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後編

これは夢なのでしょうか?

もう人生を終わらせたいと思ったわたくしはいつの間にか死んでいたのでしょうか?


「フェリシア!! 目が覚めたか? 体は大丈夫か? 喉は渇いていないか?」

なぜか温かいぬくもりに包まれて、至近距離から問いかけられています。

「ジェレミー……?」

目の前にある美しい顔にそっと手を寄せます。

夢にしては妙に感触がダイレクトに伝わってきます。

ジェレミーの頬に添えたわたくしの手を大きな手が包んで、キレイな深い青色の瞳に涙がたまります。

次の瞬間、ジェレミーにぎゅっと抱きしめられました。

どうやらわたくしは座っているジェレミーに横抱きにされているようです。

息が苦しくて、トントンと背中を叩くと、やっと抱擁をゆるめてくれました。

ジェレミーはわたくしの頭や頬や背中を撫でて、痛くないかとかしきりに確かめています。


「フェリシア、体は大丈夫か?」

その問いにコクリと頷きます。

本当に不思議なくらい体がすっきりしています。

最近ずっと疲れが取れなくて、体が重たくて、いつも頭に霧がかかったように思考も鈍っていました。

それなのに今は、体が軽くて力が満ちています。

自分の両頬を両手ではさんでみました。

心なしか肌がつるつるしている気がします。


「フェリシアは三か月の間、ずっと自分で展開した氷の中で眠っていたんだ。なにか欲しいものはない?」

ジェレミーの優しい声に甘えてそのまま彼の胸元にもたれかかりました。

不思議と飢えも渇きも感じません。

わたくしが今一番欲しいのはぬくもりです。

口に出してしまうと、この夢のような時間が終わってしまうような気がして返事をすることができません。

ジェレミーはわたくしの頭をゆっくりと慈しむようになでてくれます。

じわっと涙がにじんできました。


「……すてきな夢を見ていました。わたくしにとって」

「どんな夢?」

「本当はジェレミーもわたくしを思っていてくれて、知らない間にたくさん助けてくれていたっていう夢」

「……」

ジェレミーが戸惑う気配を感じて、顔を上げました。


「夢のお話です。あと、ジェレミーの声が……ジェレミーの気持ちが流れてきて……」

眠っている間、ジェレミーの声がたくさん聞こえてきました。


フェリシア、ごめん。

一人にしてごめん。

一人でがんばらせてごめん。

助けられなくてごめん。


フェリシア、愛してる。

傍にいればよかった。

結局なにもできなかった。

愚かな俺を許してくれ。


不思議なことに、幼い頃からわたくしが断罪されるまでにジェレミーが体験したことが鮮明に見えたのです。

夢の中のジェレミーはわたくしが望んでいた以上にわたくしのことを思って、陰で行動してくれていました。

わたくしと同様に制限のある状況の中でわたくしの幸せを思って動いてくれていました。

わたくしのことなど捨て置いて、自分の人生を生きることだってできたのに。


「ごめんなさい。そんなわけないのに」

きっとあれは、ジェレミーに恋こがれるわたくしの作った願望のなせる夢だったのでしょう。

急に現実に引き戻されて、ジェレミーから腰を浮かせました。


「それはきっと夢じゃない。俺はフェリシアをずっと愛しているし、君の聞いた俺の声も、君の見た俺の行動もきっと全部本当だ」

ジェレミーのたくましい腕に引き寄せられて、再び抱きしめられました。

先ほどのような力強いものではなく、ゆるい抱擁です。


「ごめん、驚いてしまって。君が張ったのは氷じゃなくて、水晶だったんだな……。君が眠っている間、君の張った水晶に懺悔して懇願していたんだ。俺の気持ちも行動も筒抜けなんだな……」

ジェレミーは恥ずかしいのか、頬を赤らめて目を伏せています。

こんな時なのに、ジェレミーのロイヤルブルーの瞳を金色のまつ毛が覆う様子に見惚れてしまいます。

いつもわたくしの前では表情一つ動かさなかった彼の照れる様子が新鮮で、胸の奥がくすぐったくなりました。


「だから三か月の間、眠っていてもわたくしは元気なんですね。むしろ、子供の頃ぐらいの健やかな状態です」

「え?」

「魔道具の動力源の水晶もそうでしょう? 魔力は自然の力を還元したもので、祈りや感謝や温かい気持ちで増幅させることができる。わたくしが眠っている間、ジェレミーがわたくしに力を与えてくれていたのですね」

