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修学旅行

1

「ところで来週はいよいよ修学旅行だな」

 野村が話出す。実際、中学三年生の楠田たちにとってもっとも重要な事項かもしれない。

 塾終わりにいつものファミレスでいつもの3人が集まっている。

「班分けとかは決まったか?」

 コーラを飲みながら楠田が答える。「うちのクラスは学校の班のままだよ。あえて旅行用に班分けはしないらしい」

「そうか、じゃあ、うちと同じだな。仲のいい奴と回りたいってごねてるやつもいたけど、それはそれであぶれるやつも出るからな。難しいところだよな」

 野村は大人の意見を言う。確かに今のクラスで班分けを自由にすると楠田はあぶれてしまいそうだ。

 鷲尾が言う。「でも日程表をみると自由行動なんか殆どないじゃん。班分けの意味あるのか?」

「修学旅行でどこかの学校の生徒が、美術館の美術品をぶっ壊したりしたからな。学校もなるべく監視したいんだよ」

「でもやっぱり修学旅行は京都、奈良になるんだよな」

「そりゃ、修学って名前が付いてるからな」という楠田の回答に対して、鷲尾が聞く。

「どういう意味?」

「文字通りだと、学問を修めるだから、旅行を通じて知見を深めるというところかな」

「知見?」

「ああ、見て知ること、知識を広げるとでも言うのかな。歴史的建造物やその時代背景を勉強するのが目的だな」

「なんか、頭痛くなりそうだな」

「そこはあくまで建前だよ。本当はみんなでわいわいやって思い出を作るっていうのが主旨でいいんだよ」

 楠田の説明に二人とも納得する。まあ、修学旅行をその字のまま鵜呑みにする中学生もいないだろう。みんな旅行を楽しみにしている。

 ここで鷲尾が言う。

「姉ちゃんが言うには、うちの中学はずっと奈良京都らしいよ。それもいっつも同じ宿で同じバス会社、さらには日程までもまったく同じらしい」

「まじか」野村が絶句する。

 なるほど、学校側としてはとにかく面倒が起きないように毎回、同じ内容で管理項目を減らしたいわけだな。でも先生たちはいつも同じでいいんだろうか、まったく楽しめないではないか。

 野村が話題を変える。

「それでさ。泊まる旅館のことなんだけど」どこか不安気でもある。

「出るらしいぞ」

 出るとは何だ。うまい食い物の事ではない気はする。

「何が?」

「いつも同じホテルなんだけど、先輩の話だと夜中に泣き声が聞こえるんだって」

「ああ、俺もねえちゃんから聞いたことがある。深夜に地下のほうから泣き声がするって話だな」鷲尾が同意する。

「そうなんだよ。どうやら昔、修学旅行で亡くなった生徒がいてさ。そいつがこの世に未練を残して、旅行生が泊まる時に限って泣き出すらしい」

 どういうことなんだろ、修学旅行生限定の幽霊なのか。

「普段は出ないんだ?」

「そうらしい。修学旅行限定で出てきて、毎回騒ぎになるらしい」

「じゃあ、宿泊先を変えればいいじゃないか」楠田が至極まともなことを言う。

「いや、それがさ。旅行代理店と学校が癒着しててさ。そこの宿を使うのは既成路線らしい」

 まじか、それはまずくないか。週刊誌が聞きつけたら問題噴出しそうな話だ。

「まあ、あくまで噂だからな。幽霊騒ぎは行って見てのお楽しみかな。また楠田が解決できるかどうかってところか」

「バイト代はでないけどね」

「でも話題作りには面白そうな話じゃないか、俺たちも協力するよ」

「そうだね。怪異についての修学は必要かもな。怪異メンバー活動継続か。ああ、じゃあ水元にも情報を流しとくよ」

 野村は楽しみとは思えない顔をする。話の流れを変えたいのか、その野村が話し出す。「修学旅行で告白するやつって多いのかな?」

「告白って?」

「告白って言ったら愛の告白だろ。告るんだよ」

 なんか、韓流ドラマみたいなことを言っている。しかし確かにそういった話は聞いたことがある。

「旅行中に告るのか、じゃあ、旅行以降はカップルも増えるんだろうな」

「実際、そうらしいぞ、まあ、中3だと夏までは緩いけど、2学期からは受験モードに入るだろう、だから修学旅行までが恋愛に浮かれる最後の機会なんだ」

 なるほど、楠田としては年中受験モードだからあえてそんな風には考えていなかったが、世間はそんなもんなんだろうな。

「それでさ、今度の修学旅行で告ろうと思ってるんだ。想い出作りの一環でさ」

 野村が突然、何か不思議なことを言いだした。思いで作りか、むしろ話題作りと言う気がする。相手について聞いてみる。

「それで誰に告るんだ?」

 野村はもちろんその気のようだ。

「水元かな」

 楠田と鷲尾が顔を見合わせる。

「そうか、野村はああいうのがタイプか」鷲尾が含みを持った言い方をする。

「いやあ、だって水元ってかっこいいじゃん。女としてもそうだけど、同じ中学生としてもイケてる気がする。鷲尾はどう思う?」

「まあな、俺も野村と同意見だな。水元は女を越えてるというか格好いい」

「じゃあ鷲尾も告るのか?」と楠田が聞く。

「いや、なんかダメな気がするよ。俺、そういう感は鋭いんだ」

 そうなのか、モテル男はそういうセンサも発達してるのか。鷲尾は少し考えてから、「修学旅行の想い出作りだな。俺は応援するよ。楠田はどうする?」

「俺はそんなこと全く考えてなかった。実際、恋愛対象となると思いつかないし、ただ、野村を応援するよ」

「まあ、どうなるかはわからないけど、じゃあ修学旅行中に告白してみるよ」

 まったく、変な話になった。まあ、これから受験地獄になる前の息抜きか、うまくカップル誕生となれば夏休みも少しは楽しいかもしれない。

 というわけで旅行中のお楽しみも決まる。ちなみに3人は全員クラスが違っている。楠田は1組、野村は2組、鷲尾は3組だ。お誂え向きに水元は野村と同じ2組だ。


 旅行当日。天気は快晴でまさに絶好の旅行日和となる。

 さすがに田舎のため、奈良京都に行くためには新幹線の乗り換えが必要になる。東北新幹線で東京駅から東海道新幹線に乗り換える。

 そのため朝は早くなる。京都に昼前に着くために7時半に駅前集合となった。こうなるとこういう時に必ず遅れてくる奴が出てくるのが常で、案の定うちのクラスも一人遅れていた。一人だけ待つと全員共倒れの恐れもあるので、担任の福本碧ひとりが駅に残ることになり、代わりに学年主任の怖い遠藤教諭が1組を引率して出発する。

