お盆明けの授業
お盆が明けた実習場は、朝の空気が少しだけ変わっていた。夏の名残を引きずりながらも、湿り気のない風が、開け放たれたシャッターの奥まで入り込んでくる。
まだ7時前。模擬棟の周りに、すでに人影があった。
琴葉は、階段部分の脇に立ち、周囲の柱をじっと見わたしていた。柱と柱を、何度もなぞるように視線で追う。
「……ここ、ほんの少し、逃げてる」
呟きに応じるように、隣で和也が柱を覗き込む。
「建方のとき、無理くり収めてなかったっけ? 微妙にずれてるんだよね」
「だよね」
二人は言葉を交わすだけで、すぐに同じ柱に目を移す。
模擬棟の屋根工事が終わって、琴葉と和也は階段造作の担当に再編成されていた。屋根チームは琴葉が和也の班にまわされ、雄介が班長で屋根チームに行き、屋根チームはそのまま外壁作業を行っていた。和也は一階の班長で併せて琴葉が主導で階段の手刻みを行ってきた。刻みが終わって、この日、階段を取り付ける予定になっていた。
二階建て模擬棟は、この夏授業でずっと向き合ってきた場所だった。早朝練習。その後、模擬棟建築場所でのの段取り。お盆前から、二人の一日はここから始まっている。誰に言われたわけでもない。ただ、来てしまう。来て、確認したくなる。
やがて、望が姿を見せ、少し遅れて雄介、あいり、ほのかも集まってきた。
「相変わらず早いな、お前ら」
「もう日課だよね」
あいりが笑いながら言うと、琴葉は小さく肩をすくめた。
「やっておくと、作業が楽だから」
「……それ、みんなやればいいのに」
ほのかがぽつりと言ったが、誰も返事はしなかった。
午前の実習が始まり、昼を挟み、午後も模擬棟中心の作業が続く。
そして、その日の放課後。
「前に言ってたとおり、明日、二年だけ施設外研修だ」
坂崎がそう告げた。
「日帰りだ。伝統建築をいくつか回るよ」
教室の空気が、わずかに緩む。だが、琴葉と和也の表情は、逆に引き締まった。
翌日。バスは川東の町を抜け、最初の目的地に到着した。再建された寺院。
創建当初の伽藍が再現され、朱色に柱が塗られている。漆喰塗りの白壁との対比が美しい。新しい木の香りの中に、古い形式がきちんと息づいている。創建時と異なるのは、基礎部分が路盤の石の上に柱が建つのではなく、現代的な基礎がコンクリートでつくられていることだった。
「……きれい」
琴葉は、思わず声を漏らした。
丸柱の立ち、屋根の反り、軒の出。和様で構成された桝組は際立っていた。すべてが、無理なく、しかし強い。
「再建だけど、逃げてないな」
「うん。寸法、相当詰めてる」
二人の会話は、自然と専門的になる。
坂崎が、少し離れた位置からその様子を見て、ふっと笑った。
「気づいたか」
そう言って、境内の中央に立つ。
「この堂はな、見た目よりずっと素直だ。だから誤魔化しが効かない。しかも材は全部槍鉋で削って仕上げている。この時代はまだ、台鉋は存在しない。しかも柱を円形に削るから台鉋では削りづらい」
その言葉に、琴葉と和也が同時に顔を上げて柱の木肌を眺めた。
次に訪れたのは、喜多市の郊外に建つ神社だった。本殿の手前に拝殿兼礼拝建築物が建つ。平安時代の寝殿造の流れをくむ建物で、茅葺屋根の屋根が特徴的だった。何より壁がなく、直径約45cmの太い柱が44本、5列で等間隔に配列された巨大な建物だった。かつて神事や修行・舞楽(神楽)の舞台としても利用されていた。視界の端から端まで続く空間。
「……圧巻だね」
「筋違無いのに、柱と梁や貫でつくるって凄いね」
和也と琴葉が並んで内部で小屋組みを見上げる。
「この時代は柱は丸柱だ。だから横方向は梁と考えがちだけど長押も使う。今でこそ長押は鴨井や付け鴨井上を回す飾りだけど、この時代は違う、柱の形にくり抜いて柱も刻んで、両側から挟んで抑える。本来の長押は構造材だからね」
坂崎の説明は、次第に熱を帯びていった。望が頷き、雄介は首をかしげる。
「すげえとは思うけど……正直、よう分からん。あれ、マニアやな」
雄介が言うと、あいりが即座に乗った。
「そうだね、マニアだわ」
「三人が何言ってるか、ほんと分からない」
ほのかが苦笑する。だが、琴葉と和也は違った。
「これ、五輪の課題と同じ考え方ですよね。現寸で狂うと、全部破綻する。しかも柱や梁が同じサイズじゃない。1本の柱も槍鉋で削っているから同じ寸法じゃない」
坂崎の目が、わずかに見開かれる。
「……分かるか。全部組み合わせる部分をひかって、その場所その場所の寸法に合わせて仕上げていく」
「はい」
「石崎さんも同じこと言ってました。五輪の課題は所詮四角形の断面。だから仕口の加工は一定だから簡単だって」
その一言で、坂崎は深く息を吸った。
「そうか」
その後、昼食挟んで、坂上町の立木観音堂を見て、最後に訪れたのは、若山市のさざえ堂だった。江戸時代創建の六角三層のお堂で上る時と降りる時が違うスロープを通る。当時の住職が考案した世界的にも珍しい独特な2重螺旋のスロープ構造。同じ構造をレオナルド・ダ・ヴィンチも考案している。それを木造建築で作ってしまったことに、大工技術の凄さが分かる。
堂内に足を踏み入れスロープを上り下りすると中から声が聞こえてくる。
「……なんやこれ~」
雄介が思わず呟く。
「凄いね、このサイズで中のスロープが2重って。よくこれ木造で作ってあるよ」
「そうだね、去年の連休にここ見に来たっけ‥」
和也が悲しそうな表情を浮かべる。その意味を察した琴葉、
「ほら、競争だよ、どっちが先に上まで行けるか」
そう言って明るく無邪気に和也の手を引いた。和也に笑顔が戻る。
「昔の大工はな、図面より先に“頭の中”で建ててる。でもここは別だな。文献でも図面が残っている。木造でこの造りは奇跡だよ。江戸時代だから様式的には‥」
坂崎の声が、堂内に響く。さざえ堂の凄さを熱っぽく話す。
いつの間にか、周囲に人が集まっていた。観光客が足を止め、説明に耳を傾ける。場所を移るたびに、人だかりができる。
「日光の時もそうでしたけど、先生、今日もガイドみたいですね」
望が小声で言うと、坂崎は肩をすくめた。
「ただの建築オタクだよ」
琴葉は、和也の横顔を盗み見た。目が、真剣に建物を追っている。
——分かる。五輪の練習。県の名工の特訓。あの時間があるからこそ、ここが“すごい”と分かる。
帰りのバスで、琴葉は小さく息を吐いた。
「……来てよかった」
「うん」
和也も静かに頷いた。窓の外に、夕暮れが流れていく。お盆明けの一日。
模擬棟と、昔の大工たちの背中が、
一本の線で、二人の中につながった気がしていた。
第97話目の投稿になりました。お盆明け、施設外研修で古建築見学です。大工技術・技能についてある程度自分で分かるようになると、見方が変わります。特に昔の寺社建築は宮大工の凄さが分かるようになります。琴葉と和也はようやく、坂崎と同じ視点で観ることが出来るようになったため、時間が経つのがあっという間だったでしょう。
次回は、全国大会に向けた特訓です。
お楽しみいただければ幸いです。




