21.「助けて」
※刺激的な内容が含まれています。読んでいて気分が悪くなったりした場合は、すぐに読むのを中断して下さい。
「くしゃん」
ゾクリと寒さに体を震わせ、ユキは目を覚ました。
今夜は公園にある屋根付きのベンチでコンパクトサイズの寝袋に包まれて眠っていた。
屋根付きのベンチには塀が付いてあり、ちょっとしたプライバシーも隠せる空間で、ユキは気に入っていた。大体が、ここで野宿している。
「一時間ちょっとか」
腕時計で眠っていた時間を確かめる。
赤樫が処方した薬を試験に服薬してみたところだった。本当は鈴華に渡す前にするつもりだったが、昨夜は頭の痛みにろくに眠れていなかったため、ごく普通の眠気に誘われてうたた寝してしまい、できなかった。
それに加えて、錠剤が本物かどうかを調べようとしたが、スマホの電池残量がなくなってしまっていた。しかも、モバイルバッテリーを使おうとしたが、昨日の河川敷で無くしていた。朝、リュックを拾いに行った時には、すでに見当たらなかった。不法投棄の多い河川敷なのだが、それらを盗む者もいる。おそらく昨夜のうちに誰かに拾われたのだろう。
仕方なく中古品の安いモバイルバッテリーを買うと、ファーストフード店で電気を拝借し新しいモバイルバッテリーでスマホを充電をしながら薬について調べた。結果、代用の三種類の錠剤ではない事が判明した。
では、何の薬かと言えば、シートから剥き出しにされていて薬剤名が分からなかった。が、おそらく軽い睡眠薬と胃薬あたりだろう。
「あんの、ヤブ医者めが」
むっくりと寝袋から体を起こして、悪態をつく。が、ホッとした。
鈴華の様子が危なさそうなのを知っていながら、売ってしまった罪悪感と最悪の疑義の念は消えた。違法を承知の上での客を相手に、責任を持つ必要などないはずだったが。
「さてと、良い子の見回りに行きますか」
ユキは立ち上がると、ぐんと背伸びをした。
◇
「んん……」
酷くうなされながら、鈴華は気がつく。
頭が重くボーッとして吐き気がする。目の前がゆらゆらと揺れて、部屋の中が熱で蒸している。
「な……んで?」
もう二度と目を覚ますことはないはずだったのに――絶望感に打ちひしがれる。
「ん……っあ」
体を起き上がらせようとしたが、重くだるくて思うように動かず起き上がれない。七輪を見ると、まだ燃えていた。練炭により不完全燃焼が起きている。これは間違いなく一酸化炭素中毒の症状だ。
「…………」
だが、これを望んでいたのではないか? ならばこのままでよいのではないか?
力なく肢体を投げ出して床の上に倒れこんだまま、鈴華の心は諦めようとした。けれど、体がそれを拒む。
苦しい……
苦しい……
悲鳴を上げそうになったが、口の中はカラカラに乾き、声が声にならない。
怖い……
怖い……
そう、感じた途端、言い知れない恐怖心が鈴華を襲いかかる。
「い……や」
このままでは嫌だ。心の中で叫ぶ。
苦しみもがきながら、ベッドを支えにつかまって、何とか上体を起こして立ち上がる。
「……テープ」
窓に張り巡らされたガムテープをはがして、部屋の中の空気を外に出し、外の空気を取り込まなくてはいけない。
ふらふらと足元をよろめかせながら窓まで辿り着くと、テープをはがそうとするも、頑丈にいくっついていてはがれない。テープのつなぎ目を探して必死に爪がもげそうなほど、引っ掻き回した。
早く……
早く……
焦りのせいなのか、熱さのせいなのか、額や首筋から汗がにじみ出て滴り落ちる。
窓がダメならば、部屋の外だ。ドアから脱出を試みるべく、体を何度もよろめかせながら、何とか窓とは反対方向へと移動する。
しかし、部屋のドアにも窓と同様にガムテープが四方に貼ってあり、がっしりと固定されていて、ドアノブを回してみても虚しく空回りするだけだった。しかし、ガチャガチャと音だけは鳴った。
「だれ……か……」
気づいて……
「う……うぅ……っ」
声は枯れているはずなのに、涙が流れて頬をつたう。自分は何てことをしたのだろうか。今更、後悔などして許されるものか。
「た……けて」
鈴華は最後の力を振り絞って、大きく声を上げた。
「お父さん! お母さ――んっ!」
叫びながら、あぁ、自分はまだ生きたいのだと、心の底から気づかされる。本気で死にたいなど、誰が思うだろうか。幸せに生きていられるならば、生きていたい。
「助けて、助けてぇ――――――っ!」
今まで誰かに口にして求めたことのない言葉。
