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幕間② とある愚かな婚約者の懇願 side ジェレミー

「もっと悪夢のような世界が広がると思って覚悟してたんだけどな……」

窓の外は昼間だというのに薄暗く、しとしとと静かに雨が降る音だけが聞こえる。


女王陛下の処刑から一か月が経った。

俺だけでなく、父である宰相や権力を握る高位貴族達も内心はなにが起こるのか怯えていたはずだ。

でも、女王陛下の処刑直後から雨が降っていること以外は特になにも変化はない。

大きな天候の変化とか、自然災害とかそんなものは起こる気配もない。


この静けさはなんだろう?

これから大きな何かの起こる前のひと時の平和なのだろうか?

それとも女王陛下の慈悲なのだろうか?

それとも眠っていてもフェリシアが存在するだけで、この地に恵みをもたらしてくれているのだろうか?


「俺はなんにもわかってないんだろうな、フェリシア」

厚い氷に覆われて眠るフェリシアにいつものように声をかける。

フェリシアを覆う氷は不思議なことに冷たくなかった。

その無機質で硬質な氷に背を預ける。


俺はフェリシアが氷に覆われた日から、フェリシアの私室でずっと過ごしていた。

こんなにずっと一緒にいるのは子供の頃以来かもしれない。


女王陛下が女王の秘法を発動したので、フェリシアが傷つけられることがないのはわかっている。

でも誰にも咎められないのをいいことに、ここに居座り続けている。


「こんなことになるなら、ずっと隣にいればよかったな……」

自らを厚い氷の中に閉じ込めてしまって、もう声も届かないフェリシアに話しかける。

氷の中に浮かぶようにして眠っているフェリシアはとても穏やかな顔をしていた。

女王陛下は処刑され、フェリシアも眠ったまま。


きっともうしばらくすれば、フェリシアの不在により問題が噴出するだろう。

問題はなにも解決していない。

でも今、俺はとても穏やかな気分だった。

時間の流れがゆっくりに感じられて、湯船の中にゆらゆらと浸かっているような心地よさを感じた。


フェリシアはもう誰の声も聴きたくないのかもしれない。

もうなにもしたくないのかもしれない。

フェリシアと外の世界との間にある厚い氷が、フェリシアの拒絶を表しているようだ。


こんなことになるなら、裏側から策を弄さずにずっと隣にいればよかったんじゃないか?

そうしたら、一人寂しく氷に閉ざされることもなかっただろう。


結局、俺は子供の頃と同じで無力で無知なままなんだろう。

今だって頭の中を後悔ばかりが渦巻いて、どうすればいいのかわからない。


背後の氷の中に浮かぶフェリシアを眺めた。

自分の瞳の色によく似た鮮やかな青色のドレスをまとったフェリシアはとても美しい。

フェリシアを思って選んだネックレスやイヤリングも清楚なフェリシアに華を添えている。

自分の部屋の衣裳部屋の奥深くに隠していたフェリシアのために作ったドレスやアクセサリーをまとって、会議場に現れた時は驚いた。

後からフェリシア付きの者に確認したら、屋敷から俺の名で離宮に届けられたらしい。

全ては無駄だったのか?

父を上手く欺いていたつもりだったが、父の手の平の上で踊っているだけだったのか?


