夏休み⑨ またねの朝
朝の湖は、夜よりもずっと静かだった。水面はほとんど動かず、空の色をそのまま映している。昨夜の焚き火の跡から、かすかに炭の匂いが残っていた。一番に目を覚ましたのは、望だった。すでにテントの外に出て、コーヒーを淹れている。湯気が、白く細く立ち上る。
「……やっぱり早いですね」
後ろから声がして、望が振り返る。和也だった。
「癖だよ」
望はそう言って、カップを差し出した。
「砂糖、いらない?」
「大丈夫です」
二人で湖を見る。言葉は、特にいらなかった。しばらくして、女子たちも起きてきた。
「寒っ」
風香が肩をすくめる。
「朝は冷えるな」
沙紀はすでに身支度を終えていて、焚き火跡を確認していた。
「完全に消えてるな。よし」
「ほんと、管理完璧」
琴葉が言うと、沙紀は軽く鼻を鳴らす。
「当たり前だ。現場でもキャンプでも同じだ」
恋は、少し遅れて出てきた。眠そうな顔で、和也を見つけると、小さく笑った。
「おはよう」
「おはよう」
それだけで、十分だった。
朝食は簡単だった。パンを焼き、残りのスープを温める。
昨日ほど賑やかじゃない。でも、その分、落ち着いている。雄介は、まだ半分寝ている。
「……もう帰るんか」
「帰るよ」
望が淡々と答える。
「なんでや……」
「理由はいらない」
「なんでや〜……」
その声に、皆が笑った。片付けは早かった。望の指示、和也と琴葉の動き、沙紀の確認。誰かが声を張り上げなくても、自然と役割が決まっていく。
「この感じ、いいね」
ほのかがぽつりと言った。
「……うん」
あいりも頷く。
「楽しかった」
それ以上、言葉はいらなかった。
車に荷物を積み終え、最後に湖を見る。さっきまでいた場所が、もう“昨日”になっている。
「また来よう」
風香が言った。
「次はもっと準備して」
「私は今回で十分満足だ」
沙紀が言い切る。
「でも、また来る」
その言葉に、全員が頷いた。和也は、恋の隣に立つ。
「疲れた?」
「少し」
「でも、いい疲れだね」
「うん」
恋は、少しだけ間を置いて言った。
「……また、こういうの、やろうね」
「うん」
それも、約束じゃない。ただの確認だった。
別れは、あっさりしていた。望のSUVが先に出る。
「また、学校で」
「はい」
「今度は焚き火、もっと上手くやろう」
雄介が手を振る。
「次は俺、火、触らん!」
「それが一番だ」
望が即答して、笑いが起きた。月島工匠のハイエースに乗り込む。沙紀がエンジンをかける。
「帰るぞ」
「はいはい」
和也が答える。車が動き出し、湖が少しずつ遠ざかる。恋は窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
「……楽しかった」
和也は、何も言わずに頷いた。胸の奥に、静かに残るものがあった。それは、火の熱じゃない。炎でもない。ただ、確かに灯ったもの。この時間が、この朝が、いつか遠い記憶になっても、消えずに残ると、なぜか分かっていた。
車は、いつもの道へ戻っていく。
日常が、また始まる。
第55話目の投稿になります。キャンプが終わりました。和也達の夏の良い思い出になった出来事。きっとこの思い出が、大人になって振り返ったときにいい宝物になるでしょう。
次回は夏休み編最後のお盆でBBQです。




