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血の色

 その日の放課後も、実習場は熱を帯びていた。夕方の斜めの光が、模擬棟の骨組みに影を落とす。土曜日の講習会が終わっても、琴葉と和也は毎日早朝、昼休み、放課後と練習していた。

「ここ、もう一回やろう」

琴葉が言い、鑿を取り直す。

「いいよ。今度は刃、もう少し立ててみた方がいいかな」

和也は、半歩下がった位置から、手元を見ていた。

音は静かだった。鑿が木に当たる、澄んだ音。

——次の瞬間だった。

わずかな引っかかり。刃が、意図しない方向に跳ねた。

「……っ!」

短い声と同時に、赤いものが弾けた。鑿が、左手の人差し指の付け根を、深く突いていた。一瞬、時間が止まった。次の瞬間、床に血が落ちる。

「琴葉!」

和也が叫び、即座に駆け寄る。血は、思った以上に多かった。木の色に、鮮やかな赤が広がる。

「……ごめ……」

琴葉の声が震える。

「喋らなくていい!」

和也は、琴葉の手首を押さえ、すぐにタオルを取った。傷口に当てると、血が一気に染み出す。

「雄介!」

和也が叫ぶ。

「坂崎先生呼んできて!」

「お、おう!」

雄介は、顔色を変えて走り出した。和也は、近くにあった荷造り用のひもを掴む。迷いはなかった。肘の少し上と手首。きつく縛る。

「……きつい?」

琴葉は、首を横に振る。

「……血、すごい……」

琴葉の視線が、床に落ちた赤に向く。呼吸が、浅くなる。

「見るな」

和也は、半ば抱きしめるように琴葉を支え、椅子に座らせた。

「手、上げて。そう」

琴葉の腕を持ち上げ、タオル越しに、しっかりと押さえる。

「大丈夫」

声は、低く、はっきりしていた。

「傷は浅い。大丈夫だ」

「……ほんと……?」

琴葉の目が、不安で揺れる。和也は、距離を詰めた。

「大丈夫」

額が触れそうなほど近くで、言う。

「僕がいる」

琴葉の呼吸が、少しだけ落ち着いた。そこへ、坂崎が駆け込んできた。琴葉に近寄ると和也の手から琴葉の手を取ると、タオルをはずして傷口を確認する。血があふれ出てくる。

「……よし」

一目見て、状況を把握する。

「すぐ病院行くぞ」

坂崎は、病院に電話すると、そのまま車を実習場前に回した。

「和也、一緒に乗れ」

琴葉は、まだタオルを押さえたまま、和也に支えられて後部座席に乗り込む。和也も、迷わず隣に座った。車が動き出す。琴葉は、震えを抑えきれず、和也の袖を掴んだ。

「……迷惑、かけた……」

「今は、それ考えなくていい」

和也は、そっと背中に手を回した。


 病院の白い光は、やけに眩しかった。結果は、8針。

「うまくいけば、一週間で抜糸ですね」

医師の言葉に、琴葉は小さく頷いた。

——8針。

その数が、重く胸に残る。処置が終わると、実習場に戻った。すでに日は落ちていた。

「……お騒がせして、すみません」

琴葉が言うと、坂崎は静かに首を振った。

「当分、道具は触るな」

「……はい」

「現寸はできるね。あとは、和也の練習を横で見て指摘しながら確認してみて」

琴葉の胸が、きゅっと締まる。焦り。不安。置いていかれる恐怖。それでも、頷くしかなかった。 

 和也が連絡を入れておいたので、沙紀が迎えに来てくれた。

「大丈夫そうだな」

琴葉の頭を、軽く撫でる。

「……すみません」

「謝るな。怪我は、真剣の証拠だ」


 翌日から、琴葉は、和也の隣に立つようになった。ただ、見るだけ。だけど‥、これまで、こんな距離で、和也の顔を見たことはなかった。

 鑿を構える横顔。眉間に寄る皺。木に向かうときの、静かな集中。

——こんな顔、してたんだ。

胸の奥に、今までとは違う感情が、静かに芽生えていく。

それが何なのか、

琴葉は、まだ言葉にできなかった。


第99話目の投稿になりました。怪我は本当に一瞬です。真剣になって夢中になればなるほど安全に気が向かなくなる。慣れてきた時が一番危ない時です。そして怪我をしてしまって初めて周りを見ていなかったものに気づいて後悔し、安全に注意するようになるんですね。

次回は 怪我の琴葉に坂崎が課題を出します。

お楽しみいただければ幸いです。

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