お隣さんと夏祭り
「お兄ちゃん、沙紀姉ちゃん来たよ」
部屋の外から妹、風香の声がした。
「沙紀姉が…」
そう言って再び天井を見上げていたところに、勢いよくドアが開いた。
「和也、祭りに行くよ。早く着替えな」
「祭りって…沙紀姉ちゃん、僕はいいよ。考え事もしたいし」
「足、もう歩けるんだろ。いつまでも、うじうじしてるんじゃねーよ」
そう言って浴衣姿でズカズカと部屋の中に入ってくる。ガチャガチャとクローゼットの中をあさって
「ほらこれ着ろよ」
服を投げてよこす。
「ほらさっさと早くしろ」
「分かったよ、分かったから着替えるから出ていってくれない」
「なんだ、そんなこと心配しているのか。私は全然気にしないぞ」
「ぼ、僕が気にするんだよ」
沙紀は恋の姉で、和也の2つ年上。地元の工学部建築学科で学ぶ大学生。昔から姉御肌の沙紀には何を言っても無駄であることを知っている。しぶしぶと起きて着替えをする。それを見計らったかのように沙紀がドアを開けて、
「ついでに顔洗って、髪セットしろ」
準備を済ませて玄関に行くと、妹の風香も浴衣を来ていた。
「お兄ちゃんどう」
くるりと回って見せてポーズをとる。
「かわいいよ」
感情の起伏無くぶっきらぼうに答えた。
「ブッ~ぜんぜん愛情がこもってないよ、その言い方」
「あの~和兄ちゃんと一緒にお祭りうれしい」
恋が浴衣姿でもじもじしている。
「あー、恋も似合ってるよ」
顔が緩んで、優しく話しかけた。
「あ、ありがとう」
一瞬で顔が真っ赤に染まった。
「何なの、その態度の差。私と恋ちゃん、随分な差がない」
「和兄ちゃん、膝大丈夫なの?」
話題を変えるように、恋が心配そうに言った。
「大丈夫だよ、歩くだけなら。もう痛みもないし」
四人で歩き出すと、恋が手をつないでくる。
「恋?」
「私、迷子になっちゃうから」
頬を赤く染めながら恥ずかしそうにそう答えた。気遣って手を引いてくれているのだろう。
「あ〜恋ちゃんずるい! 私もつなぐ〜」
そう言って風香が反対の手をつないできた。はたから見ると、まるで浴衣姿の女子三人に連行されているように見える。
沙希の家の前を通ると、店の入口のガラスドアが開けられていて、中から声をかけられた。
「和、モテモテだな。足もういいのかい?」
そう声をかけてきたのは、白髪頭の大工の重さん。沙紀と恋の家は、祖父の代から工務店を営んでいる。
「もう歩くのは大丈夫」
「重さんまだ仕事?」
「いやいや、俺達はこれからここで一仕事だよ」
沙紀の家では、週末の仕事終わりに店で酒盛りするのが珍しくない。しかも今日は、祭りの最後に花火を打ち上げる。
「あぁ」
「歳なんだからあんまり、飲み過ぎるなよ」
「沙紀に言われたらしょうがねえな」
「あら、和君、こんばんは」
と言ってきたのは沙紀と恋の母親、月。
「沙紀と恋よろしく。よかったね恋。和君とお祭り行けて」
「お、お母さん!」
「どうせ遅くまでやっているから帰り寄っていってね。良規君と朱音さんも後で合流だから」
「親父とお袋も、また?」
「どうせ飲むなら、大勢で楽しい方がいいし」
「でも、いつもいつも迷惑じゃ…」
「何、言ってる。昔からのお隣さんだし、良規も朱音ちゃんも家族同然。それにうちの建物の設計は良規と朱音ちゃんにやってもらってる。うちの大協力業者様だからな」
「おじさん」
沙紀と恋の父親である仁吉まで出てきた。すでに手にしたコップに日本酒が入り、口にしながら言ってきた。
