24.「知られざる事実」
ユキの手には一枚の古い写真。
ベンチに仰向けになり、その一枚の写真を空にかざす。
そこには、まだ幼い頃のユキと母親、そして老人の姿が映っていた。老人は今よりもずっと若かったが、丸刈りの髪と笑った時の目尻のシワは、今と変わらず一緒だった。
あの後――
すぐさま救急車を呼んだ。が、ユキは身元がバレては困るので、小屋の中へと身を潜めて老人が搬送されて行くのを見届けた。
遅れてから、ユキも病院へと駆け付け、救急外来の廊下で看護師をつかまえ『さっき、おじいさんが運ばれて来ませんでしたか?』と聞くと、『おじいさん? あぁ……』と、看護師が次に口にした台詞に耳を疑った。
『黒峰広樹さんの、ご身内の方?』
ユキは驚きのあまり絶句する。
『今、ICUに入っているから、面会は難しいわ』と、看護師の説明も聞き終わらぬうちに、ユキはその場を走り去った。
そのままの実家へと向かったユキは、母親に事の説明をした。
すると、母親は無言で奥の部屋へ引っ込んだかと思うと戻ってきて、一枚の写真をユキに差し出すと『そうよ』とだけ言って黙り込んでソファに伏せった。
黒峰広樹は──ユキの祖父だった。
母方である祖父とはもう長い間、会っていない。まだ幼かったユキの記憶には、その面影は残っていなかった。
会わなくなったのは、母親の再婚がきっかけだった。祖父に反対をされた母親は、絶縁を覚悟で実家を飛び出して、再婚したのだという。反対された理由は、まだ幼いユキがいたからだった。血が繋がっていないユキを新しい父親と二人で育てていけるのかという不安と心配を強くしていたという。
結果的にその危惧は現実となってしまった。母親は親に合わせる顔もなく、実家に戻ることも許されぬまま、今日に至る。
――コンコン
病室のドアをノックして入ると、病室内の窓際にあるベッドまで行き、「入るよ」と声をかけると、閉められていたカーテンをユキは開けた。
「じいさん」
「あぁ、ユキ」
老人はユキを見るなり、「話し相手がおらんで退屈してたところじゃ」と笑う。
「体調、どう?」
「どうもこうもあるか、明日には退院じゃ」
「え、明日?」
「隣にいた人なんぞ、腹を開いて手術したっちゅーのに、昨日、手術後四日目で帰らされよったわい」
カーテンを引いて覗くと、確かにベッドが空だ。市内に大きな手術のできる病院と言えば、この総合病院が一つだけだっだ。小さな外科の病院はどこもかしこも病室が空いていない。もう必要最低限の入院しかさせてもらえないようだった。
老人も倒れた原因は脳梗塞を起こしていたからなのだが、早い発見と治療により、後遺症なども軽くて済むだろうとの事だった。
「退院って、じいさん、またあの小屋に戻るのか?」
「…………」
老人は、しばし口を閉ざしたのち、ゆっくりと話を切り出す。
「いいや、家に帰る事になった」
「家? 帰るって?」
ユキは、わざと何も知らないふりで聞き返した。
「実は、わしには家はある。息子夫婦と一緒にばあさんが暮らしとった。じゃが、聞けば、息子夫婦は数年前に離婚して、今はばあさん一人で、息子とは別々に暮らしとるとな」
老人──祖父は、婿養子だった。そのため、祖母の両親が亡くなるまでは肩身の狭い思いもしていたという。加えて、祖母は気の強い女で、祖父は普段は何も口にはしないが、相当我慢はあったらしい。
息子が嫁をもらい同居を始めると、ますます居心地は悪くなっていったのだろう。家庭があるのにホームレスになった理由と原因には、そんな背景があった。
「おばあさん、一人にはできないか」
「気が強うて、しっかりしたなごじゃがの。さすがに年取ったら、一人じゃ何かと不安で、何より不便じゃ。息子も息子で、わしにばあさんの面倒を頼んできよったわい、まったく都合のいい奴じゃ」
「いいじゃないか。つべこべ言わずに、帰ってやれよ」
口では文句を言いつつも、頼りにされているというのが嬉しいのだろう、今からすでに気合いが入っている。とても先日、倒れたばかりとは思えない。
「これ、貴重品持ってきた。じいさんがいない間に、小屋を荒らされちゃマズいからな」