 ちなみにうちの担任は科学部顧問の福本碧である。福本は1年の西園寺の副担任以降、ずっと楠田と同じクラスでここまで来た。噂だが福本が楠田を同じクラスにしたいという意向があったと聞く。ほんとか嘘かはわからないが、楠田に絶大な信頼を置いているらしい。そういったクラス分けを先生の意向でできるのかは不明だ。これはあくまで噂である。ちなみに噂の元は西園寺なので限りなく真実に近いと思われる。

 まず地元の駅から在来線に乗り、新幹線が停車する最寄り駅まで行く。今回の様な不慮の事故―単なる寝坊―も想定して、けっこう時間的な余裕はあるようで、そこでさらに30分ぐらいは待機時間があった。

 ここで生徒たちに宿に関する幽霊話の聞き込みをしたかったのだが、怖い学年主任が自由行動を禁止したので身動きが取れない。ちなみにその怖い遠藤教諭は50歳を越えているが、独身であだ名は鉄仮面である。数学の教師だが色々なことに実に細かく指摘をする、まじめを絵に描いたような先生なのである。まあ、とにかく硬い、鉄の様に硬い。さらに笑い顔がそうであるとわからないほど、表情が変わらない。笑い顔で赤ん坊が氷ついたという噂もある。それで鉄仮面だ。楠田たちはその鉄仮面ににらまれて、身動きが取れない状態で駅の構内で待つ。

 新幹線の発車10分前になって、ようやく遅れてきた生徒が福本に引きずられるように到着する。遅れてきたのは門倉というちょっと、いやずいぶん小太りの男の子で、話によると急に腹痛になったとのこと。恐らく興奮しすぎたのだろう。

 なんとか予定の新幹線に乗ることができ、無事出発と相成った。

 修学旅行は二泊三日で京都、奈良を回る。京都から観光バスで周遊するコースである。初日は奈良を中心に回ることになっていた。

 新幹線での車内移動は禁止。同じ車両内であっても移動するなと言う。車内だったらいいような気もするが、一つ許すとガタガタになりそうなのでそういうことらしい。マンモス校だと貸し切り専用新幹線になるらしいけど、うちのような3クラスしかない学校は貸し切り車両が限界だ。ちょうど1車両を貸し切りにして、さらにその車輛脇にトイレを設定するという徹底ぶりだ。とにかく他の車両の乗客との接触を極力避けることを主眼に置いている。

 そういう車内監禁状態のまま、ようやく京都駅に到着し、お昼ご飯となる。駅近くのホテルのレストランで食事だ。京都の料理は薄味と聞いていたけど、それほどでもなく、出汁が聞いているのかおいしかった。

 そして観光バスに乗車して本来の修学旅行が始まる。バスはクラス単位で3台あり、うちの観光バスのガイドさんは年配のベテランさんでした。最近はガイドに若い人は集まらないみたいで、他の車両も同じようなベテランガイドばかりだった。一生懸命、ガイドをしているが、朝早かったせいか車内はほとんど睡眠時間と化している。楠田はバスに酔いやすいので一番前の席にしてもらう。そして楠田の隣には福本碧が座る。

「楠田君、みんなのフォローをお願いね」

 いやいや、それは先生の役目でしょと思いながらも差しさわりの無い笑顔で切り抜ける。さらに数分経つと福本本人もコックリコックリと夢の中に入っていく。結局、酔わないようにしていた楠田とガイドさんの二人だけが起きていて、楠田専用に旅の案内をしてもらうといった格好になる。バス酔いどころではない状態だ。

 奈良最初の目的地は定番の東大寺である。初めての奈良なのでここの大仏には驚く。鎌倉の大仏も大きいと思ったが、この大仏の大きさは桁違いで凄い。さらにこれが749年に鋳造で作られたとは驚きである。クラスのみんなもこれには珍しく驚いていたが、福本が最も感動していたようだった。彼女も初めての奈良だそうだ。そういえばこれが最初の修学旅行の引率になるのか。

 奈良公園に行って鹿に餌やりでも出来るのかと思ったら、奈良公園は素通りで、団体行動のままただ歩くだけではないか。

 一緒に回っている福本に聞いたところ、これについても以前自由行動にしたら、鹿せんべいを取られただの、鹿にかじられた、つつかれたと大騒ぎになり、収集が付かなくなることがあったとかで、ずっと前に取りやめになったらしい。福本は教員会議のなかで、奈良公園で鹿に鹿せんべいをやりたいと言ったそうだが、先輩教師に総スカンを食ったらしい。

「鹿とキタキツネをごっちゃに考えてる親がいて、変な病気を移されたらどうするのって大変だったらしいよ。それと鹿にいたずらする生徒もいて、それ以来、奈良公園での自由行動は無しになったそう」

 福本が憤懣やるかたない顔で楠田に話しかける。なんか、楠田が福本を付き添ってる感じになっている。

「鹿に鹿せんべいって基本的な奈良旅行のルートですもんね」

「そうなのよ。あと、法隆寺も行きたかったんだけど、時間が足りないってそれも無し。ああ、つまんない」

 はあ、いつまでも女子大生気分では困るんだが、この先生は自分の旅行とはき違えてる。

 そんなわけで初日はこれでおしまい。バスは京都市内に戻って宿に入る。奈良で宿泊すればいいと思うが、どうやらこれも色々カラクリがあるようだ。こういう話も福本が漏らしてくれる。

