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線は急がせてくれない

 平面図のタイムトライアルは、思った以上に厳しかった。

放課後の実習場。シナベニアの上に模造紙を貼り、和也と琴葉は並んで立っている。腕時計の秒針が、やけに大きな音を立てて進んでいるように感じた。

「じゃあ、いくよ」

坂崎が静かに言った。

「目標は十五分。途中で止めない。描き直しもしない。今の実力で、どこまでいけるかそれを知ることが大事」

合図と同時に、二人は鉛筆を走らせた。

底辺五百。高さ五百。二等辺三角形。ここまでは、もう体が覚えている。

だけど――

「……っ」

和也の手が、一瞬止まった。百ミリの平行線。二百ミリ上の平行線。筋交いの交点。

分かっている。頭では完全に分かっている。なのに、線を引くたびに、ほんのわずかな迷いが出る。

――ここ、合ってるか?

その一瞬が、命取りだった。

「ここで15分! はい続けて描き切って」

坂崎の声が響いた。和也は、15分では最後の線を引き切れずにいた。琴葉も同じだった。

「……17分」

坂崎は、二人の図面を見比べる。

「昨日初めて描いて今日ならば悪くはないけどね。まだまだぜんぜん遅いね。それに精度も悪い」

その言葉が、静かに刺さる。

「分かってるのに、時間が足りない。これはね、頭じゃなくて“順番”がまだ体に入ってない証拠だよ。また明日の放課後同じことをするよ」

和也は、唇を噛んだ。大工作業では、ここまで明確に「遅い」と言われたことはなかった。その後は鉋刃の研ぎの指導になった。

翌日。また翌日。

朝、7時半。昼休み。放課後。平面図。また平面図。

「……くそ」

和也は、鉛筆を置いて天井を見上げた。

14分50秒。線は引けている。だが、坂崎は首を振った。

「精度が甘いね。これじゃ次の展開で狂うからダメ」

和也は一瞬、鉛筆を握り直した。これまで「早い」と言われることはあっても、「遅い」と言われたのは初めてだった。一方、琴葉はもっと苦しんでいた。

「また、ズレてる……」

筋交いの位置が、微妙に合わない。実長が、毎回数ミリ違うし桁と梁の直角も微妙に狂っている。

「何で……分かってるのに……」

悔しそうに、模造紙を見つめる。坂崎は、そんな二人を急かさなかった。

「いいかい」

ある日の放課後、坂崎は言った。

「今は“出来ない”が普通。むしろ順調だよ」

「順調……ですか?」

琴葉が、信じられないという顔をする。

「出来ない理由がはっきりしてるからね。出来ない理由が分からないのが一番危ない」

そう言って、坂崎は図面を指した。

「和也は“考えすぎ”。琴葉は“急ぎすぎ”。逆だね」

和也は、苦笑した。確かに、一本一本、確認しすぎている。

琴葉は、はっとした顔をした。早く描こうとして、線がずれてしまっている。

「技能検定の練習には鉄則がある。それはねたくさん失敗すること。失敗は全て経験につながる。その失敗を一つ一つ克服していくことで技能が上がる。たくさん失敗していいんだよ。挑戦してるからこそ失敗が生まれる。挑戦しなければ失敗はしない。たくさん失敗して、でもその失敗を自分の経験という財産に変えて言って欲しい。僕はたくさん挑戦してたくさん失敗する君たちが素晴らしいと思うよ」

数日後。

「……15分、ちょうど」

坂崎が時計を見る。

和也の平面図は、初めて「時間内」に収まった。

「よし。合格」

胸の奥が、少しだけ軽くなった。1日遅れて琴葉も合格した。

「次は筋違いの展開図だね」

喜ぶ暇はなかった。

引き出し線、陸墨、5寸勾配分の起点間の上がり、断面と引き出し線の交点。

平面図とは、まったく違う難しさだった。

「頭、こんがらがる……」

琴葉が、ノートを閉じる。

「平面で見てたものを、今度は立体で考えるって……」

「それが展開だよ」

坂崎は淡々と答える。

「でもね、理屈を理解して描けるようになると、一気に楽しくなる」

その言葉通り、苦戦すること数日。

「……あ、こういうことか」

琴葉が、小さく声を出した。

筋違いの展開線が、ぴたりと合った。

「出来た……」

自分でも信じられない、という表情だった。

「出来たね」

坂崎が、微笑んだ。

「今のは、ちゃんと“自分で分かった顔”だね」

その夜、琴葉は帰り道で言った。

「悔しいけど……ちょっと楽しい」

和也も、うなずいた。

「僕も。出来ないのが、面白いって初めて思った」

並行して進んでいたのが、鉋だった。

刃の裏を押す。刃のしのぎ面を研ぐ。台を仕込む。

これが、想像以上に難しい。

「……削れない」

和也の鉋は、途中で止まる。和也の鉋を手にすると下端定規をあててじっと見つめる。

「台が当たってない」

坂崎は即座に言った。

「刃も裏がまだ平らじゃないね。しかも台の刃口先部分が完全に平らじゃないね」

琴葉の鉋は、逆に食い込みすぎた。やはり手にすると刃先を眺めた。

「これは、刃が出すぎ。それに裏座がダメ。逆目防止になってない。もう少ししっかり締めて。それでもダメなら裏座もう一回しっかりと2段に研いで」

二人とも、何度もやり直した。この2週間時間の合間にずっと鉋の仕込みを行っている。

研ぎ直し。台の削り直し。削って、また研ぎに戻るの繰り返し。

「……検定の練習って、こんなに地味なんだ」

琴葉が、ぼそっと言う。

「地味だよ~。でも、その地味な作業が全部、最後の出来に繋がっている」

坂崎の言葉は、変わらない。

ある日。薄く、材幅いっぱいの長い鉋屑が、琴葉の鉋からすうっと出た。

「……」

和也と琴葉は、同時にそれを見た。

「それ、いいね」

坂崎が言った。

「これが“基準”」

たった一枚の鉋屑。だけど、それは確かな手応えだった。


3週間が過ぎた。

平面図は、安定して15分以内で描ける。筋違いの展開も、迷わなくなった。振れ垂木の展開は、まだ時間がかかるが、描けるようになった。鉋も、ようやく薄い鉋屑が出せるようになってきた。

放課後の実習場。坂崎が言った。

「じゃあ、次に行こうか」

二人を見る。

「墨付けに入るよ」

和也は、深く息を吸った。

――まだ、全然足りない。でも、確かに前に進んでいる。

琴葉も、同じ方向を見ていた。

出来ない日々の中で、ほんの少しずつ、自分たちの手が変わってきているのを、二人とも感じ始めていた。

次は、材料に墨で線を引く。

本当の意味での大工の世界が、そこから始まる。


第62話目の投稿になりました。平面図と筋違い展開図、鉋の仕込みまで3週間で身につけた和也と琴葉でした。でもまだまだ坂崎の特訓は序の口です。

次回は 技能検定(五輪)申し込みです。

お楽しみいただければ幸いです。

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