後日談② 国の頂点にいる人達とそれを見守る側近の願い side ジン
蛇足的な後日談。ジェレミーの側近のジン視点。
「ジェレミーを恨んだことはない?」
びっくりしたように振り向いて、俺の顔を見つめる王妃様を見て、自分の失言に気づいた。
常に頭にある疑問だったせいで、ふいに口からこぼれてしまったらしい。
俺は“陛下付き特別室室長”のジン。
要はこの国の王であるジェレミーの便利屋だ。
現在の最重要任務はもうすぐ出産を控えている王妃様がつつがなく過ごせるように警護すること。
王妃様にはどこか人をリラックスさせる力があって、気を抜くと素の自分が出てしまう。
「失礼いたしましたっ!」
慌てて頭を下げる。
「ふふっ。いいのよ、ジン。周りに人がいない時ならジェレミーに対するように砕けた態度でかまわないわ」
王族しか入ることのできないこじんまりした庭園の片隅の墓石の前で、王妃様は少女のような笑顔を見せる。
「お母様のことは残念です。お母様も生きてこの平和を一緒に享受できればよかったのでしょうね……」
王妃様は墓石に向き合うと、墓石の縁をそっと撫でた。
「でも、お母様とわたくし、両方は生き延びられなかった。そういう状況だったとジンも知っているでしょう? 宰相は民にお母様かわたくしの首を差し出さなければ気が済まなかったのは間違いありません」
俺は自分の唇を嚙み締めた。自分が愚かな質問をしたことと、当時の自分の無力さに。
「ジェレミーとお母様が勝手に決めてしまって、なにも言わずにわたくしを救ってくれたことに、感謝することはあっても恨むことはないです。わたくしにできるのはお母様が守ってくれた命をまっとうすることだけです」
王妃様は大きくなった自分のお腹をなでながら言った。
「だから、わたくしには願うことしかできません。天国という場所があるなら、そこでお父様とお母様が幸せに暮らしているようにと」
「左様ですか……」
ジェレミーではなく、自分が王妃様の心のうちを聞いてしまったことにいたたまれなくなってくる。
ジェレミーにはこんな質問をしたことを叱責されそうだが、きっとジェレミーだって聞きたかったことに違いない。
「……許されないのはわたくしの方です。今が幸せなんです。わたくしは女王になんてなりたくなかった。重い責任を負いたくなかった。王配を複数持ちたくなかった。それをジェレミーは叶えてくれたんです。方法は間違っていたかもしれません。国を預かる者として正しい判断ではなかったかもしれません。でも、ジェレミーはそんなわたくしの気持ちを汲み取って、わたくしが生きやすいよう整えてくれた」
王妃様は墓石の向こうに広がる青空の彼方を見つめながら語り続けている。
「本来はわたくしが我慢すればよい話だったのでしょうね。女王であるお母様の代わりに処刑されるか、お母様が処刑された後に女王に即位すればよかったんでしょうね。いずれにしても、そこにわたくしの幸せはありませんけど。ジェレミーが正しいのか間違っているのかはわかりません。でも、わたくしを幸せにしてくれたのは確かです」
王妃様は、短いような長いような眠りから目覚めてから、誰からも責められたことはない。
でも、心の中で自分を責めてしまう日もあるのかもしれない。
その心の内を誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「ジェレミーだって不安な気持ちもあったのでしょう?」
見透かすように俺の目を見る王妃様のまっすぐな眼差しから、目が逸らせない。
「ジェレミーがわたくしが目覚めて、正気を取り戻す前に婚姻までしてしまったのは、わたくしが全てを知ってどう思うか不安だったからじゃないかしら?」
こちらが零した疑問が発端なのに、いつの間にかこちらが尋問されている気分になってくる。
ジェレミー、お前のお妃サマは全部お見通しみたいだぞ?
俺の焦るような表情を見て、王妃様は満足した猫のように微笑んだ。
最近の王妃様は本当に表情豊かになったな、なんて的外れの感想が浮かぶ。
きっとジェレミーが泥の中でもがくようにして、ギリギリのところで選択して行動したのをわかっているのだろう。
王妃様は眠っている間にジェレミーの記憶を共有したらしいし、ジェレミーも知っている事や起こった出来事を全て話したようだ。
女王サマや自分の父である宰相のことも含めて。
ジェレミーはけっこうバカだし、選択も国や民や全体を考えたらダメなものも選んできた。
でも、全部わかっちゃってるんじゃないか?
その焦りも不安も、愚かさも。そして、根底にあるドロドロとした深い愛も。
「フェリシア!」
「あら、ジェレミー」
「今日は風が冷たい。長時間外にいると体にさわる」
執務の合間にやってくるジェレミーが持ってきたショールで王妃様をくるんだ。
視線で俺に余分なことは言ってないかとか話しかけてくるから、手でオッケーマークを出すと顔をしかめられた。
なんでだ?
