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麗しの公爵様との出会い





「よろしければこの後私のお部屋にいらっしゃいませんか?」

「えっ」


 お茶会がようやく終わり、さぁ帰ろうとした私を引き止めてのこの一言。私は文字通り顔面蒼白になった。プリシラ様のお部屋に招かれるだなんて、一体何をされるか分かったものではない。みっちり虐められるか、それとも調子に乗るなどでも暗に脅されるかのどちらかだ。なにより胃痛が限界!と一瞬のうちに判断した私は、咄嗟にプリシラ様に頭を下げた。


「申し訳ありません…!実は先程から体調が悪く、すぐに邸へ戻ろうかと…。プリシラ様のお誘いをお断りするだなんて胸が痛みますわ…」

「まぁ、確かに顔色が悪いですわ。それなら私のお部屋でお休みになっては?」

「………」


 邸へ帰るって言ってるのに何故お部屋を強調するのかな。


 心の中で文句を言いつつ、顔を伏せる。


「プリシラ様にご迷惑はかけられませんわ…。ただでさえいつもお世話になっておりますもの」

「お気になさらないで、よろしければお医者様を呼びますわそうしたらきっと良くなります!」


 なりません。胃痛が悪化します。


 と言えたらどんなにいいだろうか。プリシラ様は何としても私を部屋に招きたいらしい。何を企んでいるのかは知らないけど、間違いなくその部屋にだけは足を踏み入れてはならないと本能が叫んでいる。


「そうだわ!私のお部屋は気を使ってしまうというのなら、先生の所へ直接参りましょう」

「せん、せい…というのは」

「皇宮専門医ですわ。彼はとても腕がいいので、きっとすぐに治してくれます!」


 皇宮専門医。


 目眩がする思いだった。確かに腕はいいだろう。ただし、その方は皇族のためだけにその腕を使うこととされている。矜恃も高い彼らは皇族以外を決して診ない。それが彼らの誇りであり、帝国最高の腕と称されるための条件なのだ。きっとプリシラ様は、その医者に渋い顔をされた途端こう言うのだろう。「ロゼリア様がどうしても先生がいいと仰るので…」と。


「いえ、寝ればすぐに治りますもの。私のことなどお気になさらず」

「そんなわけには参りません!私たちお友達ではありませんか!」


 プリシラ様が手を握り、ぐいと近づいてくる。これ以上渋れば今度は、「そんなに私のことがお嫌いですか…?」と言い出すのだ。絶対そう。帰ったらルーリエに甘いお菓子を用意してもらおう。と覚悟を決め、頷こうとしたその時、プリシラ様に一人のメイドが駆け寄って来た。耳打ちをしているつもりなのだろうが、この距離であれば聞こえてしまう。


 ウィンメルト公子がいらっしゃいました、と。


「…本当?」

「はい」

「まぁ!」


 プリシラ様はあっという間に満開に咲く花のような笑顔になり、私の手をパッと離した。いきなり解放された私は後ろにふらつくが、プリシラ様はそんなこと気にも留めず、跳ねて喜んでいる。そういえば、プリシラ様もウィンメルト公子にご執心で、きっと力ずくで結婚してしまうわとルーリエが嘆いていたことを思い出す。この皇女様に捕まるとは中々に不憫だなと思っていると、プリシラ様が私を見るや否やごめんなさぁいと言った。


「お客様が来てしまったみたいです。本当は休ませて差し上げたかったのですけれど…」

「いえ!お気になさらないでくださいませ。お客様をもてなすことは大切ですから」

「分かってくださって嬉しいです!」


 ものすごい変わり身の早さで、プリシラ様が去っていく。私はその姿が消えたあと、思い切り肩を回した。


「あーもー疲れたぁ」


 皇女宮でやることでは無いけど、辺りには誰もいない。ルーリエが一緒にいたら怒られるだろうけど、今回ばかりは見逃して欲しい。すごくすごく頑張ったのだ。調子に乗って伸びをすると、鋭い痛みが胃を襲う。前かがみになりながら、胃薬持ち歩こう、と決めた。


 暫くはプリシラ様に会いたくない。お茶会の誘いが来たら、感染症にでもかかったことにしようかなと考えながら歩き始めた時、中庭の茂みががさりと揺れた。思わず足を止めてしまった私は、その茂みをまじまじと見る。すると、またがさがさと動く。


