皇女殿下の地獄のお茶会
「なんだか騒がしいですねぇ」
ふとルーリエがそう言った。顔を上げて辺りを見れば、確かに人通りが多い。その大半が令嬢で、ここは夜会会場かと見間違うほど煌びやかに着飾っていた。
「ウィンメルト公子がご帰還したそうですからね」
御者台から降りてきたギルの言葉に、私はあぁ、と思い出す。
帝国に三つしかない公爵家。その一つであり筆頭公爵家、ウィンメルト家の跡継ぎが二年間隣国に留学していたのだ。ウィンメルト公子は見目麗しい顔立ちをしており、留学へ行くと公になった時は多くの令嬢が涙したらしい。
私も一度だけ夜会で挨拶をしたような気がするが、確かその夜会で3回目の浮気現場を目撃した直後でぼんやり…。嫌なことを思い出してしまい、私はぶんぶんと頭を振って考え事を止めた。
「どうして皆公子に恋しているのかしらね」
「それは、公子がお美しいからでは?」
「いくら顔が良くても、あのウィンメルト公子よ?」
私は絶対無理、と腕をさする私を、ルーリエがじとりと睨む。ルーリエは面食いだ。ウィンメルト公子のファンだったような記憶がある。私は面食いでは無いと言い切る気はさらさら無いけれど、初めから浮気をすると分かっている美貌の貴公子に恋をする気もない。
ウィンメルト公子は、いわゆるプレイボーイとして有名だ。社交界で手をつけた令嬢は数え切れず、留学先でも王女に気に入られてしまい、帰国が遅れたという噂もある。実際婚約者でもない令嬢と口付けをしているのを見たことがある。
…というか、その現場を見てしまい動揺して逃げた先に私の婚約者が…。
「ああもうっ!」
「ヒステリーですか?」
「惚けた顔をするのはやめなさいルーリエ」
ああ面倒くさい、全てを放り出して田舎に行きたい…と空を仰ぐ私だが、無常にお茶会の時間は迫る。皇女宮の前で二人を残し、一人茶会会場へ足を踏み入れた。ちなみにお父様が過保護にも、必ず宮の前までは護衛するようにと言いつけているだけで、通常皇宮に側仕えは連れてこない。
「あらっロゼリア様〜」
出たピンク髪〜とルーリエがいたら言いそうだなと思いつつ、顔に社交用笑顔を貼り付けた。
「お久しぶりですわ、皇女殿下」
「まぁ!プリシラでいいとあれほど言ったのにぃ。…もしかして、私と仲良くするのはお嫌…」
「いえっ!滅相もございませんプリシラ様」
うふふ、と笑うプリシラ様。うふふ、と笑い返す私。この一瞬で泣きの演技までして見せようとした、この恐ろしいピンク髪の美少女がプリシラ殿下だ。
プリシラ様は世にも珍しいピンク色の髪の持ち主で、瞳は父帝譲りの空色という、人間離れした容姿を持つ。皇宮陛下譲りの美貌も合わさり、その名は大陸中で帝国の妖精姫と噂されている。けどそんな美貌でもこの性格じゃ全然可愛くないわっ!と思っていると、プリシラ様が私の手を掴み引っ張った。
「さぁこちらへ!皆さんお集まりですのよ」
「まぁ、私遅れてしまったのでしょうか」
「気にしないでくださいね、皆さんとってもお優しいですから」
いや、そこはそんなことないですよって言うところよ。なんて言えるはずもなく。ずるずると引っ張って行かれた先に、丸いテーブルを囲む見覚えのある皆々様が集まっている。
右からフォレスタ伯爵令嬢、リベット子爵令嬢、ラベリア子爵令嬢、そして最後に貴族位を持たないが、ロベロン伯爵令息の婚約者となった帝国アカデミーの学者、リゼロ嬢。
うん、今日も綺麗に私の元婚約者達の婚約者様方ですね。
「今はロベルク子爵令息と婚約していらっしゃるのですよね?」
席に座った途端のこの質問である。まだ他の令嬢に挨拶もしていないというのに、礼儀をすっ飛ばしたこれも、プリシラ様お得意、私天然で少し鈍感だからぁごめんなさぁいで許されてしまう。
「そうですね」
「今は、上手くいってらっしゃるの?」
今は、をやけに強調してくる。まぁプリシラ様ったら、とフォレスタ伯爵令嬢がくすりと笑うが、窘めるようなことはしない。全員良くないことだと分かっているだろうに、嫌な笑いを浮かべたままお菓子を嗜んでいる。
「…すぐに知られることなのでお伝えしますが、実は今回も婚約破棄することに」
「まああぁ!なんてことなの!?」
きーんとプリシラ様の甲高い声が耳を通り抜けて脳に響く。すぐさま侮蔑の笑いがそこかしこから漏れ始め、私は耳を塞ぎたい気分だった。
「それはお辛いでしょう」
「いえ、私が至らなかったのだと反省して」
「そんなことありませんわっ!だってロゼリア様は全てが完璧で、その魅せ方さえも分かっていらっしゃる気高い女王のような方ではありませんか」
つまり威張りくさって他の人間を見下していると言いたいのかしら?きりきりと痛む胃をどうにかしようと、紅茶を流し込む。