苦しくて、辛いからだけじゃない。これまで生きてきた人生の色んな思い出が交じり合って、胸に込み上げてくる。涙を溢れさせながら、必死に命懸けに叫んだ。
――バリンッ
後方で派手な音がして、鈴華は振り返る。見れば、窓ガラスが割れていた。その後も何度か割られる音が続き、そして割れた窓ガラスの奥から誰かが入って来た。
「ったく、バカやろうっ! 人に物騒な事、させんじゃないっ」
そこに現れたのは、ユキだった。
「ユ……キ?」
パニックを起こしている鈴華は、もう何が何だか、誰が誰だか、分からない。「うっ」と、ユキは鼻と口元を手で覆った。
鈴華は外から入ってくる空気を大きく吸おうとして息をしたが、もはやうまく呼吸ができない状態だった。
「おい、大丈夫か? じゃなさそうだけど、しっかり気を保っておけよ」
ユキは床に転がっていたペットボトルの水を見つけると、すかさず七輪へと撒き、部屋のドアを足で蹴る。しかし、ビクともしない。机のペン立てからカッターを見つけ、テープに切り込みを入れ、再び蹴るとドアはぶち抜けた。
大きな物音の連続に、家族が部屋から飛び出して来ると、全員、目の前の光景に目を見張る。
驚きの余り声を失い固まってしまった母親と、室内の状況を確かめた父親は「鈴華っ?」と慌てて駆け寄る。そして険しい顔つきで、
「何を……っ、一体どうしたんだっ?」
鈴華の両肩を掴んで揺さぶるも、鈴華は力なくうなだれて目に涙を溜め「ごめ……さい」と小さくひたすらつぶやきを繰り返す。
「救急車、救急車を呼べ!」
呆然と立ち尽くしていた母親は、その一声でハッとする。混乱して携帯電話の存在も忘れ、一階の固定電話へと階段を降りていこうとした時、
「もう、呼んだよ!」
スマホを手にした空太が、すでに一一九番をしていた。
「すぐ来てくれるから、お姉ちゃん、もう大丈夫だよ」
姉を介抱しようと近寄ると、母親は「危ないから、一階に降りてなさいっ」と、まだ完全に消えていない練炭の煙から離れるよう命じる。だが、普段はとても大人しく従順な弟が声を荒げて母親に向かって反抗した。
「僕のことはいいから! 今はお姉ちゃんの心配が一番でしょ? そうやって、いつもいつも僕のことばっかりで、少しはお姉ちゃんのことも考えてあげてよ!」
空太は、いつも母親が自分にばかり過剰に愛情を向けられるのを異常だと気づいていた。姉は子供の頃から何でも一人でできるので、悪く言えば放ったらかしにも近かった。父親は仕事の事しか頭になく、家庭内の事には鈍感だった。それに対して母親は苛立ち、ここ数年はろくに口もきかず、ついには別室で寝るようになっていた。
──少しずつ家庭内崩壊は始まっていたのだった。
「そんなんだから、こんなことに……」
「よしなさい!」
父親がそれ以上、言わせぬよう制止させる。母親は何も言えず声を詰まらせて黙ったまま、鈴華の元へしゃがみ込むと、うつむいたまま目尻に涙を浮かべて肩を抱き寄せ合う。
「……あのーすみませんが、家族で言い争ってる場合じゃないと思いますけど? 水、もっと持って来て下さい」
ずっと見守っていたユキだが、呆れてたまらず口出しする。そこで初めて全員がユキに注目する。すると、ユキは部屋のガムテープをせっせと剥がしていた。
「君は……?」
父親も急いで手伝いながら、怪しんだ顔で問う。
「クラスメイトです。通りすがりに窓の外から、この事態を発見しました」
窓にはカーテンが閉められてあったが、張られたガムテープはしっかり見えていたし、鈴華のもがく姿もハッキリと捉えられていた。
「オレのせいです」
と、ユキが突然に膝を床に着く。
「オレが、鈴華さんに悪知恵を教えたから……だから、オレが悪いんです。どうか、鈴華さんを責めないであげてください」
「ユキ……ちが……う……ちがう」
鈴華が反論しかけたが、ユキが目で牽制する。
父親は無理矢理に事情を呑み込むと、「わかった。わかったから、鈴華」と、なぐさめた。
そうこうしている間に救急車が到着して、鈴華は担架で運ばれ、そのまま母親も一緒に乗り込んでいく。
「君は? 腕と頭をケガしてるじゃないか。すみません、この子も!」
ユキの右肘が服の下から滲んで赤く染まっていた。肘を突いて窓ガラスを割った時のものだ。頭の包帯は違ったが、勘違いされてしまった。「いえ、病院に行くほどじゃありません。大丈夫です」と断る。
「俺は後から車で行く」と、父親と弟は家に残り、救急車がサイレンを鳴らしながら遠ざかるのを見送った。
読んで頂きありがとうございました!