夏休み⑥ 湖へ、火へ
夏休み前最終日の金曜日、実習場で決まったキャンプは、思った以上に“現実”になるのが早かった。沙紀の手配、望の機材、木っ端の薪。全員の予定が、強引に一本の線に束ねられていく。そして今、お盆前の日曜日の朝。月島工匠の事務所前に、五人乗りのハイエースバンが停まっていた。荷台にはタープ、テント、クーラーボックス、折りたたみ椅子、そしてあの実習場から集めた木っ端の束。薪というより、もう“火の材料”だった。
「ほんとに行くんだね」
風香が後部座席でそわそわしながら言った。
「行くって決めたから行く」
沙紀は当然のように言う。月島工匠のハイエースのハンドルを握る。琴葉は後ろで荷物の固定を確認している。和也は助手席で、地図アプリを眺めている。
琴葉が後ろから顔を出す。
「和也君、湖畔って風あるよ。タープ、飛ばないようにしないと」
「うん。ペグ多めに打とう」
返事をするだけで、息が合う。土曜の現場で何度も並んだ背中は、こういうときに嘘をつかない。沙紀がふっと笑う。
「息ぴったりだな」
「沙紀姉、余計なこと言わない」
和也が言うと、沙紀は楽しそうに肩を揺らした。
「はいはい。和は今日も私の下僕だ」
「はいはい」
返事は適当でも、内心は少し楽だった。こうして笑える朝が、ちゃんと続いている。湖畔のキャンプ場は、氷山市に接する大きな湖のほとりにあった。水面は広く、空がそのまま落ちてきたみたいに青い。風は涼しく、木陰の匂いがする。受付を済ませ、サイトへ入ると、すでに望のSUVが停まっていた。5ドアSUVのディーゼル車。荷室からは、見事に整理されたキャンプ道具が次々に出てくる。
「おはよう」
望が軽く手を上げる。いつも通り淡々としているが、目が少しだけ嬉しそうだった。
「望さん、早っ」
琴葉が言うと、望は頷く。
「渋滞を避けた。あと、朝は涼しいから設営が楽」
「隊長みたいや」
雄介が言って、すぐに自分で恥ずかしくなったのか叫ぶ。
「いや、なんでや〜! 俺、今、隊長って言った! なんでや〜!」
ほのかが笑い、あいりが肩を揺らす。
「雄介くん、朝からうるさい」
「車の中でずっとこんな感じだったんだから」
あいりがやれやれと言った仕草で呟いた。
「やっぱりね、ご愁傷さまです」
琴葉が同情するように言った。
「うるささで生きてるんや! なんでや〜!」
もう一回言って、全員が笑った。
望は、サイトを一周して風向きを見ると、指示を出した。
「まずタープ。風上から張る。テントはその後。焚き火台の位置は…ここ。火の粉が飛ばない方向」
「了解」
望の指示に従って和也と琴葉が、流れるように自然に動く。タープの支点を決め、ロープを張り、ペグを打つ。琴葉は地面の硬さを確かめながら、ペグの角度を微調整していく。
「この地面、浅いと抜けるね」
「じゃあ長めのペグ使う」
会話が短い。でも、その短さが、仕事の合図になっている。望が設営をしながらちらりと見て、少しだけ口角を上げた。
「大工が二人いると、早い」
「望さんの指示が分かりやすいからです」
和也が言うと、望は首を振った。
「違う。手が“迷わない”」
その評価が、和也の胸の奥を静かに押した。現場で積み重ねたものが、ここでも生きている。恋が、少し離れたところでそれを見ていた。和也は気づいていた。視線を恋に向けるとニッコリとほほ笑んだ。
設営が終わると、湖はもう“遊んでいい場所”になった。
「水着に着替える!」
風香が叫ぶと、恋も笑う。
「スイカ割りもやるんでしょ?」
沙紀がクーラーボックスからスイカを出す。それとなぜか木刀を手にしている。妙に気合いの入った、ずっしりした長いやつだ。