深い眠りについていても、すごくあたたかくて心地よかった。

それはジェレミーがわたくしを思って寄り添ってくれていたから。


「そうなのかな? そうだったらいいのにな。もうフェリシアの憂うことは何一つないから、安心して」

ジェレミーはそう言うと、壊れ物を扱うように優しく抱きしめて微笑んでくれました。

その微笑みにこらえきれずに、大粒の涙が零れます。

眠る前に絶望の淵にあっても涙一つ出なかったのに、次々と涙が溢れてきます。

わたくしは絶望のあまり、深い眠りの中で似たような別の世界に飛んでしまったに違いありません。

子供の頃読んだ本で、この世には似たような別の世界がたくさんあるというお話がありました。

だって、ジェレミーがわたくしに二言以上話しかけて、微笑んで抱きしめてくれるなんてこと、世界がひっくり返らない限りあり得ません。


「夢でも、別の世界でもない、現実だよ。フェリシア」

わたしくの鼻をつまんで、ジェレミーが言います。

そうでした。幼い頃はなんでもジェレミーはお見通しでした。

「ほら、水。ゆっくり飲んで」

ジェレミーに諭されるままに、水を飲むと水がじわじわと体に染みていく感覚がしました。


「こんな時だけど、ドレスやアクセサリー似合ってる。フェリシアが俺の色をまとってる。綺麗だ」

胸元のゴージャスなネックレスに手を滑らせながらジェレミーがつぶやきました。

わたくしは婚約破棄と廃太子の時のドレス姿のままのようです。

アクセサリーの類もそのままのようです。


「このままずっと抱きしめていたいけど、そういうわけにもいかないか……」

ジェレミーの口から出たとは思えない言葉に、ぎょっと目を剥きます。

「……あの、わたくし達の婚約は破棄されたんですよね?」

「ん? フェリシアは俺のしたこと全部知っているんじゃないの?」

どうやらお互いの認識にどこか嚙み合わないところがあるようです。


「えーと、眠る前までのことなら。その後のことは全く知りません」

「ああ、そうなんだ……。次期女王のフェリシアと俺の婚約は破棄された。俺が王に即位して、フェリシアは俺の婚約者になったから」

「……えーと、わたくしは廃太子になって、毒杯を賜るのでは?」

「誰にもフェリシアは渡さないよ。たとえ、相手が死神とか悪魔だとしてもね」

妖艶なジェレミーの微笑みにクラリとして、考えることを放棄してしまいそうになります。


ジェレミーの中身は、それこそ悪魔かなにかと交代してしまったのでしょうか?

「そうだね、悪魔なのかもしれないね。フェリシアのこと以外、どーでもいいからね」

それとも深い眠りについていた間、伝わってきたジェレミーの気持ちや行動は本物だったのでしょうか?


「フェリシア、眠っている間に君に伝わった俺の気持ちは本当で、現実にあったことだと思う。俺はフェリシアと違って身も心も綺麗じゃない」

ジェレミーの絞り出すような声に、首を横に振る。

わたくしは物事の表面しか見ていませんでした。わたくしの行動は浅はかでした。

理想を実現するためには、もっと泥にまみれて裏から画策しなければならなかったのです。

ジェレミーのように。


「でも、そんな俺でもフェリシアは……求めてくれる? いや、隣にいてもいい?」

不安そうなジェレミーの表情に、わたくしは大きく頷きました。

ずっとジェレミーを想っていました。愛されているのかもしれないと期待して、でも不安で。

もしかして、ジェレミーもそんな気持ちを抱えていたのでしょうか?


