届かない背中
12月に入り最初の火曜日。この日二学年とも一日実習の日だった。朝9時、建築実習場の時計が静かに時を刻み始める。別棟の溶接実習場では、1年生が2階建て模擬家屋の墨付け作業に入っていた。
1年生は同窓会長の上泉が主となって、佐倉がサブで指導にあたっていた。建築実習場では、坂崎と神門の指導で、2年生が初めての技能検定通し練習に臨む。そして、和也と琴葉も、坂崎の指示でその輪に入っていた。
「今日は、本番と同じ流れでやるよ」
坂崎の声は淡々としていた。
「開始9時。標準時間は12時半。延長は12時45分まで」
その言葉に、2年生たちの表情が引き締まる。
作業開始。
琴葉は、最初から落ち着いていた。現寸図はすでに頭に入っている。迷いがない。
墨付け、木削り、加工——すべてが一定のリズムで進んでいく。
一方、和也も悪くはなかった。以前の自分なら「順調」と言っていたはずの進み具合。
だけど——、
周囲を見る余裕が生まれた瞬間、差が見えた。
12時20分。
琴葉はすでに仮組に入っていた。
「……早くないか?」
誰かが小さく呟いた。和也は、まだ柱と桁、筋違いの鑿での加工を終えたところだった。ここからは全て鋸での切断加工。だが、そこまでだった。
12時半。標準時間終了。
「延長入るぞ」
坂崎の声。
12時38分。
「……出来ました」
琴葉の声が、静かに響いた。
延長8分。和也は隣の作業床上に組み上がった課題を眺めた。歪みがなく、芯も通っている。初めての通し練習とは思えない精度だった。
実習場が、ざわついた。
2年生22名の中で、加工に入れていたのは健斗くらいだった。3分の2は、まだ墨付けの途中。残りは木削りすら終わっていない者もいた。
和也は、立ち尽くしていた。
——速さだけじゃない。完成度が、違う。
昼休み。誰もが昼食に向かう中、和也はその場に残った。
午後。打ち切り時間から1時間半。ようやく、和也の課題が組み上がった。
初めてだった。最初から最後まで、一人で通して完成させたのは。
だけど、自分でも分かる。出来は、琴葉のそれには遠く及ばない。
坂崎と神門から、講評が入る。
「加工精度はまあ初めての通しなら悪くない。ただ、芯が通っていないし、胴付き部分がすいているね。垂木と筋違いの天端も多少ずれてるし。作品全体に墨の汚れがついてるね。仮に時間内に完成でもこの出来では70点ってところだね」
「仮組での手直しが多すぎる。加工は一発で決める。墨付けの精度がまだ甘い」
2人とも正しい指摘だった。反論の余地はない。
放課後、健斗が、声をかけてきた。
「……それでも、和也君もすごいよ」
真剣な顔だった。
「僕以外の2年、誰も今日完成してない。完成したの、琴葉ちゃんと和也君と僕だけだよ」
普通なら、救いになる言葉だった。でも、和也の胸には、何も残らなかった。視線の先にいる琴葉は、すでに次の作業の準備をしていた。工具を片づけ、研ぎ物をしている。すでに次を見ている。
——同じ場所に立っているはずなのに。見ている景色が、違う。
その夜。
和也は、月島工匠の事務所にいた。仁吉に頭を下げた。
「……使わせてください」
この日を境に、和也は変わった。夜遅くまで、作業場から音が消えなかった。翌朝も。昼休みも。放課後も。帰宅してからも。そして、バイトが終わったあとも。
負けないために。そして並ぶために。
恋の死以前とは、違う。焦りでも、虚勢でもない。
鬼神のような、静かな執念だった。
——追いつく。必ず。
背中は、まだ遠い。
だが、もう目は逸らさなかった。
第70話目の投稿になりました。初通し練習で琴葉との圧倒的な実力差を見せつけられた和也です。技術の習得に何より大切なのは 決して諦めずに一つ一つ技術を積み上げていくこと。一ヶ月以上の時間の差は大きな実力差になっていました。
次回 和也が変わります。
お楽しみいただければ幸いです。




