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3話 令和の鬼退治

 もうダメだ。


 咄嗟に目を閉じたそのとき、淀んだ空気を吹き飛ばすような凛とした声が響いた。


「させねぇよ!」


 激しく葉を鳴らして降ってきたのは、抜き身の刀を掲げた桃太郎だった。木々の隙間から見える空には巨大化した錦。コロや藤吉郎の鳴き声も近づいてくる。


「死ねオラア!」


 とても英雄とは思えない台詞を吐いて、桃太郎が刀を振り下ろす。しかし、すんでのところで躱され、地獄の鬼神もかくやという顔で舌打ちをする。どんなチンピラだ。


「こんなところで男を引っ掛けんなよハニー。妬けるぜ」

「引っ掛けてない! 勝手に出て来たのよ! 何なのよそいつ!」

「山の()だね〜。ネットミームで有名だけど、実際は山の怪異の集合体って感じ〜」

「つまり敵だ。それ以上でも以下でもねぇ」


 両脇から飛び出したコロと藤吉郎が異形に向かっていく。コロは巨大な狼。藤吉郎は巨大な(ましら)。二匹ともいつもの愛くるしい姿ではなく、本来の姿に戻っている。


『ツま、つま、ワタシノ、つマ』

「ああ? ふざけんじゃねぇ! こいつは俺の嫁だ!」

『ツま! ワタシノ!』


 一人と二匹の猛攻に激昂した異形の爪が桃太郎の額を掠め、切り裂かれた鉢巻がはらりと落ちる。


 その下から現れたのは、斜めに走る醜い傷跡。私がつけたものだ。今でこそ自由に力を扱えるようになったが、昔は持て余すことも多かった。


 何がきっかけで暴走したのかは覚えていない。気づいたときには桃太郎の腕の中にいて、見上げた額からとめどなく血が流れていた。


 桃太郎も、おじさんおばさんも私を責めなかったけど、街の人たちの恐れを含んだ目は今もはっきりと覚えている。


 鬼につけられた傷は、永遠に消えないそうだ。


 いくら目を逸らしたくとも残り続ける罪の証。私が化け物だということの証明。それから私は桃太郎と距離を置くことを決めた。向こうはそれを許さなかったけど。


「桃太郎! 私を置いて逃げて! よくわかんないけど、私がいればそいつは満足するんでしょ?」

「できるかボケ! 堂々と浮気宣言すんな!」


 まるで鬼みたいな咆哮を上げて、桃太郎が猛然と刀を振るう。異形はその勢いに押されているようだったが、どれだけ強くとも人間だ。徐々に息が上がり、動きに精彩を欠いていく。


 このままでは埒が明かないと思ったのだろう。舌打ちをしたコロが私に向かって叫ぶ。


「椿! 桃太郎の刀に雷を放て! それでこいつをぶった斬る!」

「おい、クソ犬! 勝手なことを口走ってんじゃねぇよ! 犬鍋にすんぞ!」

「やってみろや小童(こわっぱ)がああ!」

「ちょっと〜。こんなときに喧嘩しないでよね〜」


 呑気な藤吉郎の声が場違いに聞こえる。何が何だかわからないが、それしか手段がないならやるしかない。


「桃太郎! 受け取って!」

「ああ、クソ! 俺の力だけで倒したかったのに!」


 愚痴る桃太郎の刀目掛けて雷を放つ。いつもなら弾けて消えるだけの力は、刀に触れた途端に激しい雷光となって周囲を明るく照らし出した。


「くたばれやああ!」


 裂帛の気合いを込めた一刀が異形の体を切り裂く。異形は断末魔の声を上げる間も無く、一足先に忍び寄ってきた夜の帷の中に溶けていくように消えていった。


 残ったのは桃太郎の荒い息と、錦が降りてくる羽音だけ。ようやく危機が去ったと気づいたときにはすっかり腰が抜けてしまっていて、私はヘナヘナとその場に座り込んだ。


「大丈夫か、椿」


 刀を放り出した桃太郎が、地面に膝をついて私の顔を覗き込む。木に叩きつけられた男が私の視界に入らないようにさりげなく背で隠し、倒れた女の人に自分の上着をかけてあげるところは英雄っぽい。