「フェリシアの気持ちも少なからず俺にあるならいいかな……。ジン、予定通り進めよう」

いつの間にか、傍らには黒髪の青年が控えていました。

「マジですか? 今日の今日?」

「いつでもいいように準備は進めていただろう? 状況もだいぶ落ち着いているし、貴族達もまだ城に詰めている。フェリシアの体調もあるから簡易的にして、決行だ」

「はー。御意御意。仰せのままにー」

「じゃ、フェリシアも準備しようか?」

「準備?」

それからのわたくしはされるがままでした。

泡ぶろで丁寧に洗われ、マッサージを施され、上から下までピカピカに磨き上げられました。


「これは一体?」

軽食を食べてから、真っ白で贅沢なレースが幾重にも重ねられたドレスを着たわたくしはなぜか、城のバルコニーでジェレミーと並んで民達に手を振っています。

「フェリシア、体調は大丈夫?」

白の正装に金の髪を後ろになでつけたジェレミーに問いかけられて、その美しさに思わずクラッとします。

「大丈夫ですけど……なにがなんだか……」

隣にいるのがわたくしでいいんでしょうか? どなたかこの状況を説明してくださらないでしょうか?

世話をしてくれた侍女たちも時折涙ぐみながら、にこにこして準備してくれました。

でも、誰もこの状況について説明してくれません。

いつもならしゃしゃり出てきて文句を言う宰相も高位貴族達も出てきません。


「体調が大丈夫なら、よかった。ほら、微笑んで手を振ってあげて。俺たちの婚姻を祝って駆けつけてくれたんだ」

ジェレミーが肩を引き寄せてくれて、そのぬくもりにほっとしたのもつかの間。

ジェレミーの言葉に頬が引きつります。


婚姻?

女王教育の賜物で叫ばなかった自分をほめてあげたいです。


確かに先ほど、王宮の教会で儀式をしました。

でも、それは婚約の儀式ではないのですか?


わたくしはどのくらい眠っていたのでしょう?

わたくしが婚約破棄されて、廃太子になったのは事実のようです。

その後、ジェレミーは王に即位しました。そこまでは理解できます。

公爵家の長男で王族に近い血筋で、生まれながらに王の資質のあるジェレミーが即位したことは不思議ではありません。


そういえば、お母様も宰相も、高位貴族の方たちも姿を見ていませんね。

お母様はどこにいるのでしょう?

わたくしに連座で女王の座を追われたのでしょうか?

幽閉されているのでしょうか? それとも女王の任を解かれて旅にでも出ているのでしょうか?

ジェレミーの父である宰相や古参の高位貴族達は、この婚姻を許したのでしょうか?


民達からも女王制反対の嘆願が出ていましたが、わたくしがジェレミーの妻となってよいのでしょうか?

ここはわたくしは毒杯を賜って、なんのしがらみもない方を妻にしたほうがよいのではないでしょうか?


ああ、子を産むためのお飾りの妻なのでしょうか?

それなら納得がいきます。

やはり王族には妖精の血が必要なのですね。

子を生んでから、儚くなるということですね。

それなら安心して束の間の夢に浸れます。


握りこぶしを作って、お飾りの妻としての決意を胸に宿した瞬間に、ジェレミーがわたくしの後頭部を引き寄せ、至近距離で目を合わせました。

この距離感とまっすぐに見つめられることにびっくりして目が逸らせません。

「ちゃんと後から説明する。これだけは理解して、フェリシアを愛してるから結婚したんだ」

ジェレミーがそう言うと、唇と唇が重なりました。大きな歓声が聞こえてきます。

ジェレミーとの初めてのキスです。

頭がふわふわします。もうわたくしの頭は何かを考えることを放棄しました。

ジェレミーにエスコートされるがままに玉座にジェレミーと並んで座り、今度は貴族達の挨拶を受けます。


高位貴族から順なはずですが、見知った顔が少ないようです。

代替わりしている家が多く、まるっきり人が入れ替わっている家もあります。

私の記憶がおかしくなってしまったのでしょうか?

ジェレミーはわたくしが眠っていたのは三か月だといいましたが、実は何十年も眠っていたのでしょうか?

それにしてはジェレミーは年をとっていません。

目覚めたこの世界は違和感だらけです。


貴族達の挨拶が終わり、くるくるとジェレミーとダンスを踊っているうちに、細かいことがどうでもよくなってきました。

「楽しい? フェリシア」

「ふふふ。はい。ずっとジェレミーとダンスを踊るのが夢だったんです」

この大きな手にリードされる日を夢見ていた。思わず微笑みが零れました。

あ、人前で歯を見せて笑ってはいけないのでした。

そう思った瞬間にジェレミーに抱きしめられました。


「どうしたんですか?」

ダンスの途中に止まってしまっては、周りの人達に迷惑がかかるのでは?

