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妖怪

 西園寺は割と真剣な顔で妖怪と言う。いつもニヤニヤしているので真剣な顔の方が珍しい。それにしても妖怪って水木しげるの世界じゃないか、まじか、ついに怪異なのか。

 西園寺が話始める。「君たちは西中学校を知ってるか?」

 楠田たちが住んでいる町には二つの中学校があった。今、俺たちが通っているのは東中学で、以前は西中学もあったのだ。しかし、この地域の生徒数が減ったことで統廃合の一環として、西中学は廃校になった。確か5年ぐらい前だったはずである。しかし、田舎のこともあって、学校の跡地については再利用方法が決まらず、そのままとなっていた。

「はい、知ってます。実際、あそこは心霊スポットとしても有名になってます」

 野村が言う。彼はスポーツマンではあるが、妖怪だとかお化けの類が大の苦手だ。小学校の林間学校でやった肝試しも、参加を拒否するほど怖がっていたし、仲間内で行く遊園地などでも、お化け屋敷を最初からパスするほどだ。そのせいかオカルトや怪異の情報には人一倍敏感なのだ。野村の顔がより強張るのがわかる。

「そこに出るらしい」

「妖怪なんですか?」

「それはわからないが、何かがいるという話だ」

 まずは情報収集が必要だな。楠田が話す。

「現在、わかっている情報を教えてください」

「ああ、まずは妖怪が出るのは夜限定だ。まあ、普通そうか、それと何か鈴の様な音がするらしい」

「鈴って、チリンチリンって感じですか?」

「うん、どうかな、多分そうなのかもな。それと妖怪の姿については意見が色々出ている」

「それは色々な形をしているんですか?」

「人によって見方が変わるのかもしれない。今、聞いているのは熊の様な大きさだとか、フランケンシュタインのようだとか、獣の姿だとか、まあ色々なんだな」

「どうしてそんなことになるんですかね。出てくる妖怪が変わるのかな?」

「どうしてだろうね。見た人の話を総合すると、そういう話としか言いようがないんだ」

「襲われるんですか?」

「そうらしい。ただ、ケガをしたような人まではいない」

 ここで鷲尾がとんでもないことを言う。

「戦ったやつはいないんですかね」

 そんなやつはいないだろ、ゲームじゃないんだから、西園寺がいつもの笑顔になる。

「いたらしいが、返り討ちにあったそうだよ。体力には自信があった奴らしいが、何か妖術のようなもので意識を失って、転がされたらしい。翌朝、校庭で気が付いたみたいだ」

 それはびっくりだ。

「よく戦おうなんて思うな。相手は妖怪かもしれないんですよ」野村は信じられないという顔だ。

 西園寺は笑いながら、「まあ、今のところの情報はそれぐらいだな。やれるか?」

 野村は明らかに尻込みしている。鷲尾はいつもどおりだが、水元が一番やる気に満ちている。そして叫ぶ。

「やります!」

 おいおい、水元、いつからお前はリーダーになったんだよ。他の三人は笑いながら、うなずく。

 そして妖怪退治が始まる。


 いつものようにまずは作戦会議になる。水元は初参加だが、いつものようにファストフード店に行く。晩飯もついでに食べるいつものコースだ。水元は家に電話をしてから参加となる。少し遅れて3人で座っている席にお盆に食べ物を持った水元が来る。

「おまたせ、うちの親はうるさいんだよ。誰と行くのとか遅くなるのとか、まったくいくつだと思ってるのか」

 いやいや、気にするのが当たり前だろ、まだ14歳だぞ。それにお前はうら若き乙女だぞ、親をなめるな。

 鷲尾が聞く。「それで誰と行くって言ったの?」

「女友だちにしといた」

 まあ、無難なところか、鷲尾とか言うと却って問題が大きくなる。まあ、とにかく話を進めていこう。

「それでどうする?」

 野村は気乗りしないのを顔全面に出している。水元が話す。

「まずは現地調査でしょ、今週の土曜日に行ってみようよ。昼と夜の二本立てで」

 何か映画の上映みたいな話にしている。しかしそれが無難なところだろう。

「そうだな、それがいい。昼間の明るい内に校内全体を確認してから、夜に怪異の正体を探るのがいいな」

 野村の様子を見るが、顔がどんどん青ざめている。助け舟を出すか。

「野村は昼は探検参加で、夜の部は外で待機してもらおうか。何かあった時の連絡要員になれよ」

 楠田の助け舟に野村はほっとした顔をする。が、空気を読めない水元が言う。

「え、それはまずくない。野村君も怪異を見たいよね」

 男たちはあきれた顔をする。空気を読めって、そんなんで医者になれるのかよ。

「いや、怪異の正体もわからない状態だから、何かあった時の緊急要員は必要だよ」

 楠田渾身の力説に水元も渋々了承する。

「そうかな。わかった。野村君、悪いね」

 いやいや、全然悪くない。お前は野村の様子から気が付かないのか。

「じゃあ、まず土曜日の13時に現地集合としよう。とりあえず、持って行くものは特にないよな」

 全員がうなずく。それからあれこれしゃべりながら食事する。

「いつも三人で食事してるの?」

「そうだね。塾の後はそうするな。場所はこことか、お好み焼き屋とかさ、色々だけどね」

「そう、いいね、男子は」

「そうかな」

「うちは特にうるさいんだよ。門限も9時だよ。早くない?」

 まあ、中学生なんだから普通じゃないのか、ましてや田舎だし。鷲尾は水元に同意しているようだ。

「そうだな、もう14歳なんだから、個人の自覚に任せるべきだな」

「でしょ、そうだよ。もう14歳だよ。すぐに15歳だし」

 当たり前だ。しかし、14歳に大人の自覚があるのか?鷲尾と水元は意見があうようだ。いいカップルになれるのかもしれない。鷲尾は芸能人並みの超イケメンだし、水元も見ようによっては芸能人に見えなくもない。

 彼女の門限の9時前に解散となり、作戦会議は終了となった。


 その後、一応、妖怪についても調べてみる。

 鈴の音の妖怪話は色々あるようで、鈴の音を出す妖怪を弓の名手が退治した話や『千々ちぢこ』という妖怪の正体は鈴だったとか、また、水木しげる先生の作品にも鈴を使った話がある。確かに鈴と妖怪は縁がある気がする。鈴の音が聞こえるだけで、そこはかとなく恐ろしかったりするものだ。

 今回の案件はそういった類の話なんだろうか、怪異でないとすると鈴の音に近い自然現象はあるのだろうか、しかし、襲撃された人もいるという。現象にしては無理があるか。怪物に間違えるような動物がこの地域にいるとは思えない。熊が出ることは無いことはないが、いくら田舎と言ってもここ数年、聞いたこともない。それともいよいよ熊がこの地域に出てきたというのだろうか。

 そんなことをうつらうつら考えながら、金縛りにも会わずに寝てしまう。


 土曜日。家で昼食を取ってから廃校となった西中学まで自転車で向かう。西中学はこの地域でも山側にあるので坂もある。さらに学校の裏には山があり、それ自体けっこう鬱蒼としている。

 中学校の正門に集合だったが、楠田が一番乗りである。

 正門は鍵が掛けられて、ご丁寧にチェーンも巻いてある。立ち入り禁止という看板もある。学校周辺にはコンクリート製の2m近い塀があり、簡単に入れないようにはなっているようだ。

 野村が到着する。昼間なのでそれほど怖がってはいない顔だ。それでも緊張気味なのはわかる。

「おう、楠田、早いな」

「今来たところだ。中に入れるのかな?」

「どうだろ、正門はこの有様だけど、裏に回るのかな。だって誰かが入ってるから、妖怪の噂が出るんだもんな」

 続いて水元が到着。彼女の自転車は楠田たちのママチャリとは違う。俗に言うクロスバイクというやつだろう。マウンテンバイクとロードレーサーの良いとこ取りみたいな自転車だ。女の子らしく真っ赤な自転車である。