あの十二歳の誕生日に感じた無力感が蘇る。

十二歳の誕生日に父から贈られたのは閨教育だった。

国の要職につく父を尊敬していたが、その幻想がガラガラと崩れていく。

「お前は次期女王の王配になる。あの小娘を手玉に取るんだ。そのための技術を今から叩き込んでおけ。王女との恋愛ごっこは終わりだ」

俺の抵抗を見越していたのか護衛騎士に拘束され、父に監視される中で顔も知らない女との初体験を終えた。

快楽なんて一つもない、屈辱的な体験だった。

それが父の目的の一つだったのだろう。

徹底的に俺の心を折って、支配下に置き従順な駒にするための。


自分が汚れてしまったような気がした。

フェリシアとの綺麗だった思い出が全て千切れていく。


次にフェリシアに会った時、その手をとることは出来なかった。

「ジェレミー」と呼ぶ声を無視した。耐えられなかった。

俺は汚れてしまったのに、フェリシアは綺麗な紫の瞳で見つめてくる。

俺は虚ろな目で自分の手を見つめた。

もう、君の手を取ることはできない。


その時、フェリシアの存在ごと拒絶してしまったのは俺なのに。

それでも、フェリシアを諦めることなんてできなかった。

今思えば、運命のように思えた出会いも父に仕組まれたものなんだろう。


でも、頭に浮かぶのはフェリシアのことだけ。

勉強をするときの真剣な顔とか。

甘いものを食べてほころぶ顔とか。

庭園の花を見てうっとりとする顔とか。

甘やかにジェレミーと俺を呼ぶ声とか。


フェリシアの存在の全てが愛おしい。

その気持ちは子供の頃から今までずっと変わらない。


自分が汚れていようと、フェリシアが求めていなくても。

フェリシアの隣にいるのは自分だ。

誰にも譲らない。


愚かな俺は正面きって戦うことから逃げた。

フェリシアとの関わりを絶って、自分の無知や無力をひっくり返すために奔走した。


まずは貴族の勢力図を頭に叩き込んだ。次は、父ではなく自分についてくれる味方を探した。

はじめは母方の実家から。

父には敵も多かった。騙し討ちのような形で嫁がされた母や母の実家も父を恨んでいた。

そのおかげで腐敗した政治をする父や、遊び惚ける公爵家の息子である俺に憤る正義感の強い奴が突っかかってきた。

そういった相手も慎重に調査して、自分の勢力に巻き込んでいった。

そして優秀な下位貴族や平民をそういった伝手を利用して、城で働けるよう育成した。


暇を見つけては、城の禁書を収める書庫に忍び込んだ。

城の奥にしまいこまれた禁書を読んで、この国の本当の歴史と妖精の血を引く歴代の女王が受けた仕打ちを知った。

自分がいかに何も見えていなくて、知らなかったのかを思い知る日々だった。

新しい事実を知るたびにギリギリと奥歯をかみしめた。

自分が父からされたことなんて大したことないと思えるぐらいの黒い歴史がそこにはあった。

女王はただの操り人形で、ただの器だ。

国や国の権力者達の。

このままではフェリシアもこの国の犠牲になってしまう。

女王に即位して、女王の指輪をはめたら同じ道を辿ってしまう。

それだけは絶対に阻止したかった。


「俺はいつも何も見えていないのかもな、フェリシア」

厚い氷を背に両手で顔を覆って、ため息をつく。今も昔も無知で無力だ。


その頃の俺はフェリシアを女王に即位させないために、人脈を築き人材を育成することに注力していた。

遠くの未来ばかり見ていて、自分が大事なことを見逃していると気付いたのは、十三歳の時だ。


城で開催された舞踏会で、王族席でフェリシアが珍しく同年代の男と話していた。

「お前も気になるだろう。アイツは隣国の第四王子だよ。自国では同世代の高位貴族の令嬢があまりいないみたいでな。大方、王女の王配の座を狙ってるんだろうよ……。敵は国内の奴だけじゃないぞ。そろそろ気をひきしめていけよ。王配は何人になるか決まってないんだから」

隣国の第四王子だという男は、自分と同じような風貌の美少年だった。

それを見て胸の奥がチリチリする。フェリシアは疎遠になった幼馴染のことなんて忘れているだろう。

そして俺にかつて向けてくれていた笑顔をこいつに向けるんだろうか?

俺に嫉妬する資格なんてないだろう?

