9.「客はクラスの人気者」
屋上にやって来たのは、鈴華と同じ制服の男子生徒だった。やや警戒気味に周囲を見渡している。
ユキは少し様子を窺っていたが、
──ストン
塔屋から側転して飛び降りた。
物音と気配に男子生徒は振り返り、ユキを見て目をパチパチと瞬かせた。
「あんたか?」
聞かずとも依頼者だと分かっていたが、口を半開きに呆然としている相手にユキは問う。すると、「へぇ」と感嘆にも似た声を漏らした。
「マジ? ドラッグジャック? てか、キミって女の子だよね? オレと年、変わらなさそうだけど?」
ユキは自分より頭一つ高い身長の相手に歩み寄って下から覗き込み、
「黒づくめでグラサンした黒い革手袋した男がアタッシュケースに白い粉でも入れて持って来るとでも思ったか?」
挑発的な口ぶりをしてみせた。
「い、いや。そこまでは……」
例えでも、実際にそんな人物はいそうにない。
「あと、年齢と性別は何か関係あるか? あんたの勝手なイメージと違ったようで残念だったな」
胸元をツンと突くと、くるんと後ろを向いて離れる。そのいかにも演技っぽい態度は、怒っていないどころか、余裕たっぷりだった。
「……ゴメン」
たじろぎながら謝る相手は、少し長めの茶髪で目鼻立ちのくっきりとした顔立ち。少し軽そうだが明るく人気者で女子ウケしそうなイケメンだ。
一見して、心の病とは無縁そうだが、日差しの影で隠れている目の下のクマは、至近距離からは確認ができた。それと、口調とは違って表情が硬い。ユキはそれらをほんのわずかな隙に観察した。
ポッキーの箱から新しい一本取り出し口にくわえると、
「オレはユキ。それがコードネーム」
「……ユキ?」
女性の名だが、一人称が〝オレ〟なのに対して、違和感を抱いて聞き返してきたのをユキは無視をして、
「あんたの名は?」
「オレ? オレは……シュウってことで、よろしく」
咄嗟にも、コードネームで切り返してきた。頭の回転は速いと思われる。
別によろしくされたくないユキは「ふぅん」とつぶやき、
「──で?」
ポッキーを口に押し込み、手すり壁にトンッと背もたれ腕を組むと、真っ直ぐにシュウを見据えて言った。
「何の薬が欲しい?」
いつもの台詞だ。
揺るぎない瞳と自信に満ちた笑みは、一切の嘘はないのだと相手に思わせる。半分嘘だと思っていたシュウは、「マジか」と今度は肯定の意をつぶやいた。
「何でもいいよ。眠れるやつ、ちょうだい」
適当だとも、いい加減だとも、聞こえる注文だ。
「睡眠薬ってワケか。一口に眠れないと言っても、寝つきが悪いのか、途中で目が覚めるのか、早く起きてしまうのか、ってのがあんだけど?」
「全部」
両手をポケットに突っ込んで面倒臭そうに、早く済ませたいという口ぶりだった。
「全部ときたか。そりゃあ、ずいぶんと重症だな。そうなる原因と要因があると思うが?」
「それ、言わなきゃダメ? ユキちゃんはカウンセリングもやってくれるの?」
「ユキちゃ……」
誰がだ、とユキはちゃん呼ばわりに不愉快に眉をつり上げかけたが、フゥと一つ息をつき、すぐに冷静に戻る。
「いいや、そんなサービスはやっていないから断る。ただ、安定剤とか組み合わせた方が眠剤の量を少なくできて、よく効果も出るから聞いただけだ」
「え、なに、めっちゃ親切で今驚いてるんだけど? なんでフツーに医者とか薬剤師やんないの?」
感心なんかをしているシュウを、ハズレの客を引いた。と、ユキは斜め後ろを向いて、今日一番の長い溜息を吐き出した。
「医学部に入れるだけの頭と金あれば、それも悪くないけどな。それに、卒業してればもう二十代後半だろ。まだそこまでの年齢じゃあない。それより、病人が無理して軽口叩かなくてもいい」
シュウはヘラついていた口元をピタリと止めると、ぎこちなくうつむき、少し沈黙してから、
「……ここのところ、寝つきが悪くてね。色々、進学とか将来の事とか、学生には学生らしい悩みがあるんだよ。軽いのでいいよ、睡眠導入剤が欲しい」
もっともな高校生らしい理由よりも、さらりと睡眠導入剤という言い方を使ったのに対してユキは引っ掛かった。が、闇で薬を買うくらいだ、軽い知識くらいは入れてあるのだろうと気にするのをやめた。
「入眠困難とあれば、短時間型作用の睡眠剤だな。種類はいくつかあるが、どれも似たり寄ったりで、最終的には体質に合うか合わないかだけだ」
ユキはボディバッグの中からいくつか手持ちの薬を選び出し始める。
それをシュウは少し不安な面持ちでじっと待つ。もうここまで話を持ってきておきながら、引っ込められる雰囲気ではない。
「んーと……超有名で大人気な超短時間型トリアゾラムがあるけど、名ばかりで効かないけどな」
「え? 飲んだことあんの?」
「あ、いや、こっちの話。ほらよ、これ、リルマザホン。2シートでワンコインの五百円でいい」
と、錠剤のシートを手渡されたシュウは、「安っ」と。そして、「小銭がないや。千円札で。釣りはいらないよ」
「どうも」とユキは有難く頂戴する。
「これは、ユキちゃんの小遣い稼ぎ?」
「バカ言うな。んなガキみたいな理由で、わざわざこんなリスクある高い商売なんかやってられるか」
「そだよね、やっぱりそれなりの理由があるんだよね。ユキちゃんがただの金もうけに目をくらませた悪人じゃなくて良かったよ」
そう、優しい言葉で笑うシュウの顔は、間違いなく女子のハートを射止めるだろう。が、ユキは苦い顔して甘いポッキーをかじる。