「お待たせ」

「いい自転車だな」野村が自転車を見て言う。

「あんまり乗らないんだけど、自転車が欲しいって言ったらこれになった」

 さすがは医者の娘だ。お金持ちだな。でもこっちも同じく医者の息子か、だけど自転車ほしいなんて言ったことがない。自分で勝手にママチャリ買ったし、水元の自転車はいくらするんだろ、高そうだから聞くのはやめる。

 そして最後に到着したのは、なんとびっくり、鷲尾とその連れがいる。

「久しぶりだね。慎吾と祐ちゃん」

 楠田たちの事をそう呼ぶのは鷲尾の姉、通称最終兵器こと鷲尾茜だ。野村の顔がときめくのがわかる。

 さすがに現役の芸能人だ。オーラが違う、そしてかわいくて綺麗だ。まさに透き通るような美しさで、最終兵器という名称には肯定しかない。身長は170㎝ぐらいか、典型的なモデル体型で、ウエストなんか、折れそうなぐらいだ。

「茜さん、お久しぶりです」野村は昔から最終兵器のファンで、事あるごとに鷲尾を羨ましがっている。姉弟なんだから羨ましいとは意味が分からないが、野村としては普段から一緒にいたいということなんだろう。「どうしたんですか?」

 それには鷲尾が答える。

「姉ちゃんはこの西中学出身なんだよ。最後の西中生。1年生までここにいたんだ」

「そうなの、懐かしいな。ここに妖怪が出るって聞いて、面白そうなんで見に来たの。夜は参加できないんだけどね。ここ出身だから大体、中の構造はわかるよ」

 これは心強い。茜さんに案内してもらおう。楠田が質問する。

「それで茜さん、どこから入れるんですかね?」

「うん、正門側は鉄壁なんだけど、後ろがガラ空きなんだよ」

 自転車を正門前に置いてから、用水路になっている隙間の様な細い通路を歩いて裏手に回る。途中まではコンクリートの塀が続いているが、それが途切れると金網になり、校内はグラウンドになる。昔は野球部が練習したのだろうか、それなりの広さがある。

 そしていよいよ裏に回る。ここは山側になるのか、そこから裏山が見える。やはり山は鬱蒼としている。そうこうすると、ありましたよ。金網が破れている箇所が。ここは昔からそうなのか?

「茜さん、ここは昔から開いてるんですか?」

「いい質問だね。基本は閉まってるんだけど、有志の皆さんが開けたりするんだな」

 早い話がここからバックレてたんだな。

 そこからみんなで中に入る。野村も茜さんがいるので、怖がる素振りを見せないようにしている。なるほど、茜さんにはそういう効果もある。

 歩きながら茜さんが話しだす。

「君たちはこの学校の怪談話を知ってるの?」

「はい、西園寺から聞きました。夜に出るんですよね。鈴の音が鳴るって言う」

「ああ、それは最近の話ね。私が言ってるのは昔の話で、学校が廃校になる前の話」

 4人は顔を見合わせる。妖怪話って以前からあったのか。

「ほらさ、そこの山」そういって鬱蒼とした裏山を指さす。「この裏山、丘に毛が生えたようなやつだけど。あそこは通称鬼山って言ってさ、鬼が住んでたって話があるんだよ。浅間山にも同じような鬼伝説があるんだけど、あの話は本来ここじゃないかって言う説もある」

「昔話ですよね」野村が精いっぱい強がって聞く。

「そうなんだけど、ここの周辺には鬼のつく地名も多いじゃん」

 確かに鬼石という場所もある。元々、鬼に縁のある地域なのかもしれない。

「それでさ、廃校前から夜に鬼が出たみたいな、噂はあったんだよね」

 その話は知らなかった。

「ここで弘法大師が鬼を退治したって伝説もあるんだけど、その退治された鬼の怨念が裏山に宿っててさ、夜に出てくるんだってさ」

 ああ、まずい話だ。すでに野村の顔色が変わって来た。

「でも、昔話の鬼って、本当は野盗だとか、異人が悪さしたってことじゃないんですか、それが伝説になって鬼になったとかよく民俗学の先生が話してますよね」楠田が必死でフォローする。

「その辺は私はよくわからないな。でも何人か見たって生徒もいたんだよね。夜の学校だったり、裏山で鬼を見たっていうのもあったんだ」

「どんな鬼なんですか?」

「それはよくわからない。私は見たわけじゃないからね」

「茜さんはそういった話に詳しいんですか?前も西覚寺の階段で段数が増えるのは、黄泉の世界につながってるとか、話をされてましたよね」

「まあね。割とオカルト好きでそういう話を調べてるところもある。だから、本当は夜の部も参加したいぐらいだよ。結果を翼から聞くのが楽しみでもあるんだな」

 なるほど、こういう人もいるんだな。これだけの美人なのにちょっと変わってる。

 裏から表に回り、校舎の入り口まで来る。茜さんが扉を開けようとするがやはり鍵がかかっている。

「やっぱりな。じゃあ、ここも裏から行くか」

 茜さんについて再び裏に回る。裏側の奥の方、元は給食調理場だったところだろうか、ブリキの煙突の様なものが飛び出している。現在、給食は市内にある給食センターで一括して作られており、各学校に配送されている。昔は個々の学校で調理していたらしい。

 調理場があった場所には裏口らしき扉がある。ここも見た感じで壊されているのがわかる。ドアノブが変な方向にねじ曲がっている。みんなここから侵入するんだろうな。茜さんはその扉を当たり前のように開けてどんどん中に入っていく。野村はこの辺から尻込みし出す。すでに一番後ろにいる。水元は振り返って、そんな野村を不思議そうに見ている。

「野村君、後ろを見張るつもりなの?昼なんだから何も出てこないはずだよ」と関係ないとんちんかんなことを言っている。

 給食の調理場は、学校があった頃からもう稼働していなかったようで、埃まみれで調理器具などもなく、単なる物置と化している。

「ここは私がいた頃も調理してなかったな」茜さんが言う。

 そのまま調理場を抜けると、いよいよ校舎内に突入する。

 5年近く人がいなかった場所とは思えない。やはり心霊スポットとして何人かが入り込んだ形跡がある。食べ物の包装紙やゴミの類が結構な量で落ちている。そしてそこにたくさんの足跡がついている。

「人が入った形跡がありますね。足跡もついている」

「そうだね。頻繁に人の出入りがあったみたいだ」

 やはり心霊スポットとして、巷では有名な場所なんだろうな。肝試し目的でたくさんの人が入り込んだと言うことだろうか。茜さんはどんどん校内を進む。職員室と看板のある場所に来る。

「ここが職員室だ」

 扉を開けて中を見る。机類はない。がらんどうだ。

「懐かしいな。一年しか居なかったけど、それでも思い出があるもんだね」

 何もない場所でも、見る人が見ると思い出が浮かんでくるものなのか、果たして自分はどうかな。今の学校に思い出が残るのだろうか。

 職員室を出て、保健室や音楽室、理科室などを過ぎて、廊下の突き当りにある階段を登る。

「茜さんの教室はどこだったんですか?」

「2階にあったよ。2階が1年生で3階が2年生、4階が3年生だった。でも1年生は1クラスしかなくて、翌年に東中学と統合されたんだ。2年生はかろうじて2クラスあったけど、1クラスの人数は30人もいなかったな」

「今、東中学は3クラスですよ。茜さんの時代は何クラスあったんですか?」

「うちらが編入して4クラスだった。じゃあ、今もさらに減ってるんだね」

「そうですね。田舎のせいもあるかもしれませんけど、全国的にも子供の数が減ってますから」

「そうか、みんな結婚願望もないしな。これから子供は減る一方だな」

 その話に一番後ろの野村が食いつく。

「あ、茜さんも結婚願望はないんですか?」

「私?今はないかな。芸能界を見てると幻滅するようなことも多いしね。どこかでそんな気になるのかな。水元ちゃんはどうなの?」

 突然、振られて水元が考えながら答える。

「私はありますよ。それなりに夢見る少女ですから」

 夢見る少女か、自分で言うか、なんかすごい表現だな。ふと自分の事を考える。確かに結婚願望はないな、結婚自体が面倒にしか思えない。自由は無くなるし、一人が気楽でいい。それと何故か幸せそうな家族を見ると逆に不安になる。なんかその幸せが脆くも崩れていくような気がしてならない。そういうドラマの影響かもしれない。ネガティヴ思考が強すぎるのだろうか。