「あんたこそ……。額から血が出てる。また傷が増えちゃったじゃないの」

「男前が上がっただろ?」


 それは私が額に傷をつけたときと同じ言葉だった。途端に両目から涙があふれ、喉の奥から嗚咽がこぼれ出す。我慢しようと思っても止められなかった。


 そんな私を、桃太郎は誰よりも優しい目で見つめている。いつもの変態ぶりが嘘みたいに。


「やめてよ。なんで、そこまで私に執着するの……。こんな化け物、もう放っといてよ」

「いつも言ってんだろ? 俺はお前を嫁にしたいって」

「こんなときまで冗談言わないで! 私は鬼なのよ! 神様扱いのあんたと釣り合うわけないじゃないの!」


 おいおいと泣く私に、桃太郎がガリガリと頭を掻く。お供たちも困った顔だ。それが余計に情けなさを煽って、私はさらに泣いた。心なしか、空もゴロゴロ唸っている気がする。偶然だろうけど。


 いつも通りの姿に戻った錦が、ため息混じりに「ねえ、桃太郎」と口火を切る。


「もう話してもいいんじゃない。来年には成人なんだしさ」

「……そうだな。親父とお袋も多目に見てくれるか。おい、椿」


 こちらの返答を待たず、桃太郎は私の額に顔を近づけた。柔らかくて濡れた感触が額に伝わる。え? キス? 今、キスされてる?

 

「も、桃太郎、あんた何やって……」

「神様はお前だよ」

「え?」


 話の展開についていけない。疑問符だらけの私の顔に気づいたのだろう。桃太郎が「落ち着いて聞け」と両肩に手を置いて話を続ける。


「お前の一族は元々山の神。この街……いや、村の人間は山を切り開きたくて怪力自慢の俺の先祖に討伐を依頼した。わかるか? この目は加護なんかじゃねぇ。神殺しの呪いなんだよ」

「は? だってこの赤い髪と目は……。ツノだってあるし」

「神社の鳥居がなんで朱色に塗られてると思う? 赤は邪気を祓う色なんだぜ。ツノがあるのは雷神だからだよ。図書館とかで見たことあるだろ?」


 確かにそうだ。でも、俄には信じられない。だって、それじゃあ……今までいわれもない差別を受けてきたってことになるじゃないか。それも、私の先祖を邪魔者扱いした人間の子孫たちに。


「信じられねぇか?」

「それはそうよ……。桃太郎にはお供がいるじゃない。私が神様なら、神社に入れないのもおかしいわ。これ以上、つまらない嘘はやめて」

「お前、本当に疑り深ぇな」


 桃太郎が口をへの字にしたのを見て、それまで黙っていたコロが横から口を挟んだ。


「俺たち、今は神格を与えられてるけど元は妖怪だぜ。妖狼と沸々(ひひ)無名雉(ななしきぎし)。まあ、錦は俺たちと会う前から神様の使いっ走りみてぇなことやってたけどよ」

「使いっ走りって言うのはやめてくんない? ……まあ、欺瞞にまみれた始まりでも、五百年も信仰されているとそれなりに力がつくんだよね。椿が神社に入れないのは境内が穢れに満ちてるからさ。人間の欲望ってのは汚ないものだからねえ。神様には耐えられないでしょ」


 羽を広げた錦が皮肉たっぷりに笑う。前々から神様には見えないと思っていたけど、まさか妖怪だったとは。それも嘘……かと思ったが、この三匹には嘘を吐く理由がない。いつだって自分に正直に生きているから。


「これでわかっただろ? お前が俺に線を引く必要は全くねぇんだよ。俺は偽りの英雄の子孫なんだからな。むしろ街の人間諸共ぶっ殺されてもおかしくねぇ立場だ。お前の両親が街を出ていったのも、無言の圧力に耐えかねたからだしな」

「ちょっと待って……。心がついていかないの……。確かにお母さんとお父さんは全てを捨てて逃げていったけど、街の人たちは私に優しくしてくれて……」

「本当に優しい人間が、節分だからって寄ってたかってガキに豆ぶつけるか? あいつらは五百年経っても性根は何にも変わってねぇんだよ。たとえお前が神だと知ったところで、恐れの対象が鬼から神に変わるだけだ」


 でも、だって……と、この後に及んでもまだ混乱している私を桃太郎はそっと抱きしめた。今までのセクハラの延長――ではない。私の背中に触れる両手は、服越しでもわかるぐらい震えていた。

街の人たちは自分たちが神殺しを依頼した者たちの子孫だとは知りません。知っているのは神社の人間だけ。故に椿のことは街の子供として扱う反面、自分たちとは違う異物とも思っています。それが桃太郎はずっと許せなかったんですね。だからこその「あいつら」呼びです。


桃太郎の刀は元々無名の剣でしたが、神殺しを経て妖刀になり、椿の力を乗せたことで一時的に退魔の刀にメタモルフォーゼしました。刀使いが荒い。

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