「よし、イベント開始。目隠し係、誰?」
恋が手を挙げる。
「私やる」
「木刀、危ないから、周り見ててね」
琴葉が言うと、沙紀が頷く。
「安全管理は琴葉に任せる」
「現場か~」
和也が笑う。笑いながら、あいりが和也に近づいた。
「和也くん、目隠ししてスイカ割る?」
「うん、いいよ」
素直に返した瞬間――
「私が目隠しする」
恋が、にこっと言った。。
「私も見てる」
風香。
「私も!」
琴葉。
「私も。刀の半径は確保しよう」
沙紀が続いた。
四人が並ぶと、あいりは一瞬だけ固まった。
「……女子、強いね」
ほのかが小声で言い、雄介が大声で叫ぶ。
「女子連合こわっ! なんでや〜!」
恋が和也の目を隠しながら、耳元で言う。
「……当ててね」
その声が、少しだけ震えていた。
和也は頷く。
「当てる」
声が、変に真面目になった。木刀を振り上げると重い。刀の重さだけで振り下ろす。足元がふらついた。
一回目は外れる。笑いが起きる。
「いや、この木刀すごく重いから」
「何を言ってるこの軟弱者。私は毎朝、毎晩300回は素振りしてるぞ」
沙紀が怒って言った。
「そりゃ沙紀姉はゴリ筋だから」
「ちょっと待て、なんだそのゴリ筋とは?」
それには答えず二回目の打撃に向けて刀を振り上げた。和也は呼吸を整えた。足腰を踏ん張る。
――止まらない。迷わない。無理をしない。
一気に振り下ろす。鈍い音。スイカが割れる。
「うおおお!」
雄介が叫び、風香が跳ね、恋が手を叩く。あいりも笑って、ほのかも笑った。望が、少し離れたところで頷く。
「当てるときの呼吸、現場みたいだね」
恋が笑って言うと、和也は照れくさくて笑うしかなかった。
夕方、シャワーブースで汗と砂を落とし、近くの湖畔の宿へ行って温泉に浸かる。湯気の中で肩の力が抜けると、キャンプは“特別”から“日常の延長”に変わっていった。戻ってくると、望が焚き火の準備をしていた。木の組み方がうまい。薪の空気の道が見える。
「望さん、ほんとプロ」
風香が言うと、望は淡々と答える。
「火は嘘つかない。ちゃんとやれば、ちゃんと返ってくる」
その言葉が、不思議と胸に残った。
沙紀は、焚き火の横で木刀を取り出した。夜の冷えた空気の中で、素振りを始める。風を切る音が、火の音と混ざる。恋の目がきらきらする。
「お姉ちゃん、かっこいい……」
「本当、女剣士みたい」
ほのかが見とれて言った。
「そうか」
沙紀は言いながら、一本振って止めた。
「ほのか。刀剣、好きなのか?」
「大好き。新選組とか転生勇者とか」
風香も乗る。
「幕末アニメ、私も!」
「私も維新大好き!」
恋も続く。琴葉も笑って頷く。
「私も。アニメ、好き」
そこに、あいりが恐る恐る混ざる。
「えっと……私、あんまり詳しくなくて」
琴葉が真顔で言った。
「大丈夫。今から洗脳する」
「洗脳って言うなよ」
沙紀が即ツッコんで、全員が笑った。女子トークは、火に吸い寄せられるみたいに盛り上がる。刀剣、勇者、戦国、幕末、研ぎ。建築の研ぎ場で鉋や鑿を研いでいた彼女たちの話題が、自然に繋がっていく。和也は少し離れて、その輪を見た。そして、恋を見た。
恋は笑っている。その笑顔が、大切だった。
――みんな楽しそうで良かった。
和也は、火を見つめた。火は、静かに燃えていた。まるで、背中を押すみたいに。
第52話目の投稿になりました。始まりました楽しい楽しい湖畔キャンプ。さあどうなるでしょうか
次回は「段取りと火柱と包囲網」です。
お楽しみいただければ幸いです。