「あぁ、すまんの」
大した金額ではないが、財布の中には写真が入っていた。あの祖父と母親、ユキが写った写真だ。同じ写真を老人と母親は大切に持っていた。老人は何気に受け取ると、中身を思い出したのかサッと隠すように懐に入れたのを、ユキは目撃してクスッと笑う。もう互いにバレているだろう、と。ベッドの枕元の札にデカデカと書かれた氏名を見て、今度はブハッと吹いてしまったユキだ。
「なんじゃ? 箸でも転がったか?」
「もう、そんなんじゃ笑わないな。あとな、コレ。バレたら色々とヤバイだろ? オレが預かってていいか?」
転売目的で使っていた、盗んだ健康保険証だ。
「それのぅ……」
と、老人は考え込む。
「あんたからもらわなくても、山さんとかから買えば、何とかなる。まぁ、少々あくどいようだけど、オレには患者一人にドバドバ薬出す、もっとあくどいヤブ医者がいるからな。でも、それもいつまで使えるか分からない。マイナンバーが普及して保険証と一体化すれば、他に策を考えなきゃなぁ……」
だから老人には、これでもう手を引くことをユキは勧める。
「ユキ……」
何かもの言いたげな心配した瞳に、ユキは真っ直ぐに見つめ返す。
「じいさん、オレの生き方は間違ってるかもしれないけど、自分の中には正しさ持ってるつもりだから。もう、オレは自分の選ぶ道、決めてあるから」
「あぁ、分かっとる。おまえはちゃんと自分の頭で考えられる子じゃ」
「でも、それでも後悔したときには、夕陽が許してくれるんだよな?」
「ほうか」
「ほうかって、じいさんが言ったんだろ? 覚えてないのかよ、金メダル! 一等賞!」
「そうか、そうじゃったの」
ハハハと、二人は久しぶりに笑い合った。老人は祖父で、ユキは孫だったが、それ以上に二人には深い絆があった。
「あ、そうそう」
ユキはサイドテーブルの上に置いたままの小さな箱を開け、
「看護師さん、来ないよな?」
カーテンの外に耳を澄まして気配がないのを確認する。
「何じゃ? ケーキの箱か?」
「そっ、じいさん、自分の誕生日は忘れてないだろ? 快気祝いと、新しい生活への祝いってことで」
あの日、一緒に食べれなかったケーキ。もう一度、ユキにとって色んな感謝の気持ちを込めて──
「これ、おまえが作ったのか?」
「チッ、バレたか」
バレるのもそのはず、黒く焦げてしまっていた。『スポンジケーキなんて、あたしでも失敗しちゃうよ』と、ユイが言うので、パウンドケーキにしたが、それでも失敗した。
「焦げてるんじゃない、これはチョコケーキだ」
無理な言い訳だったが、老人は「どれどれ、毒見じゃ」と、冗談を飛ばしながら嬉しそうに口へと運ぶ。それを見つめながら、
「……そうか、帰っちまうんだな。また、会えるといいな」
ぽつりとユキはつぶやく。
「あの河川敷には、でっかいフナがおるんじゃ。わしゃ、これからも、釣りに行くぞ」
「あんた、一応、倒れた病人なんだぞ? 大人しく、家で大根でも干してろよ」
老人の実家は河川敷から自転車で一時間以上はかかる。一緒に自転車でヒィヒィと海へ釣りに行った距離よりも遠い。
「わしの人生じゃ、残りは好きに生きるんじゃ」
「あー、ハイハイ」
「また〝てっぽう〟作って食わせてやるからの」
懲りることを知らない老人に、「あぁ、楽しみにしとくよ」とユキは苦笑した。
「ユキ……わしはおまえに出会えてよかった」
「なんだよ、急に。酒も飲んでないのに、酔っぱらってるのか?」
「わしは正気じゃ。ユキ、本当に会えてよかった!」
「分かった、分かったから、静かにしろっ」
「何じゃ、そんなに恥ずかしがらんでもいいじゃろ」
「恥ずかしがってんじゃない。ケーキ食べてるのバレるとまずいだろ?」
顔を赤くするユキを老人はからかい、何度も意地悪に面白がって、何度も繰り返す。「いい加減、やめろっ」
二人は、もう今までの暮らしには戻れない事への寂しさを心に感じつつ、いつまでも談笑を楽しんだ。
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