夏休み⑤ それぞれの火
現場は、その後も途切れることなく続いた。老人ホームの内装工事。LGSの組立とボード張り。工程は詰まっていたが、現場の空気は安定していた。和也は、十日間ほぼ休みなく現場に立った。朝、現場に入る。墨を確認する。材料の納まりを見る。その日の段取りを、頭の中で組み直す。速さは、もう気にしなかった。
止まらない。迷わない。無理をしない。
それだけで、仕事は前に進んだ。
「昨日より、また良くなってるな」
佐藤建装の職人が、和也の手元を見て言った。
「ピッチも、精度も、安定してる」
「ありがとうございます」
和也は、自然にそう答えていた。以前のように、言葉に詰まることはなかった。岡本職長も、作業の合間に声をかけてくる。
「小暮君」
「はい」
「最初に比べると、全然違うね。もう“応援”って感じじゃない」
それは、はっきりとした評価だった。
「このままいけば、どこ行っても通用するよ」
和也は、小さく頭を下げた。胸の奥に、確かな重みが残った。
――できている。
そう思えた。御坂監督も、通路ですれ違ったときに足を止めた。
「小暮君」
「はい」
「現場、よく見てるね。無理をしないのに、遅れない。現場監督としては、いちばん助かるタイプだよ」
「ありがとうございます」
その言葉は、和也にとって想像以上に大きかった。
高校の時、
「お前がいなきゃ困る」
そう言われていた自分。今は、違う場所で、同じ意味の言葉をもらっている。琴葉は、その様子を少し離れた場所から見ていた。和也の背中。心太の横で、自然に仕事をしている姿。そして、その心太。心太は、相変わらずだった。 寸法を見る。納まりを読む。無駄のない動き。
「ここ、あと三ミリ寄せよう」
「了解」
そのやり取りに、迷いがない。LGSの職人からも、一目置かれていた。
「大工なのに、下地分かってるな」
「段取りがいい」
「次、また一緒にやりたいな」
心太は、照れたように笑うだけだった。
「いやいや、まだまだです」
その背中を、琴葉は見つめていた。
――やっぱり、すごい。
それと同時に、胸の奥が、ぎこちなく痛んだ。言いたい。でも、言えない。タイミングを探して、結局、何も言えずに一日が終わる。そんな日が、続いていた。
ある日の昼休み。琴葉は、弁当をほとんど手につけていなかった。
「琴葉」
和也が、声をかける。
「どうした?」
「……別に」
「嘘」
琴葉は、少し驚いた顔をした。
「分かるよ」
和也は、笑った。
「現場で、あれだけ分かりやすく落ち着かないの、珍しいから」
琴葉は、視線を落とした。
「……言いたいことがあるのに、言えないだけ」
和也は、少し考えてから言った。
「怖い?」
「……うん」
「それでも、言わなきゃ始まらないこともある」
琴葉は、和也を見た。
「和也君は、どうやって乗り越えたの?」
和也は、即答しなかった。
「……逃げなかった人が、いた」
「恋ちゃん?」
「うん。沙紀さんも、みんなも」
少し間を置いて、続ける。
「一人で行くと、怖いままだけど、誰かに背中押してもらうと、踏み出せる」
琴葉は、ゆっくり息を吐いた。
「……ありがとう」
その日の夕方。片付けを終え、現場に静けさが戻り始めた頃。琴葉は、心太に声をかけた。
「心太さん」
「ん?」
「少し、話してもいいですか」
心太は、工具箱を閉じて頷いた。
「いいよ」
現場の端、誰もいない通路。琴葉は、深く息を吸った。
「……私、心太さんのことが好きです」
言葉は、震えていた。それでも、はっきりと届いた。心太は、すぐには答えなかった。しばらく沈黙が流れる。
「ありがとう」
静かな声だった。
「そう言ってもらえるのは、正直うれしい」
琴葉の胸が、高鳴る。けれど、次の言葉は、優しかった。
「でもね」
心太は、琴葉をまっすぐ見た。
「年齢が、違いすぎる」
「……それでも」
琴葉は、食い下がった。
「憧れだけじゃありません。現場で、一緒に仕事して、それでも……」
心太は、少し困ったように笑った。
「僕もね、まだ大工として未熟なんだ」
その言葉に、琴葉は驚いた。
「え……?」
「本当に一人前なら、もっと早く、もっと上手くやれてる」
一拍置いて、続ける。
「だから、約束しよう」
琴葉は、息を止めた。
「僕と琴葉が、一人前の大工になったと思ったら」
「……」
「その時、もう一度、同じことを言ってくれ」
逃げではない。突き放しでもない。条件だった。琴葉の胸の奥に、小さな火が灯った。
「……はい」
その声は、震えていたが、涙はなかった。
「絶対、なります」
心太は、微笑んだ。
「その時は、ちゃんと向き合う」
帰り道。琴葉は、和也の横を歩いていた。
「……言えた」
「うん」
「断られた、のかな」
「違う」
和也は、即座に言った。
「逃げられてない」
琴葉は、少し笑った。
「そうだね」
胸の奥が、熱い。悔しさじゃない。希望だった。現場は、予定通り完工を迎えた。岡本職長が、最後に言った。
「今回は、本当に助かった」
御坂監督も頷く。
「いいチームだった」
和也は、その言葉を、まっすぐ受け取った。琴葉は、遠くで心太の背中を見つめていた。
それぞれの場所で、それぞれの火が灯っている。静かに、でも確かに。
第51話になりました。琴葉 ついに心太に思いを告げその結果、琴葉の心にも火が灯りました。
次回は夏休みキャンプ開始です。
お楽しみいただければ幸いです。




