皇女殿下の地獄のお茶会(2)
本当に怖い。本っっっっ当に怖すぎる。
さすがと言ったところで、婚約を発表して初めに届いたお茶会の招待状はプリシラ様からだった。初めは体調不良を理由に断ったが、私が来ないのなら公爵家に押しかけるという旨の手紙が届き、ノクターが行けと無言の圧をかけてきた。家に来られるのが嫌だからと婚約者を売ったのだ。なんて酷い。
そして今、重い足取りで会場に着いた私の目の前には、めそめそ泣くプリシラ様と、その周りで慰めるお取り巻きの皆々様。ぱちっとプリシラ様と目が合った。その瞬間ものすごい顔で睨まれ、帰りたい…と心底思う。
「あっ…ごめんなさいロゼリア様。私…っ笑顔でちゃんと、お祝いするつもりでしたのに…」
「お祝いだなんて!…ロゼリア様?何かプリシラ様に言わなければならないことがあるのではなくて?」
とにかく泣いて同情を誘い、私を責めに責めて謝らせ、最後には土下座でも要求してくるのだろうか。なんてことをノクターは笑いながら言っていた。殴り飛ばしたいのを我慢した私は偉いと思う。他人事だと思ってやってくれるものだ。あなたのせいでプリシラ様に不必要なほど恨まれることになったというのに。
婚約者に過ぎない私にはまだ権力も何も無い。ただノクターが怒りますよと暗に匂わせることくらいしか武器は無い。とりあえず謝って済むならそうしようと思い近づく。
「あの…もしかしてプリシラ様は、ウィンメルト公爵様のことが…?」
「白々しいですわね!プリシラ様がずっとノクター様を思われていたことくらい、社交界では知れていることですわよ!」
それもそれでどうなんだ?と思いながらも、私は両手で顔を覆った。少し肩を震わせてみせると、一番大声を上げていたフォレスタ伯爵令嬢がたじろぐ。涙を流している方が被害者だなんて、思わない方がいい。泣けば皆が味方に付いてくれると、勘違いを起こさせてしまうのだから。
「そ、そんな…。私知らなくて…プリシラ様に本当に酷いことをしてしまいました…」
「…はっはぁ!?知らなかったわけ」
「申し訳ありません!プリシラ様の思いは知らずとも、公爵様はプリシラ様と結ばれるのではと察していたのは事実なのです。ですが、それを理由に一度お断りをしても…どうしても私がいいのだと言ってくださった公爵様の手を…取ってしまって……っ」
「……」
まぁここまで言えば責めようがないだろうと、顔を隠しながら息を吐く。暗に、公爵様はプリシラ様ではなく私と結婚したいと仰ったんですよと言ったのだ。これ以上この話を掘り下げたところで、公爵様はプリシラ様なんか眼中に無いんですよ話を繰り広げるだけだ。
「……いいのです、皆さん。私のために怒ってくださってありがとうございます」
「ですが、プリシラ様……っ」
プリシラ様が涙に濡れた顔のままにこりと微笑んだ。その顔を見て背筋が泡立つ。目が笑っていない。まだ何かをする気なのは明確だ。まぁこれくらいで腹の虫は治まらないか…とは分かっているが、それでもやはり、帰りたいなぁ…と、胃を痛めながら思うのだった。
「本当にお可哀想なのは、私ではなくロゼリア様だと思うのです。なので、私ばかり慰めてもらう訳にはいきませんわ」
「…私、ですか?」
きょとんとしたプリシラ様が首を傾げる。
「この先ノクター様との婚約破棄が待っているのですから、それを思うと胸が痛みます…」
うわぁ…とどん引きしてしまう。私が『浮気令嬢』であるのにかけているんだろうけど、さすがに周りの令嬢達も戸惑っている。婚約したてで破棄するんでしょ?と言い始めれば、疑問の目を向けられて当然だ。
「そ、そうですわね。『浮気令嬢』なんですもの。ノクター様もすぐにプリシラ様の元へ戻ってこられますわ」
「まぁ…。ロゼリア様も聞いているのですよ」
「大丈夫ですわ。プリシラ様を傷つけてしまったのは私ですもの。ここにはノクターもいませんし、もしお怒りになっても上手く言いますので」