婚約者でもないし、十二歳のあの時以来フェリシアと言葉を交わすこともない。


いいじゃないか……

王子と王女だし、外見も似合ってるし……

王子なら俺と違って身も心も清いだろうよ。

俺はやさぐれた気分で勝手知たる城の人通りのない場所をふらふらしていた。


「あーあ、次期女王だっていうから期待してたのに、とんだお子様だな」

「ふふふ、王子殿下、人に聞かれてしまいますよぅ」

「ちゃんと子作りできるかなぁ? あんな子供のご機嫌取りしないといけないのかぁ」

「でも、そうしたら一生安泰でしょう? それに、遊び放題じゃない?」

「こんな風に?」

「きゃはは、王女殿下かわいそー」

「まぁ、君みたいに綺麗な子がいっぱいいるならいいかぁ」

そこに居たのは先ほどフェリシアと親しげに話していた隣国の第四王子だった。

我が国の貴族令嬢と親しげに腕を組んで、暗がりへと消えていった。


俺はそのまま壁を背にずるずると座り込んだ。

フェリシアの周りはなんでこんな屑ばっかりなんだ。

ぶん殴ってやりたいけど、俺にその権利はない。


「大丈夫ですか?」

フェリシアの声に、背中に冷や汗が走る。

はっと顔を上げると、廊下の片隅でうずくまる侍女にフェリシアが声をかけていた。

自分に気づいているわけではないことにほっとする。

「……王女殿下!! なんでもありません……」

「なんでもないわけないですよね。気分が悪いんですか?」

他人が困っていると見過ごせないフェリシアの気質は変わっていないようだ。

まっすぐで善良なところも。

俺が物思いにふけっているうちに、フェリシアは騎士を呼び、体調の悪い侍女にそのまま付き添っていった。


久々に近くで見たフェリシアは、痩せていて、顔色もあまりよくないようだった。

離宮に忍び込み、フェリシアをしばらく観察することにした。


フェリシアは早朝から城の教会の水晶に魔力を注ぐ。

朝食をとって早々に執務室へ。王太子見習いだからといって、女王や宰相や他の高官達の書類まで回されている。

軽く昼食をとると、午後から王太子教育、女王教育を受ける。

その後にでたらめな魔術の訓練をして、魔術を発動できないことを叱責される。

そして忙しくしている合間に、困った人を助けている。

あれだけフェリシアに国や民のためにつくせといいながら、父達権力者が贅沢を享受するための道具にされている。


フェリシアのまっすぐさや善良さはただ搾取されて、人のために動いても感謝されることも褒められることもない。

見返りもやりがいもない日々。

フェリシアは妖精なんかじゃない。

人間の女の子なんだ。しかも一人ぽっちだ。


ぎりぎりと拳を握りしめた。

誰かにフェリシアの幸せを託したらだめだ。

じわじわと周りから攻めているだけではだめだ。


「この城の警備ってさ、ザルだけど離宮は特にひどいよ。警備もだけど、お姫サマが暮らしている場所って思えないよね」

隣でおとなしくフェリシアの様子を見ていた側近のジンがぽつりと言った。

ジンは孤児上がりの騎士で、縁あって今は俺の片腕を務めている。

「お姫サマって将来女王サマになるんだろ? なんか食べ物におなか痛くなるようなもの混ぜられたり、大事にしてた植物をわざと枯らしたり、けっこうなことされてるぜ」

ジンの言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。

フェリシアをないがしろにしているのは、父や高位貴族だけではなかった。

城に仕える者達もフェリシアを見下し、こっそりと嫌がらせをしていたのだ。


それからは、それまでに培ったつてを使って離宮の侍女や侍従を自分の息のかかったものに入れ替えていった。

少しでもフェリシアが快適に暮らせるように。

少しでもフェリシアの負担が減るように。


「ろくでもない婚約者だったよな、フェリシア」

フェリシアを包む氷に額をつける。あの頃の自分を思い出すと自分で自分の首をしめたくなる。


十五歳になり、フェリシアの王配候補として婚約者になった。

婚約者の義務である週に一度のお茶会で、フェリシアを近くで見られる。

でも、まっすぐに見つめることも優しい言葉をかけることも、触れることもできなかった。

父の手の者が気配も消さずに、茶会を観察している。

フェリシアと婚約してから俺への監視は強まった。

下手なことはできない。

ただ、フェリシアの好物を手配してこっそり盗み見るくらいしかできない。

近くにいてもなにもできないのがもどかしかった。

「フェリシア、そんなことをしたってなにも変わらない。君は要領が悪すぎる」

監視している者の耳が気になって、こんなことしか言えない自分を殴りたくなった。


城で舞踏会が開催される度に、私財でフェリシアの装いを揃えた。

それでも周りの目があるので、自分の色や、豪華なものは避けた。

エスコートをする夢のような時間はあっという間に終わってしまう。

父や他の貴族達の目を欺くために、踊りたくもないのに請われるままに踊り、愛嬌をふりまく。

群がる女達に気のあるそぶりを見せて、情報収集に励んだ。

その頃にはフェリシアはいつも穏やかな微笑みを浮かべるようになっていた。

その瞳に失望や嫌悪の色が見えることが怖くて、直視することはできなかった。


こんな愚かな婚約者の俺をフェリシアはいつか許してくれるだろうか?