「京都のホテルに2泊したほうが安くなるのよ。それと同じ宿の方が管理が楽ってこともあるし、奈良だとガイドと運転手の宿泊代もかかるのよね」

 こういう話を安易に生徒にしていいのかとも思うが、まあそういうことのようだ。

 宿は『ホテル杉本』という中堅どころで、それほど有名なところではない。これもカラクリがあるようで、宿は約100名を学校単独で宿泊できるところにしているようだ。他の宿泊客とのトラブルがないようにしている。過去にそういったトラブルがあったということではないらしいが、学校側も生徒に何かあった場合のモンスターペアレンツ対策のようだ。

 ちなみにうちのようなド田舎であってもモンスターペアレンツはいます。

 ホテル杉本に到着する。クラス単位で風呂に入るように指示される。当然、1組が最初で、もたもたしてるととんでもなく混んでゆっくり入れなくなる。楠田はとにかくすべての行動が早い。一番に風呂に到着して一人で入浴する。

 さすがにこの秒速に対抗できる奴はいない。宿の風呂は中堅ホテルの割に結構広かった。湯船はテニスコートほど広くはないが、バトミントンコートぐらいはあるかもしれない。

 風呂から見る外の景色はまずまずで、一応、東寺の五重塔も見えている。湯船につかって少しすると2番手が来る。あれはクラスのオタク代表、門倉君だ。今日も旅行に遅刻して福本に怒られていた。ジャンクフードが大好きなやつでぶよぶよ太っている。多分、裸を見られたくないので早めに来たんだろうな。楠田がいるのを見てぎょっとしている。タオルで全身を隠しながら話す。

「楠田君、早いな」

「うん、入るのも早いけど出るのも早いよ」

 そういうと楠田は、早速湯船から上がり、洗い場で身体洗浄にとりかかる。なるほど一応、ここは温泉らしい。泡立ちがいまいちだななどと思いながら頭を洗う。十分に泡立ったところで、シャワーをしようとしたら、いきなり後ろから声がかかる。

「楠田君」

「うわっ!」

 泡の中から眼をしばたかせて声の方を見ると、ぶよっとした門倉君が真後ろにいる。びっくりさせるなよ。

「何?」

「君知ってる?このホテルのこと?」

「え、杉本ホテルのこと」

「いやいや、正確にはホテル杉本ね。」

 どっちでもいいだろそんなこと、などと思いながらも一応合わせる。

「ああ、ホテル杉本ね。いや、よく知らない」

 本当は怪異話があるのだが、あえてしないことにする。門倉は、にやっと笑いながら、「ここ出るらしいんだよ」

「出るって幽霊?」

 その回答に門倉はつまらなそうに、「知ってるの、なんだ」と、がっかりする。

「いや、知らないけど、出るって言うとそうなのかなって思ってさ」

 その反応で門倉は喜んで続ける。

「いや、実はね。地下のどこかの部屋に幽霊が出るらしいんだよ」

「地下?」

「そうなんだよ。生徒の幽霊が夜中に出てきて泣くんだって。どうする?」

 いや、どうするって言われても、それより門倉のお腹のぶよぶよの方が怖い気がする。この歳でこんなに太って大丈夫なのか。 

 楠田の視線に気が付いたのか、「あんまり見ないでね。エチケットだよ」と恥ずかしがる。

「ああ、ごめん」

「あとで仲居さんにどこに出るのか聞いとくよ」

 門倉は幽霊が嫌いじゃないみたいだな。オタクの考えることは良くわからない。そのまま隣で体を洗いだした門倉に質問してみる。

「門倉君はオカルトとか好きなの?」

 その質問を待ってましたとばかりに話し出す。

「もちろん、オカルト博士と呼ばれてるくらいだよ」

 こいつがそう呼ばれてるのを初めて聞いた。門倉は成績はそこそこ、帰宅部で特にクラスでも目立つ方ではない。ただ、典型体なオタクでアイドル好きだと聞いている。そういったグッズも集めているし、握手会などにも頻繁に参加しているらしい。背は160㎝だが体重は100㎏ぐらいありそうだ。色白で髪型もごく普通の中学生らしいマッシュヘアというやつだ。あだ名をつけるとすればもちろんブタなのだろうが、そんなことは言えない。

「よく知ってるんだね」

「ここのホテルはうちの学校は毎年、利用しているんだ。かれこれ10年以上になるんじゃないかな。だからそういった噂が出るんだ」

「いつも同じコースなんだよね」

「ここだけの話、僕は学校とホテルが癒着している気はしてるよ。なにか裏金が動いているかもしれない」

 何かの読み過ぎだとは思うが、適当に話を合わせる。

「それで門倉君さ、オカルトの話だけど、地元のそういった話も詳しいの?」

「もちろんだよ。けっこうあるんだよ。楠田君は日本兵の金縛りって知ってる?」

 おお、こいつも知ってたのか、けっこう有名な話なんだな。

「へー、そんな話があるんだ」

「そうなんだよ」それからしばらくはその話が続く。いや、それは解決済なんだけどね。

 体も洗い終わって二人で湯船につかりながら話の続きに移る。

「他には何か知ってるの?」

「うん、西中学校の妖怪話」いやいや、それも解決済だって。

 仕方なく門倉君のうんちくに付き合う。のぼせそうになって湯船から出て風呂の端に座りながら話の続きをする。この時間になると他の生徒もどんどん温泉に入って来る。何人かは楠田たちの話に加わって来ている。

