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プロポーズは突然に(2)




 私の右手を取り、その甲に唇を落とす。その一連の流れを呆然として、けれどどこか冷静に眺めていた。息を呑んでいる私を、透き通る夜空を溜め込んだような瞳でじっと見つめているこの公子様を見れば、私でなければ他の令嬢は卒倒していただろう。


「あ、の…」

「はい」

「……なぜ、嫌いじゃないと答えたら、では結婚しましょうと、なるのか分かりません……」

「………………ふっ」


 公子様が吹き出した。私の手を握ったまま、繋がれた手に隠れるようにして笑いを堪えている。こちらは冗談抜きで真面目に言った分、羞恥心が込み上げてくる。みっともなく動揺して、変な言葉を口走ったような気分だ。実際そうなのかもしれない。


「……」

「あぁ、申し訳ありません」

 

 私が手を振り払おうとすると、まだ笑いながらも手の力を強めてきた。顔を上げて謝っているが、まだ口角が上がっているし、瞳にからかうような光がある。


「結婚詐欺ならよそを当たってくださいませ」

「本当は私のことがお嫌いでしょう」

「滅相もございません」


 取り乱した分を返して欲しい。こんな風に今までたくさんの女性達を面白半分で手に入れて、傷つけてきたのだろうか。中には本気で公子様に恋していた人もいたろうに。


 私はこういう人が一番嫌いだった。人の恋心を利用して、それにつけこもうとする男が。


「ですが、公子様とは結婚できませんわ」

「なぜ?」

「私では公子様の隣には立てませんもの」

「そうでしょうか。私はむしろレディーしか、と思っているのですが」

「はい?」


 公子様が立ち上がり、私の髪に触れた。どうやら花びらが着いていたようだった。

 

「必ず、私と結婚したいと思われるはずです」

「どこに根拠がおありなのかしら」

「そうですね…」


 公子様が私の背後を指さした。驚いて振り返った私の目に映ったのは、足をもつれさせながらこちらに駆けてくるアンの姿だった。


「おっお嬢様ぁ〜」


 と思ったら、なんだか屋敷中が騒がしい。しかも門の方を覗くと、なにやら豪華な馬車から大勢の人々が荷物を運び込んでいた。


「な……」

「意外と早かったですね」


 何かを知っていそうな公子様に問い詰めようとした時、息を切らしたアンが私に走り寄ってきた。しかも、逃げ出した私を捕まえに来たというよりは、大変なことが怒って急いで私に伝えに来たような感じだ。そして、嫌な予感に背筋を冷やす私に、アンはどこか嬉々として叫んだ。


「お嬢様!第二皇子殿下から、大量の贈り物と求婚状が届きましたぁ!」

「……」


 くらりと卒倒しかけた私を抱きとめたのは公子様だ。その後、私がものすごい速さでその腕を振り払ったのは言うまでもない。





「……よって、ロゼリア・ル・ランベルト伯爵令嬢に、結婚を申し込む」


 お父様が求婚状を閉じる。私が受け取りたくもないと言ったため、お父様がその場で読み上げたけど、まず季節の話題から始まり、私の美しさを褒め称える文が続き、私を初めて目にした時の状況を事細かに記し…。


 だらだら書き連ねられていたが、ようするに。


「一目惚れ、ですか」

「……」


 お父様が頭を抱える。私も同じことをした。第二皇子殿下はルギウス様といい、プリシラ様の双子のお兄様でいらっしゃる。あのプリシラ様の兄上なのだから察しがつくが、人格が普通ではない。


 何でも自分のものにしなければ気が済まず、昨年の誕生日に皇太子殿下の妃を強請って騒ぎになったことは、誰もがよく知る話だ。特に美しい女性に目がなく、その身分もあり断ることも出来ず、毒牙にかかってしまった令嬢は数え切れないとか。


「……会ったのか」


 お父様が真っ青な顔でそう言った。私はぶんぶんと首を振る。あのお茶会で殿下と会ったような記憶は一切ない。というか、絶対やばい奴だと分かっていて避けないほど愚かでは無い。


「私はルギウス殿下など見ておりませんわ。人違いでは?」

「…煌めくブロンドの髪が天の川のようで、瑠璃色の宝玉をこの目で見てしまった私は…と書いてあるが」


 私のことですね、間違いなく。


「どうしたものか」


 お父様が求婚状をぺっと放り捨てた。皇族からの求婚状を投げ捨てるとは不敬罪と責められてもおかしくはない。お父様は相変わらず変なところで肝が座っている。


「当然お断り致しますわ」

「……」

「お父様?」


 私が嫁ぐことを心待ちにしているお父様だけど、さすがにあのルギウス殿下は論外のはずだ。

 