そう思ってジェレミーを見上げると、そっとキスされました。まわりから悲鳴のような歓声がわきました。

先ほども同じようなことがありませんでしたっけ?

それでも慣れることはなくて、恥ずかしくて首まで真っ赤になりました。

抱きしめられているので周りには見えていないと思うのですが。


「フェリシアが可愛いことを言うからいけないんだよ。これからどれだけでも踊ろう」

そう言うと、ジェレミーは楽団に合図しました。

どうやら王であるジェレミーが止まったことで、楽団も曲を中断したようです。

また軽やかに曲が始まり、何事もなかったかのようにダンスがはじまりました。


◇◇


「うーん、なにから話そうかな……」

確かにわたくしが眠っている間になにが起きたのか知りたいのですが、もっと気になるのはなぜこの体勢なのかということ。

無事、婚姻の儀式と民へのお披露目、貴族への挨拶と舞踏会を済ませました。


今は二人で寝室のソファに腰かけています。

もう婚姻して、正式な夫婦なので二人きりで寝室にいることは問題ありません。

なにが問題なのかというと、わたくしが目覚めたときと同様にジェレミーの膝の上に横抱きにされていることです。

二人とも薄い夜着なため、密着していると余計に気になるのです。

正直なところジェレミーの逞しい体に抱えられて、そのぬくもりに包まれているのはいい気分なのですが落ち着きません。


「フェリシアは自分の魔力を使って厚い氷……氷じゃなくて水晶か。水晶にくるまれて深い眠りについていたんだ」

水晶を張った自覚はないですが、長いこと眠っていた気はします。


「そして、女王陛下が秘法を発動して、フェリシアに害意のあるものが触れられないようにした。永遠にフェリシアが傷つけられないようにした」

「お母様が女王の秘法を……」

女王の秘法とは妖精の血を引く女性が一生に一度使える万能魔法です。心から願ったことが叶います。

その話が本当なら、ジェレミーは私に害意はないわけですね。


「害意どころか愛しかないよ。女王陛下の秘法がなくても、フェリシアの水晶は恐らく誰も溶かすことはできなかっただろうけどね。そして水晶が溶けた後も女王陛下の秘法は永遠に続く」

それではまるで、お母様はわたくしを……。

一滴、頬に涙が伝いました。

そんな都合のいいことがあるでしょうか?

ジェレミーだけでなく、お母様もわたくしを愛してくれていたなんてことがあるのでしょうか?


「なぜ、お母様はそんなことを? お母様はどこにいるのですか?」

急に嫌な予感がして、思わずジェレミーの胸元を掴んでしまいました。

「守りきれなかった……。すまない……」

「そう……ですか……」

「圧政を強いられていた民達の怒りの矛先が君に向かないよう、女王陛下は自分の首を差し出した」

「っ!!」

お母様。最後まで感情が読めない方でしたけど、お母様は幸せだったのでしょうか?

なぜ、最後の最後に母親らしくしてみせたのでしょうか?

わたくしが眠っている間に。


「宰相の命令で女王陛下を処刑してから、君が目覚めるまで雨が止む日はなかった」

「え?」

「女王陛下はね、身を挺して示したんだ。当たり前に享受している豊かさや平和はなんの上に成り立っているのかを」

「……妖精の加護」

「そう、妖精の末裔である君達をただ大事にすればよかっただけなのにね。君達を支配下に置き、貴族はいつの間にか贅沢を覚え、もっともっとと求めた」

「……」

「民達は食べることに困ることはなかったし、最低限の生活は送れていた。欲深い領主達のせいで重い税は課せられていたけどね。貧富の差の大きい生活に不満は募っていた。でも、君のおかげでその歪みも随分改善されていた。君は気づいていなかったみたいだけど」