「他に知ってる話はある?」

 門倉君ものぼせそうになっているので、楠田の隣で風呂場の端に座りながら話を続ける。

「第一小学校の神隠し」

 はて、神隠しとは何だろう。

「僕は転校してきたから小学校は第一小学校じゃなかったんだ。残念なんだけどさ。いたら同級生だったらしいんだよな。あれ、楠田君は第一小学校なんだよね」

「そうだけど、その話はよく知らないな」

「へーそうか、その神隠しはみんなの記憶も隠すみたいでさ、覚えている人が極端に少ないらしいんだよ。何せ神隠しにあった子供の親も誰だかわからないらしいんだ」

「親も神隠しにあったのかな?」

「どうなんだろう、子供がいなくなったら親は探すもんだよね。そういった捜索の記録もないらしいよ。まさしく神隠しだよ」

 楠田たちの周りには数人がいて、話を聞いている。その中の同じ小学校だった生徒が話す。

「俺も第一小学校出身なんだけど、その話、確かにたまに出るんだよ。そういった男の子がいなかったかって、俺も言われるといた様な気もするけど、よく覚えていない」

 小学校に神隠しの話があったとは。他の生徒も当時の話をしだす。ただ、いたような気がするといった意見が大勢を占めているだけで、とにかくはっきりしなかった。

 温泉場も大混雑になって来たので、そこで切り上げて風呂から出る。門倉も一緒に出て体を拭いている。楠田が見ていないと思ったのか、体重計に飛び乗っていた。なんだか少しうれしそうだ。いやいやホテルの体重計はサバを読んでるんだよ、低めに設定してあるんだからと教えたくなる。


 夕食前にいつもの怪異メンバーで打ち合わせをする。水元もメンバーなので呼ばないと拙いが、呼んでいいのか少し迷う。これからの野村告白イベントを考えてのことだ。でも一応、呼んだ。

 ロビー前の喫茶スペースで打ち合わせ。ここでコーヒーとか飲んでると、先生にどやされるので何も注文せずにソファに4人で座る。楠田が口火を切る。

「うちのクラスの門倉君が幽霊話を知っていたよ。やはり噂にはなっていたみたいだ。クラスの数人に話を聞いたところ、知ってる人間も何人かいたんだけど、みんな似たり寄ったりの情報で、詳しいことは知らなかった」

 これに鷲尾が続ける。

「3組の連中も同じだな。幽霊の話は俺たちが知らなかっただけで、その筋では有名な話らしいよ。あと、金縛りも妖怪の話もみんな知ってた」

 やっぱりそうなのか、今回の一連の怪異は地元じゃ有名だったんだ。となると幽霊話も真実味を帯びる。

「門倉君も知ってたよ。地元のオカルト好きには有名な話なんだな。野村はどう?」

「こっちも同じだな。幽霊話はみんな知ってて、変な期待をしてるみたいだよ」

 満を持して水元が話を始める。

「女子の方がそう言う話は好きなのよね。深夜になって泣き声が聞こえだすらしいよ。それでその幽霊なんだけど、数年前にこのホテルに泊まってた修学旅行生がその主らしいよ。何でも盲腸だったのを隠して無理して旅行にきたみたい。最後は痛みで倒れちゃって結局腹膜炎を発症してた」

 有力な情報が出た。鷲尾がつらそうに話す。

「それで亡くなったというわけか」

「やっぱり旅行には行きたいもんな。ちょっとかわいそうだね」

「腹膜炎って結構怖いんだよ」

 確かに盲腸、虫垂炎のことだが、破裂して腹膜炎を発症すると命が危ない。盲腸だからと甘く見ない方が良いのだ。

「幽霊話だけど仲居さんにそれとなく聞いてみようと思ってる」

「そうか、何か分かったら教えてくれよ」野村は気が気でない。

「うん、連絡する」

 ここでさきほど門倉から聞いた神隠しの話をしてみる。

「門倉君が言うには俺たちの第一小学校で神隠しがあったって知ってる?」

 三人とも同じ小学校出身だ。顔を見合わせながら少し考えている。野村が言う。「そう言えば、その話は聞いたことがあるよ。第一小学校は元々神隠しが多かったらしい」

「そうなの?」

「昔から生徒がいなくなることがよくあったみたいだよ。それでそのことを誰も覚えていないっていうんだ」

「それじゃあ神隠しじゃないかもしれない」水元が言う。

「まさにそうなんだ。何もなかったって話になる。ただ、何となく覚えてる子もいて、それが元で噂になるみたいだ」

「なんか不思議な話だね」鷲尾がつなぐ。

「ちょうど俺たちがいた頃にも起きたって言うんだよ」

「そうなの?」水元が考えこむ。二人も考える。

 鷲尾が遠くを見るような眼をする。「どうかな。何とも言えない。少し気になることはあるかな」

「そうなんだ」

「ちょっと思い出してみるよ。すぐにはわからないな」

 残りの二人も同じような反応をする。一応、これで連絡会は終了となった。ここで野村が真剣な顔で切り出す。

「ああ、水元、ちょっといいか?」

「え、何?」

「ちょっと残ってくれる?」

「いいけど」不思議そうな顔をして水元は残る。

 楠田と鷲尾は席を離れる。はたして野村の恋はどうなるのだろうか。他人事ながらどきどきする。


 2階の自分の部屋に戻ろうとして、通路を歩いているとちょうど前から仲居さんが歩いて来る。母親と同年代ぐらいだろうか。

「すみません。ちょっといいですか?」

「はい、何でしょうか?」中学生が何の用事だろうかといった若干怪訝そうな顔である。

「変な話ですみません。うちの学校で話題になってるんですが、こちらのホテルで変わったことが起きたりしませんか?」

「変わったこと?」

 こういった中途半端な聞き方だと拙いか、もう少し本題に近い聞き方にするか。

「地下のある部屋に何か出るとかいった」

 ここまで話すと仲居さんは気が付いたようで、

「ああ、幽霊の話ですか?」

 いきなり出た。

「そうです。以前、そう言った話を聞いたんですが」

「はいはい、それね。根も葉もない噂やと思うんやけどね」

「うそなんですか?」

「そうです。ああ、ちょうど修学旅行の時によく出るって言ってね。ほら生徒さんはそう言う話が好きでしょ」

「そうなんですか」

「地下室の方から泣き声が聞こえるって言われて、見に行ったこともあったんですよ。結局何もなかったんですわ」

「地下室があるんですか?」

「ええ、地下は倉庫だとか、リネン室になってます」

 そこへ野村からラインが入る。

『玉砕』なるほど、野村にしてもショックはショックなんだな。短い文章でそれがわかる。

「それで地下に行くことは出来るんですか?」

「地下は従業員だけになってます。お客様はご遠慮ください」

 なるほど、入室禁止ということか。


 ホテルの自室に戻る。8人が同じ部屋でザコ寝する形になっているようで、8畳間が二つ繋がっている。オカルト博士こと門倉は同じ部屋で、早速幽霊に備えて録音機材やカメラを準備している。