「…無理です、私」

「分かっている。ただ、あのルギウス殿下がどれだけ癇癪を起こすか…」


 ルギウス殿下は自尊心が高い。もし伯爵家ごときに自分の求婚を断られたとなると、怒り狂うだろう。


 私が嫌がっても無理やり…ということも考えられる。


「陛下に直談判して騒ぎを起こし、よからぬ噂を流し、お前を追いかけ回し、挙句の果てに誘拐して襲うような未来しか見えないんだが」

「具体的な話はおやめ下さい」


 頭が痛む。確かにお父様が話したような結末を迎えることになるだろう。ルギウス殿下は飽き性だ。いっその事面倒事になるくらいなら、結婚して飽きられるのを待ち、離縁してもらった方がマシなのだろうか。


「……」

「……ロ、ロゼ?」


 かっと目を見開いた私を見て、お父様がたじろいだ。


 無理!!絶対に無理!

 殿下と結婚した場合、姑は皇后で、義妹はプリシラ様だ。否応なく皇宮で過ごし、格好の餌食となるだけ。


 ルギウス殿下の凶暴さと浮気に耐える

 +プリシラ様のいびりに耐える

 +皇后陛下とのお茶会に精神をすり減らす

 =地獄。


「無理」

「……」


 お前は相変わらず見た目に反して肝が小さいなぁという目を向けられるが、だったらお父様も同じ目にあって欲しい。


「かくなる上は、今すぐ婚約するしかない」

「……」

「だが殿下からの圧力もあるだろうし、それに耐える地位があり、今すぐに婚約出来る、条件のいい相手などどこにいるのか…」

「……」


 今すぐに婚約してしまえば、もう相手がいるからと断ることが出来るだろう。ただしそれには、相手がそれなりの地位で殿下にも歯向かう精神があり、事情を知った上で協力してくれ、なおかつ老齢な地方領主などでは無い相手が必要だと、そうお父様は言っている。


「……そういう事ね」

 

 私は空笑いをして、額に手を当てた。公子様はこうなることも全て分かっていたのだろう。私の相手が自分しか有り得ないことを知っていた。殿下が一目惚れした件も、あの日皇女宮にいたのなら目撃していたのかもしれない。


「……お父様」

「なんだ?」

「一人だけ、伝手がありますので聞いてみます…」

「あ、あぁ…」


 そう言う私の顔をお父様が凝視している。まぁ、悔しさに般若のような顔をしているのだから仕方ないだろう。







「ありがとうございます」

「……」


「あら、ごめんなさい」

「め、滅相もございません!」


「こちらもしよろしければ皆さんでどうぞ」

「あ、ありがとう、ございます…」


 声をかけた使用人全てにきらきらした視線を送られるのは何故なのだろうか。背中にささる熱烈な視線を感じながら、私は公子様の後に続いて部屋の中に入った。


「レディーは決断力にも優れているのですね」

「早すぎたでしょうか?」

「あれから二日ですから。あと一日は待つ予定でした」


 どの道三日間しか待たなかったらしい。もし三日を過ぎていたら、私のことは見捨てるということなのだろうか。


「決断力があっても、正しい選択をしているかどうかは分かりませんが」


 ソファに腰を下ろし、紅茶を出したメイドに礼を言ってからカップを持ち上げる。香りを楽しみながら、そのメイドがまたも私をじっと見つめていることに気がついた。


「あの…何か?」

「いっいえ!」


 慌てたように頭を下げて下がってしまう。私が呆気に取られていると、公子様がミルクを持ち上げながら笑った。


「我が家に来られる方は、生きてきた分の毒を油と一緒に溜め込んだような人か、脳みそを全て捨ててきたようなあられもない格好をした人のどちらかですから」

「……」


 つまり、公爵家をあわよくばと考える大臣か、美しい公子様の虜になり肉体関係を求めて押しかける令嬢か、ということだろうか。確かに両者とも常軌を逸した行動をすることだろう。使用人の皆さん方はいつも対応に苦労しているはずだ。


「まったくあの方々には困ったものです」

「……」


 いやそもそも、公子様が大臣たちの怒りを逆撫でするような行動を繰り返したり、女性に誰彼構わず手を出すような真似をしなければいいのでは。天神のような儚い美貌をしておいて、中々に中身が熟しているなと考えていると、公子様は自分の紅茶にどばどばとミルクを入れていた。


 熟し、てる…?と首を傾げているとそのまま差し出されたので、結構です、と断る。


「では、本題に入りましょう」

「はい」


 公子様が一枚の書類を差し出してきた。一読し、机の上に戻す。


「契約結婚ということでしょうか」

「えぇ、その通りです」


 そう言った公子様の纏う雰囲気が変わる。普段のどこまでも甘く優しい笑顔で人を誑かす、小悪魔のようや掴めない姿とは打って変わり、ずしりと空気が重くなる風格のようなものを漂わせている。こちらが本性なのだろう。常に警戒心を解かない、決して敵に回してはいけない男。