ひくっとフォレスタ伯爵令嬢の顔が引き攣る。プリシラ様も形相が変わった。さりげなくノクターと呼んでみせたし、ここら辺で退いてもらいたい。私もこれ以上プリシラ様を刺激したくないし、あなた達だってもう責めようがないことくらい分かっているはずだ。
「……」
「……」
「…プリシラ様、私をお許し頂けますか?」
もはや何も言えなくなったお取り巻きの中で、プリシラ様はただ俯いていた。もう一押し!と声をかけたその時、プリシラ様の頬に大粒の涙がこぼれる。
「プリシラ様!?」
「私、ロゼリア様を責めたくなくて…だから黙っていたのですけれど……っ。私、何度も相談していましたよね…ノクター様をお慕いしていると……!」
「なっ…」
「それなのにこんな風に…。それに、わざと、ですよね?先程ノクター様を呼び捨てにしてみせたのは」
お友達だと思っていたのに酷い…と、わっと泣き出すプリシラ様を前にして、私は唖然としていた。やるとしても手段が幼稚すぎないか?と。もう少し頭がいいと思っていたけれど、こんな風にただ泣いて感情に訴えかけるだけの、何の証拠もない嘘の塊。お取り巻きの皆様以外には通用しないわよ…と思っていると、肩を押されふらついた。
「きゃ…」
「なんてことをしたのよ!」
「『浮気令嬢』のくせに、ノクター様を騙したに決まっているわ!」
言いたい放題だが、伯爵令嬢に向かって証拠も無しにここまで責め立てるのがまずいことだと、分からないのだろうか。そもそも婚約者がいる男性を寝取るくらいなのだから、元々常識のない人達なのかもしれない。なんてことを冷静に考えながら、さてどうしようか、と目の前の惨劇を眺める。正直子供が駄々を捏ねているようにしか見えないので、抗議することも出来るような気がするけど。
「ロゼ、リア様……っ」
「はい」
「私に、謝ってくださいますか…?」
謝るだけで鬱憤が晴れるのか?と思いながらも、もちろんですわと頷き頭を下げようとする。そこで、私はぎくっとして振り返った。そこには、プリシラ様のお取り巻きでは無い、しかも公爵家、侯爵家の夫人の皆様が立っていたのだ。
まだこうして責めるだけの令嬢たちは可愛いものだ。それが、社交界を仕切る夫人方となると話は変わってくる。もし私がここで頭を下げれば、このあとプリシラ様が私についてどんな偽りを吐こうと、私がそれを認めて謝っていたことになる。これが初めから狙いだったのか、ともはや笑えてくる。さすがに泣きの演技だけで通してくれるつもりはないらしい。
「プリシラ様、相談された覚えはありませんので、どなたかと勘違いされていると思います。ですがプリシラ様を傷つけたことはお詫びさせて頂きますわ。申し訳ありませんでした」
「……何をしているの?頭を下げるべきだわ」
そう言ったのはリベット子爵令嬢だ。プリシラ様が眉をひそめる。自分にとって都合のいいところを夫人方に目撃してもらうために呼んだのだろう。けど、爵位の低いリベット子爵令嬢が私にこんな口を利くのを見られるのはまずいはずだ。
「……なぜ、でしょう」
「なぜって…あなたが今までの腹いせにノクター様を横取りしたんでしょう!?同じ手を使った仕返しだなんてたちの悪い!しかも、プリシラ様のお相手を…!」
リベット子爵令嬢の中ではそういうことになっているのか、と目を丸くする。後ろでひそひそと話している声が聞こえる。主にリベット子爵令嬢への攻撃のようで一安心だ。もう少しぼろを出させてあげてもいいけど、興奮しているリベット子爵令嬢以外は夫人方に気がついているようだった。
「プリシラ様、傷つけてしまって申し訳ありません。ですが、リベット子爵令嬢の言う通りには出来ません。頭を下げてしまっては、プリシラ様のお友達ではありませんもの」
「……そ、そうですね。私が取り乱し過ぎてしまったようです…」
「いいえ、私は大丈夫です」
もはや隠すこともせず歯ぎしりをしているプリシラ様に微笑んだ後、挨拶をしてからさっさと立ち去る。持ってきた胃薬はルーリエが持っている。貰って馬車で飲もうと思いながら、夫人方にも頭を下げて、帰り道を急いだ。絶対許さないんだから、と今日のこの一件を見事に押し付けてくれた犯人を恨めしく思いながら。