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特訓は静かに始まる

 翌週の月曜日。その日は朝から1日実習の日程だった。

午前中の実習終了後の建築実習場は、静かになっていた。作業着姿のまま、和也は採点を入力している坂崎のところへ向かった。胸の奥が、少しだけ重い。でももう迷いはなかった。

「坂崎先生」

「うん?」

坂崎は、ノートパソコンを閉じて顔を上げた。

「……技能五輪、受けます」

一拍。坂崎は、少しだけ口角を上げた。

「そっか。ちゃんと自分で決めた顔だね」

「はい」

「じゃあ、話は早い」

坂崎は立ち上がり、実習場内をぐるりと見回した。

「正直に言うよ。きつい。普通に授業受けて、実習やって、その上で五輪の練習。楽な道じゃない」

「分かってます」

「脚のこともある」

「……それも」

「それでも、やるんだね」

「はい」

坂崎は一度、深くうなずいた。

「よし。じゃあ一緒にやろう」

その瞬間だった。

「……あの」

横から、少し緊張した声が割り込んだ。

「僕も、挑戦したいです」

琴葉だった。

坂崎が目を向ける。

「……琴葉も?」

「はい。正直、無理かもしれないです。でも、今やらなかったら、たぶん後悔します」

少し間を置いて、琴葉は続けた。

「和也君を見てて……同じ場所に立ちたいって思いました」

実習場の空気が、ぴんと張る。

坂崎は、二人を交互に見た。

「きついの分かって言ってるよね」

そして、軽く肩をすくめた。

「そうだね。一人でやるより、二人のほうがいいかもね」

琴葉が、息をのむ。

「支え合えるし、折れにくい」

坂崎は笑った。

「君たち、いいコンビだよ。よし、やってごらん」

その言葉に、琴葉の表情が一気に明るくなった。

「ありがとうございます!」

「ただし……」

坂崎は、すぐに釘を刺す。

「甘くはしないよ。そこは覚悟して」

「はい!」

「分かってます」

その日の放課後。建築実習場の一角に、和也と琴葉が残された。実習場内では居残りで研ぎ物をしている学生が数人残って作業をしていた。

「じゃあ、まず説明からいこうか」

坂崎は、作業台の上に一つの小屋組み作品を置いた。

「これが、二級建築大工技能検定の実技課題」

変形した切妻の小屋組みだった。垂木、梁、束、母屋。すべてが精密に組まれている。

「完成まで、標準時間は3時間半」

和也と琴葉が同時に息をのむ。

「延長は15分まで。それを超えたら失格」

坂崎は淡々と続ける。

「流れはこうだ」

黒板にチョークで書き出していく。

1.現寸図(展開図)作成

2.墨付け

3.加工

4.仮組(手直し)

5.本組

「まず最初が、現寸図」

坂崎は、床に敷いた合板に描かれた現寸図を指さした。

「ここで、全部が決まる。角度、勾配、長さ。現寸が狂えば、その後は全部狂う」

琴葉が、思わず呟いた。

「……設計そのものですね」

「そう。だから設計が分かる大工は強い」

坂崎は、和也達を見る。

「和也、琴葉。現寸図が君達の得意分野になれば武器になるよ」

2人は、静かにうなずいた。

「ただし」

坂崎は、すぐに続ける。

「現寸図に時間かけすぎると、後が地獄だね」

「……」

「迷いながら線を引かない。一度で決めるよ。次に、墨付け。墨のズレが、最後に仕上がりの狂いになる」

坂崎は墨付けのされた部材を見せた。

「これが実際の墨付けされた部材だよ」

全部で7部材を見せた。

「正直、振れ垂木と筋違は左右対称だから覚えるべきは実質5部材だね」

二つの振れ垂木を手にして左右から合わせて見せた。

「加工は、早さより、正確さ。でも、遅すぎてもダメ」

作業台の上に組まれていた課題を、くぎ抜きで8本の釘を抜いて分解して見せる。

「さっきの墨付け部材をこういう風に加工していく。最後に組立。仮組してみて入らなければ手直しする。課題としての作品だからね。組合せがすいてしまうと減点。傷や墨の汚れがあっても減点。そして何より……」

今しがた分解したばかりの部材を再び組んでいく。その時に指金を使って部材の直角を確認している。

「芯墨と芯墨が通ってないと減点が大きい。だから組立には直角の確認が欠かせない。桁と梁の組合せの直角。柱と梁の組合せの直角。芯と芯を合わせていても、直角が保たれないと、最後に垂木と筋違を取り付けた時に必ずすいてしまう」

玄翁を持って再び釘を打っていくと、課題が再び組みあがった。芯墨同士が全て通り、組合せ部分に全く隙間が無い。

「ただ単に二級技能検定に同格するだけなら、ここまでの課題を作ることはない。でも全国大会に出場するなら、最低このレベルで完成させないと県代表の推薦は来ないよ」

説明は、容赦なかった。その様子を、少し離れたところで雄介が見ていた。

「……なんでや」

ぽつりと呟く。

「なんで俺ら、普通に授業受けてんのに、あいつらだけ、もう修羅場行き決定なんや……」

周りで研ぎ物をしていた望対の誰も答えなかった。説明が終わると、坂崎は言った。

「今日はここまでかな」

二人が、ほっと息をつく。

「明日から、本格的に練習を始めるよ」

「放課後は、基本ここ」

「必要なら朝授業前と、昼休み。12月になれば休み中も特訓かな」

琴葉が、小さく笑った。

「……本当に始まるんですね」

「始まるよ」

坂崎は、穏やかに言った。

「先に行っておくね。君達に五輪の話をしたのは、特別な大工技能があるからじゃないよ」

二人を見る。

「4月から上手くなるために人の倍以上練習していたから声をかけた。まあでも、もし君達に才能があるとすれば、それは上手くなるために人より練習することが出来るその気持ちかな」

和也は、作業台に組み立てられた作品を見つめる。

――もう、後戻りはできない。

でも。隣を見ると、琴葉がいた。同じ方向を見ている。

和也は、小さく息を吸った。

――大丈夫だ。

この道は、ひとりじゃない。

静かに、しかし確実に。

技能五輪への特訓は、日常の中に組み込まれ始めていた。


第60話目の投稿になりました。いよいよ技能五輪全国大会に向けて、二級技能検定課題への特訓開始です。まずは課題開設から。小説内で話していく二級技能検定課題は現行の課題を用いています。実はここから描いていく練習方法は実際に二級技能検定課題を教えていくときと全く同じ内容で書いています。ここから二級技能検定課題に対する取組が始まります。

次回は坂崎の現寸図指導です。

お楽しみいただければ幸いです。

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