「……そうだったのかしら?」

「でも、平和って人をだめにするんだろうね。より多くの豊かさを求めて、今ある当たり前に感謝できなくなる。そして、大きな変化を求める」

「それが、わたくしへの断罪やお母様の処刑へとつながったんですね」

「そうだよ。元々、この国の権力者や貴族は贅沢に慣れていた。そして民達の不満の高まりも感じていた。その膿出しに君と女王陛下は利用されたんだよ。女王陛下はそんな状況をひっくり返そうと、俺に君を託した」

遊んで暮らしているように見えたお母様もジェレミーのように苦しんでいたのでしょうか。

最後にわたくしに大きな宿題を残していった気がします。

今は次から次へと新しい事実を知って思考が追いつきません。

今後、妖精や女王や貴族や国や民について、ゆっくりと考えていきたいと思います。


「そして、女王陛下から伝言だ。君の父親は女王陛下に王配があてがわれる前にいた恋人で、君を身ごもった時にいわれのない罪で処刑されている。女王陛下はその方を深く愛していたそうだ。フェリシアのことも」

「あれも夢じゃないんでしょうか? 時々、夜にお母様の気配と歌声を感じたんです」

「夢じゃない。女王の指輪が女王陛下の力を抑えていて、女王陛下はなに一つ自由に動けなかった。それでも満月の魔力の高まる夜には君の枕元に現れていた」

目覚めてからわたくしの涙腺は壊れてしまったのでしょう。

とめどなく涙が流れるのを止められません。

わたくしはお母様とお父様が愛し合って生まれた。

そして、お母様に愛されていた。

それが事実ならわたくしはなんて幸せな子供なのでしょう。


「城の片隅に墓がある。明日、二人で参りに行こう。順番が逆になってすまない」

抱きしめてくれるジェレミーの胸元で首を横に振りました。

「……あの、宰相は?」

もう、なんとなく話の続きは予想できましたが、きちんと知らなくてはなりません。


「女王陛下と君の不在によって、なにを自分達がこれまで得ていたのか、民達も貴族も思い知った。妖精の加護だけでなく、君の働きによるものも。だから、この国の真実を明らかにして、本当の黒幕である宰相や甘い汁を吸っていた高位貴族を処刑した。それで、おしまい。そうしたら、君を覆っていた水晶が溶けたんだ。水晶が溶け始めたら、久々に雨が止んだ。そして、君が目覚めたら太陽が顔を出して虹がかかった。だから、君が王妃になることに反対する人なんていない。でも、もう無理はしないでほしい」

お母様が処刑されたことは心が痛みますが、それを見届け、お母様やわたくしの不在による混乱を収め、自分の父親を罰したジェレミーはどれだけ大変だったことでしょう。

年若いジェレミーにとっては重たい決断の連続だったに違いありません。

また、わたくしの知らない間に動いていてくれたのです。

胸がいっぱいになって、ぎゅっとジェレミーを抱きしめ返しました。


「フェリシア、君がしたことは何一つ間違ってない。君は偉大なことをしていた。君のしたことで救われた人はたくさんいる。これからはそのことを思い知っていってほしい」

「ふふっ。思い知るって」

思い知るという言葉は悪いことを自覚させる時に使うのに、なぜここで使うのでしょうか?


「強い言葉で言わないとわからないだろう? フェリシアは奥ゆかしいから」

ジェレミーがのぞきこむように、わたくしの目を見て言いました。

ジェレミーは自分を汚れていると言っていましたけど、その心も瞳も一つも汚れないまま輝きを増しているように見えます。

その瞳を見ていると、自分が感じていたお母様やジェレミーからの愛は勘違いではなかったと信じられる気がします。

むしろ自分が想像していた以上に、愛されていたのかもしれない。

そのことにじんわりと胸が温かくなります。


「フェリシア、国や民のことは大丈夫だから。父と連座で城の騎士団や魔術師団や文官を牛耳っていた権力者も処刑したし、その後は騎士団や魔術師団や文官に忍ばせていたこちらの手の者達が立て直して今は正常に機能しているよ。民達にも賢者様がこれまでの出来事の真実と魔道具の動力は魔力だけでなく祈りや感謝の気持ちでもいいって通達してくれた」

