを注いでくれた。サチは着ているものは粗末だったが、肩まである黒髪は艶やかで美しく、黒い瞳はぱっちりとして愛らしかった。大人になったらかなりの美人さんになりそうだ。


「わたし、いつもは女中さんたちのお手伝いをしていて、お客さんを接待するのって初めてなんです。あまり上手くできなくてごめんなさい」


 サチのような純粋そうな少女に久しぶりに会った気がする。


「ご家族のためにいつもお仕事大変ですね。お疲れ様です」


 美少女にねぎらわれ、ビールを飲み、膝枕して耳掃除をしてもらった。


「次郎様ってお耳が敏感なんですね。ウフフフッ、かわいいです」


 何て笑顔が素敵な少女なのだろう。日頃の嫌なことがすべて浄化していくようだ。こんな楽しいことがこの世にあったのか。


「兄ちゃん、そろそろ時間ですぜ」


 気がつけばカメ吉が迎えに来てくれていた。サチが「また来てくださいね」と言って手を振ってくれる。店の出口で店員の男性から『玉手箱』と書かれた黒い箱を渡された。カメ吉は私を元の砂浜まで送ってくれた。ちなみにビールは別料金で三千円だった。


 家に帰ってから『玉手箱』を改めて見てみる。特に開けるなとは言われなかったからお土産の類だとは思うが、自分で開けるのは少し怖い。怖いので、職場の上司の部長にお土産としてあげることにした。


 部長は50代後半の太って毛髪が乏しくなっている男で、女性職員から存在がセクハラだと言ってものすごく嫌われていた。ただ、物をもらうのは好きなようで、喜んで受け取ってくれた。早速部長が玉手箱を開けると、煙がもくもくと部長を包んだ。


 気づくと部長は20代かと思うほど若返り、細マッチョのイケメンになっていた。


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