前日の誓い
試験前日。午後の建築実習は、いつもと違っていた。作るための時間ではなかった。壊すためでもない。明日のために、場を整える時間だった。実習場では、工具の片づけと清掃が淡々と進められていた。作業床の上に残った木屑が掃き集められ、定位置に戻される道具たち。
15時を過ぎたころ、実習場の空気がはっきりと変わった。職業能力開発協会の試験担当者と、数名の技能検定員が到着したのだ。
「ここから先は、立ち入り禁止になります」
その一言で、実習場は“日常の場所”から“試験会場”へと変わった。和也と琴葉は、静かに自分たちの道具を鞄にしまっていた。
鑿。鉋。砥石。どれも、何度も手を入れてきたものだ。
「……忘れ物ないよね」
琴葉が小さく言う。
「うん。大丈夫」
それ以上の言葉は、なかった。
この日は15時で授業は終了。教室でホームルームが終わると、雄介たちが声をかけてきた。
「明日、頑張れよ」
「ここまで来たんだからさ」
「二人なら大丈夫だって」
いつもより、言葉は少なかった。それが、逆に嬉しかった。
「お、沙紀姉さん、来たで」
雄介が窓の外を見て言う。
「なんや~、迎えに来てもらってるんか。うらやましいの~」
「いや……この後、ちょっと行くところがあって」
和也がそう言うと、琴葉が続けた。
「沙紀ちゃんに、連れてってもらうんだ」
沙紀の運転する車は、静かに街を抜けていった。向かった先は、郊外に向かった。
恋の眠る霊園。車を降りると、冬の空気が肺に染みた。二人で並び、墓石の前に立つ。
「……標準時間内で、出来るようになったよ」
和也が、声に出して言った。
「明日は、恋を全国大会に連れていく。全力でやる」
少し間を置いて、琴葉が前に出る。
「今、持っているものを全部出します」
そして、和也を見る。
「二人で、全国に行きます。でも……」
一拍。
「和也には、負けません」
後ろから見守っていた沙紀は、何も言わなかった。ただ、静かに頷いた。
その夜、琴葉は月島家に泊まった。夕飯は、ささやかな激励会だった。
いつもの刺身に煮物、そして大量の揚げ物が大皿に山のように盛られている。それを見た和也と琴葉は目を丸くした。
「言を担いで カツを用意してみたの」
月が笑って言った。
「ありがたいけど、こんなに食べれないよ」
「何言ってる、こういうのは気合が大事だろ」
「お兄ちゃん、沙紀姉ちゃんと私も揚げるの手伝ったんだからね」
風香が笑って言った。
――全く沙紀姉は限度をしらないな
でも、温かかった。
食後、作業場で二人は並んで砥石に向かった。研ぎ音が、一定のリズムで続く。
「……絶対、全国行こうね」
琴葉が言う。
「うん」
それだけで、十分だった。
翌朝。まだ空が明るくなる前。
二人は月島工匠の作業場で、いつものように現寸図を一枚描いた。線は、静かで、迷いがなかった。
「朝だぞ」
声がして振り向くと、沙紀が立っていた。
「さあ、朝飯食べて行くぞ」
湯気の立つ朝食が、用意されていた。
準備は、すべて整っていた。
今日は、試す日だ。積み上げてきたものを、ただ出すだけの一日。
二人は、もう迷っていなかった。
第75話目の投稿になりました。技能五輪前日、行った先は恋の墓前でした。家族たちからの温かい応援。やることをやって来た自信。
次回は 技能五輪県予選本番です。
お楽しみいただければ幸いです。