 茜さんが自分の教室らしき場所に入る。

「ここだ。1年1組」

 やはり教室には何もない。ところがふと見ると教室の入り口付近や、階段の前がなにやら黒くなっている。

「何だろう、誰かが火でもたいたのかな。黒くなってる」

 確かにたき火でもしたような跡がある。

「ここでたき火でもしたのかな。物騒だな」

 よくよく見るとたき火だけでなく、茶色の何かの粉みたいなものも散乱している。何だろう。水元が座り込んで熱心に見ている。

「楠田君、何かな。なんか匂うよ」

 確かに何か糞のような臭いがしている。

「誰かがお漏らししたのかもよ」

 とたんに水元が飛び起きる。

「汚いな。もおー」

 嗅いで見ると動物の糞のようなアンモニア臭がする。

「ひょっとすると妖怪の糞か?」鷲尾が言う。

 それに異常に反応するのが野村だ。すぐに周囲を見回す。何かが出てくるのかといった怯えが見える。

「この教室だけなのかな?」茜さんがそう言うと、他の教室も見て回る。ひとつのフロアに5教室分の部屋がある。他の部屋を確認すると、それ以外の部屋にはなかった。一体、何なのだろうか、不思議ではある。

「上の階にも行ってみようか」

 茜さんはそう言うと階段に向かっていく。

 野村の様子を見るとすでに全面警戒モードに入っている。いやいや、まだ昼間だし、出ないと思うのだが、とにかく異常に周囲を気にしている。いつ何が出ても逃げられるようにしているようだ。でもこの様子だと実際、妖怪が出てきたら腰を抜かしそうだけど。

 さらに上の階に向かう。すると3階にも階段脇に先ほどの焦げた跡みたいなものがある。2階にあったものと同じような跡が付いている。

「ここにもありますね」

「そうだね。何だろう」

 2階と同じような焦げ跡と粉のようなものがある。そしてやはり獣臭が残っている。

「妖怪が階段を走り回ると言うことなのかな」茜さんが言う。

 野村が階段を上下に凝視する。どうなんだろう。階段を走り回る妖怪、階段の怪談、座布団一枚。水元がにやけた楠田の顔を不思議そうに見ている。

 そして3階の各教室を見回るも、2階と同様に教室には何もなかった。そしてそのまま4階に行く。4階にはそれまでなかった椅子や机類がまとめて置いてあった。ここが倉庫代わりになっているようだ。ここには廊下にも物が置いてある。

「ここは何もないのかな。妖怪が動き回った様な形跡もないな。この上は屋上ですか?」

「ああ、行って見よう」

 茜さんが上に行く。屋上に出るための扉は施錠の上、チェーンの様なもので外には出られないようになっている。屋上に出るのは危険が大きいので、こういった処置になっているようだ。

「うん、ここまでだな」

 中学生4人が顔を見合わせる。

 楠田が言う。「どうする?」

「探検終了でいいんじゃないか」野村はすぐにでも帰りたいようだ。

 残り3人が対応を考える。水元が言う。

「さっきの糞みたいなやつを分析できないかな?」

「一応、持って帰ろうか。ただ、分析できるような機器はないぞ。科学部にガスクロマトグラフィとかはないからな」

「でも成分分析は出来るかもよ」

「どうかな、まあ顧問の福本に相談してみよう。サンプルを持って帰るよ」

 楠田はこういうこともあろうかと、予め持って来たケースに先ほどの糞の様なものを入れる。

「何かの粉みたいだな。この黒いやつも持って行こう」

 糞と焦げをそれぞれのケースに入れていく。これで昼の部は終了となる。正門前で解散の挨拶をする。

「茜さん、今日はありがとうございました。おかげで助かりました」

「うん、こっちも懐かしかったよ。一人じゃ入りにくいしさ。じゃあ妖怪退治を期待してるね」

 鷲尾姉弟が帰っていく。

「じゃあ、俺たちも夜の部に備えて帰るか?」

 みんなと別れて自転車で帰りながら、つらつらと考える。あの粉みたいなものは何なんだろう。動物の糞だとすればどうやって粉にしたのか、誰かが細工したものなのだろうか、それとも粉状の糞をする動物?それと焦げたような跡はなんなのだろうか?分析するにしても確かにそういった装置が無いと難しいだろうし、そんな得体の知れないものを分析してくれるところがあるだろうか?色々考えていると家まではあっという間に着いた。


 夕食後、両親には西園寺と打ち合わせがあると嘘を言って、西中学校に出かける。もし、本当に西園寺に連絡しても、やつならごまかしてくれるはずだ。親父は大丈夫だが、母親は妖怪退治などと言おうものなら大反対するのは目に見えている。

 ライトを付けて自転車で西中学校まで行く。さて野村は来るだろうか、正門前に着く。誰かいる。ああ、水元だ。

「よお、こんばんは」

「遅いなあ、さすがに一人は怖いよ」

 確かに学校周辺は民家も離れていて薄暗い。間違いなくここは心霊スポットとしてもお誂え向きだ。

「まだ、時間前だぞ、えーと10分前だ」約束は8時だ。

「普通、リーダーは早めに来るものでしょ」

「俺はリーダーじゃないよ。そもそもこのチームにリーダーはいない。みんながリーダーだよ」

「そうかな、楠田君がリーダーだと思うよ」

「そう思うかもしれないけど、俺たちは昔から誰がリーダーとかいう意識はないんだよ。お互いに得意なところがあって、みんなで補ってる、それでうまくやってるんだ」

「へー、そうなんだ。でもなんかそういうのもいいね」

 水元が男同士の友情に賛同している。こいつも男っぽいからな。

「水元さんもそんな感じでやっていってよね」

「了解。私もそういったノリは好きだよ」やっぱり男前だ。

「あ、それから、野村は妖怪だとか幽霊とかそういったものは苦手なんだ。むしろ毛嫌いしているといったところかな」

「それは怖がりということね」

 ああ、そういう言い方は身もふたもないぞ、水元。


 向こうから自転車のライトが近づいてくる。今度は二人だ。やっぱり野村ひとりじゃこんな夜道は怖いのか。

「よ、こんばんは」

 鷲尾と野村が来た。二人はそこまで家は近所じゃないから、鷲尾が迎えに行ったのかもしれない。そこには触れないでおこう。

「じゃあ、行くか、野村はどこで待機する」

「そうだな。途中までは一緒に行くよ」

「わかった。お前に任せる」

 正門から見る校舎は真っ暗だ。特に何か見えるわけでもない。

 しかし、昼とは全く別物だ。妖怪やその類が出ると言われてもまさにその通りといった印象である。懐中電灯を持って昼間に来た裏手に回る。金網の抜け穴を通り、いよいよ調理場の前まで来る。いったん呼吸を整えて、そして扉を開ける。

 案の定、調理場も真っ暗だ。懐中電灯の明かりを中に向ける。昼間と同様に変わった様子はない。全員が一列になって野村も付いてきている。野村は昼間とは違い、列の真ん中にいる。確かに最後尾も怖い。そして多分だが、どこかで待機ということも怖いのだろう。結局、付いてきている。

 調理場を抜けて1階の廊下に出る。ここに出て気が付いた。正門側は月明かりのせいか、ガラス扉が多く明かりが無くてもなんとか周囲も足もとも見える。なるほどそこまで暗くもない。ただ、雨でも降ればおそらく真っ暗になるだろう。

 4人がゆっくりと進んでいく。後ろから2番目の水元が唐突に話す。「野村君は待機しないの?」

「ひ!」

 後ろからいきなり声を掛けられた野村が、声にならない叫び声をあげる。確かにいきなり話されると驚くな。返答できない野村に代わって楠田が答える。

「まあ、一緒に行こう」

 野村はただうなずいている。

「そうなの」水元は納得していないが追及もしない。空気が読めないやつなのだ。

 職員室や保健室の前を歩いていく。昼間と同じで特に異常はない。そのまま奥に行き、階段まで到着する。先頭にいる楠田が振り返る。野村はこの暗さでもわかるほど顔面蒼白だ。これは早めに切り上げないと卒倒しそうだ。