 夕食は全員が宴会場に集合する。ちなみに浴衣などは着ません。学校で使っているジャージを着ることになっています。

 学年主任の鉄仮面こと遠藤先生から、これからの注意事項と明日の注意事項をくどくど言われ、校長先生からは修学旅行の一日目の総括と無事に旅行を続けられるように激励の挨拶があり、ようやく食事が始まる。

 まあ、京都の宿の料理なのでそれなりかと思ったら、けっこう美味しかった。昼間もそうだったけど京都の料理は出汁が聞いている。食事時に大体、妙に張り切る輩が出るのも良くある話で、普段はどれだけ食べているのかは知らないが、何度もご飯をおかわりしたがる。門倉ぐらい太ってるならわかるが、そうでもないやつが妙に大食いだったりする。ホテルが用意したおひつがすぐに空になって追加が出たりもしていた。帯同している養護教諭によると、あとで吐いたり胃薬を貰いに来る生徒が必ず出るそうだ。ようするにみんなハイテンションということか。

 野村の様子を見てみる。なんか気が抜けたような顔をしている。さらにそれを引き起こした水元を見るが、彼女はいつもと変わらない。いつもの水元だ。毅然と夕食を食べている。なるほど、さすがは大病院のお嬢様だ。食べ方も上品だ、などと見ていたら、水元と目が合ってしまった。なんか気まずい気がして目をそらしたが、何故か彼女はこっちをガン見している気がする。なんだろうか、気に障るようなことをしたんだろうか、などと考えてしまう。

 そうこうして夕食タイムは終了となる。全員でご馳走様をしてから、今日は解散となる。解散と言っても後は寝るだけだが、各自、部屋に戻ったり、ホテル内を散策したりしている。

 

 先ほどの幽霊話が気になったので、先生たちの目を盗んでホテルの地下に行って見る。従業員以外は入れないと言われたのだが、果たしてどうなのか。

 階段はフロントからも離れた場所にあるので、人気も少ない。周囲を確認し、素早く降りていく。地下への階段前にはスタンド付きの表示機に【ここには入れません】とある。それを無視して行く。まあ鉄仮面に見つかるとどやされるでは済まないが、怪異となれば確認しないわけにはいかない。

 地下は倉庫やランドリー設備になっている。予備の布団だとか、タオル、また、食材なども保管されているようだ。扉にはそういった表示がされている。

 表示灯程度の黄色いライトが点灯しており、客間と比べると明らかに薄暗い。廊下は建物の中央に奥まで長く続いており、確かに幽霊でも出てきそうな雰囲気はある。

 ゆっくりと廊下を歩いて行く。泣き声と言う話だったが、まだ7時過ぎのこの時間だと早すぎるのかもしれない。聞き耳を立てながら周囲を警戒する。自分のスリッパ音だけが暗い廊下に響く。ペタペタペタ。何も出るはずはないと思っていても何か気持ちの悪さを感じる。この薄暗さのせいだ。幽霊なんかいるわけがないのだ。

 ふと何かの音に気付く。はて、これは何だろう。どこかの部屋から聞こえてくる。何かがうごめく気配がする。

 自分のスリッパの音が気になるので、脱いでそれを手に持つ。音がする部屋は廊下の奥のようだ。音を立てずにゆっくりとその部屋まで来る。

 扉の前で部屋の中を伺う。やはりがさごそと何かの音が聞こえる。いったい何がいるのだろうか。扉を開けようかどうしようか、悩んでいると、いきなり扉が勢いよく開いて大柄の幽霊が飛び出してくる。

「ぎゃああああああ」こっちが言う前に幽霊が叫ぶ。幽霊は風呂場で豆腐のような体をしていた門倉だった。

「はあ、なんだ、門倉君か」

「そ、それはこっちのセリフだよ」幽霊ならぬ門倉は肩で息をするほど驚いている。「死ぬかと思った」

「ここで何してるんだ?」

「もちろん幽霊探しだよ」ぜいぜい言いながら答える。

「この部屋なのか?」

「そう思ったんだけど、まだいないみたいだ」

「まだいないってどういうこと?」

「早すぎるんだろうな。でも間違いない。この部屋だよ」

 門倉が扉の前で部屋を指さす。

「どうしてわかるんだ?」

「もちろん僕のオカルトセンサがそれを教えているんだよ」

 得意顔で門倉は変なことを言う。オカルトセンサとはなんだ。

「そのセンサはどこにあるんだ?」

 門倉は自分の頭を指さして「この中にあるんだよ」

 なるほど、そう思ってるだけか。

「俺も見てみる」

 そう言って中に入る。門倉もすでに見たはずなのだが付いてくる。

 そこは荷物置き場なのか、色々なものが置いてある。使わなくなった窓ガラスや大型のファンヒーター、空き缶やなんと古そうなテレビもある。

「ここは物置だな」

「そうだよ。ただ、こういった古いものに怨念は宿るんだよ。僕には死んでいった少年の未練を感じるんだ」

 楠田はその話を無視して、部屋をうろつく。

 やはり物置のようで色々なものが乱雑に置いてある。そしてその奥には大きなかごがあって、衣類やシーツなどの客間から出た汚れものが入っている。なるほど上の階からダクトを通じてここに落ちてくる仕組みになっているのか。