もう、俺の失言って伝わってんの?
でも、王妃様の本音が聞けたから結果オーライじゃない?
「でも、妊婦も少しは体を動かしたほうがいいってお医者様が言っていたわよ」
「でも、冷えは大敵だろう」
「もー、過保護なんだから」
「フェリシア限定だから、いいだろう?」
一国の王と王妃とは思えないような、普通の夫婦の会話をする二人を見守る。
なぁ、女王サマ。
あんたが命がけで守った娘と、娘の婿にって見込んだ男は幸せそうに暮らしてるぞ。
なんとなく青空の向こうに話しかける。
庭園を散歩し始めた二人の後を追おうとして、ふいに背後のベンチに人の気配を感じて、構える。
「……なんだ、賢者サマかよ……」
「僕で悪かったね」
「いや、いいけど突然現れるなよ。びっくりするだろ?」
「ちょっと気配を消していただけで、ずーっとここにいましたけど? ジン、腕落ちたんじゃない?」
そこには、子供くらいの身長の右半身が真っ黒に染まった男がだらしなくベンチに寝そべっていた。
髪の毛と左半身は真っ白で、黒く染まった顔の右側の中で白目だけが浮き出て見える。
子供みたいにいたずらっぽい笑みを浮かべるこの人が賢者サマだなんて誰も信じてくれないだろう。
初めて見た時はその異様な姿にぎょっとしたけど、最近では見慣れてきた。
ほら、東方の国には白と黒の色を持つ熊がいて、かわいいって評判らしいぞ……
要するに、肌色は一色って思い込みを外せば、お洒落にも見えるってことだ。
「ふふふ、僕を人間扱いするのはジェレミーとジンだけだねぇ……」
「そもそも俺たちの前にしか、姿見せないじゃないっすか」
「だって、もう籠の鳥にはなりたくないじゃん?」
賢者サマはそう言うと、目をつむってうとうとしだした。
ベンチでまどろむ賢者サマは、小柄で幼い顔立ちをしていることもあって、まるで子供のようだ。
今は、平和を満喫している様子に賢者サマのこれまでの半生の過酷さを思い出して、胸が痛んだ。
俺って結局浅はかなんだろうな……。
物事の表面しか見ちゃいない。
王宮で働くようになって、ジェレミーやお妃サマや女王サマを間近で見ていて歯がゆかった。
力があるのに、それを使うことを制限されて苦しんでいる彼らに。
なにもできない自分に。
筋違いに女王サマを縛る指輪を作った賢者サマの祖先を恨んだこともある。
賢者サマは古の魔法使いの血筋で、妖精の末裔である女王サマと同じく膨大な魔力とそれを操る魔法を知っている。
でも、女王サマと同じく時の権力者の支配下にあった。
代々の賢者サマの右半身には、呪詛のような禍々しい文様が刻まれていた。
国や権力者に従うように。
その力を自由に使えないように。
先祖の作った呪いのような女王の指輪。
それを作ったのが自分の祖先だということに罪悪感を感じながら。
そしてそれを壊す力を持ちながら、その力を使うことを封じられている自分の無力さを感じながら。
人里離れた森の奥深くの塔で一人ひっそりと暮らしていた。
その孤独と苦しさを思うとやるせなくなる。
女王サマが最後の願いをかけた瞬間に女王サマを縛る女王の指輪が壊れた。
その気配を感じて、賢者サマはそっと王宮にやってきたらしい。
気配を消していたはずなのに、ジェレミーに見つかった。
腹を割って話すジェレミーの真摯な様子に心打たれて、自由と引き換えに協力することを約束した。
宰相達の処刑までは王宮のジェレミーの宮に匿われ、処刑後からジェレミーと後処理に追われた。
民達に妖精女王の真実と宰相達権力者の闇が伝わったのは賢者サマのおかげだ。
賢者サマは魔法でなにもない空間に姿を映して、声を響き渡らせた。
ジェレミーをかばうわけではないけど、何事にも代償があるのだと知ったのは全てが終わった後だった。
壊れた女王の指輪を魔法で賢者サマが燃やしはじめると、賢者サマの右半身に刻まれた文様から煙が上がりはじめた。
油断していたのかもしれない。
だって、民達に声を届けた時も、妖精に関する書物を燃やした時もなにも起こらなかったから。
だって、女王の指輪はもう壊れているじゃないか?