いや、いいんだ。

フェリシアに拒まれたら、ただ隣にいて、これまでのように陰で支えよう。

フェリシアが心から笑えるように。


「許してくれとは言わないが、せめて傍にいることは許してくれないか……」

両手で氷にすがり、厚い氷の向こうのフェリシアに話しかける。


フェリシア、愛してる。

傍にいたい。

声を聞かせてほしい。

笑ってほしい。

なんの憂いもなく幸せになってほしい。


そのためだったら、なんでも差し出すから。

だから、お願いだから―――


「ジェレミーっ!!! どうなっているんだ! なんなんだこの事態は!」

フェリシアとの過去の回想に浸る穏やかな時間は突然、終わりを告げた。

ノックもなしに入ってきた父がどなり散らす。

フェリシアを覆う氷から離れて、父の真正面に立つ。


「なにか御用ですか?」

そろそろ現れる頃合いかと思っていたが、思っていたより早かったようだ。

いつもは綺麗に整えている髪の毛も髭もぼさぼさになっていて、その表情はやつれていて、目だけがやたらとギョロギョロしている。

贅沢を楽しむことだけの平和な日常生活を送っていたので、人から責められ事態がどんどん悪くなっていく状況に精神がもたなかったのだろう。

人を散々虐げて、支配していたくせに、自分が窮地に置かれるとこんなにもろいとは。


「醜いな……」

「は? なにか言ったか? なんでこんなことになっているんだ? なんとかしろ! ジェレミー」

自分の感情もろくに制御できない。

国の政治を動かす頂点である宰相という役職なのに状況を把握できていない。

自分で策を考えることもできない。

ただ、怒りをあらわにして、駄々をこねるようにして人にどうにかしてもらうことしかできない。


「だから、あなたのしたことの結果がこれでしょう」

窓の外でしとしとと降り続ける雨を指して言う。


「女王陛下はおっしゃっていましたよね。処刑して、妖精の血を引くものがいなくなったら、この土地への加護がなくなると」

俺の脳裏に、満月の夜に女王陛下と交わした会話が鮮明に蘇った。

フェリシアが婚約破棄と廃太子を告げられ、厚い氷の中で眠っている前で俺は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


「ねぇ、アタシと取引しない?」

そこに現れたのは女王陛下だった。


「宰相を煽って、アタシを処刑するって流れにもっていく。その後、この世界がどうなるかわかるよね?」

女王が亡くなり、フェリシアが眠っている。妖精の加護がない世界。

城の禁書を読み込んでいた俺は、その世界を鮮明に想像できて、ぞっとした。


「きっと、天候は荒れ狂い、自然災害が起こるでしょうね。その上、魔法水晶が空になったら魔道具も作動しなくなる。フェリシアが仕切ってた管理部門も崩壊するわよね」

そうこの国の政はフェリシアが自覚ないままフェリシアを中心に動いていた。その事実も知っていた俺はただ頷く。


「そうしたら、宰相やこの国を牛耳ってる高位貴族を糾弾して、責任をとらせるのよ。あんたなら上手いことできるでしょう? この日のために準備してきたんでしょう?」

確かに裏で動いてはいたけど、こんな事態を想定していたわけではない。

じわじわと実権を握って、フェリシアをこの国の枷から解放しようと思っていただけだ。


「でも、俺なんて……それに女王陛下を処刑だなんて……そんな罰当たりなこと……」

想像するだけで恐ろしくて、激しく首を横に振る。


「でも、そうでもしないと私もフェリシアも処刑される。そうなったら無駄死によ。最後まで宰相や高位貴族はごまかして自分の利益だけを貪り、この国は衰退していくでしょうね。民達は意味もわからず、苦しみの中死んでいくのよ」

確かになにも手を打たなかったら、父達は最後まで保身に走り、その場しのぎの失策を繰り返して、やがて国は傾き滅亡するのだろう。

俺にも簡単に想像できる。自分の無力さに唇をかみしめる。


「ただ殺されるより、腐敗を一掃して国を再生させてほしいの。そしてフェリシアに自由になって幸せになってほしい。あなたならできるでしょう?」

女王陛下はいつもの妖艶な笑みではなく、楽しそうに無邪気に笑う。

それでも、頷くことはできない。

女王陛下であるというだけじゃない。彼女はフェリシアの母親だ。

そして、俺は彼女がフェリシアを思っているのを知っている。

満月の夜にフェリシアの眠る離宮に忍び込み、愛おしそうに彼女の頭をなで子守歌を歌う姿を見ていた。


「フェリシアはいつもその時にできる最善をつくした。あんたも最悪の中で、できる限りのことをしたじゃない。血のつながった母親のアタシなんかより。あんたのほうがよっぽどフェリシアのために動いていたよ。アタシには自分とあの子の命を終わらせることしか考えられなかった。サイテーでしょ。だから、この決断を躊躇しちゃダメだよ。宰相は女王を処刑する禁忌を犯す。フェリシアの価値を他の貴族や民達にわからせるためにも女王の処刑は必要なことなのよ」