「楠田君も何かを感じるだろ?」

 門倉の話に確かに何かに気付く。何かの匂いがする。はて、これはなんだろう。

「何か匂う」

「だから、それは怨念の匂いだよ」

 はたして怨念に匂いがあるのかはよくわからないが、どこかで嗅いだような気もする。

「貴方たち何してるの」

 部屋の外に人がいる。先ほどのホテルの女性従業員のようだ。

「すいません。ちょっと迷ってしまって」楠田はとっさに繕う。

「地下にお客さんは入ったらだめですよ」

「すいません。今出ます」

 そういって門倉とそこを逃げるように出て行く。まずいまずい、こんな話を鉄仮面にでもされたら、旅行中監禁されるかもしれない。


 這う這うの体で一階に戻ると、ロビーに野村がいた。

「おう、野村」

 野村はなんだか元気がない。近づいてみる。

「残念だったな」

「なんかがっかりしたよ」玉砕話の詳細についてか。

「彼氏がいるわけじゃないんだけど。付き合えないって言われたよ。それで水元には好きな人がいるらしい」

 なるほど、そういうことか。

「へー優等生にもそういう人がいるんだ」

「頭と恋愛は関係ないだろ」

「確かにそうだな。それで誰だって?」

「はっきりしないけど、どうも学校の人じゃないらしい。外の人だって」

 ほう水元にもそういう人がいるのに驚いた。まあ恋する乙女なんだろうからそう言うこともあるだろうな、などと納得する。ただ何故か少し残念な気持ちになる。何だろう、この気持ちは。ひょっとして水元に気持ちがあったのだろうか。


 そして就寝となる。なんと枕投げ禁止だそうだ。禁止というか出来ないようになっているのだ。なんと枕がシーツとつながっている。ホテルが修学旅行生専用に作ったそうだ。というわけで枕投げができないので仕方なく、みんなであれこれと話をする。もちろん、見回りの先生が来ると布団に入り、寝たふりをする。そのサイクルだ。先生も分かっているようで抜き打ちと言った感じではなく、大きめの足音をさせながら見回りをしていた。

 それでも旅の疲れが出てきたのか、カメラを構えて幽霊を撮影しようとしている門倉も含め、結局みんなが寝てしまった。


 修学旅行2日目は京都観光である。もっとも今日からは京都のみの観光となる。午前中は三十三間堂と二条城を見学し、昼食後は定番の清水寺や嵐山観光である。ガイドさんの説明を受けるが二条城などは城でもないし、見た感じはなんじゃこれはである。歴史上重要な建造物らしいが生徒にとっては単なるお寺さんである。反面、清水寺には感動する。よくもまあこんなところにこれだけの建物を作ったものだという驚きである。門倉はこれは強度不足でいつかは壊れると歩くのも嫌なようだったが、400年近く地震などにも耐えているのだから、問題ないことを歴史が証明しているだろう。

 ここだけは珍しく生徒の自由行動があり、15時までにバスに戻るようにと言われ、放し飼いになる。まあ、この観光客の多い場所で生徒管理などしたら返って大変なことになる。女生徒などはキャッキャ言いながらおみやげ選びに闊歩していた。

 清水寺は真言宗とか言っていたが、西園寺は浄土真宗だったか、

 どう違うのだろう、どちらも仏教のはずだから似たようなものなんじゃないのか、キリスト教で言うところのクリスチャンとプロテスタントぐらいの違いなんだろうか、などと考えていると後ろから声がかかる。

「楠田君」

 振り返ると水元がいた。友人たちとグループで回っているようだ。

「おう、おみやげ探ししてるのか?」

「まあね」

 水元の連れが「じゃあ涼、先に行ってる」と別れていく。

「友達と一緒じゃなくていいの?」

「うん」

 少し言い辛そうで、何か話したいことでもあるのだろうか。

 清水寺の参道、二寧坂・産寧坂を歩く。ここは坂道になっていて両隣に家屋が並んでおり、みあげ物屋が数多くある。楠田が買うのは精々実家分だけなので、明日、京都駅で買えばいいかと思って何も買う気はない。水元が話をしないのでこっちから話す。