 プリシラ様は猫を飼っていたなと思い出す。白い毛並みの、ミシャという名前の美しい猫だ。一度だけお茶会へ連れてきて、自慢げに見せていた。まさか脱走したのかしらと思いつつ近寄っていくと、動きが止まった。茂みの端から白い毛のようなものが飛び出ている。ミシャなら捕まえてそこら辺のメイドに渡そう。そう思って茂みに手をかける。


「ミシャ、こっちへおい、でっ!?」


 ところが葉をかき分けようとした次の瞬間、手首をがっと捕まれ、ものすごい力で茂みに引きずり込まれた。一瞬のことで悲鳴を上げることも出来ず、為す術なく倒れ込む私の上に、引きずり込んだ犯人がのし上がる。湧き上がる恐怖に喉が凍りついた時、きらっと太陽の光を反射する白金髪が目に飛び込んできた。


「…これは美しいご令嬢、ご無礼をお許しください」

 

 その男は、優雅な笑みを口元にたえてそう言った。艶のある銀髪、色気の香る目元、すっと通る鼻筋に綺麗な形をした唇。甘く細められる目尻に、そこに浮かぶ夜空を溶かしこんだような深いヴァイオレットの瞳。


 息を呑むほどの美貌を目の当たりにし、私は組み敷かれたまま硬直した。男が美しかったからだけではなく、この男は、今ここにいるはずがないのだ。なぜなら彼は、今まさにプリシラ様に歓迎され、その部屋に足を踏み入れていなければならない。


「…ウィンメルト、公子様…?」

「私のことをご存知なのですか?」


 身を起こしながらそう言うが、自分のことを知らない令嬢はいないということくらい、分かっているだろう。お手をどうぞ、と慣れた手つきで差し伸べられるが私は呆然としたまま寝転がっていた。男性に初めて組み敷かれたショックと、まずいことになったと頭に鳴り響く警報のせいで動けなかったのだ。


「おや、ここで、ですか?」

「…はい?」

「私は構いませんが、そのままでは体を痛めてしまいますね」


 と言いながら、人差し指部分の手袋を噛み、右手を引き抜く。布を噛む真っ白な歯の間から赤い舌が覗き、手袋から細くしなやかな指が現れる。その一連の仕草のあまりの美しさと色気にあてられ、しばらく放心するが、公子様が左手の手袋も取ろうとした時我に返った。


「なっ何をするおつもりですか!」

「何とは、言わせるだなんて意地悪な方ですね」

「はっ…」


 何とか起き上がるが絶句した私に、公子様が詰め寄る。


「お美しいあなたの名前を知る栄誉を頂いても?」


 そう言ってこちらに手を伸ばしてくる。この人は一体何をしようとしているんだろう。というかプリシラ様の所にいないというまずいのではないか。それ以前に手が早すぎやしないか。皆本当にこんな男がいいのか。


 思うことはいくらでもあるけど、公子様の手が頬に触れた瞬間、ぷつんと頭の奥で何かが切れた。その手を払い、距離をとって立ち上がる。そんな私を目を丸くして見ている公子様を見下ろし、私は言い放った。


「あなた様に教える名などありません。失礼しますわ」


 そして脱兎のごとくその場から逃げ出す。選り取りみどりの公子様が、わざわざ逃げる女を引き止めるとは思わなかったが、それでも追いかけられそうで怖かった。あの粘着質のような視線が全身に絡みつく感覚が耐えられない。


「お嬢様!?どうなさったのですか」

「まぁ、酷い顔色ですよ」

 

 外で待っていたルーリエとギルが駆け寄ってくる。そんなに酷いのだろうか、ギルはともかく、滅多に焦らないルーリエが顔を青くしている。私は荒い息をつきながら、心配そうに見つめている二人にこう言った。


「す、すごく気持ち悪いものを見てしまったわ」




◇◇




「……ノクター様」


 ノクターが顔を上げると、疲れきった顔をした補佐官が呆れ顔で立っていた。あの皇女を今まで必死に宥めていたのだろう。飛び跳ねながら応接室へ入ればもぬけの殻なのだから、相当泣いたはずだ。ノクターは、私の補佐官に就いたばかりに可哀想な奴だ、と思いながら悪いなと笑いかけてやる。大抵の人間は、男女問わずこの笑顔を向けられると言うことを聞くようになってしまう。だが、この補佐官、エルヴィンは曲者である。