女王陛下の目は本気だった。俺に自分の手を血で染める覚悟を問うてくるような。

人の生死を決めてしまうことに体が震えてくる。

争いごとを経験したことのない俺にとってはじめての経験だった。

自分なりに考え、女王陛下の言葉に最後は頷いた。


それからの出来事はあっという間だった。

それでも何度も躊躇した。

宰相である父と女王陛下のやりとりを聞いた時、女王陛下が平民の罪人のようなひどい扱いを受けてる時、処刑の瞬間まで。

止めようとする俺を女王陛下も何度も視線で制した。


そして訪れた女王陛下の最期の瞬間を目に焼き付けた。

それは眠っているフェリシアにそっくりな穏やかな表情だった。

ほとぼりが冷めてから、ボロボロになった女王陛下を城の片隅に丁寧に埋葬した。


女王陛下とのことを思い出していた俺は怒鳴る父に現実に引き戻された。

「ジェレミー! ジェレミー! 聞いているのか! 国中の魔道具が動かなくなったぞ! あと、城の指揮系統はどうなっているんだ! 普段の業務さえ、どうしていいのかわからないと文官が嘆いている。平民が各地で暴動を起こしていて、貴族が城につめかけているぞ。なんとかしろ、ジェレミー! そもそもお前がそこの小娘を手懐けておかないから、勝手に氷にこもってしまってこんなことになっているんだろう!」

興奮して唾を飛ばしてまくしたてる父の言葉を手の平を向けて遮る。


「承知いたしました。なんとかしてみましょう」

自分にもこんな愚かな生き物の血が流れていると思うとぞっとする。

この目の前の愚物への親子の情など、一滴も残っていなかった。


「なんだ!! なんで俺を拘束するんだ! 離せ! おい、お前は騎士団長じゃないか! お前の妻がどうなってもいいのか!」

「妻は亡くなりました。あなたが治療費を出し世話をすると言った私の妻は、町はずれの教会の前に打ち捨てられていたそうです」

「そんな……そんなはずはない……人違いだ!」

「そんな妻を見つけて、医者を手配し治療の手はずを整えてくれたのはそこで眠る王女殿下です。妻の最期の時にも立ち会ってくれたそうです。おだやかな顔で息を引き取ったそうです。殿下はなにもできなかったと私に何度も頭を下げてくださいました」

「……そんな……」

「私は情けない男です。女王陛下の恋人だった弟を無実の罪で処刑され、文句の一つも言えなかった」

「あの男は処刑されて当然のことをしたんだ! 没落寸前の伯爵家の次男ごときが女王と恋仲になり、子供を孕ませるなんて言語道断だ!」

「私も当時はそう思いました。護衛騎士として恥ずべきことであると。確かに結婚前にそのようなことになったのはいけないことでしょう。でも、なぜ女王陛下に王配を選ぶ権利がないのですか? 誰のための王配なのでしょう?」

「それがこの国の慣例だからだ!!」

「あなたのような一部の権力者のための、ですか?」

「ジェレミー、この男じゃ話しにならん! おい、なんとかしろ! おい、そこの騎士、騎士団長をなんとかしろ!」

大柄な騎士団長に拘束され、それでもじたばたとあがく父。

そんな父に向かい、周りを取り囲む騎士達がいっせいに剣を向けた。

「ひっっ!!」

さすがの父も一瞬で言葉を失い、自分に向けられる殺気に顔を青ざめさせてぶるぶる震えだした。


「あなたにとっては当たり前のことだったのでしょう。歴代の高位貴族の権力者がやったのと同じことをしただけなのでしょう。一部の高位貴族だけが贅沢をして、女王を操り、その他の貴族や平民から搾り取るという……。それがどれだけ人々に恨まれることか想像できませんでしたか? 今まで自分のしたことの報いを受ける時ですよ」