「水元はおみあげ買わないのか?」

「色々買ったよ。でもここら辺は似たような物が多いね」

「うん、大体、みあげものなんて製造元は同じ所じゃないのかな」

 水元はさらに無言で歩き続ける。なんとなくわかる。これは昨日の話だな。仕方ないこっちから切り出すか。

「野村のことか?」水元はうなずく。「仕方ないだろ、そういうもんだ。それとも気が変わったの?」

 水元は首を振る。「なんか、野村君と話しづらくなったよ。これからも一緒に怪異調査してもいいのかな?」

「ああ、それなら大丈夫だよ。俺も含めて鷲尾も野村もそういったことで尾を引かないから、今までどおりで問題ない」

「そう」水元はほっとしたような顔をする。

「男なんてそんなものだよ。無かった話みたいにできるはずだよ」

「わかった。それなら安心だ」

 なんだ、そんなことを心配していたのか。

「うん、水元が気にしないんなら今までどおり、調査を続けていいよ」

「そうか、それならよかった」

 いったんうれしそうな顔をしてから、再び困ったような顔をする。

「それでさ。話は変わるけど昨日の夜、幽霊騒ぎがあったの知ってる?」

 なんだ、幽霊騒ぎって。「どういうこと?」

「私たちの部屋でも聞こえたんだけど、誰かの泣き声が聞こえたのよ」

 泣き声。「それは例の幽霊のか?」

「多分、そうだと思う。しばらく泣いていて。みんな怖くて大変だった」

「それは何時ごろ?」

「就寝時間すぎて2時間ぐらいたった頃かな。多分12時頃だと思う」

「やっぱり地下から聞こえたのかな」

「うん、そうだと思う。下の方からだった」

「先生に言ったの?」

「一応、連絡はしたんだけど、先生に話した時間には泣き声がやんでたの」

「先生はどうしたのかな?」

「ホテルの人に話はするって言ったけど、多分、ポーズだけだと思う。面倒だし先生は泣き声聞いてないから」

「そうか」

「やっぱり何かあるよ」

「うん、わかった。ちょっと調べてみる」

 水元はそれなりの笑顔で、友達のほうに走って行く。野村との話も気になる。水元もそう言うことを気にするのか。少し意外な気がした。

 それにしてもやはり幽霊騒ぎは起こったということだ。ただ、楠田の部屋ではそういった声は聞こえてこなかった。これをどう考えればいいのか。


 ホテルの部屋に戻って、温泉に入る準備をする。部屋に門倉はいないのでもう風呂に行ったのか、一番風呂は逃したな。すでに数人が温泉に行く準備をしている。

 脱衣所に入るとちょうど出ようとしている門倉をみかけた。彼から寄って来る。温泉で上気したのか他で興奮したのか真っ赤な顔だ。

「やっぱり出たぞ」

「ああ、聞いたよ。泣き声だってな」

「僕のオカルトセンサは正確だってことだよ」

「でも門倉君は声を聞かなかったんだろ?」

「まあ、昨日は疲労困憊でそれどころじゃなかった」いやいや、ただ単に眠ってただけだろ。

「まあ、今晩はそうはいかない」門倉はそれだけ言うと出て行く。

 さあて彼の思惑通りいくのかどうかはわからないが。

 湯舟を見ると鷲尾がいる。そういえば彼の裸身は初めてみる。しかし期待通りの体形だ。それほど筋肉質でもないがすっきりとした体形で隙が無いという感じだ。自分の隙だらけの裸が恥ずかしいほどだ。

 片手を上げて彼の近くに行く。「幽霊話を聞いたか?」

「うん、聞いたよ。ただ、俺はその声を聞いてないんだ」

「そうか、水元は聞いたって言ってた。実際俺も聞いてない」

「なるほどな。じゃあ、聞こえる部屋があるってことだな」

「そういうことになるな」

「じゃあ、その辺を調査してみるよ」

「うん、俺も情報収集してみる。後でロビーに集合にしよう」

「わかった」


 夕食後、怪異メンバーがロビーに集合する。

 なるほど思ったより気まずい雰囲気はない。無かったことにできたようだ。

「じゃあ、ここまでで集めた情報をみんなで話そう。まずは俺から」

 そういって楠田は地下の様子や門倉との話をする。それに対して水元が話す。

「それは一番奥の部屋ってことだよね」

「そう」

「だとするとわからないでもないよ。泣き声が聞こえたのは2階の端の部屋が中心だもの」

 2階は女子部屋と教師の部屋となっていて、3階が男子部屋である。

「つまりは3階までは聞こえないってことだな」

 確かに当たり前かもしれない。地下の泣き声がそれほど遠くまで伝わらないのはわかる。ただ、2階でも相当に遠いはずだ。

 怨念を信じている野村は「やっぱり怨念のこもった泣き声は距離を無視するんだな」

 いやいや、だったら3階でも聞こえるだろう。少し整理しないとならない。

「2階の女子部屋でみんながその声を聞いたの?」

「ううん、端の部屋が中心、離れた部屋だと何人かパラパラって言う感じ」

「ということは地下のあの部屋が怪しいのは間違いがないかもしれない。あの部屋には汚れものを収納するためのダクトがあるだろ、そこを通じて上の階に音が漏れるんだよ」

「そんなに遠くまで聞こえるものなの」

「ああ、音ってそういうものだよ」

 楠田はここで何かに気が付く。なるほど可能性はある気がする。そしてあそこで嗅いだあの匂いだ。

 鷲尾がそれに気が付いたのか、「楠田、何か見えたのか?」

「いや、まだ確証はないけど、可能性はあると思う」

「何何?」水元は興味津々だ。

「それじゃあ、みんなで手分けしよう。今晩の手順について説明するよ」


 深夜12時近くになって布団からそっと抜け出す。

 門倉はさっきまで頑張って起きていたが、今しがたついに睡魔に襲われたようだ。今やいびきをかいて周囲の人間を逆に起こそうとしている。

 前日の教師の見回り時間からして、先ほど最終が終わったはずで、これ以上は無いと思われる。ただ、教師部屋の動きについては水元に警戒させることにした。何かあればスマホに連絡を入れる手筈にした。

 また、3階についても何か異変があった場合は、野村が連絡することにしている。つまりは水元と野村が待機係である。

 鷲尾と一緒に行動すると、それはそれで見つかる可能性も高いので、二手に分かれる。鷲尾については地下の階段脇の部屋に潜んでもらう。そして人が来た場合は楠田に連絡するような体制とした。

 昨日と同様にスリッパを脱いで廊下を歩く。さすがに深夜になると薄暗い廊下はひときわ不気味に映る。

 楠田は仮説を思いついていた。仲居の話だと泣き声はまったくのデマであり、そういったことは無いと断言していた。ところが宿泊客は声を聞いたという。学校の先輩の話もそうだが、昨晩の水元の証言がそれを覆している。つまりはホテルの従業員は何かを知っている可能性が高いのだ。それは何か、亡くなった学生の幽霊なのか、はたまた、別の何かなのか。

 例の部屋の前に来る。左右を見て人が来ないことを確認する。そしてその部屋ではなく、向かい側のリネン室に入る。

 部屋の大きさは10畳ぐらいなのか、棚が並んでありシーツや寝巻、タオルなどが積み重なっている。ここから各部屋に持ち込んでいくのだろう、それなりにたくさんの量である。

 ここで待機する。楠田の考え通りだとすると、それはこれから起きるはずである。ただ、それが絶対そうかと言われると言い切れるだけの自信がない。科学で解明できないものはないとは思うが、想定を越える現象が起きているのかもしれないのだ。知らないだけで魔界なる世界があり、そこの魔物が出てくることが無いとは言いきれない。つまりは我々の科学はまだ知らないだけだということもある。さらに死とはなんなのか、死んだ人間のいわゆる残留思念なるものは本当に無いのか、それは科学的に立証されているわけではないのかもしれない。亡くなった子供の未練がそこに残ったいるのかもしれない。

 いかんいかん、どうしてもこういった薄暗い環境だとそういった考え方をしてしまう。歴史上、そういった霊魂の類を立証した人間はいないのだ。科学で解明できないものはない。