私は決して、いわゆる儚い美貌の持ち主ではない。はっきりとした目尻も、丸顔では無い輪郭も、高い鼻柱も、どちらかと言うと高潔な美女を連想するらしい。良かれと思って身につけた最高級の礼儀作法は、私が矜恃高い女性という認識を増強させているようだ。どちらかと言うと、こんなことでも胃痛を引き起こすほど精神脆弱で、婚約破棄をした後は、しっかり一週間は落ち込み続ける。
「こんな見事なプラチナブロンドは見たことがありませんもの」
「そうですわね、こんなにお美しいのに、一体なぜロベルク子爵令息は浮気なんてしたのでしょう」
ちなみに、浮気をされたなどと一言も言っていないし、それを言っているのが私の元婚約者の浮気相手なのだから、完全に混沌だ。
「あら、そんなこと決まっているのでは?」
女性にしては低い声が響いた。私はリゼロ嬢をちらりと見たあと、こくりと紅茶を飲み込んだ。
「いくら美しくても教養がないと、男性は魅力を感じないものですわ。そうですよねプリシラ様」
「………」
しんと静まり返る。リゼロ嬢は全員の視線を受けながら、あれ?という顔をして戸惑っている。同情するが、助けるつもりは毛頭ない。何故なら彼女は、私の婚約者を寝とった際、勝ち誇った顔でこう言ったのだ。
「ロゼリア様はもう少しお勉強した方がよろしいですね、私のように」と。
何より一度プリシラ様の逆鱗に触れた者を、私がどうこう出来るわけがない。
「…リゼロ嬢、それはプリシラ様よりも自分は賢いのだと仰っているのですか?」
「えっそ、そんなつもりは」
「…酷いわ、リゼロ嬢」
プリシラ様が顔を覆ってめそめそと泣き始める。いくら学者になれるほど頭が良かったとしても、貴族としての会話の能力は身につけられないだろう。物理学や薬草額、それらの専門的な知識に、貴族界で立ち回れる常識は伴わない。
恐らく、リゼロ嬢は良かれと思って今の発言をしたのでしょう。今は全員でロゼリア様をいじめる時間だから、自分ものらなければ、と。私はこの方々の仲間なのだから、と。
プリシラ様にリゼロ嬢を仲間に入れるつもりなどない。ただ私に気まずい思いをさせるためだけの存在。言うなれば置物として置いておいたのに、人形が勝手に喋り始めたのだ。リゼロ嬢はこの中で最も地位が低い。本来なら全員が話し終えたあと、尋ねられて初めて口を開くことが出来る。間違っても、決してプリシラ様の問いに答えるような形で口を挟んではいけなかった。それも彼女の生まれながらの気質なのか、プリシラ様相手にさも平然と諭すような口調で。
「リゼロ嬢の知識は本当に素晴らしいと思いますわ。ですが、それをこんな風に私を蔑むために使うだなんて……」
「ご、誤解ですわプリシラ様。わたしはただ」
「…そもそも、頭だけの平民が貴族令息を語るだなんて、身の程知らずでは?」
ぼそり、と誰かが言った。顔を真っ青にするリゼロ嬢だが、その一言をきっかけに全員扇の裏でひそひそと悪態をつき始める。
「私もそう思いますわ、あの汚いそばかす。本を読む前に肌を整えるべきですわね」
「プリシラ様のお茶会に招かれたくらいで、自分も貴族の仲間入りだと思ったのでしょうか」
「まぁ、醜い学者ごときが偉そうに付け上がって…」
あぁ、胃が痛い。そう思いながらリゼロ嬢を見ると、かたかたと震えていた。ここで失態をしなければ、このままロベロン伯爵の夫人として貴族になれただろうに。このお茶会で干されてしまったのだから、伯爵も婚約破棄に動くはずだ。まぁここで失敗せずとも、自分の脳をひけらかすような彼女のことだから、いずれ社交の場で怒りを買っていたことだろう。
「…ごめんない皆さん。リゼロ嬢を招いたのは私です。皆さんに不快な思いをさせてしまいました…」
リゼロ嬢を完全に悪役に仕立て上げ、かなりえげつないことを言っているが、令嬢達は口を揃えて言うのだ。
「まぁ、プリシラ様は悪くありませんわ」
「下賎の者の罪をなぜプリシラ様が謝らなければならないのですか」
「何をしているの、早くプリシラ様の目の前から消えなさい」
リゼロ嬢は今にも泣き出しそうな顔をして、唯一口を割らない私に助けを求めるような顔をしたが、私は目を逸らす。助けてあげる義理もなければ、今ここで現実を知って去る方がリゼロ嬢の為だ。もし伯爵夫人になった後にこうなってしまえば、学者の地位も捨てた後になり、路頭に迷う。
そもそもロベロン子爵は金遣いが荒く、子爵家は近々傾くだろうから、自慢の地位を手放してまで妻になってやる必要はない。
「………っ」
すごい顔で歯ぎしりをしながら私を睨んだ後、リゼロ嬢は退出した。何故か今回の騒動全てを私のせいだと思い込んでいるかのような様子だったが、わざわざ訂正しに行くのもおかしな話だ。
「…ロゼリア様も申し訳ありませんでした、私のせいで」
「そんな、気にしないでくださいませ。皆さんの仰る通り、プリシラ様は何も悪くありませんから」
ありがとうございます、と輝かしい笑顔を浮かべるプリシラ様の顔を見ながら、胃が痛いなぁと思うのだった。