1話 嫌な季節がやってきた
「鬼はー外! 福はー内!」
今年も嫌な季節がやってきた。令和から取り残されたこの辺鄙な街でも……いや、辺鄙だからこそ昔ながらの行事が息づいているのかもしれない。
関東地方の端の方。名前を言っても誰も知らない地方都市の一角で、私は「節分なんて大嫌い!」と叫んだ。
目の前には『鬼無神社』と書かれた幟。雅な音楽が流れる中、私のことなんて見えていないみたいに祭りを楽しむ街の人々。
歯軋りしながら、近所のおばちゃんが屋台で売り捌いている恵方巻きを見つめる。
鬼の子孫の私は神社には入れない。故に初詣はできないし、七五三も境内の外でするしかなかった。いっそのこと鬼神になってしまえば話は別だけど、それは完全に彼岸に行ってしまうことを意味する。
私はまだ花も恥じらう十七歳。これから地獄の受験勉強を終えて、華やかな都会の真ん中で楽しいキャンパスライフを送る予定だ。鬼神なんかになっている暇はない。
「何で恵方巻きなんて文化が生まれたのかしら……。鬼とは縁もゆかりもないのに」
むしろ子供の頃は家でも普通に食べていた。ああ、今は亡きおばあちゃんの味が恋しい。
「椿ぃ! 探したぞ!」
「ひ、ひいーっ!」
背後の茂みから突然現れたのは、神社の一人息子だった。
後ろでひとつに結んだ艶やかな長い黒髪。人間とは思えない絶世の美貌。
ただ、その格好はかなり変態的だ。高校生の割には小柄な体に時代錯誤な切腹裃を着て、額に『節⭐︎分』ときったない文字で書かれた鉢巻を締めている。
そして、その腰には一振りの刀。都会の真ん中に放り出したら一発で逮捕される格好だが、今日に限ってはいかなる狼藉も許されていた。
彼の名は鬼無桃太郎。言わずとれた桃太郎の子孫である。
とはいえ、お伽話で有名なあの桃太郎ではない。時は遡って室町時代。当時は名もなき村だったここで暴れ回っていた私のご先祖様を、三匹の仲間と共にあっさりと倒した英雄が彼の先祖だ。
ひょっとしたらお伽話のモデルになったのかもしれないけど、今のところ古文書も何も残っていないので何ともいえない。
ともあれ、村の恩人には変わらないので、五百年経過した今でも鬼無一族は敬われている。たとえ、その跡取り息子が筋金入りのストーカーでも。
何の因果か同じ日に生まれた私たちは、赤ちゃんのときからずっと一緒だった。
それでも所詮、鬼と桃太郎だ。磁石が反発するように犬猿の仲になるかと思いきや、思春期の芽生えと共に一方的な好意を寄せられ、口癖のように嫁に来いと迫られ続けている。金と権力はすでにあるから、次は女だと言わんばかりに。
「まさか、ここにいるとはな。お前のことだから、ナメクジみたいに避けている俺んちには近づかないと思ってたぜ。特に今日は節分だし」
「それ、言ってて虚しくならない?」
返事の代わりに鳥居に体を押し付けられた。鳥居ドン……どころじゃない。だって、鳥居にヒビ入ってるし!
「そろそろ観念して俺のものになれよ。鬼の一族はもうお前しかいないだろ? 俺と一緒に子孫増やそうぜ」
「ふざけないでよっ! いくら鬼の子孫だからって、私にも選ぶ権利はあるのよ! 私の好みは白馬の王子様タイプなんだから!」
喚く私たちを境内にいる人々は微笑ましそうな目で見つめている。違う! じゃれあいじゃない! 子供の頃はそうだったかもしれないけど、もう高校生! 洒落にならないんだって!
