表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/103

時間と信頼の距離

 その週、ほのかは会社訪問を終えて戻ってきた。

 放課後の実習場。いつものように和也と琴葉が練習をしているところへ、望、あいりも加わり、自然と輪ができる。

「行ってきたよ、丸木建設」

ほのかは少し息を整えてから話し始めた。

「受付で会社に入る瞬間、もう……すごく緊張した。でもね、案内してくれた担当の人が、アカデミーのOBで。大代真央さんっていう女性だったの」

「OBだったんだ」

琴葉がうなずく。

「それで少し気持ちが楽になった。朝は8時出社なんだけど、真央さんは毎日30分前に来て、その日の段取りをしてるって」

ほのかは指を折りながら続ける。

「午前から午後は、CADで図面描いたり、建築予定地の測量したり、役所調査にも行く。夜は図面をもとに、お施主さんとの打ち合わせが多いんだって」

「定時は?」

あいりが聞く。

「17時。でもね……ほぼ毎日、2〜3時間は残業だって。ちゃんと残業手当は全部出るって言ってたけど‥」

少し間を置いて、ほのかは付け加えた。

「二級建築士取ったら、月1万5千円の資格手当。一級なら3万円。管理建築士だと5万円」

「結構、はっきりしてるね」

望が感心したように言う。

「現場の設計審査に立ち会うときは、遠方だと早朝出社や出張もあるって」

話し終えたほのかは、ふうっと息を吐いた。

「……なんか、働くって大変だね」

その言葉に、琴葉があっさり答えた。

「それ、普通だよ」

「え?」

「大工なんて、始業時間は現場の開始時間だからさ。遠い現場だと、6時前集合とか普通にあるし」

「ええ……」

あいりが目を丸くする。

「職人なら当たり前だよ」

今度は和也が、さらっと言った。

「現場始まる時間に合わせて事務所集合して、そこから出発するからね」

「そうそう。終業時間は現場での時間だから、そこから事務所戻るし」

望も頷く。

「そういえば次の土曜、遠方の建方だから6時半集合って社長言うてたな」

「建築あるあるだよね」

その言葉に、ほのかとあいりは顔を見合わせた。

 ──自分たちが見ていた「仕事」と、現実の距離。

 そんな空気が、実習場に静かに流れていた。


 翌週の月曜日、朝。

 雄介は、いつもより少し遅れて実習場に入ってきた。顔色が冴えない。

「どうしたんだ、雄介?」

和也が声をかける。

「……わい、やらかしてしもうた」

「何したの?」

琴葉が聞く。

「土曜な……10分遅刻した」

「……それで?」

雄介は、肩を落としたまま続けた。

「社長から、めっちゃ怒られた。『君のせいで、みんなの出発が15分遅れた』『1台は先に行かせたけど、向こうの段取りが15分ズレる』『それは作業開始が15分遅れるってことや』『時間守れないなら、うちでは無理だ』って」

沈黙が落ちた。

最初に口を開いたのは、琴葉だった。

「……それは、雄介が悪いね」

「うん。一番やっちゃいけないやつだ」

和也も迷いなく言った。雄介は、反論しなかった。ただ、俯いてうなずく。

「新人ならさ、最低でも20分前には来てなきゃ」

琴葉は続ける。

「準備するか、何もできないなら先輩に挨拶して待つ。それが新人だよ」

さらに一言。

「だって新人なんて、現場じゃ先輩より仕事できないんだからさ」

「……その通りや」

雄介は、低い声で答えた。

「現場出たら、わい、先輩たちの半分も仕事できへん」

しばらくして、和也が少し声のトーンを落とした。

「でもさ、やっちゃったことは仕方ない。切り替えよう。ただ、同じ失敗は二度としちゃだめだよ。特に時間だけは」

琴葉も言葉を重ねる。

「分からないことは、何でも聞いたほうがいいよ。勝手に判断して失敗するほうが、よっぽど迷惑だから」

「そうそう」

和也が頷く。

「僕も何でも聞くよ。ただ、同じ質問は二回すると嫌な顔されるから、あとでメモするけど」

少し笑って琴葉が言った。

「質問と確認は違うからね。確認は常にしてる。じゃないと、材料短く刻んだら即アウトだし」

「……さすがやな」

雄介が小さく笑った。その時、近くで様子を見ていた坂崎が口を挟んだ。

「確認するのは一時いっとき、信頼を失うのは一瞬だよ」

その言葉が、静かに胸に落ちた。雄介は顔を上げ、深く息を吸った。

「……次は、絶対遅れへん」

 それは宣言というより、自分への約束だった。

 実習場の時計は、いつもと同じように時を刻んでいる。

 けれど、その針の重さを、雄介は初めて実感していた。

 時間の向こうにあるものが、信頼だということを。


第89話目の投稿になりました。実際の建築現場、こんな感じが多いです。就職活動を始めて、現実を知ると、改めてその業界独自の常識に驚かされます。建設業はその最たるものかもしれません。

次回は 上棟式です。

お楽しみいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