受け継がれる刃
10月に入った最初の土曜日。朝の空気は、もう夏の湿り気を失っていた。
実習場のシャッターが上がると、冷えた空気とともに木の匂いが流れ込む。琴葉は、左手をそっと握ってみた。指は、もう思い通りに動く。
——戻ってきた。
和也はすでに現寸板の前に立っていた。
「今日から通しだね」
「うん。時間、詰まるかな」
坂崎が腕時計を見る。
「本番想定。途中で止めない。最後までやるよ」
神門は、何も言わずに腕を組んでいる。開始の合図。2人は同時に動いた。現寸図。線が走る。木削り。部材を確認して鉋をかける。矩を確認し、くせを取る。音が違った。以前のような迷いの混じる音ではない。刃が木に吸い付くように入る。琴葉は、鉋を入れる前に、ほんの一瞬、木目を追った。
——見る。順目か逆目か、そして鉋をあてる。動きに無駄がない。
坂崎が、わずかに目を細めた。
「いいね」
琴葉は何も言わない。ただ、黙々と削る。部材数が多い。削っても、削っても、木削りは終わらない。
昼過ぎ、午前中の作業が終わり、作業エリアを整頓していると、入口の引き戸が開く音がした。2人とも木削りがまだ終わっていない。
「おう」
低い声。振り返ると、石崎が立っていた。
「……石崎さん?」
「10月でも、弟子は放っとけん」
神門が鼻で笑う。
「師匠、暇なんですか」
「お前よりはな」
坂崎が苦笑した。
「今日から2日間で、ちょうど通しです。見てもらえますか」
「当然だ」
石崎は、二人の作業エリアの前に立つ。削り終わった部材を手に取ってじっと見つめていた。視線だけで、空気が締まる。
「精度は悪くない」
石崎が、指で木肌をなぞる。
「ありがとうございます」
短い肯定。琴葉が直立不動で礼を言う。神門が、ふっと口元を緩めた。その時、和也がぽつりと言った。
「神門先生……石崎さんに、似ていませんか?」
空気が一瞬止まる。神門は、視線を外した。
「……俺が卒業後に就職した師匠だよ」
「え?」
琴葉が盛大に驚く。
「師匠?」
石崎が肩をすくめる。
「出来の悪い弟子だ」
「誰がですか」
軽い笑いが起きる。和也は、もう一度、二人を見る。
鉋の引き方、鑿の持ち方。立ち姿。木を見る目。そして二人のぶっきらぼうな物言い。
——ああ。納得した。
「……だから、音が似てるんだ」
神門が一瞬だけ、和也を見た。顔は笑っている。
「音、か」
「はい」
石崎が、小さく笑った。
「いい耳だな」
琴葉は、二人を見比べながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
――技術は、突然上手くなるわけじゃない。背中を見て、怒られて、削られて。受け継がれていく。
坂崎が静かに言った。
「系譜だね」
「はい?」
「技術の血筋」
石崎は何も言わない。ただ、琴葉の鉋をもう一度叩く。
「あと2週間だ」
低い声。
「時間はあるようで、ない」
「はい」
琴葉と和也は、同時に答えた。
「でも‥」
石崎は続ける。
「今の刃は悪くない。大会で使える」
その言葉に、二人の背筋が伸びる。神門が腕を組んだまま言う。
「師匠がそう言うの、珍しいぞ」
「黙れ」
だが、口元はわずかに緩んでいる。
午後、作業再開。削り屑が、床に二人分、並んで落ちていく。
似た音が、二つ、重なる。
技術は、受け継がれる。
そして今、その刃は、二人の手の中にある。
大会まで、あと2週間。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
第101話目の投稿になりました。琴葉復帰後の通し練習。そして石崎まで駆け付けて。おまけに神門先生は石崎の愛弟子でした。それに坂崎を加えたゴールデントリオ指導人での練習です。技術は受け継がれていくものだと知った琴葉と和也です。
次回は石崎の名工ならではの指導です。
お楽しみいただければ幸いです。