「よう、和、元気そうだな。膝は大丈夫か」
「生活するだけなら何とか」
「お前、夏休み何かやることあるか?」
「いいえ特に何も」
「ちょうどいい、和、うちでバイトしないか」
「バイトって、何を?」
「和の体が大丈夫なら、現場で家建てるの手伝わないか。丁度3棟分の仕事が入っていて手が足りないんだよ」
「僕なんかより、沙紀姉ちゃんの方が向いているじゃないですか」
「ちょっと、私を何だと思っているの。残念でした、私は和の家で設計のバイトやっているから無理~」
沙紀が和也の顔を覗き込んだ。
「お父さん、そんな和君、迷惑でしょ」
「そうだよ、それに現場の仕事って、和兄ちゃんの足だって大丈夫だかわからないし」
月と恋が抗議してくれた。
「まぁいい和、帰りに寄れよ。良規達と飲んでいるから。今の話、考えてみてくれ。それはそうと、沙紀と恋の事頼むよ。なんならそのままどっちかを嫁にもらってくれてもいいんだから」
「ちょ、お父さん何、言ってるの」
「和君バイトの件は無理しないでいいからね。ほら、はやくお祭り行ってきなさい、それと…」
月が耳元に顔を寄せてきた
「和君さえ嫌じゃなければ、本当に沙紀か恋と一緒になってくれたら嬉しいんだけどな」
そうささやいてウインクした。
氷山市では、毎年7月後半の土曜日、氷山総合公園で花火大火に合わせて夏祭りを開催する。祭りは楽しかった。少なくともふさぎ込んでいた気持ちを上げて現実を忘れさせてくれる。屋台の焼き鳥や、たこ焼き、焼きそば、お好み焼きの焼き物の匂いに交じって、綿あめの甘い匂い。祭りの屋台の雰囲気はどこかノスタルジックで、童心に気持ちが帰った。射的、金魚すくい、くじ引き。ヨーヨー釣りに、スーパーボールすくい。綿あめとりんご飴を食べながら、それぞれのアトラクションを回る。
「あー疲れた。和、脚大丈夫か?」
「脚は大丈夫だけど、さすがに疲れたよ」
「沙紀姉ちゃん、お腹すいた」
「そうだな、私も焼きそば食べたいな」
「私、たこ焼っ」
「恋は何食べる?」
「私もたこ焼き。和兄ちゃんは」
「僕はかき氷かな」
「じゃあ、風香と買ってくるから、ここのベンチ二人でとっておいて」
そう言って、和也と恋を残して買い出しに行ってしまった。二人で手をつないだままベンチに並んで座っている。
「あのね、」
「何?」
「疲れてない? 膝痛くない?」
「大丈夫だよ」
「ごめんね。強引に連れてきちゃって。本当はあんまり来たくなかったよね」
「ほんとの事言うと、最初は気乗りしなかったけど、沙紀姉には逆らえないし。それに久しぶりに学校以外で、恋とこうやって一緒に出掛けられて嬉しかったよ」
「あのさ…、和兄ちゃんは、やっぱりお姉ちゃんが好きなんだよね」
正面を向いたまま小さな声で言った。
「沙紀姉を、僕が? 嫌いじゃないけど昔から威勢のいい姉ちゃんみたいな感じだからな」
「本当? それじゃあ私がお兄ちゃんの彼女になってもいい?」
「恋が? 僕の彼女に?」
思わず考え込んでしまう。しばらくの間、沈黙があった。
「やっぱり私が彼女とか嫌だよね」
うつむきながらつぶやくように言葉を発した。一呼吸おいて和也も相手を見ないで言葉を発した。
「僕はもう、サッカー出来ない。もう…サッカー部のエースじゃないんだ。僕なんか恋にふさわしくないよ」
「そんなことないもんっ」
恋が和也の顔を見つめて、怒るように言った。
