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夏休み③ 現場の速さと、夜の灯り

 岡本職長は、作業事務所の簡易ホワイトボードの前に立つと、少し照れたように頭をかいた。

「僕は佐藤建装に入って十三年になります。一応、壁装の下地とボード仕上げの一級技能士を持ってまして、職長講習を受けて、今は現場で職長をやらせてもらってます」

三人に向かって、穏やかな口調で続ける。

「今日は応援ありがとうございます。この現場、工程がかなり押してましてね。とにかく安全第一で、無理だけはしないでください。分からないことは、すぐ聞いてもらって構いません」

心太が一礼する。

「よろしくお願いします」

和也と琴葉も、それに続いた。新規入場教育を終え、現場に足を踏み入れると、そこには鉄筋コンクリート造の躯体が打ち上がったばかりの空間が広がっていた。天井と床、柱と梁。コンクリートの灰色の面には、すでに内装の壁と天井のラインが、正確に墨出しされている。その線の上に、これから鋼製下地が組まれ、壁となり、天井となり、やがて人の暮らしを包む空間になる。和也は、無意識にその墨線を目で追った。

――ここから、始まるんだ。

午前中の役割は明確だった。琴葉は、指定された位置でLGS材の切断。スケールで寸法を確認し、切断機に材をセットする。

「次、2450」

「了解」

心太は、和也と組んでランナーの取付とスタッドの組立を進めていく。床、天井にランナーを留め、スタッドを立て、ピッチを確認して固定する。周囲の佐藤建装の職人たちは、驚くほど手が早かった。材料を持つ。測る。立てる。留める。その一連の動作に、迷いがない。

「……早いな」

和也の口から、思わず言葉がこぼれた。心太は、視線を外さずに言った。

「比べないで。今は自分の仕事だけ見て」

「はい」

返事をしながら、和也は胸の奥がざわつくのを感じていた。

――アカデミーでは、できていた。

――でも、現場は違う。

規模が違う。速さが違う。求められる精度と判断が、まるで違った。

昼休み。仮設事務所の脇の日陰で弁当を広げていると、佐藤建装の職人たちが声をかけてきた。

「若いのに、手が丁寧だな」

「初日でこの出来なら上出来だよ」

「大工さんだろ? LGSでも十分使える」

和也は、少し戸惑いながら頭を下げた。

「ありがとうございます」

褒められているはずなのに、胸の奥は晴れなかった。

――それでも、遅い。心太の隣に立つと、自分の未熟さがはっきりと分かる。

琴葉は弁当を食べながら午前中の作業を思い出していた。少し離れた場所でLGSを押切丸鋸メタルソーで切断しながら心太と和也の二人を見ていた。

心太の無駄のない動き。周囲の職人と同じ速度で、同じ精度で仕事を進める姿。

――やっぱり、すごい。

胸の奥が、静かに熱を帯びる。琴葉は、心太が好きだ。

そのことを、隠していない。けれど‥本人にだけは、言えなかった。今の関係が壊れるのが、怖かった。

午後の作業は二階に移った。天井ランナーの取付。三脚に上り、ランナー越しに下穴をハンマードリルで開け、コンクリートビスを打って躯体に取り付ける。和也は、意識的に呼吸を整えた。

――できることを、やる。

最後の一本を留め、降りようとした瞬間。

――大丈夫。

そう思って、勢いで三脚から飛び降りた。グキッ。

足首に走る、鈍い衝撃。視界が揺れた。

――また、だ。

高校二年の冬。準決勝のピッチ。膝を襲った、あの感覚。

「和也!」

琴葉の声が響く。心太がすぐに駆け寄った。

「動くな!」

和也は、その場で立ち尽くした。

「……大丈夫です」

そう言いながらも、足に力が入らない。琴葉がしゃがみ込む。

「無理しないで。顔、真っ青だよ」

心太は、和也の肩に手を置いた。

「座って。今すぐ」

アイシングしながらしばらく休むと、痛みは少しずつ引いていった。歩けないほどではない。

「……歩けます」

「今日は終わりだよ」

静かだが、強い声だった。時間はまだ終了時間前だったが、騒ぎを聞いて駆け付けた岡本に説明すると今日はここまでで終了と伝えられた。月島工匠に戻ると、事務所にいた沙紀と恋がすぐに異変に気づいた。

「あれ早くないか……どうした?」

「別に」

そう言いながらも、歩き方がぎこちない。

恋も、和也の足元を見て息をのんだ。

「和也……?」

琴葉は、事情を話した。沙紀は腕を組み、深く息を吐く。

「……まったく」

そのまま、和也は心太に付き添われて自宅に連れていかれた。沙紀と恋は、和也の部屋にまっすぐ向かった。

「ちょっと、入るね」

着替えてベッドに腰掛けていた和也を見下ろす。

「無理しないって、約束したよね」

和也は目を伏せた。

「……した」

「守れてない」

責める声ではなかった。

「怖かった」

恋の声が、震えた。

「また、あの時みたいになるんじゃないかって」

和也は、ゆっくり顔を上げた。

「……僕も、怖かった」

沙紀が、少しだけ笑う。

「でもな」

和也を見る。

「逃げてない。それだけで、今日は合格だ」

恋も、そっと頷いた。

「一人で抱えないで。私たち、ここにいる」



第49話目の投稿になりました。木造と違って鉄筋コンクリート造の建物は躯体を打ってから、LGSで壁と天井の下地を作って建物を仕上げていきます。そのため躯体の打設をしてから脱型した後に、内装仕上げのラインを墨出しして、その位置に内壁や外壁を組立て行きます。そして怪我は一瞬です。和也はサッカーでの怪我に重ねてしまいました。

次回は このアクシデントに和也が立ち向かいます。

お楽しみいただければ幸いです。

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