夏休み④ 昨日とは違う背中
日曜日の朝、和也はいつもより遅く目を覚ました。カーテン越しの光が、柔らかく部屋に差し込んでいる。体を起こし、右足首に意識を向けた。
――痛みは、ある。
けれど、昨日のような鋭さはなかった。そっと足を床につけ、体重をかける。一瞬、慎重になる。
「……いけるな」
小さく呟いた。その様子を、廊下から風香が見ていた。
「起きた?」
「うん」
「無理しないでね」
昨日と同じ言葉なのに、今日は少し違って聞こえた。朝食の時間。和也が居間に行くと、すでに沙紀、恋、そして隣の月島工匠の大吉と月、和也の両親、良規と朱莉が揃っていた。
「おう、起きたか」
仁吉が新聞を畳みながら声をかける。
「足はどうだ?」
「だいぶいいです」
「そうか」
それだけ言って、うなずいた。朱莉が、お盆に湯のみを載せて和也の前に置く。
「無理はしちゃだめよ。でも、ちゃんと休めた顔してる」
和也は、少し照れたように笑った。
沙紀は腕を組んで、和也をじっと見ている。
「……昨日より、顔色いいな」
「うん」
「なら、問題ない」
沙紀は、それ以上何も言わなかった。恋は、少し間を置いて口を開く。
「怖かった?」
和也は、一瞬迷ってから答えた。
「……怖かった」
「そっか」
それだけ言って、恋はそれ以上踏み込まなかった。風香が、無邪気に言う。
「お兄ちゃんさ、昨日より元気そう」
「そうか?」
「うん。なんか、戻ってきた感じ」
その言葉に、和也ははっとした。
――戻ってきた。
何が、だろう。食後、大吉がぽつりと言った。
「和」
「はい」
「現場ではな、怪我は誰でもする」
一拍置く。
「でもな、戻ってこれるかどうかは、別だ」
和也は、黙って聞いていた。
「昨日は戻ってきた。それだけで、十分だ」
月も、静かにうなずく。
「無理して強がらないのが、一番えらいのよ」
沙紀が、鼻で笑った。
「昨日は逃げなかった。今日はちゃんと休んだ。それでいい」
恋が、そっと和也の手に触れた。
「明日、行くんでしょ?」
「……うん」
「無理しないで。でも、行って」
和也は、その言葉に力をもらった気がした。
月曜日の朝。空は晴れていた。足首には、まだ違和感がある。だが、歩くことに不安はなかった。月島工匠の事務所に入ると、心太がすでに準備をしていた。
「おはよう」
「おはようございます」
「足、どうだい?」
「問題ないです。無理しません」
心太は、短くうなずいた。
「それでいいよ」
琴葉も、少し遅れてやってきた。和也の足元を見る。
「……大丈夫そう?」
「うん」
その返事に、琴葉はほっと息をついた。現場に着くと、昨日と同じ空気が流れていた。だが、和也の感じ方は違っていた。
「足大丈夫ですか?」
「はい、ご心配をおかけしました」
岡本職長が心配そうに尋ねてきた。
「そうですか、それは良かった。では3人は、昨日の続きでお願いします」
岡本職長が穏やかな声で指示をだした。
「はい」
和也は、深呼吸して作業に入った。ランナーの位置を確認する。墨を見る。
ビスの間隔を決める。一つ一つ、確かめる。速さは、意識しない。
――大丈夫だ。
体が、自然に動く。昨日より、迷いがない。
「……あれ?」
佐藤建装の職人が、手元を見て声を漏らす。
「昨日の子だよな?」
「そう」
「なんか、違くね?」
別の職人も、ちらりと見る。
「動き、落ち着いてるな」
和也は、聞こえないふりをして作業を続けた。
止まらない。急がない。無理もしない。それなのに、結果として、進みがいい。
昼前。心太が、和也の背中を見ながら言った。
「和也君」
「はい」
「いい背中だね」
それだけだった。けれど、その一言で十分だった。琴葉は、その様子を少し離れたところから見ていた。
――昨日とは、違う。
技術じゃない。気持ちでもない。立ち方が、違う。
昼休み。岡本職長が、弁当を食べながら言った。
「昨日の件、心配したけど」
一度、箸を止める。
「今日は、問題ないね」
「ありがとうございます」
「この調子でいこう」
和也は、静かにうなずいた。
夕方。作業を終え、片付けをする。足首は、痛まなかった。月島工匠に戻ると、恋と沙紀が待っていた。
「どうだった?」
「うん。大丈夫だった」
沙紀が、にやりと笑う。
「そういう顔だ」
恋も、ほっと息をついた。その夜、和也は布団に入ると、天井を見つめた。昨日は、不安でいっぱいだった。今日は、違う。
――続けられる。
胸の奥で、静かに火が灯っていた。
第50話目の投稿になりました。何とかトラウマを克服できた和也です。
そんな和也を見守る 琴葉の恋はかなうのでしょうか
次回は「それぞれの火」です。
お楽しみいただければ幸いです。