正直な所、はじめは俺に賛同する貴族なんているのかわからなかった。

でも、母の実家や騎士団長をはじめとして恨みを募らせているものは多かった。

そして、フェリシアに感謝し忠誠を誓うものの数はもっと多かった。


「お前は実の父を裏切るのか! 悪魔なのかお前は!」

父は情けなく泣きじゃくりながらも、最後まで俺に訴えかけてくる。

「ああ、俺は悪魔なのかもしれない。それでいいよ。これから俺はお前を処刑する。親を殺した俺は地獄に落ちるんだろう。でも、お前だって女王陛下を殺しているし、生きている人の心を何度も殺してるんだ。それを忘れるなよ」

そう言うと俺は父を連れていくよう、騎士団長に頷いた。

きっと父は女王陛下と同じ、いやそれ以上の屈辱的な一夜を過ごすのだろう。

最後の最後まで父に対して肉親の情は湧いてこなかった。


「俺がなにをしたって言うんだ! みんなそうやって、女王を利用していい暮らしをしてきたじゃないか! なんで俺だけ! おのれ、ジェレミー許さないぞぉぉお―――!!」

小雨の降る中集まった民衆に石をぶつけられながら、最後まで父は俺への恨みを叫び続けた。

そこには国一番の知恵者と言われた宰相の面影は一つもなかった。

元々、国一番の知恵者という謳い文句も、宰相という地位も父にはふさわしくなかったのだろう。


「死んでも理解できないんだろうなぁ……」

まだ民達の興奮が残る処刑場でつぶやいた。

父や数名の権力者の頭がゴロゴロ転がる風景を見て、何も思わない自分にはもう人の心がないのかもしれない。

むしろ、斬首刑なんて一瞬で終わる刑ではなく、火あぶりにでもしたかった。

雨が降っていなかったら、そうしていたかもしれない。


「それじゃ、頼んだよ」

「ええ、お世話になった分働きますよ。私たち平民の暮らしが良くなるよう期待しています」

俺の横で深くフードをかぶった長身の男がにこやかに微笑む。

その横に立つ同じくフードをかぶった小柄な男が紙の束を俺に差し出した。

護衛の騎士が一瞬殺気だったのを、手で制して受け取る。

パラパラと厚手の紙をめくると、そこにはフェリシアの姿が描かれていた。


「女王陛下からの贈り物です。くれぐれも頼んだわよという伝言つきです」

長身の男は片目をつむると、小柄な男と連れ立って町の雑踏にまぎれていった。


「本当に俺はなんにも見えていなかったな」

薄曇りの空を眺める。まだ、しとしとと雨は降り続いている。


先ほど話していた二人は女王陛下がかつて侍らせていた美しい吟遊詩人の二人組だ。

二人は兄妹で、まだ年端もいかない子供だった。

女王陛下が行き倒れているところを拾い、吟遊詩人を装わせて匿っていたらしい。

兄の方は音楽の才があったらしく、これから吟遊詩人として生きていくらしい。

男かと思っていたが小柄な方は女の子で絵の才能があり、女王陛下に請われてフェリシアの絵を描いていたようだ。


女王陛下の死後に、その事実を打ち明けられた俺は市井に悲しい妖精女王の物語と悪政を敷く権力者の話を流すよう頼んだ。

どこまで真実が伝わるかは神のみぞ知るといったところか。


「おーい、ジェレミー。お姫サマの氷溶けてきたみたいだぞー」

側近のジンの呼びかけに、にわかに現実に引き戻される。


本当に愛していたら、フェリシアの幸せを祈るのだろう。

誰かフェリシアに見合うようなまっさらな相手との。

でも、俺は自分勝手だからフェリシアを勝手に俺の妻にする。

フェリシアが俺のことを嫌っていても、見限っていても。


神とか他の誰かに希望を託したって、無駄だから。

一生、側で見守ってフェリシアの希望を叶えて、幸せにする。

子供の頃のようにふわふわと楽しそうに笑えるように。

国や民のために全力をつくせるように、そしてそれがきちんと知られ評価されるように。

これからもフェリシアのためなら自分の手がどれだけ汚れてもかまわない。


そんなことを考えている俺も死んだら、父と同じように地獄に落ちるんだろう。

だけど、今だけは……生きている間だけはフェリシアの隣にいることをどうか許してほしい。

後編に続きます。

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