「よし、2階に行くぞ」

 野村が楠田のトレーナーを後ろから掴んでいる。お前は初デートの彼女か、階段を少しずつ登る。

 ここでまたもや、空気を読めない水元が言う。「鈴の音だったよね」

 背中をつかんでいる野村の手が強くなる。

「ああ、聞こえないな」

 そして2階に到着する。階段脇には焦げ跡が残っている。昼間とは変わりがない。そしてゆっくり奥に進む。素早く各教室の中を覗いてみるがやはり異常はない。そして3階も確認。やはり異常はなかった。そして、いよいよ4階に向かう。野村が心配だが、あまりに緊張が続いたせいで、やつの神経は麻痺してきたのかもしれない。彼の動きは何故か緩慢になっている。そして4階。ここも昼間と変わりはなく、最後に屋上の扉まで来てみるもここも同じだった。

 どうやら、今日は妖怪定休日のようだ。

「よし、戻るか」

 野村が激しくうなずく。そのまま1階まで来たが、結局、何も起きなかった。少し拍子抜けする。

 鷲尾が言う。「出ないな」

「そうだな。今日は出ない日なのかもしれない」

 そして自転車を置いた正門まで戻ったところで、何やら向こうから灯が近づいてくるのが見えるではないか。とたんに野村が慌てだす。なんだ。妖怪か。

 灯はどんどん近づいてくる。

「楠田、逃げた方が良いんじゃないか?」すでに野村は逃走モードに入っている。自転車をこぎだす構えだ。

 そしてついに灯が目前まで来る。あれ、自転車か?

「君たち何してる?」

 この声は石田さんか、交番勤務の石田巡査だった。

「また、君たちか、こんなところで何してるんだ」少しあきれ顔だ。

「いえ、ちょうど、ここで話をしていただけです」楠田がごまかす。

「こんなところでか、本当か?また、よからぬことをしてるんじゃないのか?」

 石田さん、それは偏見ですよ。

「そんなことしてませんよ」

「そうか、いや、ここら辺に不審者情報が寄せられるんだよ」

「不審者?どんな不審者ですか?」

「え、どんなって見かけたってだけだけどね。何かをされたということじゃないんだ」

「ひょっとして鬼みたいだったとか?」

「鬼ってなんだよ。人間だよ。とにかくもう遅いから早く帰りなさい。ご家族が心配するぞ」

 たしかにもう9時近い、水元の門限が迫っている。ここで解散することになる。

 こうして最初の妖怪捜索はひとまず、終了となる。


 西園寺と話をするために日曜日に会えないかと相談すると、夕方にしてくれという。お寺の仕事は土日が多いそうだ。むしろ世間が休みの時に仕事が増えるそうで、確かに冠婚葬祭はお休みの日の方が都合が良いか。納得し日曜日の夕方に怪異メンバーで会うことになる。西覚寺のいつもの教室に17時集合である。

 西園寺は袈裟を着ていた。法事の帰りのようで着替える暇もないということか。袈裟を着たラテン系の坊主ににこにこされるとちょっと気味が悪い。

 ここまでの顛末を報告する。楠田は持って来た粉と焦げたものを見せる。これについては担任の福本に話をしたら、無理無理無理っと見事に断られた経緯がある。

「先生、これを分析できないですか?」

 西園寺はサンプルを確認する。手をかざして臭いをかぐ。

「なんだろうな、アンモニア臭がするな。それとこっちの焦げた奴は石油みたいな臭いだ。よしわかった、どこかに分析を頼もう」

「あてはあるんですか?」

「そうだな。大学時代の友人関係に当たってみるよ」

 さすが西園寺だ。福本とは違うと感心する。そういえば、西園寺は理工系大学出身だった。そういうところに就職した人間の知り合いもいるのかもしれない。

「それからな。例の金縛りの山田製作所なんだけど、連絡したら対策してくれるそうだ。実は先方も従業員に調子の悪い人が出ていたらしい。やはり原因がよくわからなかったと言っていた。どうも工場建設を請け負った会社が設計ミスをしたみたいだ。防振対策が不十分だったらしい」

「そうですか、低振動対策ですね」

「まあ、向こうもプロだからうまくやってくれるだろう。近々、近隣の住民に説明会もやるそうだ」

「いい会社ですね」

「そうだね。やっぱり一流企業だからな。そういった対応はしっかりしているな」

 これで金縛り問題は本当に解決できる。金井もよかった。

 妖怪に話を戻すために水元が話す。

「西園寺先生、妖怪の話ですが、出る頻度ってどのくらいなんですか?」

「そうだな。俺も迂闊だったよ。なんかいつでも出るものかと思ってた。さすがに毎日は出ないか。その点も確認してみるよ」

 西園寺は誰に確認するんだろう、そう言った作業もこっちに任せればいいと思うが、「ああ、先生が忙しいなら俺たちが見た人に確認に行ってもいいですよ。いるんでしょ?」

「え、そうか、ああ、そうだな。じゃあ、お願いするか、俺のまた聞きより、本人から聞いた方がよくわかるかもしれないな」

 何か言いよどむ西園寺が紹介してくれた人間は、なるほどという人物だった。


 毎日は部活動の無い科学部の楠田と水元がその人と会うことになる。野村は陸上の練習がほぼ毎日あるし、鷲尾はバンド練習があるのだ。

 西園寺が指定した面会者の名前はミサ、単なるミサだという。この時点でなにやら怪しい気はした。いつものファストフード店で16時待ち合わせである。時間になっても一向にその人は来なかった。

「水元さん、ここでこの時間でいいんだよね」

 先方と待ち合わせ場所を決めたのは水元だ。

「そうだよ。おかしいな。16時半だったかな」

 水元は自分の携帯を確認する。すると店の入り口に、いかにもといった女性が見える。あれか?彼女がこっちに気が付いて寄って来る。

「あんたがりょうちゃんか?」

「はい、水元涼です」

 ミサさんは全身水商売モードだった。あみあみのキャミソールで下着みたいなのが見えてるし、スカートも短め限界のフリフリだ。田舎ではあまり見かけないぶっとび衣装である。顔も派手目で化粧もいかにもそう言う業界ですといった感じだった。

「で、あんたら付き合ってるって感じ?」といってニヤっと笑う。

「違います。同級生です」楠田があわてて訂正する。ミサさんは勘ぐるようにニヤニヤしている。

「楠田慎吾です。今日はよろしくお願いします」

 4人掛けのテーブルで、楠田たちの向かいにどっかと座って、「コーヒーフロートのエルちょうだい」

 楠田と水元が顔を見合わせる。多分、買って来いということだろう、楠田が立ち上がって買いにいく。指定の飲み物を持って来て、いよいよ話が始まる。

「今日はわざわざすいませんでした」

「君ら、さいちゃんの教え子なんだって」

 西園寺はさいちゃんって呼ばれてるのか。

「はい、元教え子です。それでミサさんはどんなお仕事されてるんですか?」わあ、水元、空気読め。

「私はキャノンって言うキャバクラで働いてる。さいちゃんはお客さんだよ」

「西園寺先生は常連さんなんですか?」

 水元が次から次へと聞いてはいけないことを聞く。

「そうなのよ。まあ、檀家の人と来ることが多いんだけどさ。けっこう贔屓にしてもらってる」

 西園寺が楠田たちに紹介を渋ったわけだ。話を本題に戻す。水元はまだまだ素行調査をしたそうだったが。

「それで西中学の話なんですけど」

 ミサさんがまじになる。コーヒーフロートをじゅるじゅる言わせてから話しだす。

「わたしらさ、この地域の心霊スポットを探検するのが趣味なわけ。それで西中もけっこう有名だから行ってみたんだけど、あそこはマジヤバイ」

「それはどういう?」

「心霊スポットなんてさ、肝試しみたいにキャッキャ言って楽しむものなのさ、出たとか襲われるとか言ってさ」

 なるほど、男女の営みの一環なのかもな。

「それでさ、普通怪談噺の学校もそういう場所なわけよ。でもさ、あそこは本当に出るんだよ。それもモノホン」

 モノホンとはどういうことなんだろう。

「どんなものが出るんですか?」水元が脈絡もなく聞くので楠田が話を元に戻す。

「えーと順番に話をしましょうか?」

 ミサさんのギャル語だと解読に時間もかかるし、意味不明な部分も多いので、彼女の話をまとめると次のようになる。


 一月ぐらい前に心霊スポットへ仲間4人、当然、男女二組カップルで西中学を訪れた。ここは地元でもけっこう有名な場所で仲間内では最恐スポットと言われているらしい。

 入り口は我々と同じ調理場から侵入する。入った瞬間にある種の妖気を感じたという。何か甘いような淫靡な香りが漂っていたそうだ。そして1階の廊下を歩く。歩きながらも何か異様な雰囲気を感じていたそうだが、それでも2階に向かう。すると妖気はさらに増してくる。さらに全員が何かに憑りつかれているような感覚に襲われだす。そして2階に着くか着かないかのタイミングで、鈴の音が聞こえだす。