「何を一人で安心してる。おまえに心配なんかされるつもりはない。これ以上、詮索するのはやめろ。余計なこと知ってると互いに危険だ」
「危険って?」
「オレが捕まったとき」
全くその危険性を考えずにここへ来た訳ではなかった。その場合、どうなるかは想像しなくても大体分かる。少しだけ、薬を持つシュウの手が緊張した。
「オレは、ユキちゃんのこと何もしゃべらないよ。何も知らないから、何を聞かれても何も出てこない」
「オレもおまえのことは何も知らない。そゆこと」
それでもユキの容貌を話したならば、丸呑みで信じる者はいくらか。おそらく、その目を疑うことだろう。
「おしゃべりはお終いだ。いい子はおうちに帰れ」
「もう、いい子じゃないからね。いいじゃん、もう少し付き合ってよ」
ユキはうんざりと頭をポリポリ掻きながら、
「……神経図太いあまりに、セロトニンが足りてないんじゃないのか?」
ユキが聞こえるか聞こえないか小声で皮肉ったところへ、ふわりと風が吹いた。
──カラン
落下物の音にシュウは振り返り、その上を見上げると、「あっ」という小さな声と共に誰かの頭が塔屋に引っ込んだ。
シュウの位置からは背後だったが、ユキからは真正面だ。先程から鈴華が覗いているのを知りつつ無視をしていた。
「天川?」
「同じクラスメイトか?」
「うん、あ、いや……ちがうかも。チラッと顔見ただけだし」
シュウも向こうに見られたはずだが焦る様子もなく、それよりも相手の身元をばらさないよう咄嗟に言葉を濁した。
「安心しろ。客のプライバシーは守る。けど、客同士の揉め事には一切責任を負わないと言っておく」
「今の〝客〟なの?」
シュウは声をひそめて聞く。
「一応、口止めしといてやるけど、その必要もない、勇気のなさそうな奴だ。そうじゃないか?」
反対にユキが聞き返すと、シュウは肯定は否定もせず、苦笑した。
「ほら、もう行け」
しっしと追いやるよう顎をしゃくると、今度は大人しく従い、階段へと向う。途中、気づいて「次、会えるのは?」
「あぁ……次の薬か。予約したいなら、今言ってくれ。もっとも、そんなもん設けてないないけどな、特別に作ってやるよ」
当然だが、二週間分の薬は服薬すればなくなる。その後も断続して服薬するかどうかは本人次第だが、再び訪れる客は意外と少なかった。大抵は副作用に耐えられなかったか、期待した効果が得られなかったと推測される。おそらく、大半が後者だろう。
薬の作用と効果はあるが、劇的な変化の実感を得られるものではない。一刻も早く楽になりたいと藁にもすがる思いでやってきた者は落胆することだろう。そして、より強い薬を求めてくる客も中にはいた。
「する! 予約!」
病人とは思えぬ無駄に元気な返事だ。
「分かった。じゃ、二週間後だ」
子犬がしっぽを振るようにシュウは手を振って、扉の向こうへ去っていった。
階段を降りていく足音が遠ざかるのを待ってユキが塔屋の上を見上げると、こちらは耳を伏せた子猫のようにチロリと頭を出した。
「何をコソコソとドジ踏んでんだ、ったく」
「……ごめん」
十分に反省をしていたので、ユキもそれ以上は何も責めなかった。
「おまえら、見知ってるのか?」
「うん、あたしもビックリしちゃって。まさか高塚くんがって」
「高塚シュウか」
「あっ」
相変わらず失態を繰り返す奴だとユキは呆れる。もっとも、ユキが口を割る事は何があっても一切ない。それは誓えた。
「構わない。客のプライバシーは厳守するとさっき言ったの聞いただろ?」
「うん」
鈴華はもはやユキを信じ切っていた。
「シュウにムダな時間を食ってしまったな。次はおまえだ、休む間もないな。それ、パソコンとリュック持って降りて来い」
ユキも客に大事な商売道具を触らせるくらいに心を緩めていた。もちろん、そんな事は初めてだった。
言われるまま、ユキの荷物を持って塔屋から降りて来た鈴華に、「約束の品だ」と薬を手渡す。
それを神妙に見つめながら鈴華は、
「彼、クラスで一、二を争う秀才でね、実家はお医者さんなの。親に頼めば薬もらえそうだけど……なんでだろ?」
ぽつりとこぼす。
「医者の息子だからだろう。当然、将来は医者を目指してるんだろ? 身内が精神病だなんて、口が裂けても言えないし、知られてはいけないからな」
「なにそれ? 医者の息子だからって、差別だよ」
「内科医なんかは精神科医を敬遠してるくらいだからな」
「どうして?」
「検査も何もなく、患者の訴えだけで勝手に適当な病名付けて、そして薬漬けにさせる。そうやって体を壊した患者が回って来るんだ。たまったもんじゃないだろう?」
「そうなの? 精神科って……?」
鈴華の胸に不安が広がる。ユキはぼそりと「……この国は百年も前から何も変わっちゃいない」
背中を向けてしまったユキにそろりと、
「……今日はありがとう。あたしも、次の予約できる?」
「どうぞ、お好きに」
鈴華は色白の顔にパァと花を咲かせた。そこへ、
――カァ
と鳴いたのは、クセ毛をつけたいつものカラスだ。
「ほら、カラスが鳴いたらから帰れよ」
「カラスが鳴くのは勝手でしょ?」
「……古臭いダジャレ持ってきたな」
――カァ
カラスがも一つ、笑うように鳴いた。
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