 自分のスマホが振動して思わず、悲鳴を上げそうになる。単なる連絡だった。それも計画どおりの。

 鷲尾からのラインで『今、それらしい人がそちらに向かった』とある。いよいよ、幽霊が来る。

 足音が近づいてくるのがわかる。こんこんという高い足音、それが向かいの部屋の前まで来る。

 そして扉が開けられ、部屋の中で何やらごそごそと動きがする。しばらくたって再び扉が開き、幽霊が出て行く。そして一瞬の静寂の後、やはり声が聞こえだす。

 案の定、水元からライン連絡が入る。『泣き声が聞こえる』

 楠田が動き出す。確かに声がするのだ。ただ、それは泣き声などと言うものでは無い。部屋の扉を開けておそらくそれがいるところを見る。やはり幽霊はいた。

 猫ちゃん。

 飼い主の従業員から夜食をもらって食べ終え、今や一人ぼっちになって鳴いているのだ。猫は見知らぬ男に驚いて隅に逃げていく。これで泣き声は止んだだろう。

 楠田はこれだけだとつまらないので猫がいた場所に行き、ある言葉を話す。そして急いで部屋に戻る。


 修学旅行最終日のあくる朝、楠田はホテル側への対処をお願いするために担任の福原を使う。どう考えても楠田が動くと地下への不法侵入やら深夜の行動がばれるからである。やはりここは亀の甲より年の功である。福原だとその点は頼りない気もするが。

 結局、理由の説明に30分以上も費やしたが、ようやく半分ぐらいわかってもらえて、ホテル側に対処をお願いできることとなった。これで来年の修学旅行では幽霊騒ぎは起きないだろう。感謝してくれよ2年生。


 朝食会場に向かう。

 何か様子がおかしい。昨晩の件か、少しやり過ぎたのだろうか。生徒たちがひそひそと噂話に興じている。特に女生徒はきゃきゃとうるさいぐらいだ。

 会場前に案の定、水元が仁王立ちで待機していた。

「おはよう、それでさ、どういうことなの」

「うん、朝食後にメンバー全員に説明するから、ロビーに集まってよ」

「幽霊の話もそうだけど、あれは楠田君の仕業でしょ」

「ああ、それも含めて説明するから」楠田がにやりとする。

 そして朝食が始まる。

 生徒たちが鉄仮面こと遠藤先生を見ながら、なにやらひそひそ話をしている。女生徒を中心になにやら笑い声まで出ている。当の鉄仮面はそういうことには無頓着で一向に気にしていない。そう言う意味ではよかった。


 朝食後、怪異メンバーが事の顛末を聞くためにロビーに集まっている。

「おつかれ、少し眠いよ」楠田がみんなの前のソファに座る。

「説明してくれ」鷲尾が言う。

「わかった。あれは猫の泣き声なんだ」

「うそ、あんな泣き声の猫がいるの?」

「いや、あれには訳があるんだ。おそらくあの猫はホテルの従業員の飼い猫だよ。普通の三毛猫かな、猫の種類はそれほど詳しくないからそんな感じ。でさ、問題はあの地下の部屋にあるんだよ」

 全員が興味深そうに楠田の話に聞き入っている。

「あの部屋は物置になっていて、置いてあるものが問題なんだ。音が反射、さらには干渉も起こすようになっていたんだ」

「音の反射?干渉?」野村は首をひねる。

「日光東照宮って知ってるかな?」

「徳川家康の墓用に作ったお寺さんね」水元が言う。

「そう、家光の時代に建てたんだけど、建築物としても凝っててさ、猿の彫刻でも有名だよね」

「みざる、いわざる、きかざるね」

「そう、そこの薬師堂に鳴龍の間って部屋があってさ。あれは音の反射を利用して、龍の真下で音を鳴らすと音色が変わるようになってるんだよ。それこそ龍が泣くような高い音になる」全員、フーンと言う顔である。

「それと同じように地下室の部屋は、ガラス製品や歪な金属製品が多くて音が反射するようになっていたんだ。まずいことにその音源に猫がいたわけだよ」

「猫の泣き声が人間の声に聞こえたってこと?」

「そういうこと。後、これは推測だけど従業員の飼い猫だから、普段は家にいるんだろうけど、宿泊客が多い泊まり込みの時に連れて来てたんじゃないかな。あの地下室に」

「そうなのか、じゃあ昨日は従業員が猫を連れて来てたのか」鷲尾が昨晩見た話をする。

「そう、そしてあの部屋に猫を匿った。多分、俺が話を聞いた仲居さんなのかもしれないな。幽霊話を最初から否定してたからね」

「少しは身に覚えがあったってことね」

「おそらく。それとまずいことにあの部屋にはダクトがあって上の階まで音が聞こえることになってた。ダクトでさらに音が響くから余計に泣き声に聞こえたんだよ」

「そういえば、猫って言われればそう言う気もしてくる」水元は泣き声を聞いていた。

「そうだろ、やっぱり幽霊話の刷り込みもあったと思うよ」

「そんなことより、あの件は何なの」

 鷲尾と野村が不思議そうな顔をする。「あの件って?」

「あれは実験だよ。俺の声がどう聞こえるかってこと」

「声のことじゃないよ。内容は真実なの」

「多分そうだよ。西園寺が言ってた話だから」

「だから何の話だよ」

「楠田君が幽霊になってつぶやいた言葉よ」

「なんていった?」

「―鉄仮面は白のブリーフを履いている―」

 鷲尾と野村が驚く「まじ?」

「まじ、西園寺が笑いながら教えてくれた」

「幽霊が言うことだからみんな信じてるけど、あれでなんか拍子抜けしたよ。全然怖くなくなった」水元もにやける。

「面白い幽霊だったら怖くないだろ、そういう効果を狙ったんだよ」

 そうはいうが単に思いついた言葉があれだったのだ。


 この日は定番の座禅体験である。何とか寺―名前は忘れたーに行き、クラス単位で座禅をさせられる。座禅は瞑想であり自身を見つめる目的でおこなうそうだ。

 鉄仮面を見ると笑う生徒が続出し、お坊さんは煩悩が多すぎますとか言っていたが、それは仕方が無いと思う。だって14歳だよ。煩悩のかたまりじゃん。

 京都駅近くのレストランで昼食。旅行の最後に洋食がでた。京都駅で実家と西園寺へのお土産を買い、修学旅行の目的は果たせた。帰りの新幹線ではほとんどの生徒が熟睡していた。それなりに疲れる旅行ではあったわけだ。

 こうして修学旅行は無事終了した。


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