 鈴はチリンチリンと鳴っている。怖くなって逃げようとするも仲間の男性一人がさらに行こうとする。そしてその男が3階に向かった瞬間に、獣の咆哮が聞こえてきて、何かが近づいてくるのがわかった。全員で一目散に逃げるが、3階に向かっていた男性がその正体をみたそうだ。

 それは巨大な牛のような生き物で、長い毛を生やしており、牙をむいて向かってきた。とにかく襲われないように命からがら逃げだしたそうだ。その化け物はそれ以上追ってこなかったらしいが、あれほど怖い体験は初めてで2度と行きたくないそうだ。


「牛じゃないんですね?」

「うん、毛むくじゃらで大きさは牛よりも大きかったらしいよ」

「牛よりも大きいって、バッファローみたいなんですかね」

「何?バッファローって?」

 楠田がスマホで調べてミサさんに見せる。アメリカバイソン、野牛である。

「そうだな。多分、こんな感じで牙を剥いていたらしいよ」

 それは確かに妖怪だな。水元もスマホを見せる。

「これが妖怪牛鬼です。これかもしれませんね」

 水元が見せたのは妖怪を絵にしたもので、牛鬼は牛のような姿をして角と牙を持つ妖怪だ。

「うんうん、これだね」

 いやいや、ミサさんあんたコロコロ証言が変わってるし、実際、見てなかったじゃん。

「ああ、でもね。噂じゃ牛鬼みたいな妖怪じゃなくて、人型の鬼みたいなやつも出たって聞いたこともあるよ。色々な種族がいるかもしれない」

「ひとつじゃないんですか?」

「どうだろうね。じっくり見たりできないじゃん。とにかく怖かったよ。もう二度と行きたくないね。マジモンだよ。あれは」

 となると自分たちは運が良かっただけなのかもしれない。そんな妖怪に会いたくはない。

「俺たちも最近、行って見たんですけど、そんな妖怪出なかったんですよ」

「行ったの?命知らずだね。今、あそこに行こうなんて奴はいないよ」ミサさんは真剣な顔で言う。

「出る時と出ない時があるんですかね」

「スロットみたいなものなのかね。雨の日に出るとか、あ、そういや、うちらが行った時は雨だったな。しとしと降るみたいな感じ」

「そうなんですか、雨の日でしたか」

 これも重要なヒントだろうか、天候が関係するのかもしれない。

ミサさんはこれから同伴だというので、インタビューはこれでおしまいとなったが、水元がやたらと同伴って何だとか、キャバ嬢の私生活に食いつくので困った。

 店に残った二人で話をする。

「何だろうね?楠田君見当つく?」

「いや、まったく、何かがいることは間違いがないな。でも、牛鬼ってそんな大きなものがいるのかな。なんか不思議な気がする」

「ほんとに妖怪がいるのかもしれないよ」

 いやいや、水元あんたも科学部だろ、根拠がないだろそんな馬鹿な。怪異には科学的な理由があるはずだ。今度は出やすいという雨の日に行くしかないな。


 そして翌週の塾終わり、西園寺と打ち合わせをする。そこでミサさんとの話をする。野村は増々青ざめる。自分たちは運が良かっただけなのかもしれないのだ。

 西園寺が言う。「そうか、雨の日とは気付かなかったな。天候に左右されるのかもしれないな」

 確かに妖怪の中には、雨の日に出てくるものもいるそうだ。妖怪についてはとにかく調べれば調べるほど、何でもありで、何かにかこつけてどんどん創作されている節が多分にある。

「じゃあ、次回は雨の日の夜だな」

 スマホで天気予報を調べて水元が言う。「週間予報だと今週の水曜日が雨の予報だよ」

 しかし、みんな行く気がしないみたいで、その後を続けない。ミサさんの話でマジモンだというのが気になるのだ。

 そこで西園寺が何かの紙を出してくる。

「ちょうど、前回、楠田が持って来たサンプルの分析結果が出た」

 西園寺がデータシートを見せる。

「これによると糞らしきものは、窒素、リン、カリウムが主成分だな。これはまさにアンモニアで肥料と同じ成分だと言える」

「肥料ですか、じゃあ糞じゃないですね」

「いや、実は糞も似たような成分なんだな。検査した人間によると、今回のサンプルは人工的に作られた、いわゆる化学肥料に近いものかもしれないとのことだ」

「化学肥料ですか」

「それともう一つの煤みたいなものは炭素だな。つまり、そのものずばり燃えカスということだ」

「燃えカスか、そのままだな」

「ただ、分析結果によると化学燃料の要素が強いそうだ。二酸化炭素や窒素化合物があるので、排気ガスに近い」

「ガソリンってことですか?」

「そうだな。灯油とかでもそうなるかな」

 増々、人工的な要素が出てくる。となると妖怪は人工的な何かなのか、意味が分からない。

「で、どうする。水曜日に行くか?」ついに西園寺が最後通告をする。

「そうですね。行って見ましょうか。」楠田が代表して決意声明を述べる。

 こうして否応なしに妖怪退治が決められた。結局、水曜日の20時雨天の場合決行となった。


 そしてその水曜日は野村の希望むなしく、天気予報通りに雨となる。それもまさに妖怪日和のしとしと降る雨だ。雨でもチャリで行くしかないので合羽を着ていく。降り方もそれほど激しくないのでそれで十分だ。

 現地に着く。雨の中、西中学校を見ると不気味さが際立つ。裏山も黒々として、灰色の校舎がその存在感を際立たせている。春先とは思えない冷たい雨もあって、思わず身震いしてしまう。

 20時ちょうどにスマホが鳴る。スマホの音にもビビってしまう。

「はい、楠田です。ああ、水元か」

『楠田君、私は行けない。親にバレたよ。ダメだって』

「そうか、仕方ないな」

『西園寺に呼ばれたって言ったら、車で西覚寺まで送って行くって言われてさ、自転車じゃ危ないって言うんだよ。仕方ないので本当のことを言ったら、絶対、ダメだって』

 うん、お前の親は正しい。普通は絶対ダメだな。

「わかった。またな。みんなには話とく」

 通話を切ったところで二人が到着する。野村は前にもまして顔面蒼白である。全員が合羽を脱いでカゴに乗っけてから、リュックから傘を出す。

 野村は水元が来れないと言うと、それだけで羨ましそうな顔をする。そこまで無理しなくていいのにとも思う。

「よし、行くか」

 全員あまり会話もなく、学校に入っていく。

「野村は行けるところまででいいぞ。今回はマジヤバイらしい」

 話も出来ないのか、ただうなずく。

 雨の中を傘をさしてゆっくりと歩いていく。

 あらためて見ると、夜の真っ暗な老朽校舎は不気味以外の何物でもない。そしてこの雨だ。先日の晴れの夜の10倍は不気味さが増している。

 金網を抜けて校舎を見上げると、すでに何かが違う気がする。「鷲尾、何か前と違わないか?」

 鷲尾が校舎を見上げる。校内から何かほのかな灯のようなものを感じる。それも電灯のものではない。そうだ。灯篭なんかの灯に近い気がする。

「確かに少し校内が明るい気がするな」鷲尾が答える。

 野村の恐怖の度合いが増していくのがわかる。すでに唇が紫色になっている。そこまでの恐怖ということか。

 調理室裏手の扉まで来る。

「すまん、俺はここで待機する」ここが野村の限界だった。顔面が真っ青を通り越して白くなっている。

「うん、いいぞ。無理するな。正門で待っててもいいぞ」

 野村はすまなさそうにうなずくのが精いっぱいだ。

「よし、行くぞ」

 楠田と鷲尾は傘を野村に預けて、扉を開けて中に入る。

 すると入った瞬間から、異様な雰囲気に包まれる。ミサさんの話と同じく、何やら霧のような靄がかかっているのだ。そして甘い匂いがする。

「鷲尾、これは何かいる」

 鷲尾がうなずく。そして奥に進む。普通はここで帰るものなのだろうが、楠田は怪異など無いことを前提に生きている。科学で解明できないものはない。しかしそれでも怖い。本物だったらどうしよう。