「いい加減にしてくださいよ、俺だって面倒くさいですよあんな皇女殿下。ノクター様は私のことがお嫌いなのねっていくら違いますって言っても聞かないんですよ。えぇそうですよ嫌いですよ、分かってるんだったら付きまとうのやめてくださいよって言いたい俺の気持ち分かってくれます?」

「分かった分かった。分かったから愚痴はやめろ」


 ノクターは手を振り、やめるように言う。それをエルヴィンは恨めしそうに睨んだ。そもそもノクターが応接室に入ってから、窓から抜け出すような真似をしなければエルヴィンが苦労することは無かったのだ。


 爵位継承の儀の下準備のために皇帝に呼び出された。ノクターが皇宮へ参上した理由は、表向きはこう意味づけられているが、実際は違う。皇帝陛下に拝謁した際、小一時間も経たずに告げられたのは、「娘に会いに行ってやってくれ」である。


 プリシラ皇女がノクターに惚れ込んでいることは周知の事実であるが、皇帝陛下もまた、ノクターを、正確にはウィンメルト公爵家を取り入れたがっていた。これ以上勢力を伸ばされるのを嫌ったのだろう。婿としてしまえばその全てを牛耳ることも不可能ではない。ノクターにすっかり執心の娘を使い、公爵家を手中に収めようというのが皇帝の狙いであった。

 

「まったく…だから帰りたくなかったんだよ」

「あっちはあっちで王女様に惚れられて大変だったではありませんか。変に手を出すからそうなるんですよ」


 ノクターは近くの木に背中を預けたまま、ネクタイを緩め、髪をかきあげる。露になった鍛え上げられた胸筋や、目にかかる一筋の髪。そこら辺の令嬢が見れば卒倒しかねない色気が辺りに漂い、エルヴィンが嫌な顔をした。


「まるで毒ですね」

「毒、ね」


 ノクターは、先程の令嬢が走り去って行った方向を見る。そして何やらくっくっと笑い始めた。そんな主を見て、ついに頭がおかしくなったかと言わんばかりの目を向けるエルヴィンである。

 

「ここに、さっきまで美しい人がいたんだよ」

「はっ!?見つかったんですか!誰に!」

「さぁ。名前を聞く前に逃げていった」


 目眩でもしたのか、エルヴィンがその場にずるずるとしゃがみ込んだ。確かに、この宮にいる時点であの皇女の友人だということで、そんな彼女がノクターのことを皇女に告げ口してしまえば、面倒くさいことこの上ない。きっと皇女はヒステリーを起こすか、もしくは弱みを握ったとばかりに父帝に泣きつくだろう。さすがのノクターもそうなってしまえば、うっかり婚約の口約束でもしてしまうかもしれない。


 だが、ノクターはなぜか確信していた。彼女は今日ここであったことを誰にも言わないと。


「あっちの手を使うしかないかと思ったが、まさかあんな真っ青な顔をされるとは思わなかったな」

「はぁ、真っ青。ノクター様のあまりの美貌に、天国に召されたとでも思ったんじゃないですかね」

「あなたに教える名など無いと叫んで逃げられた」


 エルヴィンがきょんとんとする。そうだろうな、とノクターは笑った。走り去る彼女の背中を見ながら、ノクターを同じようにぽかんとしていたのだ。せっかく脱いだ手袋を握り、行き場のない右手を宙にさまよわせながら。寄ってこられることはあろうと、逃げられることは一度もなかった。皆頬を染めてノクターに身を預けるというのに、彼女は手を払い落とし、異質なものを見るかのような目で見下ろし、そして離れて行くのだ。

 

「…面白いな」

「……」


 ノクターは、すぐ側にたった一輪で咲いていたマーガレットを摘み、そこに唇を寄せ微笑んだ。否、大抵の令嬢が見れば恋に落ちてしまいかねないこの顔は、エルヴィンからすれば狙いを定めた悪魔のようにしか見えないのであった。








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