「私にとても有利な条件に思えます」

「そうでしょうか?期間も内容も、全てこちらが決めさせていただくことになりますが」

「……」


 期限は「プリシラ皇女が婚姻するまで」と書いてある。つまり、公子様は何らかの理由でプリシラ様と結婚したくない。その理由はなんとなく察しがつくけれど。プリシラ様はあと一年もあれば結婚することになるだろう。皇女が適齢期を逃しては顔が立たない。私はルギウス殿下との結婚を避け、公子様はプリシラ様との結婚を避けることが出来る。お互い皇族との結婚を断るためにお互いで結婚してしまうとは、まるで運命のように感じるものだ。


「まるで運命ですね」

「ご冗談を」

「それで、レディーに有利というのは?」

 

 公子様は別に私でなくともいい。私とは違って公子様は引く手数多だろうし、私よりも御しやすい女性などいくらでもいる。むしろ自分に思いを抱く令嬢を利用した方が、容易に進むことくらい分かっているはずだ。なのにわざわざ私を指名している。私は公子様にとって、一番選んではいけない人物であるはずなのに。


「私はプリシラ様と懇意にさせて頂いています」

「……」

「私が公子様を裏切り、プリシラ様にこのことを伝え、代わりに私のルギウス殿下との結婚を止めて欲しいと、取引をするかもしれません」


 この契約は、私にしか得がない。私とプリシラ様は表向きは仲のいい友人同士ということになっている。私たちの仲を知らないわけがないのに、なぜ危険な選択をしているのか。それを理解しないではこの契約は結べない。


「……」


 公子様が微笑む。その時ちょうど窓から日差しが差し込み、公子様の右半分が照らされた。無駄に輝きを補充してくる公子様に虚をつかれる。いちいち美しいのはやめて貰えないだろうか。


「あれだけいびられておいて何を仰るのですか」

「……」


 ぽけ、と口を開ける私。それをにこにこと見つめている公子様。その笑顔がみるみるうちにこの間と同じような、笑いを必死に堪えるものに変わっていき、ついには肩を揺らして笑い始めた。


「レディーは…ふ、ふはは。そんな顔をしていても美しいのです、ね。はは」

「のっ…覗いていたのですね!?」


 かあっと顔が赤くなっているのが自分でも分かった。思わず立ち上がった私と笑い転げる公子様を、ちょうど良くお茶の補充に入ってきたメイドが呆気に取られたように眺めている。


「……っ」

「そもそも友人なら、取引という言葉は出てこないのではないでしょうか。お願い、ならまだしも、対価を支払う関係を友情とは言えません」


 ぐうの音も出ない。ふうっとやけくそ気味に息を吐いて、座り直す。公子様がまだ笑いながら、紅茶をどうぞと言っている。


「私とプリシラ様が、友人とはとても呼べない仲ということを知っているからこそ、私を抜擢したということですか」

「その通りです。下手に利用しやすさだけで選べば、あの茶会でぼろを出してしまうでしょうし」


 私はようやく納得した。あのお茶会で怯えることなく、この契約を隠し通すには場馴れしている私が適任なのだろう。あのいじめに近い空間で、プリシラ様からの追求を避け続けなければならない。


「……胃が痛い」

「何か?」

「いえ何も」


 私はお腹をさすったあと、置いてある羽根ペンを掴み、契約書に名前を書く。ここで公子様と契約しなければ、プリシラ様を誤魔化すよりももっと酷い地獄へ招かれることになる。


「よろしいのですか?」

「はい。背に腹は代えられませんので」

「……その通りですね」


 公子様が左手を差し伸べてきた。握手かと思い握ると、くるりと手の甲を上に向けられ、薬指に冷たい感覚が走る。それを見てぎょっとした。間違いなく最高級品質のアメジストがプラチナの土台に嵌め込まれた、契約相手に渡すには豪華すぎる、婚約指輪だった。


「…ほ、他の物はなかったのですか…?」

「パープルサファイアはお嫌いですか?」


 アメジストじゃないんかい、と突っ込む気力もない。パープルサファイアは希少性が高く、皇族でも滅多に手に入れられないと言われている。確かプリシラ様が、公子様の目の色と同じだからと言って欲しがっていたなぁと思い出す。


「これを見て、さらにお怒りになるでしょうね」

「それが狙いですので」


 なぜわざわざプリシラ様を煽るような真似をするのか。というかそれをかわさなければいけない私をなんだと思っているのか。見れば、公子様の薬指にも既に同じものが嵌まっていた。一体いつから準備していたのだろう、と遠い目をした私に、公子様が笑いかける。


「それではよろしくお願いします、ロゼ」

「……はい、ノクター様」


 なんだか罠に嵌められているような気がする、と思いながらも逃げ出さなかったこの時の私を殴りたい。まさかこれが全ての始まりだったなんて、思いも寄らなかったのだ。





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