 1階の廊下に出る。さらに霧が濃くなっている。すでに前がかすんでいる。そして妖気が増したのか、何故か意識が薄れる気がする。

 ゆっくりと進んで階段の下まで来る。霧の根源は上から来ているようだ。見上げると霧が濃くなっている。勇気を振り絞って階段を一段ずつ登っていく。その時、鷲尾が服を引っ張る。

「どうした?」

「聞こえる」

「え、何?」

 耳を澄ますと確かに聞こえる。チリンチリンという鈴の音だ。上の階から聞こえる。それでも楠田は階段を登ろうとする。

「楠田、止めた方が良いぞ」鷲尾が真剣な顔で言う。

「お前はここで待機してていいぞ、俺だけ行ってみる」

 怪異など無い、ありえない。そう繰り返しながら手摺を伝わるようにして階段を登る。

 そしていよいよ2階に到着する。なんと霧は増々濃くなる。すでに周囲も見えにくい。鈴の音はさらに大きくなる。チリンチリンと鳴っているのがはっきりとわかる。そしてそれは近づいて来ているのだ。

 上の階から何かが来る。鈴の音だけではなく、足音がどんどん大きくなる。それも走って来るではないか。楠田が目を凝らす。次の瞬間、とんでもないものを見た。

 牛鬼が出た。

 全身毛むくじゃらで牙を剥いて襲い掛かって来る。妖怪は本当にいた。とにかく逃げないと、ただ、足が上手く動かない。何か妖術にでもかかったようだ。下に歩いて行けない。這うようにして降りる。牛鬼はうなり声をあげて今にも飛び掛かってくる。早く逃げないと。

「鷲尾、逃げろ」

 下にいた鷲尾は1階から楠田の方を見上げ、様子を見ている。助けに行こうか迷っているようだ。そして鷲尾が楠田の後ろを指さし叫ぶ。

「ああ、鬼がいる」

 え、鬼、牛鬼だろ。そう思って振り返り、絶句する。牛鬼だけではなかった。やはり全身を毛むくじゃらにした鬼が二本足で立っているではないか。そしてその横にいつ襲おうかと牛鬼が待機している。

 楠田と鷲尾は這うようにしながら逃げる。鷲尾も妖気に当てられたのか動きがおかしい。調理場を抜けようとすると、扉を開けて野村が待っていてくれた。

 野村が叫ぶ。「急げ!」

 歩くのもやっとの状態でなんとか扉まで来る。そして外に出て、扉を閉める。体の震えが止まらない。怖くて仕方がないのだ。今まで怪異などない、妖怪などいないと思っていた。それが本当にいたとは。とにかくここにはいられない。ただ依然として体の自由が利かない。

「楠田、大丈夫か?」野村が言う。

「体の自由が効かない」

「俺もだ。うまく動かせない」鷲尾も同じようだ。しかし、ここから早く逃げないと、妖怪がさらに襲ってくることもありうるのだ。

 野村に引っ張られながら、俺たちは這うようにして正門のところまで来る。そうしてそのまま倒れこむように座りこむ。

 雨は降り続いており、傘もさしていないのですでに全身、ずぶ濡れだ。それから数分間は言葉もなく、震えながら座っていた。野村が傘を差しかけてくれている。

 鷲尾が話し出す。「今度ばかりは降参だな。これはマジモンだ」

 楠田は黙るしかない。怪異などないはずだ。しかし、今見たものを信じない訳にはいかない。一体全体、あれは何だったのか。校舎を見てみる。やはり2階、3階辺りがほのかに明るい気がする。

 何かがいる。それは間違いない。

 しばらく、休むとようやく身体が動くようになる。妖気が去ったのかもしれない。

「今日はこのまま解散にしよう」

「ああ、そうしよう」

 こうしてこの夜の妖怪退治は終了する。妖怪退治どころか妖怪に退治されてしまった。楠田はまさに完敗の心境だった。


 そして翌日の木曜日、塾の日である。昨日は水元から死ぬほど問い合わせがあった。面倒なので塾で話すと言うことで納得させた。

 西覚寺に着くやいなや、飛び掛からんばかりに質問を浴びせてくる。こいつは牛鬼か。

 そして昨日の件を一通り話す。水元は目を爛々と輝かせて聞いていた。

「つまりは牛鬼はいたと言うことね。それと鬼もいた」

「いたというか、それらしきものを見たということだ」

「どう違うの?」楠田は口ごもる。「私も見たかったな。まったくうちの親ときたら、娘を信用してないんだから」

 いやいや、普段から信用できないような行いをしているんじゃないのか。そこに野村、鷲尾も来る。

 水元が話す。「出たんだって?」

「そうだよ。間違いなく妖怪だ」

「で、牛鬼ってどんな妖怪だったの?」

 鷲尾は少し考えながら、「牛の大きなやつだったよ。毛むくじゃらでさ」

「牛なのに毛むくじゃらなの?」

「そうだよ。全身毛だらけだった」

「角はあった?」

「つの?どうだったかな」

「牙はあった?」

「あったような、なかったような」

 水元は怪しげな目をして、「ほんとに見たの?」

「見たよ。それと鬼もいた。なあ、楠田」

「ああ」

 話ながらこっちも牛鬼の記憶をたどるが、確かに鷲尾の言うようにあやふやなところが多い。牙はあったか、角はどうだったかと言われると、確かにあった様な無かったような、確実な記憶ではない。当日の霧のようにベールに包まれていた気がする。思い出そうとするもはっきりとした記憶画像にならないのだ。

 それと鬼だ。鬼はいたのかどうかもあやふやだ。確かに牛鬼の隣に毛むくじゃらの鬼がいた気はする。しかしその画像もはっきりと浮かんでこない。多分、鷲尾も同じなのだろう。

「妖気も感じたんでしょ?」

「そうだよ。学校の中に入った瞬間から感じた。何か霧の様なものが渦巻いていた」

 水元は増々ハイになって聞いてくる。「霧はどこから来てたの?」

「どうなんだろうな。魔界じゃないのか」

 おいおい、鷲尾、魔界ってどこだよ。学校が魔界につながってるのか。


 塾が始まっても水元は話がしたくてしょうがないようで、彼女はその日の授業は上の空だった。

 そして塾終わりに西園寺と打ち合わせをおこなう。

 話を聞いて西園寺が考えこんでいる。腕組をほどきながら、

「なるほどな。じゃあ牛鬼みたいな妖怪を見たと言うことだな」

「そうなんです。間違いなくあれは妖怪です」鷲尾が言う。

「楠田も同意見か?」

 見たかと言われると見た。しかし、あれが牛鬼だったのかはよくわからない。

「何かがいたことは間違いないです。そしてその正体は謎です」

 鷲尾がその回答に怪訝そうな顔をする。この期に及んで妖怪がいないと言いたいのかと攻めているのがわかる。

「なるほどな。それで結論は?」

 一応、みんなで楠田の顔を見る。ここは楠田が結論を出すしかないのだ。「すいません。ちょっと時間をください。もう少し考えてみたいです」

 その回答に西園寺だけがいつものニヒルな笑顔を見せる。

「うん、いいぞ。考えてみろ」


 帰り道を4人で歩く。このところ水元も一緒に帰るようになっている。今まで彼女と一緒に行動していた女友だちはいいのかと思うが、水元は気にしていないようだ。こうして色々、付き合いだすと水元は基本、男みたいなところがある。むしろ、楠田たちよりもずっとさっぱりしているし、あんまり女女していない。まあ今の時代男女などカテゴライズするのもどうかと思うが。とにかく彼女はさっぱりしている。

