表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/83

朝の線はまだ遠い

 翌朝、和也は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。特別な理由はない。ただ、身体が先に起きてしまった。気がつけば、アカデミーの実習場の前に立っていた。まだ空気は冷たく、建物の中は薄暗い。引き戸を開けると、もう人がいた。琴葉だった。シナベニアの上に模造紙を貼り、現寸図を描いている。鉛筆は止まらない。線は迷わない。和也は、何も言わずに隣に立った。

「おはよう」

琴葉が言う。

「……おはよう」

それだけで、十分だった。しばらく琴葉の動きを見つめていた。時計を見ると、開始から10分も経っていないはずだ。琴葉は、すでに平面図を描き終え、展開に入っていた。

「……早いな」

思わず漏れた声に、琴葉は肩をすくめた。

「昨日も描いたから」

それだけだった。和也も描き始める。底辺500。高さ500。頭では分かっているはずの線が、今日はやけに重い。始業開始15分前になっても、和也の図面は途中だった。


 昼休み。続きを描く。それでも終わらない。

線がずれる。交点が合わない。以前なら気づいていたミスに、何度も引っかかる。


 放課後。和也は、図面をやっと終わらせて、削り台へ向かった。自分の鉋を手に取る。裏を見る。刃口を見る。

——狂っている。

台が歪み、刃の出も傾いている。以前、自分で仕込んだはずの鉋が、まるで別物のように感じられた。

「……こんなだったか」

一つ一つ、やり直す。刃を外し、裏座を当て直す。台裏を削る。墨付けも、思うようにいかない。

「ここ、起点が違う」

琴葉が、後ろから静かに言った。

「差し金、こっち向き」

その都度、短く教えてくれる。

責めない。急かさない。少し離れた場所で、坂崎がその様子を見ていた。声はかけない。ただ、見ている。


 それから2週間。和也は、少しずつ思い出していった。

線の順番。鉋の音。木が応える感触。

気がつけば、笑うことが増えていた。望と話し、雄介と冗談を言い、ほのかとあいりとも言葉を交わす。

「……心配かけて、ごめん」

そう言えたとき、皆は何も責めなかった。家では、毎日沙紀が叱咤し、風香が黙って見守った。

「一歩前進だな」

沙紀のその言葉が、妙に胸に残った。

バイトにも復帰した。心太と重は、何も多くを語らず、ただ言った。

「戻ってきたな」

仁吉と月は、安堵した顔で笑った。

——自分を気にかけてくれる人が、こんなにいる。

そのことが、胸に沁みた。


 ある日、坂崎が言った。

「調子、戻ってきたみたいだね」

和也は、深く頭を下げた。

「……すみませんでした」

そして、顔を上げて続けた。

「恋は、僕が全国大会に出るのを楽しみにしていました。僕は、その願いに応えます」

坂崎は、ただ一度だけ、はっきりとうなずいた。

火は、もう消えない。

今度は、自分で燃やしていく。


第69話目の投稿になりました。和也、練習再開することが何とか出来ました。しかし琴葉との差は歴然です。

次回は和也にさらなる現実が突き付けられます。

お楽しみいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