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線が骨になる

 放課後の建築実習場は、昼間とは別の静けさに包まれていた。機械の音は止まり、聞こえるのは鑿と鉋を研ぐ音だけだった。実習場の床の上には、シナベニアが3枚置かれている。その上に模造紙を貼り、四隅をテープで止めてある。

「最近はね、現寸板よりこっちの方が多い」

坂崎が言った。

「現寸板だと重いし、場所も取る。シナベニアなら扱いやすいしね。そのまま加工、組立をこの上で行えるからね」

和也と琴葉は並んで立ち、坂崎の手元を見つめていた。手には渡された問題用紙とノートと筆記用具が持っている。

「じゃあ、最初は平面図からいこう。その前に先にこれ渡しておくね」

坂崎はA2判の現寸図の図面を渡した。

「これこの現寸図をJw-cadで描いた図面なんだよね。最終的にはこの図面を覚えてもらって現寸サイズで描けばいい。二級技能検定を受験するだけならこれを丸暗記すればいい。でもね、全国大会に行くなら、なんでこのように展開しているかその理屈をしっかり覚えないと行かない。何故なら全国大会の課題は当日一部材の勾配がくじ引きで決まるんだよ。だからその場で自力で展開しないといけない。そのためにはね、展開の方法を理論で覚えないといけないんだよ。じゃあ」

坂崎は1mの直定規と指金を使って、迷いなく線を引いた。

「底辺500、高さ500の二等辺三角形」

一本、一本の線が、正確に引かれていく。

「これが小屋組みの基本形。まず“全体”をつかむ。底辺から100の位置に、底辺と平行な線。さらに、そこから200上がった位置に、もう一本平行線」

二等辺三角形に底辺に平行な二本の線が描きこまれた。

「今引いた、この二本の線と二等辺三角形の等辺との交点4ヶ所」

坂崎はで空中に×を描いた。

「三角形の等辺と交わる4点。ここが筋交いの芯になるからね」

脇には実際に組みあがった作品が置いてある。

「平面図っていうことは、この作品を真上から見える形を描いたものになるからね」

和也の目が、わずかに見開かれる。

――ああ、そういうことか。

単に線を追っていたものが、急に“構造”として見えた。

「ここまで来たら、あとは部材の厚みを入れるだけ」。桁と梁は幅50。柱も梁の上にのるから同じく50角。そして垂木は幅30。で最も厄介なのは筋交いの幅」

完成作品の筋交い部分を指差した。

「筋交い単体なら幅30、成40の四角形なんだけど、これが振れ垂木に取り付いて屋根勾配で上がっていく形だから、上から見ると長さが短くなって見える。しかも成の部分も見えてくる。だから断面を描いて、真上から見た時に見えてくる上端部分と成部分の実長を求めなければならない」

そう言って坂崎は筋違芯墨上に垂木断面を描いて筋交いの上端と成部分の厚みを描いていった。芯墨はバッテン上に交差しているため交差部分で今描いた厚みを写してもう一本の厚みを描いていった。

「平面図で一番難しいのはこの筋違の厚みの出し方だね」

坂崎は続ける。

「ここまでいいかな。必要なことはメモしたな。じゃあここまで今やって見せたように描いてみようか」

「はい」

2人はたった今坂崎が描いたように平面図を描いていく。

「え、次どうだっけ?」

「筋違の断面実長の描き方はえっと……」

「結構難しいでしょ。初めてだと当たり前だね。もう一回やって見せるよ」

坂崎は、それぞれがつまずいた部分を赤鉛筆で自分の描いた平面図にもう一度描きながら説明する。

「2人がつまずいたところは誰もが最初迷うところだよ。だから今日は理解するまで何度でも聞いて欲しい。質問することについては全然OKだよ。駄目なのは分かったふりをすること。分からないで先に進めば必ずつまずくからね」

「はい、申し訳ないですが断面の描き方をもう一度お願いします」

「はいよ」

坂崎は和也に言われて、3回目の説明を行う。

「そっか、そういう事か」

「理解できた? じゃあ自分で描いてみて」

坂崎は何度でも同じことを根気よく説明してくれた。

琴葉が、自然と前のめりになる。

「出来た~」

和也も琴葉も何とか平面図を描くことができた。

「お、描けたね。ここまではいいね」

坂崎は頷いた。和也と琴葉も頷いた。

「現寸図っていうのはね、三次元を二次元に“翻訳”する作業なんだよ。次は、筋違の展開図とそれが終わったら左振れ垂木。だけどね今日描いた平面図が正しく描けないと展開図は平面図を基にするから絶対に正しく描けないんだよね」

坂崎はあたりを見渡した。すでに薄暗くなっている。

「もうこんな時間だね」

坂崎は鉛筆を置いた。

「明日は、もう一回、平面図を最初から自分で描いてもらうここまで目標は明日は15分」

「15分ですか?」

琴葉が聞く。

「そう15分。本番は全部を20分で描いてもらうよ。筋違の展開図に進むのは平面図を15分で描けてからだね。次に進めるかは君たち次第」

坂崎は即答した。

「描けなかったところは、必ず理由があるそれを一つ一つクリアしていって。今日帰宅したらもう一度図面とノート見て確認し直して。明日朝来て描いてもいいよ。7時半前には僕は来ているから。職員室に来てくれたら実習場開けるよ。必要なら昼休みも使って復習して」

和也は、自分の模造紙を見下ろした。線は引けている。でも、坂崎の線とは何かが違う。

――分かってるつもり、だった。先生の線には迷いがない。自分の線はまだ考えながら引いている。

「それから」

坂崎は、二人の方を向いた。

「現寸図と並行して、明日は鉋も仕込み直すよ」

「鉋、ですか」

「うん。削れない鉋では、木削りができない」

坂崎は自分の鉋を取り出した。

杉材に当て、軽く引く。

すう、と音がして、向こうが透けるほど薄い鉋屑が出た。

「これが最低ライン」

和也と琴葉も、自分の鉋で引く。

悪くない。だが、明らかに違う。

「まあまあ、だね」

坂崎は言った。

「でも、五輪を目指すなら、ここからもう一段、いや二段上げる」

鉋屑を指でつまむ。

「薄さは、正直さだ。刃と台が狂ってたら、必ず屑に出る」

その日の帰り。

和也と琴葉は、並んで歩いていた。

「……頭、パンパンだね」

琴葉が笑う。

「うん。でも、楽しい」

和也も、同じように笑った。

早朝、昼休み、放課後。現寸図と鉋。線と刃物。

静かな積み重ねが、始まっていた。

この頃、二人はまだ知らない。この線一本一本が、やがて心を支える“骨”になることを。

――特訓は、静かに進み始めていた。


第61話目の投稿になりました。坂崎の平面図の指導開始されました。一つ一つを時間を掛けて積み上げていく。職業訓練の基本です。

次回は特訓の続きになります。

お楽しみいただければ幸いです。

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