「私は、和兄ちゃんがサッカー出来るとか、出来ないとか関係ないし」
こんな恋を見たのは和也にとって初めてだった。再び沈黙が訪れた。
「ご、ごめんなさい。そうだよね。私なんかじゃ駄目だよね」
いつからか恋の瞳から大粒の涙が溢れていた。それを見て決心がついた。ひょっとして変われるんじゃないか。恋と一緒にいたら、今の自分から変われるかもしれない。怪我以来、リハビリ中もずっとそばにいたのは恋だった。
「ありがとう、恋…。怪我してから、ずっと僕と一緒にいてくれたもんな。恋には感謝しているよ。僕一人では多分、リハビリも進級もあきらめて続かなかったと思うから」
「お姉ちゃんからも、風香ちゃんからも、おじさんおばさんからも兄ちゃんの事頼まれていたし…」
「ありがとう。恋がいつも隣にいてくれていたから僕も頑張れた。でも正直言うと、恋のことは沙紀姉、風香と仲の良い姉妹としか思っていなくて…」
「それでもいいもん。和兄ちゃんのずっとそばにいられるなら」
「ありがとう。恋がそばにいてくれれば、僕も変われるかもしれないと思う」
「うん。ずーっとそばで応援してる」
握ったままの手に力を込めた。恋も手に力を込めて握り返してくれる。お互いの顔を見つめあった。
「ヒューヒュー、告白は済んだかな」
沙紀と風香がニヤニヤしながら背後からやってきた。
「お、お姉ちゃん」
二人とも顔が真っ赤になる。
「よかったな恋、まぁこれで和也は名実共に私の弟か」
「それじゃあ、沙紀ちゃんと恋ちゃん、二人共私の本当のお姉ちゃんだね」
「それってどういう…」
「決まってんじゃん、あんたと恋が結婚したら、あんたと私は義理の姉弟だし、風香とも姉妹だね」
「結婚って…まだこれから付き合うんだし」
「はぁ?、あんた何言ってんの、付き合ったら責任とって結婚してもらうからね。あんたまさか付き合って別れることなんて、許さないんだから」
「そうだよお兄ちゃん。恋ちゃん泣かせたら、私が許さないんだからね」
今日僕は彼女? 許嫁? 嫁?ができた。
取っていたベンチに四人並んで座り、買ってきた屋台料理を食べた。和也の両隣に恋と風香が座る。風香の隣に沙紀が座った。
「和兄ちゃん、たこ焼きも食べる?」
「うん、食べたいかな」
「はい、あーん」
ようじに刺したたこ焼きを、口の前に運ぶとパクリと口にした。
「私にも、かき氷頂戴」
和也もストロースプーンの先でかき氷をすくうと、恋の口に運んだ。
「美味しい」
「あーずるい、恋姉ばっかり。お兄ちゃん私にもプリーズ」
風香が口を開けて顔を向けた。いつもの事なので、風香の口にもかき氷を食べさせた。
「モテモテだな和。風香もたいがいにしないと今度は恋に嫌われるぞ」
「えー、風香ちゃんなら全然かまわないよ。一緒に和兄ちゃんと仲良くしていこうね」
「うん。そういうわけだからお兄ちゃん、恋姉ちゃんと付き合っても、私も一杯甘やかせてもらうんだから。お兄ちゃんナデナデして」
「はいはい」
風香が頭を倒してきた。和也が片手で風香の頭を撫でた。
「まったく息のあったバカップル、馬鹿兄妹だな。まあ前からだからだけど。見ているこっちの方が恥ずかしくなる。まあ、のろけ相手が恋と風香なら許すけど、それ以外の女なら、あたしが許さないからな」
和也が、バツの悪そうな顔をして笑った。
「もう、そんなことは二度としないよ。それに二度とありえない」
恋も負けじと肩を寄せてきた。