夏休み⑧ 火のそばで
夜が、静かに降りてきた。湖畔の空気は昼とは別物で、ひんやりと肌に触れる。焚き火の音だけが、一定のリズムで鳴っていた。パチ、パチ、と小さく弾ける薪の音が、時間をゆっくりにする。女子トークはひと段落し、雄介は満腹と温泉の影響で、早々にテントに引きこもった。
「なんでや〜……」
という声が、途中で途切れたのを最後に静かになった。
「……寝たね」
風香が小さく笑う。
「秒だったな」
沙紀が呆れたように言い、望は焚き火を整えながら頷いた。
「火は、これくらいでいい。あとは、勝手に燃える」
その言葉どおり、火は主張しすぎず、それでも確かに、そこにあった。
しばらくして、ほのかと望が並んでコーヒーを淹れ始めた。あいりは女子の輪に戻り、沙紀と風香、琴葉達と少し離れた場所で話している。気づけば、焚き火のそばに残っていたのは、和也と恋の二人だけだった。
「……静かだね」
恋が言った。
「うん」
和也は火を見つめたまま答える。薪が崩れ、赤い火が一瞬だけ強くなる。すぐに落ち着いて、また一定の形に戻った。
「楽しかったね」
「うん」
恋の声は、昼よりも少し低い。はしゃぐ声じゃない、落ち着いた音だった。
「みんなで、こうして泊りで出かけるの、久しぶりな気がする」
「そうだね」
和也は、言葉を探していなかった。ただ、胸の奥にある感覚を、そのまま感じていた。恋が、火の方を見たまま続ける。
「私ね」
一拍置いて、
「最近、よく思うんだ。ちゃんと笑えてるなって」
和也は、ゆっくり頷いた。
「恋が笑ってると、安心する」
「……そっちも?」
「うん」
短い答えだったけれど、嘘はなかった。火の向こうで、湖が静かに揺れている。波の音は、ほとんど聞こえない。和也は、ふと口を開いた。恋が、こちらを見る。
「こんな日が来るとは、思ってなかった」
「……うん」
「現場でさ、うまくいかない時もあって、正直、怖いこともあった」
恋は、黙って聞いていた。
「でも、今日みたいに、みんなで笑ってて、恋が楽しそうで」
一度、言葉を切る。
「それを見るのが、すごく嬉しかった」
恋の目が、少し潤んだ。
「……和也」
和也は、照れたように火から視線を外す。
「大げさなことは言えないけど」
それでも、言葉は自然に続いた。
「ずっと、こんな時間が続けばいいなって思った、一緒に」
恋は、しばらく何も言わなかった。そして、静かに笑った。
「うん」
それだけだった。でも、その一言で十分だった。恋は、そっと和也の袖をつかむ。
「私も、同じこと思ってた」
焚き火が、少し大きく音を立てた。風が吹いて、火の形が揺れる。和也は、その手を離さなかった。言葉は、それ以上いらなかった。
――ここにいる。
――笑っている。
――同じ火を見ている。
それだけで、すべてが揃っていた。
少し離れた場所で、琴葉がその様子を見ていた。気づかれない距離。でも、ちゃんと分かる距離。
「……よかった」
小さく呟く。沙紀が横に来て、何も言わずに頷いた。
「火はな」
沙紀がぽつりと言う。
「近づきすぎると、やけどする。でも、離れすぎると、寒い」
琴葉は、焚き火を見る。
「……難しいですね」
「だから、見ながら調整するんだ」
それだけ言って、沙紀は立ち上がった。
夜は、まだ続いていた。火も、まだ消えない。
この時間が、この笑顔が、この温度が、
いつか振り返ったとき、
いちばん明るい記憶になることを、和也はまだ知らなかった。
焚き火は、静かに燃え続けていた。
第54話目の投稿になりました。和也と恋が穏やかな時間を過ごすことが出来ました。
次回はキャンプ終焉です。
お楽しみいただければ幸いです。