ジェレミーにはわたくしの考えることがお見通しなようで、ずっと気になっていたことに答えてくれました。


「賢者様が動いてくれたのですね……」

賢者様は古の魔法使いの家系の方です。普段は姿を現すことはなく、森の奥深くの塔でひっそりと暮らしていると聞いています。


「……賢者様のご先祖様が女王の指輪を作ったそうだ。その償いをしただけだって言ってたよ。魔法ってすごいね。なにもない空間に姿を映して、声が響き渡っていたんだ。フェリシアにも見せてあげたかったな。まぁ、民達がそれを見たり聞いたりして、信じてくれたかどうかはわからないけどね」

それはとても不思議な光景だったことでしょう。

眠っていて、賢者様の古の魔法を見逃したことはちょっぴり残念です。


「魔道具の動力源の水晶には、魔術師達が手分けして魔力を注いでいる。それに、処刑した父や高位貴族だけでなく、不正をして財を貯めこんでいた貴族の財産を没収して、民や財政難で苦しむ下位貴族に食料など必要な形で分配してるよ。まだ、他にもやることは山ほどあるけどね。フェリシアの不在は挽回できてると思うよ」

そうでなければ、いくら王とはいえ婚姻の儀式をできるわけがありませんよね。

通例で行われる晩餐会は開催せず、お披露目だけでしたが。


「ありがとう、ジェレミー。王妃としてわたくしにできることってなにかしら?」

ようやく目覚めてからの一連の出来事やジェレミーの態度を現実として受け入れたわたくしはジェレミーに問いかけました。

「ただ隣にいてくれたらいいんだけど、それじゃフェリシアは落ち着かないんだろう? だったら一緒に国を治めていこう」

「それなら、喜んで」

ジェレミーとなら貴族も民達も幸せに暮らしていける国をつくれる、そんな予感がします。

国のために民のために生きなければ、半ば強制されるように生きてきました。

でも、やはり自分だけでなく、みんなが幸せであってほしいし、そうなれるよう力を尽くしたいのです。


「一番大事な仕事があるけど……」

ジェレミーの指がわたくしの唇をゆっくりとなぞりました。

今日はわたくし達は婚姻しました。今夜は初夜です。

急にそのことを思い出してじわじわと頬が染まります。


「もうなにも無理強いしたくないんだ。フェリシアが嫌ならしない。そういったことを一生しなくてもいい」

ふいにジェレミーの指が離れて、青い瞳でじっと見つめられました。

「それについても、喜んで」

恥ずかしくてジェレミーの耳元にそっと囁きました。

その次の瞬間にはジェレミーに抱きかかえられ、ベッドに移動しました。


ずっと夢見ていました。

王族席から、他の令嬢と踊るジェレミーを遠くからそっと見て。

ジェレミーの大きな手で触れられたい。

ぬくもりを感じたい。抱きしめてほしい。

その青い瞳でわたくしだけを見つめてほしい。


それ以上の夢がその夜叶いました。


ベッドの天蓋の向こうから朝の光が差し込んでいるのを感じます。

ジェレミーの腕の中で気だるい体をもてあましてまどろみます。

水晶の中で守られて眠っているのも心地よかったけど、今はそれ以上に心地いいです。


「君はもう女王の器なんかじゃない。ただのフェリシアで、俺の妻だ」

後ろからわたくしを抱きしめて、つぶやくようにジェレミーが言いました。


そうです。わたくしは女王の器ではなかったのです。

だって、今でもジェレミーに請われたら、喜んでこの命でも体でもなんでも差し出してしまうのですから。

ジェレミーが幸せであれば、他はなんだっていいのですから。

こんな女が国を統治できるわけがないでしょう?


「そうですね。わたくしと違ってジェレミーは生まれながら王の器ですよね」

「それも違うかな。フェリシアと共にいるために王になっただけだ。でも、なったからにはまっとうに国を治めていくけど。フェリシアは女王じゃない、俺の運命なだけだ」

ジェレミーの甘さに慣れないわたくしは顔が真っ赤に染まってしまいます。


「慣れるまで、囁き続けてあげるから大丈夫」

またしても、わたくしの心を見通したジェレミーが耳元にささやきます。

この甘さに慣れる日は来るのでしょうか?


これが深く眠って見ている夢でも、死後の世界でもかまいません。

どうかこの幸せが長く続きますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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