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空いた場所に音は戻らない

 葬儀から一週間が過ぎた。放課後の建築実習場には、いつもの機械音がなかった。自動一面鉋盤も止まり、集成材の匂いも薄い。その静かな空間に、鉋を引く乾いた音だけが響いていた。琴葉は、一人だった。作業床の上には、加工途中の部材。墨はすでに入っている。

鉋を引き、削り、差し金で確認し、加工、そしてまた削る。

――無駄のない動き。

誰かに見せるためでも、急ぐためでもない。ただ、手を止めないために。少し離れた場所で、坂崎はその姿を見ていた。

声はかけない。評価もしない。ただ、見ている。鉋屑が、床に静かに落ちる。その音だけが、時間が進んでいる証のようだった。

 和也は、そこにはいなかった。氷山総合公園のベンチに、一人座っていた。目の前の池では、小さな噴水が一定の間隔で水を噴き上げている。しゅう、と音を立てて水が上がり、ぱしゃ、と音を立てて落ちる。それを、ただ見ていた。ここは怪我のあと、引きこもっていた自分を、沙紀たちが無理やり連れ出した場所だった。夏祭りの日。花火の音が遠くで鳴っていた夜恋が、ここで告白してくれた。

「……」

思い出そうとするたびに、胸が締めつけられる。楽しかった記憶ほど、今は痛かった。アカデミーには行っている。教室にも座っている。でも、ノートは白いままだった。鉛筆を持つと、手が止まる。差し金を握ると、力が入らない。バイトも休んでいた。理由は誰も聞かない。家に帰ると、暗かった。明かりはついているのに、空気が冷たい。たった一人、いないだけ。それだけなのに、世界がまるで別の場所になってしまったようだった。ぽっかりと空いた穴には、何を入れても埋まらなかった。虚無感だけが、そこにあった。

坂崎は、琴葉から話を聞いていた。事故のこと。和也と恋の関係。

「……そうか」

それだけ言って、坂崎はそれ以上、何も聞かなかった。和也には、声をかけなかった。

――今は、何を言っても届かない。

それが、分かっていた。坂崎の教え方は、いつも同じだった。やる気が出た時が、教え時。出ていない時に言葉を投げても、音になるだけ。だから、待った。

 琴葉は、少しずつ立ち直っていた。いや、立ち直ったというより――止まらなかった。練習を続けている。鉋を研ぎ、台を直し、木を削り、墨を付けて、加工をやり直す。時々、隣を見てしまう。そこに、彼はいない。胸の奥が、きゅっと痛む。それでも、鉋を引く。

「……」

声にはならない言葉を、飲み込んで。


 夕方。公園の噴水が止まった。和也は、ようやく立ち上がった。足取りは重い。帰る場所はある。待っている人もいる。それでも、帰りたくないと思ってしまう自分がいた。

――あの頃に、戻りたい。でも、戻れない。

分かっているからこそ、動けなかった。


 その夜。実習場では、琴葉が一人、片づけを終えていた。床に落ちた鉋屑を、箒で集める。最後に、和也の作業台を見て、少しだけ立ち止まる。

「……待ってるから」

誰に言うでもなく、そう呟いた。その言葉は、まだ届かない。

でも――静かに、確かに、そこに置かれた。

 時間は、まだ動き出さない。けれど、動き続けている人が、そばにいる。それが、この物語の、次の一歩になることを、誰もまだ知らなかった。


第65話の投稿になりました。動けなくなった和也に、練習の手を止めない琴葉。技術の世界では毎日の一つ一つの積み重ねが最も大切です。さあ、和也は琴葉の脇に戻れるでしょうか。

次回は 落ち込む和也に姉御が後押しです。

お楽しみいただければ幸いです。

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