「それでなんか当てはあるの?」その水元が言う。

「いや、はっきりとはない。でも考えてみたい」

「今までの出来事を考えると怪異、妖怪しか考えられないだろ。実際、楠田も見てるわけだし」

 鷲尾は元々、怪異を信じている。野村も同意している。楠田は黙っている。そんな様子を見て水元が言う。

「じゃあ今までの話を整理してみようか、何か見えてくるかもしれないでしょ」

 やっぱりこういうところが男っぽい。本人にそんなこと言ったら問題発言と言われるだろうが。

「まずさ、昔から西中学校に鬼や牛鬼の噂はあった」

「いや、茜さんは牛鬼の話はしていなかった。鬼を見たと言ってた」

「そうか、じゃあ、鬼の噂はあった」

 三人共うなずく。

「今回、見たのは楠田君と鷲尾君だよね」

「そうだ。野村は見ていない」

「それで妖怪の姿ははっきりとはしないけど、牛鬼みたいだった」

 二人でうなずく。

「それと鬼みたいなものも見た」

 楠田が時系列で確認する。「ああ、その前に霧みたいなものが漂っていた」

「あ、そうか、それは調理場にもあったんだよね」

 ここでふと気が付く。あの匂いを以前、どこかで嗅いだような気がする。どこだったか、思い出せないが。「なんか、少し甘い香りだったような気がした」

 それに鷲尾も賛同する。「ああ、まさに妖気といった霧だったよ。それが上に行くにつれて、段々と濃くなってきた」

 確かにそうだった。霧はどんどん濃くなっていた。それと何か得体の知れない感覚があった。

「今、思うと何か不思議な感覚があったよな」

「そうだな。あれが妖術なのかもしれない」

「えーと、それが良くわからないんだけどさ、具体的にどういう感覚なの?」

 水元が言うのはもっともだ。確かに同じような感覚になったことはないのか。いや、ちょっと待て、どこかであるかもしれない。

「そう言われると似たような感覚があったような」

「そうだな。しいて言えば、ジェットコースターとか、フリーフォールみたいな」

 鷲尾が言うのではっきりする。「そうだ。浮遊感って言うのかな。ふわふわした感じだよ」

「あと、鈴の音もあったんだよね」

「あったよ。あれは牛鬼から出てたような気がする。近づいてきたら音が大きくなった」

「普通の鈴の音だよね」

「どうかな、なんか普通じゃなかったよ。地獄からの音みたいに響いてた」

 鷲尾の話だが、確かにそういう気がした。響きが大きかった。楠田の中にさらに何かが引っかかって来る。西園寺が言った分析結果は化学肥料と化学燃料だ。

「あと、茜さんの話は裏山に鬼がいるってことだったよね」

 そうだ。昔から鬼はいた。そして最初の夜のことを思い出す。正門で石田巡査にあった時だ。不審者情報があったということだった。楠田の中で何かピースがはまった気がした。

「あ、ちょっと待ってくれ。何かが見えた気がする」

 三人が顔を見合わせる。「妖怪だろ」

「いや、ちょっと調べさせてくれ。また、連絡するよ」

「楠田君、何かわかったの?」

「うーん、わからないけど、調べさせてくれ」

 とにかく情報収集だ。本当に思ったようなことが可能なのだろうか、それを調べないとならない。話はそれからだ。

 取り急ぎここで解散にし、家に帰る。みんなは狐につままれたような顔をしていたが、まずは自分の考えを立証させないとならない。


 そして家でネットや本を駆使し、おぼろげながら妖怪の正体が見えてきた。


 全員がそろうのは週末の土曜日なので、当日集合をかける。

 昼の1時に西中学正門集合だ。3人は怪訝そうな顔で集まって来る。

「楠田、大丈夫なのか、もう怖い思いは懲り懲りだぞ」

 鷲尾が言う。野村も同意の顔で水元だけは疑心暗鬼の表情だ。お手並み拝見といった思いなのだろう。

「俺の考えに確証はないんだ。だからそれを確認に行きたい」

「それで、どこに行くの?」水元が聞く。

「鬼山だ」

「うそだろ、止めようよ」野村が初めて意見をはっきり言う。

「大丈夫だ。まだ、昼間だぞ。妖怪は雨と夜限定だろ」

「まあ、そうだけどさ。危険を察知したらとにかく逃げるぞ」

「ああ、それでいい」

 考え通りとすれば、鬼は裏山、通称鬼山にいるはずだ。それも牛鬼と一緒に。

 自転車を正門に止めて学校の裏側に出る。

 裏山はそれほど高くはない。学校から見て概ね200mはないだろう。小高い丘と言ったところだ。ただ、木々が鬱蒼と茂っており、人が入ることを拒んでいるかのようだ。

 山の麓に来る。楠田が先頭に立ち、3人が付いてくる。

 さて、どこから登ればいいのか周囲を見る。若干、木が途切れている部分がある。多分、あそこから鬼が来ているはずだ。

「あそこから、登っていこう」

「本当に行くんだな」鷲尾が言う。

「大丈夫だって」

 森のような木々の間に隙間がある。そこから入る。そして確かに何かが通れるようになっていた。やはり、鬼はここを通って山から来ているんだ。

 そのまま、獣道のような山道を登っていく。裏山は人の手が入っていないので、とにかく鬱蒼と木々が茂っている。それでもなんとか通れるような道が続いている。

 そうして山頂近くまで登ったところに、何かが見えてくる。そこに目的のものがあった。

「あれは何だろう?」楠田の後ろを歩いていた鷲尾が言う。

「ああ、多分、鬼の住処だよ」

 三人共、ぎょっとした顔をする。

「お、鬼って全然大丈夫じゃないぞ。楠田」野村が一番後ろで叫ぶ。

「野村、叫ぶと鬼に聞こえるぞ」

 野村は口をふさぐ。そんな中、何かの音が聞こえる。

「鈴の音?」水元が言う。

 全員が周囲を警戒する。昼間なのに牛鬼が出てくるのか。

 楠田が鬼の住処といった部分は約20mぐらい先の鬱蒼と茂った木々の中に見える。穴の様なものだ。樹で隠されてはいるが洞穴の様に見える。そしてそこから鈴の音が聞こえているのだ。

 一同がその場に静止する。聞き耳を立てていると鈴の音が近づいてくるではないか。

「楠田、牛鬼だ。出てくるぞ」鷲尾が叫ぶ。

「そうだな。牛鬼だ」

 野村が逃げだす。水元は逃げたいけど、興味があるのかそこにそのままいる。鷲尾は水元が動かないので仕方なくその場にいるしかない。

 そしてそれは穴から飛び出してくる。

「うわあああ!」鷲尾が叫ぶ。

 ところがよくよく見ると、それは毛むくじゃらの牛みたいな模様の大型犬だった。犬は楠田たちの方に飛んできて、体当たりをしてくる。首輪があり、そこに鈴が付いている。犬は楠田にじゃれているだけだった。

「これが牛鬼の正体だよ」

「えー、何ですって?」水元が言う。

 大型犬は毛むくじゃらで、テレビなどでも見たことはある犬種だが名前はわからない。ゴールデンレトリバー並みに大きいが、多分、何かが混ざってる雑種のようだ。顔はそこまでかわいらしくない。ただ、大型で牛の様な白黒の模様がある。人に飼われていたみたいで、撫でられるとうれしそうにしている。