慌てるジェレミーや俺が近づけないように、ご丁寧に賢者サマは結界を張っていた。
「お願いだ。邪魔しないでくれ。これだけは僕の手で始末をつけさせてくれ」
賢者サマは右半身からもくもくと黒い煙を吐き出しながら、痛みに顔を歪めながらも、指輪に魔法をかける手を止めることはなかった。
女王の指輪が跡形もなく消えると、賢者サマの右半身は顔から足まで全部真っ黒に染まっていた。
ジェレミーと俺はその時、賢者サマの背負ってきたものの重さを知った。
「もっと欲張ってもいいんじゃないんっすかね?」
賢者サマが半身を犠牲にして求めた自由はささやかなものだった。
王宮で気配を消して暮らすこと。
時折、ジェレミーや俺と話すこと。
それだけだ。
「君にはわかんないだろうね。ここには得難いものがある」
眠っているかと思っていた賢者サマは目をパチリとあけて、返事をした。
「せめて名誉の回復くらいしたっていいじゃないっすか?」
民達に真実を話したときに、賢者サマの祖先が女王を縛る指輪を作ったことまで話した。
まぁ、その話がないと理解できない部分がでてくるのもわかるんだけどさ。
指輪を処分した賢者サマが犠牲を払ったことを皆は知らない。
「どうせ、人は見たいものしか見ない。自分の物差しでしか判断しない。だから、別にいいんだ」
「難儀な性格だな……」
「生きていれば、時々奇跡みたいな美しい景色が見られるだろう? それで十分だ」
ジェレミーとフェリシアが楽しそうに庭を散歩している様子を賢者サマはまぶしそうに見ている。
「僕の祖先のしたことも少しは許されるのだろうか? 僕のしたことは少しは意味があるんだろうか?」
「あるだろ。少なくとも、あの二人にとっては」
なぜか滲んできた涙をぬぐって、乱暴に答える。
「慕情なのか?」
慕情?
その言葉の意味がピンとこなくて、賢者サマの顔を見つめる俺に、王妃様を指し示す。
ああ、王妃様に恋愛感情があるのかって聞いてるのか。
「……同情って言葉が一番近いかな。もしかしたらこの国のトップに立ったかもしれない人に対して失礼な言い方かもしれないけど」
王妃様の王太子時代にはジェレミーより不遇を見てきた。
やつれていて、地味でも、可愛いお姫様にそういった感情を抱いても不思議ではないのかもしれない。
「同情……」
「うん。この国で一番哀れな存在である孤児だった俺が言うのもなんだけどさ。一人ぼっちで、奮闘して、意地悪されて……。俺さ、衣食住が満たされたら人間って幸せなのかと思ってたんだけどなー。意外と、そうでもないなって思ったんだ」
「……そうかもしれないな」
国のトップに近い位置にいた、王妃様と同様に国の犠牲者である賢者サマも薄く笑う。
「でも、ちょっとはさ、賢者サマも枷から解放されて自分の幸せ求めちゃってもいいんじゃないか?」
「あんまり自分の幸せとかわからないんだけどな……そうだな、こうしてジンと時々話せればいいかな……」
ベンチで体を起こして座りなおして、真剣な顔で俺への問いに答えを出す。
「そんなことでいいのか?」
「ああ、ジンと一緒にいるのは存外、心地良い」
猫のように目をほそめて満足げな顔をして笑う顔に、また胸の奥が締め付けられる。
「ふーん。いつでもどれだけでもつきあうよ」
「仕事はしろよ」
「はいはい! そろそろ仕事に戻るよ! ……あー、俺も賢者サマと話す時間けっこう好きだよ」
俺の返答に泣きそうな嬉しそうな顔をする。年齢の割に情緒は子供なのかもしれない。
これからこんな平凡な時間を積み重ねていってくれよ。
人が当たり前に感じるものを感じて生きてくれよ。
自分の幸せや欲しいものを見つけてくれよ。
柄にもなく祈るような気持ちで思う。
孤児出身だった俺がなぜか今は国の中枢に近い位置にいる。
人の人生なんてわからないものだな。
全て持っているように見える女王だとか王だとか賢者だとか
そういう人の方がある意味、苦しそうだ。
責任とか力とか権力とか持てば持つほど大変そうだ。
国とか全体の調和とかは正直よくわからない。
でも俺は、片手の指で数えられるくらいしかいない俺の身近にいる大事な人達に幸せになってほしいと思う。
孤児で行き倒れてる俺を拾ってくれたジェレミーとか。
腐った王宮の中で唯一、孤児院のことを気にかけてくれたお妃サマとか。
一人で国の負の遺産を継いでた賢者サマとか。
大きな幸せじゃなくていいんだ。
ささやかでも、心から幸せだって思って生きていってほしいんだ。
それが彼らの側で見ていることしかできない俺の心からの願い。