視野という技術
模擬棟は、小屋組みまで完成していた。次の授業日、この日の作業は大きく二つに分かれていた。
半分は屋根。垂木に広小舞と登りと鼻隠しの取付と野地板張り。もう半分は下で、本筋(違い)の取付と仮筋交いの撤去。作業前の段取り説明のあと、坂崎が和也に声をかけた。
「今日は脚の様子を見る。和也は下、筋違班だリーダー頼む」
和也は一瞬だけ屋根を見上げ、すぐにうなずいた。
「分かりました」
作業が始まってすぐ、和也は琴葉に声をかける。
「上は頼んだぞ、リーダー」
琴葉は、迷いなく答えた。
「僕に任せて」
和也は筋違班に回り、取付位置を確認しながら指示を出す。同時に自分でも加工に入り、無駄のない動きで作業を進めていった。下の作業は、想定よりかなり早く回り始めている。
一方、屋根の上。琴葉がリーダー。
「次、そっち持ってきて、……あ、加工僕やるよ」
声は出している。けれど気づけば、自分が動いてしまっている。
指示を出す前に、身体が先に動く。作業員としては正しい。だけど、ぜんぜん全体は回らない。
垂木の取り付けは一向に進まない。作業をしないで指示を待って待機している学生までいる。見かねた坂崎が屋根に上がる。
「よし、5人通りみて垂木取り付けて。そっちの2人、きわの垂木に登りよど取り付けて。垂木半幅で外にだして打って。後の面子、広小舞と鼻隠しの取付段取りする。二階の床に材料上げて」
細かく、的確な指示。途端に、流れができた。作業は一気に進み、昼前には垂木の取付、登りよどの取付が完了し鼻隠しも取付もほぼ半分までが終わっていた。
昼休み、琴葉は、少し離れたところで腰を下ろしていた。
「どうしたんだい、暗いね」
坂崎が声をかける。
「……僕じゃ、上手く指示出せませんでした。先生が指示し始めたら、とたんに作業が回って……」
坂崎は笑わなかった。
「自分が出来ることと、指示を出せることは別だよ。落ち込むことじゃない。出来ないって分かったことが、今日の成果だね」
琴葉は顔を上げる。
「午後は、僕の指示をよく見てたらいい。昔は“技術は見て盗め”って言われたもんだ。午後はそれをやってみよう」
その少し後、和也が近づいてきた。
「大丈夫?……ごめん。僕が下に回ったから、琴葉に迷惑かけたね」
気遣うような声だった。琴葉は一瞬、言葉に詰まる。
──僕には、ここまで気遣えない
心の奥が、きしんだ。
「……なんで、和也はそんなに周りを見るの?」
思わず、聞いていた。和也は少し考えてから答える。
「サッカーやってたときさ、周り見ろって、ずっと言われてたからかね。自分で仕掛けるか、おとりになるか、パス出すか、オフサイドの駆け引きも、セットプレーも……全部、周り見て決めるんだ」
少し照れたように笑う。
「癖なんだよね」
琴葉は、間髪入れずに言った。
「それ、持病だよ」
一瞬、間があって、周りから笑いが起きた。
「なんやそれ、治らんやつやな」
琴葉も笑った。明るく、いつも通りに。けれど内心では、はっきりと分かっていた。
──僕に、足りないのはこれだ
技術じゃない。勇気でもない。視野。
午後。坂崎の指示で、屋根作業は流れるように進んだ。 琴葉は黙って、そのすべてを目に焼き付けた。作業終了後、琴葉は坂崎に頭を下げた。
「先生……すごいです。先生が指示し始めたら、倍の速さで進みました」
坂崎は、軽く肩をすくめる。
「流れが分かってれば、難しくないよ。琴葉、琴葉も流れは分かってる。その歳で次に何をするかが見えてるのは、凄いことだよ」
少しだけ、声を落とす。
「でも、指示するには、もう一歩かな。今日は、いい勉強だったね」
琴葉は、深くうなずいた。
並ぶということは、同じ高さに立つことじゃない。
同じ景色を見ることだ。
放課後、和也と琴葉の研ぎの音が、実習場に響き始めた。
第85話目の投稿になりました。自分で何でもやってしまう人、案外仲間に指示を出すのが苦手な人多いんものです。任せるなら自分でやった方が安心。でも一度に複数のタスクが重なる建築現場、特に建方作業時は仲間と連携しないと一人では決してこなせません。そのために段取りが分かってしっかり全体指示を出せる人が欠かせません。坂崎を見て指示を出して相手にまかせる大切さと、和也のように全体を見渡せる力が大切なことを学んだ琴葉です。
次回は 琴葉指示を出します。
お楽しみいただければ幸いです。