 そしてその後から出てきたのは鬼ならぬ、浮浪者だった。

「おい、戻ってこい」犬に呼びかける。

 犬は楠田たちに愛嬌を振りまいている。楠田は鬼ならぬその浮浪者に近づいて話しかける。

「すみません。ちょっとお話しできますか?」

 男は下を向いたまま返事をしない。さらに楠田は寄っていく。

「あなたが夜の学校にいたんですよね」

 男は楠田の顔を見るが、そのまま無言で下を向く。

「俺たちは大丈夫です。何もしません。お話を聞きたいだけなんです」

 男はそのままその場に座り込む。なんとか話をしてくれそうだ。楠田がやさしく話を切り出す。

「雨の日に学校にいるのは濡れるのを嫌ってですよね。多分、ここだと雨に濡れるんですね」

 男が住んでいる洞穴は一応、木や布が屋根代わりに覆われており、家のようにはなっているが、防水対策は完ぺきとは思えなかった。よって雨が降ると濡れるのはやむを得ないだろう。男は観念したのかうなずく。

「そして、貴方があの霧を作った。霧というかあれは笑気ガスですよね」

 男は俺を見て、そして同じくうなずく。

 水元が飛んできて、「楠田君、笑気ガスって麻酔の?」

「そうだよ。歯医者とかで使うやつだよ。高濃度だと幻覚作用もあるんだ」

 楠田は再び男に話しかける。男と言ってもこうして近くで見ると高齢者だ。70歳を越えているのかもしれない。髪は白髪でぼうぼうで髭も伸び放題。これだと夜、暗いところで見ると鬼に見えるのかもしれない。

「貴方は化学肥料とおそらく灯油を使って笑気ガスを作った」

「ああ」初めてしゃべった。

「これも推測ですが、貴方はただ、学校で夜露を凌げればよかった。それなのに何故か心霊スポットみたいな噂が出て、居づらくなったんですね。いや、何か悪さでもされたんですか?」

「ああ、その犬に悪さをする奴がいたよ」

「それで笑気ガスを使って、幻覚を見せてそういう輩を追い払ったんですね」

「そうだ。俺はいいが犬はかわいそうだろ」

 大型犬はハアハア言って男の所に戻って来る。男はその犬を撫でて犬も嬉しそうに男にまとわりつく。

「俺もこいつも社会から要らない存在なんだ」

 男は徐々にだが自分から話をしだす。


 昔は化学肥料の製造会社に勤めていたらしい。それで肥料の扱いに詳しくなったそうだ。化学肥料は取扱にうるさく、悪用すると爆弾にもなるそうで、肥料取締法といった法律もある。逆にそういった取り扱いの注意事項から、ガスとしての使用方法の知識を得たそうだ。

 笑気ガスは正式には『亜酸化窒素』といい、麻酔などに用いられるとともに高揚感もあることから麻薬にもなる。そしてそれは硝酸アンモニウムを熱処理することで生成される。

 男は化学肥料を灯油で燃焼させることでこの反応を起こした。一般の歯医者などで使われる笑気ガスよりも濃度が高いために、よりはっきりと幻覚作用を生み出したわけだ。

「俺たちが見たのは幻覚だったのか」鷲尾が話す。

「そうだな。大型犬とこのおじさんを見間違えたわけだよ。予め妖怪が出ると思って見ると、よりそう見える心理状態もある」

 楠田の説明にみんなが納得する。

「俺たちは何をするわけでもありません。おじさんはこのまま生活してくれればいいです。西中学もそのままです。妖怪騒ぎの理由が知りたかっただけなんです」

 おじさんはとろんとした眼で俺を見る。「そうか、そうしてくれれば助かるよ」

「はい、でも、もしよかったら、どこかの施設に入られればいいかとも思います。この生活もいつまでも続けられないでしょう」

「あ、それはもういいんだ。後は死ぬだけだから」男は寂しそうにつぶやく。そして言う。「でもこの犬はなんとかしてやりたいけどな」犬はおじさんに寄り添っている。

 楠田は少し考えてから、「俺が飼いましょうか?」と優しく言う。

「え?」

「家に犬はいないし、庭は馬鹿みたいに広いですから、飼うことはできます。おじさんさえよければですけど」

 犬は自分の話だとは思っていないのか、舌を出しながら息をしている。おじさんが犬の顔を見る。

「お前、もらってくれるって、よかったな」

「楠田、お前、犬飼えるのか?」野村が言う。

「大丈夫だよ。犬ぐらい、なんとでもなる」

 楠田は男に向かって、「おじさんもここから出てきていいんですよ」

 男はそれには返事をしない。

 水元がおじさんに話をする。「やっぱり、この生活は厳しいですよ。生活保護とか受けた方がいいです」

 おじさんはやはり返事をしない。楠田たちはみんな何とかできないかとは思っているが、どうやったらいいのかわからない。対応する術がないのだ。やはり西園寺に相談するしかない。

 そして、楠田はその犬を引き取ることにする。犬は名前がないそうで、元々はどこかで飼われていたものが捨てられて、おじさんのところに住み着いたそうだ。おじさんにとっては同じく捨てられた者同士という連帯感もあったのかもしれない。

 犬を家に連れ帰ると、両親は二つ返事で飼うことを了承してくれた。犬は後で調べたらオールド・イングリッシュ・シープドッグの雑種のようだった。名前がないのも困るので、牛鬼から取ってぎゅうちゃんという名前にした。


 そして西覚寺にて報告会となった。西園寺に今回の妖怪騒ぎの顛末を話す。西園寺はすべてを聞き終えて、腕組をしたまま黙っている。

 楠田が話す。「あのおじいさんを何とかできませんか?」

「うん、難しいな。本人にその気がないようだし、こういうとなんだが、生きる意味を見出していない」

 西園寺はそういうが、楠田だって生きる意味が分かっているのか疑問に思っている。何不自由なく暮らしているが、自分の生きる意味を知っているとは思っていない。

「でもあのままだといずれは死んじゃいますよ」水元も言う。

「うん、でもね。彼はそれを甘んじて受け入れる覚悟をしているよ」

 楠田たちはやはり無力感に苛まれる。

「まあ、期待できないと思うけど、出来るだけ動いてみるよ。坊さんの言うことは聞いてくれるかもしれないしな」

 やっといつもの笑顔を見せてくれた。西園寺に大人の対応を期待する。

「それにしても、よくわかったな。笑気ガスに気が付くとはな」

「やっぱり謎を解いたのは楠田ですよ。俺たちは妖怪がいると信じて疑わなかったですから」鷲尾が言う。

「そうか、でもみんなで解決したんだよ」西園寺が言う。

 楠田もそう思った。情報を収集したのは全員だ。野村だってあれほど怖いものが嫌いなのに付き合ってくれた。全員で解決したのだ。

「笑気ガスというか、亜酸化窒素だな。笑気ガスの場合は酸素を混ぜるから、今回はもっと高純度で麻薬効果も高くなる。化学肥料会社に在籍したことで作り方を知ったということか」

「そのようです。学校の2階と3階の階段脇に一斗缶を使って灯油を使って化学肥料を燃やしたみたいです。亜酸化窒素は空気より重いので下に霧のようになって漂ったみたいです」

「そうして来る人に幻覚を見せたわけだな。たしかにオールド・イングリッシュ・シープドッグだと牛みたいに見えるかもな。男も毛だらけだから鬼にみえたって訳だな」

「そうです。怖いと思って見るので、余計にそう感じたのかもしれませんけど」

「犬はじゃれて飛び掛かってるだけなのにな。襲われたって思うのか」

「はい」

「亜酸化窒素は一時期、脱法ドラッグに使われていたので、今は指定薬物になっている。扱いには気を付けないとな」

 そう言いながら西園寺が報酬の封筒を出してくる。

「今回もご苦労さん。バイト代だ」

 今回も全員分出してくれた。遠慮なく受け取る。

 西園寺が言う。「君たちはこれから修学旅行だよな」

 確かにうちの中学はこの時期に修学旅行がある。

「東中学は毎年、同じ場所に同じように行くんだよ」

「そうみたいですね」

「まあ、中学生最後の一大イベントだからな。楽しんでこいよ。次のバイトは旅行が終わってからだな」

 西園寺がいつもの八重歯の笑顔を見せる。

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