「よそ見すんなよ。白馬の王子様ならここにいるじゃねぇか」
「誰が白馬の王子様よ! あんた、隣町の高校生に何て言われてるか知ってる? 鬼無町の鬼の化身って言われてんのよ? 鬼の私を差し置いて」
「あいつらがちょっかい出してくるからだろ。俺たちが普通と違うからって面白がりやがって。お前も勝手に写真撮られてSNSに晒されるの嫌がってたじゃねぇか」
ぐ、と喉が詰まる。この令和の時代、人と違うことはハンデにしかならない。昔なら近隣の村に噂が広まるぐらいで済んだかもしれないが、今はネットという広大な海を通してどこまでも拡散されてしまうのだ。
正直、世の中を恨んだことは山のようにある。でも……やっぱり暴力は嫌だ。私のご先祖様はそのせいで粛清された。強すぎる力は災いを呼び寄せる。ただ生きているだけでも。
「何もボコボコにしなくても、他にやり方があるでしょ。あんなこと続けていたら、いつかあんたも怪我するかもしれないじゃない。おじさんとおばさんが泣くわよ」
「俺のことを心配してくれんのか? ついに俺の愛が伝わって……」
「ひいいっ! 近い近い近い!」
息がかかりそうなほど顔を近づけられて、咄嗟に額を抑える。
前髪から覗く金色がかった瞳は神様の加護を受けた証だ。クラスメイトの女子たちはミステリアスで素敵と騒いでいたけど、私にとっては襲いかかってくる肉食獣となんら変わらない。
「いい加減にしてって!」
バチリ、と空気が弾ける音と共に周囲に稲光が走る。先祖伝来の棍棒すら持てない私が使える唯一の武器だ。
とはいうものの、威力はスタンガンにも劣る。桃太郎が怯んだ一瞬の隙をついて腕の檻をすり抜け、その場からトンズラする。
「おい、待て! 椿! 俺のハニー!」
「恥ずかしい呼び名で叫ぶな! バカ!」
御神楽にも負けない雄叫びは、こだまとなって街の中に消えていった。
***
「はあ……。ここまで来れば大丈夫かな……」
野を駆け山を駆け、辿り着いた先で私は腰を下ろした。ここは町境にある川だ。目の前には昨日の雨で増水した濁流が轟々と音を立てている。
頭上には隣町に続く長い吊り橋。今では珍しい木製だ。子供の頃によく桃太郎と渡っておばあちゃんに怒られたっけ……。あの頃はまだまともだったのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
「喉……。喉乾いた……。自販機がなくても水が飲めるのは田舎のいいところよね」
濁流に飲まれないように気をつけながら、川岸ににじり寄って水を掬う。そのまま少し念じると、手のひらに溜まった水が茶色から透明に変わった。
私の体に流れるのは山鬼の血。自然現象ならある程度は操れる。さっきの雷と同じで、浄水器程度の能力しかないけど。
「普通、こういうのって神様側の能力だと思うんだけどね……。あいつ、暴力以外は何もできないからなあ」
一息で水を飲み干し、ふうと息をつく。冷たい風が頬を撫でて気持ちいい。この川は街から離れているので滅多に人は来ない。
今日はこのままここで夜を明かそうか。どうせ帰っても誰もいないし、街を歩けば「鬼は外!」と豆をぶつけられるだけだ。
いつもは優しくしてくれる街の人たちも、この日ばかりは容赦なかった。だって今日は節分。鬼を追い払わなければ福がやって来ないのだから必死にもなる。誰だって、自分や自分の家族が一番なのだ。
スカートのポケットからスマホを取り出してカメラを起動し、乱れた髪を整える。燃えるような赤毛に、血を固めたみたいな真っ赤な目。そして、額から伸びる二本の黒いツノ。
こうして自分の姿を見つめるたび、人とは違うとまざまざと突きつけられる。普段は力で隠していても、いつ暴かれるかと思うと怖くて仕方ない。
いっそ牛みたいに切ってしまおうかと思ったこともあったけど……桃太郎が泣いて止めたのだ。「そんなことをしたら死んでやる!」とタチの悪いことを言って。
「それで言うことを聞く私も私だけどね……」
度を過ぎたセクハラも、過剰な執着も、突っぱねようと思えば突っぱねられる。大学進学を待たず、さっさとこの街を出ていけばいいのだ。この国には毎年何万人もの行方不明者が出る。その数字が一つ増えるだけ。
そうしないのは桃太郎に負い目があるからだ。とても償いきれない大きな負い目が。
「よーお、椿ぃ。大変だなあ、毎年毎年」
突発的に始めた短編です。
1万字超えてしまったので分割しました。全4話です。
よろしければ最後までお楽しみください!




